黒炎の厄災
瓦礫のなかでセルディは意識を取り戻す。
何が……あったんだっけ。確か、何時も通り夜になったからお父さんとの特訓で後を追いかけていたら地面が揺れて……ダメだ、その後の事がセルディには何も分からない。
けど、さっきから焦げ臭い匂いがする。すぐ近くで火事が起きている。早く瓦礫から出ないと。幸い、身体を動かすことはできるし瓦礫の中から出れそう。
瓦礫の隙間を縫うように地面を這って瓦礫の中から外に出る。額から痛みを感じて手で触れると血がベッタリと着いていた。
地面に倒れた時に瓦礫に直撃したのかな。けど、血の量や瓦礫が傷口に突き刺さっていないし傷は浅い。間違えてお父さんの動脈を切った時よりは遥かにマシだ。
それにしても、夜なのに明るい。それに熱い。どこで火事が起きて……、
「……何、これ」
その光景にセルディは絶句した。
セルディの目に写る光景はとても幻想的で暴力的なものだった。街の中央部から黒い炎の柱が立ち周囲には火の粉が撒き散らされて倒れた建物に次々に引火、火事が広がっている。
「グキキギギッ!」
「え、何で!?何で……」
すぐ近くではゴブリンに襲われて人間が怖じ気づいて抵抗することなく喰われている。周囲からは様々なモンスターたちの鳴き声が響き、多くの街の人たちは阿鼻叫喚の中逃げ回っている。
「糞があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「速く街の外に避難して下さい!て、きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
剣を振り回していた探検者は黒い蛾のようなモンスターたちに集られ肌を黒く変色させて死んだ。街の人たちの避難誘導をしていた組合の職員はモンスターが放った炎によって燃やされた。
セルディが住んでいた街は、地獄に変貌した。
「うっ……」
理解すると同時に腹の奥底から吐き気を催すと同時に口から食べてきた物を吐き出す。口の中に吐瀉物の味がこびりついて不快感が残る。
気持ち悪い……。街が、たった一瞬で……。
「ギギギッ!」
「ひっ、」
セルディに気づいたゴブリンが補食を止めて近づいてくる。
セルディは逃げようとして後ろに下がろうとするが足が上手く動かず尻餅をつく。
なんとか手で地面を押して後退るが近づいてくるゴブリンの口から滴る血を見て自然と涙が流れ歯がカチカチと鳴る。
怖い……!助けて、お父さん、お母さん……!もう拷問の訓練で泣きません、もう我が儘を言いません、だから助けて……!
背中に衝撃が来る。振り返るとまだ残っていた家屋の壁だった。
誰でも良いから……助けて……!
「グギッ!?」
もうダメだと思い目を瞑ると同時に顔に生暖かい液体がかかる。目を開けるとゴブリンの首が斬られ血が吹き出していた。
「大丈夫!?」
ゴブリンの死体を跨いで声をかけてきたのは犬耳の獣人の女性だった。黒い髪は血に濡れ、メイド服を思わせる服には出血か返り血かも分からないほどに汚れ、獣的な両腕からは血が滴っている。
この人が、先程のゴブリンを殺してくれたのか。
犬耳の獣人の女性はセルディに手を差しのべる。
「う、うん……」
セルディもそれに答えて女性の手を取り立ち上がる。
怖かったぁ……。
「ありがとう、お姉さん」
「良いよ良いよ。あ、私はリージュ。貴方は?」
「セルディはセルディ・リーンです」
「セルディちゃんか。それじゃあ、掴まってて!」
リージュさんはセルディを背中に乗せる。セルディが腕を首に回すと同時に突風がセルディの顔に当たる。
リージュさんは瓦礫の山をものともしない身軽な動きで進んでいく。足場になりそうなものなら小さな石や壁すらも足場にして速度を一定に保っている。
「邪魔しないで!」
進行方向にモンスターが現れるとリージュさんは間合いに入ったモンスターを足場にして大きく跳躍する。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「しっかり掴まってて!落ちても助けれない!」
セルディの身体は宙に浮かびかける。
リージュさんは飛行するモンスターを足技で頭を潰しながらセルディに注意する。
セルディの目には街の様子がより広く見えた。
街の至る所では火が燃え盛り様々な場所で建物よりも大きなモンスターたちが咆哮と共に同族も人も関係なく蹂躙している。小さなモンスターたちは集団で人に襲いかかり、多くの人たちがその魔の手にかかっている。
頭の良くないセルディの頭でも分かる。この街はもう……!
「ごほっ……!?」
「え……?」
モンスターの頭を蹴りで潰していたリージュさんの身体が傾くと同時に急降下する。
えっ……!?これって……!?
急降下するリューズさんは何とかモンスターを蹴って勢いを減速させて地面に落ちる。
身体に走る衝撃と激痛でセルディはリージュさんから腕を離し何度も地面を転がる。
今のは……『死の業』!教本に書かれていた呪いで生物を殺した対象に強力な呪いを発露させる。しかも、この呪いは累積。際限なく呪いは積み上がっていく……!
「リージュさん……!」
セルディは気絶したリージュさんの肩にに腕を回し少し持ち上げて引きずる。
見殺しにはできない。
見殺しにはしたくない。
早く、早くこの場所から逃げないと……!
