混沌からの秩序
私は世界を3つに分けて理解しています。天地人という言葉を独自に解釈しているだけですが。そこから導き出せる人生の意味の解釈について、詩的に述べてみました。
天は概念世界。スピノザの言う永遠の相にある秩序。
地は自然世界。科学が記述する時空間と確率の混沌世界。
人は心理世界。人の営みが織りなす混沌が秩序化する物語。
人間は心理世界にあって、概念にも自然にも学問の食指を延ばす。しかし、それらは全て不完全にならざるを得ない。ゆえに神秘(=存在と時間)は語りえない。
人は混沌を秩序化するために生きるのであり、秩序を混沌とさせるために生きるのではない。秩序はひたすら秩序化していくものであり、混沌はあくまで混沌であり続けるのだから。
これは早く気が付くほど偉大な秩序に追いつくし、混沌に遊ぶほどその目的を見失う。この宇宙の神でさえ、全ての真理、全ての秩序には到達していない。いや、到達しえない。秩序とは混沌から生まれた完全なる可能性の総体なのであり、絶え間なく発展していくものである。
ヘーゲルは天上で進行するこの概念の運動を『大論理学』として記述しているし、ユングは無意識や元型という概念で人の織り成す物語の可能性を記述した。そして、イリヤ・ブリゴジンの忘れ去られつつある名著『混沌からの秩序』は自然界における不可逆性の問題に触れる。
天上の発展と自然の不可逆、そして心理の物語化。これらを理解すると人生は大局に於いて、非常にすっきりするはずである。
人の営みは半分以上は経験というゲームでしょう。そこに正解などと言うのはきっとない。でも、宇宙という視点で見て、究極の目的として人生と世界の理解者としての自分を目指すならば、人として混沌から秩序を構築する仕事こそ、正解であるとはいえると思っています。
そうでないと、人間の証たる言葉が無意味になります。言葉が単純に嘘をつくために存在すると説明することは、おそらく誰にもできないことで、その事実こそが深淵に秩序が存在することを物語っていると考えられます。
ちなみに魔法は秩序であり、魔術はそうとは限りません。なので、魔法は聖なる目的にしか使用できず、魔術は悪用も可能です。しかし、魔法が結局は魔術も支配するのです。