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魔法哲学構築記 ~世界ゲームプレイ日誌~  作者: 誰でもない誰か
第一章 人生の意味を魔法の視点から ~魔法使いの出発点へ~
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誰でもない誰かのちょっと生々しき現実

産業世界はわが生涯の敵なのですw

だって、正しいことが大好きな私の神経をとことん逆なでしてくるし。

敵にしてるから、こっちはまともに仕事をすることすらままならないという。

2019年の8月まで私が勤めていた会社は、障害を持つ人を預かって、介助したり活動を促したりすることが主活動だったのだが、本当は障害を持つ人をいろんな所へ連れていくことでその対価を税金からいただくことになっている。だが、活動実態は単に行ってきましたという書類作りのみ。それだけの活動で月に何百万というお金が流れてくる仕組みだった。(そのお金のおかげでグループの活動が可能になっていた。)


もちろん法律的に言えば、架空請求だし、公文書偽造だし、やらされているこっちもどんどんおかしくなりそうだし、それでもこれが障害者にとって、避けられない理念ならと思ったが、その説明もない。いろいろと私にとっては働きやすい職場ではあったが、理念も道義もないとなればさすがに続けられなかった。こんなところに私を押し込めようとするとは、さすが産業世界(わが生涯の敵)!と今にして思う。


要するに活動を見る限りは、障害者という社会的に邪魔な(!!)存在を経済活動から排除する機能に向かってお金は支払われるのだ。この実態は役所に問い合わせたけど、お咎めはなかったし、むしろ書類の不備を指摘して、工作をより完全なものにする手伝いすらしてくれる!


その会社の中でも頑張ってる部門はあった。確かに障害を持つ人の自立支援というか、社会活動を真剣に支援している部分もあった。一概に、全てがおかしいとは思ってはいない。


そもそも人はなぜ障害者が生まれてくるのか、その意味を考えたことはあるのだろうか? ないだろうな。本当はその意味を考えることこそが人間の活動なのに。そんなことも考えないものだから、生活だけに追われて、人生を終える時期になってようやく自分は何もしなかったことに気が付く。


そうやって気が付いた人が若い世代にその後悔を伝えてやればいいのに、むしろそんな活動こそ疎外される。そんなのは経済的に邪魔なんだよとばかりに。さすがこの世界の支配者、産業世界(わが生涯の敵)!


しかし、経済とは活力だ。人類世界の血液だ。人間が人間らしさを失ってただ動物の欲に従って生活するだけの経済は、単なる濁流、渦に過ぎないだろう。欲を刺激し、それに刺激される間抜けだけが、その経済の恩恵に与る。そんな停滞が本質的な活力になるはずもなく、当然、人間の活力は堕落の一途をたどる。いわば社会が病気なのだ。


物事には正論というのがあり、正論がなぜ正論かといえば、それが正しいからだ。そいつを原則としている限り、間違いがないから正論なのだ。


個人にとって、欲を満たすことが正しいと感じるかもしれないが、その母体である社会が死んだら、それも果たせない。そして社会を殺さないために、無理に力を使う傾向を助長することで、死に体は完全に死となるのである。軍事産業が台頭したら、まずその時代の歴史はいったん区切りを迎える一歩手前だ。


まあ、いい。死は再生の前に必要な儀式だ。今は、流れを正常に戻すより、異常さを加速して崩壊させる方が正解だろう。日本も一度、潰れるといいのだ。民族としての境界線をなくすほどになれば、さすがに何か起こるだろう。それこそが、何のための島国で、なんのための地球史上最長の民族王朝かという話でもある。厳密には王朝はどうでもいいが…。(日本の地位の特殊性はいろいろと挙げればきりがない。一言で言えば、人類世界の御守りであると言える。)


少なくとも、お金は増やすものではなく、稼ぐものだし、もっと言えば稼ぐものですらなくて、いただくものだ。それなのに、その動きを逆行する政策を打ち出すことで稼ぐ人間がいるおかげで、ちゃんとお金をいただこうという活動を完全に阻害されてしまう。


お金を増やす時には道具だとしか思ってないのに、生活するときにはそれが目的となり依存する。この人生における矛盾が、本人を蝕まないとでも思っているのだろうか? 正しく、圧倒的な後悔と空虚の中で、人生の最後を迎えるといい。その時期は間違いなく今まで以上に加速されて早く来るだろう。


私ももうすぐ死ぬだろうが、その後悔と空虚だけとは無縁だ。やり遂げたとは思わないが、次の人生へ向けてしっかりと足掛かりは作った。後悔だけはない。私の本質も見極めた。課題もいっぱいあるから、次の人生でも退屈はしないだろう。


でもまあ、まだこの星でしか果たせないだろう課題もあるから、まだまだ私の人生の意味、その必然が尽きたわけではない。もうすぐ死ぬ、というのは現実的な見方だ。無理に課題を放棄してまで、延命を図るつもりはないだけだ。


延命と課題遂行が一致する地点があれば、一番いいのだが、それだけは私を産業世界は何としても妨害してくるだろう。私がそんな道を見つけてしまったら、産業はただでは済まないから。


だが、私を妨害し続けたとしても、産業はもうすぐ終わりだ。私が短くて瞬間的な変化を通過させるか、私を阻害して私と同様の苦しみを味わいつつ断末魔を迎えるかの違いに過ぎない、終わりは終わりだ。人類を巻き込みたければそうすればいいし、この星が無くなるくらいは、まあ、希少なコレクションとして価値はあるのだが、実質的な痛みは宇宙にはないだろう。


むしろアトランティスの寓話が本当で、再び大陸の沈降の機構が作動する可能性もあるわけだが。ただ、『エメラルドタブレット』によれば、数百年後(だったかな?)には宇宙戦争だそうだ。生命はせっかく心を持つのだから、葛藤で成長すればいいものを、なぜわざわざ物理レベルで命をかけて戦うことでの成長を目論むのかよくわからない。


それに葛藤と言っても、愛であればそれは楽しくて甘い体験なのに…。愛と戦いの等価、生と死の等価という二元性以上の楽しい現実のある世界を望む。性が二つでない生物もいるのだから、彼らは別の多元宇宙から来たのかもしれない。


私も神秘を必要以上に探求することに意味は感じないが、世界は神秘そのものであるのは確かであるから、人類が懸命に忘却し、無かったことにしようとするそれらが、いずれは間違いだらけの人類を正論に引き戻す可能性は高いと感じる。


私も時が満ちたときには、そちらの活動に参与することを、今なら心理的に拒む理由もなくなってきたと感じる。だって、産業世界(わが生涯の敵)は叩き潰してみたいし。いや、楽しみとしてではなく、お互いを有意義な成長へ誘う生存競争としてね。ほんとだよ。

新しさは正しさについて何も保証しない。新しさが正しいのはその論証こそが正しい時だけである。


逆に論証が無用になる項目、たとえば神秘などであれば、新しいことはむしろ有害でさえある。ひたすらに起源を辿ることこそが正しさとなる。


この明確な理解を持って、文献は調査されねばならない。たかだか17世紀の文学の点検のために、文献学のエリートを使役しなくてもいいのである。


そして、全ては内容である。たとえ、形が大事なものがあるとしても、それでも形から得られるインスピレーションという内容が大事なのである。形は役割であり、本質の機能ではない。


だから、形への傾倒は悪魔の道であり、それを照らす光の本質へ辿るのが神の道となるのである。



なんてね。

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