「君たち!俺の手に掴まって!」
背後からガラガラという音が聞こえてきて振り返ると馬車が瓦礫を蹴散らして走ってきてすぐ隣で止まり中にいる青年から手を伸ばされる。
「っ!うん!」
セルディは迷うことなくその手を掴むと勢いよく引き上げられ馬車の中に入れられる。
馬車の中は様々な種の人たちが身を寄せあっていた。奥に乗せられた木箱には医療品が入っており、セルディたちを引き上げてくれた人間の青年が薬を取り出す。
「酷い傷だ。早くかけて」
「それよりも……リージュさんに」
「分かった」
青年はリージュさんに薬をかける。緑色の液体が降りかかった傷口はみるみるうちに治っていく。
これって……まさか、回復薬?そんな高級な物を惜し気もなく使うなんて太っ腹すぎる……!馬車を使っているから商人だというのは分かるけど……!
青年は木箱を退かし空きスペースを作りリュージュさんを横にする。空きスペースの奥を覗くと似たような顔をした二人の男性が弓と剣を持っていた。
「グリューの若旦那!馬が疲弊している!そろそろ門に向かうぞ!」
「分かった。ラヴィは低位のモンスターたちを何があっても近づけるな!クヴィは何としてでも馬車を門に送り届けろ!」
「「了解!」」
グリューさんの号令と共に馬車はより勢いを増す。
道に転がる瓦礫は弾き飛ばされ前にいたモンスターたちは轢かれていく。空から飛来してくる魔物たちはラヴィさんの弓から放たれる矢で次々と撃ち落とされる。それと同時に二人の身体から黒い血が垂れていく。
次第に街を囲う門が見えてきた。それと同じように多くの馬車や逃げようとしている人たちの姿も見えてきた。
これで何とか助かる……!お父さんもお母さんもどっちも強いから何処かにいる筈……!
「セルディ!」
「お父さん、お母さん……!」
門を出るために並んでいると背後から名前を呼ばれ振り返ると絶句した。
お父さんとお母さんが血だらけになりながら立っていた。それも、かなり負傷していた。
お父さんは左目が潰され、両腕に幾つもの切り傷や噛み傷が刻まれている。頭からの出血も激しい。脇腹からは血が溢れ腸が出かかっている。
お母さんはお父さんよりも酷い。左腕が喰い千切られ、右耳が斬り落ち、全身に様々な引っ掻き傷や噛み傷、既に両目は潰れ頬の肉は削がれている。
どっちも満身創痍、もう助かる見込みは……。
「グリューさん!お父さんたちに回復薬を!」
「……無駄だ。外の傷だけでも手一杯なのに呪いで内臓器官も魔力的な流れもズタズタ、俺たちでは何もできない。専門職の長期的な治療が必要となる。もう、彼らは……」
理屈は理解できる。セルディの言っている事は確実に意味がない。でも、それだとお父さんもお母さんも死んじゃう……!
「……グリュー商会の会長か。娘を何としてでも逃がしてくれ」
「報酬は払えないけどね」
「……ああ」
グリューさんが肯定すると同時に多くのモンスターたちが馬車目掛けて大行進してくる。
お父さんとお母さんはセルディに向けて笑いかけると背中を向ける。互いに得物を握りしめる。
「……頑張れよ、セルディ」
「貴女のことは愛していた」
「お父さぁん!お母さぁん!!」
馬車が動き始めると同時にお父さんもお母さんもモンスターの群れに向けて突貫する。
嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!お父さんもお母さんも死ぬなんて嫌だ!何で!?何でこうなったの!?何があって、こんな事になったの!?
何で!?何で何で何で!?
セルディは入っていた人たちを押し退け周りの制止を無視して外に出ようと手を伸ばす。
その瞬間、
ドゴオオオオオオオオオオオオン!!
「きゃあ!?」
門を潜り抜けると同時に極大の爆発が起きた。衝撃で馬車は吹き飛ばされバランスが崩れる。
「頭を何があっても守れぇ!!」
グリューさんの号令と共にリージュさんを抱いて丸めると同時に馬車は倒れる。肌が擦れて削られるような感覚と強烈な熱波、衝撃波で全身に痛みが走る。
馬車が壊れて木片が腕や足に突き刺さる。完全に止まると目を開ける。
リージュさんは……怪我をしているけど無事だ。木片も致命傷の部分には刺さってない。他の人たちは……何人かもうダメそうだけど。
馬車の残骸から出てリージュさんを引き摺り出す。そして、街の方を見て、
「……えっ?」
言葉すら失い呆然と立ち尽くす。
街は、完膚なきまでに破壊されていた。
爆発によって城壁は完膚なきまでに破壊された。街は特殊な爆発の仕方をしたのか瓦礫は吹き飛ばされずに残ってはいたがその多くが融解していた。それでも忌々しい黒い炎の柱は今もなお空を焼いていた。
「……あ」
そして、セルディは気づいてしまった。街の中にいた筈のモンスターも、人も、誰一人としていない事に。
街の中に残っていたいた全ての生物は、あの爆発によって全て死んでしまったのだ。
それは、お父さんも、お母さんも同様に。
「あ、ああ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
理性に感情が追い付くと同時にセルディの最後の箍が外れた。
絶叫とも悲鳴とも似ても似つかない奇声と共に膨大な量の涙を流し、手で頭を抱えると靴が脱ぎ捨てて街の中に入ろうとする。
「駄目だ!」
セルディの腕をグリューが掴む。
何で!?何でなの!?
「もし入ればお前は死んでしまう!!」
私と同じように街の残骸の中に入ろうとした人たちは一歩でも足を踏み入れた瞬間、もがき苦しんで黒く変色して息絶える。
「あの街は超高濃度の呪詛で満たされている!あの状態で入る無理だ!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
もがいてグリューの手から離れようとするがグリューは手を離さない。
ちくしょう……!ちくしょうちくしょうちくしょう!!こんな、こんな理不尽があって良いの!?あらゆる栄華を、あらゆる繁栄をこんな形で否定して良いの!?
こんな、こんな惨劇が許容されていいの!?
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」