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ショートショート置き場

爪楊枝

作者: 嘉多野光

「ねえ、水あげた?」

テレビゲームに夢中のユウヤに、キッチンでアスパラガスをベーコンで巻いていたモモコは尋ねた。

「うーん、後で」コントローラーをしっかり握ったユウヤは、テレビから視線を離さずにモモコに応えた。

「ユウヤがちゃんと世話してくれないと困るよ。今日アスパラのベーコン巻きで爪楊枝使っちゃうんだから。明日のお弁当、ウインナーなしでいいならいいけど」

 モモコが手を動かしながら叱ると、明日の弁当にウインナーがなくなることを懸念したユウヤは、一つ大きな溜息をモモコに聞こえるようにに吐きながら「食べ物で脅すとか、虐待だかんな」と呟いた。

「何か言ったー?」またもモモコがアスパラガスをベーコンの上に敷きながら尋ねた。

「何も言ってないよ、やるよ!」ユウヤは大声を出した後、ゲームを一時停止して、突っかけを履いてベランダに出た。


 ベランダには、ちょうどユウヤの肩幅の大きさほどのプランターが二つ置いてあった。ふかふかの土の中には、それぞれ爪楊枝が等間隔に十本ずつ刺さっていた。細くて短いものもあれば、鉛筆ほどの長さにまで成長したものまである。

 ユウヤは、如雨露で土が湿る程度に爪楊枝に水をあげた後、成長している何本かを引き抜いた。爪楊枝はあっけなく引き抜かれた。土に埋まっていた先端には、産毛のような髭根が細かく生えていた。


 少し前までは、自宅で豆苗を栽培するのが流行っていた。買ってきた豆苗の、通常なら捨てる根の部分を水に浸し、日光の当たるところに置いて、水を交換してやれば、種の部分から新しい芽が生え、数日で買ってきた状態に近くなる。新しく生えたところはまた切って食し、同じサイクルを繰り返せば、たった百円程度の豆苗を何度も味わえる。経済的でありながらテクニックも不要で、手軽なこの豆苗栽培は一人暮らしや主婦がこぞってハマった。


 しかし、今のトレンドは爪楊枝だ。使用済みの爪楊枝をよく水洗いし、下半分を切って、そのさらに下半分が土に埋まるようにプランターに刺す。毎日水をあげて二週間ほど経てば、土に埋まっている部分が伸びてあの尖った先を新しく形成するのだ。ただし、埋まった部分から極めて細かい髭根が生え、見た目には気にならないが口に含むとざらざらとして食感が悪いので、収穫後にカミソリなどで軽く根を取る必要がある。

 豆苗と違って、土が要ることと、収穫後の後処理に少し手間がかかるが「【簡単!】これで一生爪楊枝を買わなくても済む! 爪楊枝栽培法【副業にも◎】」という記事がSNSで拡散され、一気にブームになった。


 友達が爪楊枝を栽培し、この前持参した弁当の唐揚げに使用したと聞いて、ユウヤが自分も栽培したいと言い出したのだ。植物を育てるのは教育にもなるだろうと思ったモモコは許可したのだが、やはり栽培し始めて三日もするとユウヤは飽きてしまった。毎日、こうしてモモコがユウヤに言わないと世話をしようとしない。指示してもサボったために、一度はすべて枯らしたことさえあった。そこで先週、モモコは家族の前で一生爪楊枝を買わない宣言をした。これにより、渋々ではあるが、自分の弁当のためにユウヤは爪楊枝の世話を再開した。


 ユウヤが髭根を処理した爪楊枝をモモコに無言で渡した。

「ありがとう」

 収穫した中には、弁当に使うには到底無理なほど成長しすぎたものもあったが、今日もちゃんと作業をしたことに対してモモコは心からユウヤに感謝した。


 ある日の朝、ゴミを出そうと外に出たモモコは「きゃあ」と叫んだ。

 何事かと思い一家全員が飛んでいくと、おぞましいとでも言うべき光景が庭全体に広がっていた。庭の至る所から、爪楊枝が生えていたのだ。剣山のようだった。庭が地獄と化した光景に子どもたちは爆笑していたが、親たちの顔は真っ青だった。


