表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法哲学構築記 ~世界ゲームプレイ日誌~  作者: 誰でもない誰か
第一章 人生の意味を魔法の視点から ~魔法使いの出発点へ~
6/36

楽をして結果を得たいと思うことは、人生最大の罠なのです。

人生にメタ(上位)ゲームはあると思いますか?

私は政治も経済も単なる表層の現象に過ぎないと思っている。政治の腐敗とは人心の腐敗に過ぎない。政治が病んでいるように見えるなら、それは人の心が病んでいるのだ。そして、病む理由は変化への恐れがあるからだ。変化は自然の根本原理であるが、人の性はそれに逆らう。この乖離が病に過ぎない。


だから、怠惰、嫉妬、強欲が世界をおかしくしているというのだ。こいつは特定の政治家とか経済人の問題ではなく、個人個人の問題だ。個人から解決しなければ世界が解決することはない。逆に言えば解決した個人は世界をすでに救済している。 ちなみに傲慢、色欲、大食、憤怒に関しては問題は小さい。 .


悪魔の親玉は怠惰なのだ。怠惰は変化を拒否すること、嫉妬は怠惰を正当化すること、強欲は怠惰のままふるまうことなのだから。そして、傲慢は向上意欲なので怠惰とは逆、憤怒も向上につながる。これらはすぐに反省を促される性質も持つ。そして、大食、色欲は愛を持ち、鑑賞能力があれば向上心に寄与する。ただし、怠惰が背景にあると、傲慢も憤怒も反省が無くなるし、大食や色欲は鑑賞能力も愛も失って、際限が無くなる。


怠惰はほんとうにやばいと思う。なによりも本人にとって。変化への対応はできなくなるし、せっかくの幸福の素材に対する料理の仕方も味わい方も喪失してしまうのだから。こうなるとインフレーションを加速しつくしても、幸福はわからなくなる。そして、支配だけが心の空虚を埋める手段となる。支配することで同じ空虚の中で優越に浸れるからね。でも、それも結局は怠惰を助長するから、いつか変化に対応できなくなる。怠惰を主軸とする人間にとって約束された破滅は時間の問題である。


ゲームに例えるのであれば、怠惰も嫉妬も強欲もチートの香りがする。楽をしていい思いしようという特性を人間が反省しなくなると、腐敗に至るのだ。変化の拒否は流動の拒否だから、流れるべきものが滞留することになる。血液が滞留するれば必ずそこが病巣になるように、社会でお金にせよ、関係にせよ、役職にせよ、滞留が発生するとそれが社会問題の真の原因になる。


チートしかないゲームを積極的にプレイしたいと思う真人間はいないから、結局はゲーム全体が腐敗する。それは運営の能力の問題ではなくて、チートを楽しく感じるようなコンテンツの問題なのだ。ゲームの楽しさをインフレの楽しさにしたら台無しになる。特に課金がそれに大きく寄与するならゲームそのものは当然その分堕落する。


そういう強さを楽しみとするプレイヤーが大多数になってきたら、そのゲームは見放す時期かもしれない。そもそもゲームとはやり込む感覚の楽しみや、巧妙さへの創意工夫にあるだろうから。交流の楽しさも役割分担も本来はそれが軸になる。


ちなみに今の人間社会なら、魔法師ゲームは楽しい。こいつはまだほとんど誰もプレイしてないのでサクサク動く。まあ、参入基準がめっちゃ難しいかもしれない。魔術師は結構いるけど、魔法師は本当に私もほとんど見たことがない。経済ゲームとか恋愛ゲームとかの上位ゲームでもあるし、だからってチートなわけでもない。経済ゲームや恋愛ゲームを実験視点で参入して、うまくいかないことの原因を探る、それによって魔法を得る、なんてのが楽しみになることもある。上位とはそういう意味に過ぎない。


そんな感じで見つけようと思えば、人間社会だっていろいろなゲームが散らばって存在している。それこそ、戦争ゲームでも騙し合いゲームでも支配ゲームでも健康ゲームでも、やりたければやるといいのだ。それに参入しているという自覚があるなら、成長はあると思う。ただ、成長という報酬はミッションコンプリートでしか確認できない。そして、ミッションにどんな意味があったかわかることで、それがコンプリートされることは多い。


だから、ゲームには参加しているという自覚が重要であるし、チートなんか企んだりその立場に酔ったりせず、ミッションを誠実に遂行して、そこに意味をこそ見つけ出すべきである。チートへの誘惑は本当に人生の全てのゲームを台無し人する罠である。なにしろ、人生の最上位ゲームは成長ゲームであって、チートはそれを逆走するだけなのだから。


本人がチートだと思ってほくそ笑んでいるだけで、その上位ゲームの立場からすれば、正規プレイではあるので必ずしも規約違反ということはないのだ。しかし最終的には、上位ゲームのルールが適用されるのだが、この際あたかも規約違反だったときのように、運悪くペネルティを得たように感じるだけになるかもしれない。


自分がやっていたことがチートだと自覚していたら、単純に咎められたのは運だと思ってしまい、上位ゲームのルールをその存在すら理解できないまま、ペナルティを得た状態で下位ゲームをプレイし続けることになるだろう。自分はチートする権利が当然ある、なんて怠惰を持ち込んだら、まず抜けられまい。



楽をして結果を得たいと思うことは、人生最大の罠なのです。

下位ゲームを目的意識を持ってプレイしていると、そこの法則性を見出してくることがあります。そういう気付きを持てることが、ゲームセンスだと思うのですが、それを体系化すると上位ゲームの存在に気が付きます。


そういう上位のゲームのプレイヤーに昇格していくことによって、人生を俯瞰する視点が持てるようになり、自分が何をすべきかを適切に理解できるプレイヤーになっていきます。


下位ゲームがうまくなることとは関係なく、そこに深遠な意味を見出すことで上位ゲームを勝ち抜けるのです。つまり、人生の視点が変わります。だからこそ、他の人には見えない、語れない、人生の意味まで分かってくるのです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