 最近、たまにワイドショーでもニュースになっている、爪楊枝の驚異的な繁殖力がその原因だ。原材料や土との相性によるが、まれに爪楊枝を複数本同時に栽培していると一気に繁殖し、プランターを超えて広がってしまうというのだ。特に竹製は繁殖力が高いと言われていたが、まさに佐藤家でも丈夫だからという理由で竹製が栽培していたのだ。


「まず、みんなでこれ全部引っこ抜くぞ。またそこら中で生えてきたらまずいからな」冷静さを取り戻したダイスケが口を開いた。「ママはプランター周辺、ユウヤは玄関周り、俺とミホは勝手口辺りだ。学校には、ママから遅刻するって連絡しておいてくれないか」

 しかし、指示されたモモコは返事をするでもなく、顎に手を置き、黙っていた。

「ママ、どうした?」この光景に精神的にやられてしまったのだろうと、ダイスケは優しくモモコに声を掛けた。

「いや、パパ」顔を上げたモモコの目の瞳孔はカッと開いていた。「これは私たちの勝機よ」

「どういうこと?」まったく意味が分からず、ダイスケはモモコに尋ねた。

「いいから、ここは私に任せて」ダイスケと子どもたちに向けて、モモコは親指を力強く立てた。


 モモコの生活は俄に忙しくなった。

 何しろ、長年勤めていたパート先を退職後、起業し、代表取締役社長になったのだ。

 あの地獄のような光景を見たとき、モモコは爪楊枝を売ろうと思いついた。実際、爪楊枝栽培を副業として稼いでいる人がいることは知っていった。せっかく生えたものを抜かなければならないのなら、売った方がお金になると考えたのだ。それからモモコは、爪楊枝栽培や会社経営について急ピッチで勉強を進め、ついに先月開業届を提出したのだ。

 しかし、社長になったと言っても従業員はほぼいないに等しく、作業のほとんどをモモコ一人で行っている。放課後や休みの日には、ダイスケや子どもたちも手伝ってくれるようになった。


 庭が大惨事になった日から約三ヶ月たったある日の午前、モモコは家事を終えると、庭に出た。庭は、あの日ほどではないが、そこかしこに爪楊枝が生えていた。庭は柵で区画整備されており、玄関に近い場所は竹製で大きめで串にもなりそうな太いもの、勝手口に近付くにつれて一般的な木製の小さいサイズのものに変わっていくように、様々な種類の爪楊枝が植えられていた。モモコは、そこから成長した何十本かを収穫した。

 収穫した爪楊枝を手に家の中に戻ると、今度は窓を開け放って後処理作業に入った。後処理のために百円ショップで最近売り始められた爪楊枝後処理ツールを使って、どんどん髭根を処理していく。尤も、このちまちました作業からも、来月町工場に注文した特大版の爪楊枝後処理ツールが届けばおさらばだ。

 弁当を作ったおかずの残りで昼飯を軽く済ませると、今度は一昨日、昨日の収穫分と合わせて、出荷作業に入る。今日中に、銀座の有名な料亭と京都の老舗割烹店には発送したいと、モモコは考えていた。


 思い付きで始めた事業だったが、ダイスケが食品専門商社勤めであことが功を奏した。ダイスケが、いつもルート営業で回っている飲食店で家で栽培した爪楊枝を見せると、ハンドメイドで品質が良い上に安いと、面白いように次々と店長が食らいついた。そこでの実績をもとにモモコはオンラインで全国の有名店に営業をかけ、国内外に顧客を増やしていった。

 爪楊枝栽培の毎月の利益がダイスケの収入を超えたら、ダイスケは会社を辞めて爪楊枝栽培・販売を家業にすると、この前モモコと話していた。

 モモコは、さらに先を見据え、この商売での体験を本にして、印税も稼ごうと考えている。

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