月下の魔術師
旅立ったその日の夜だ。
街道沿いの丘の上で、ウォルターは今日の寝床を決めた。土がやわらかく、草も低く生え揃っている。体を横にするのに、それなりにいい条件が整っていた。
弟子のセリンを通じて村から手に入れた、パンと干し肉はおいしかった。もともとの味もあるが、星空の下で食べるというのもいい。研究の片手間に食べるのとでは違う。
こうした感性が自分にもあるのが、ウォルターは意外だった。
夕食を終えてからも、ぼんやり星を眺めていた。
研究素材を集めるか、錬金術の研究をするか、セリンの相手をするか。思えばそれしかしていない。こうしてのんびり過ごすのは、一体いつぶりになるのだろう。自分の年齢も怪しい中、見当もつかなかった。
ただ、星の瞬きや、雲の動きを観察するのも悪くない。
錬金術は好きでやっていて、また早く再開もしたいが、こうした穏やかな時間もよいものだ。
錬金術の思いつきも、食事やトイレ、寝る時によく思いついた。あえてこうして何もしないでいるのも、研究に役立つかもしれない。一石二鳥だ。
ならば存分に楽しもうと、ウォルターは両手両足を投げ出して、草地の上に寝そべった。
目が慣れてきて、見える星の数が十倍には増えた頃。
風が吹き、何かが落ちる、小さな音がした。
ウォルターが落ちてきたものを確かめようと上半身を起こす。
すると月明かりと風を受けながら立つ人間がひとり、いた。
赤黒い色のローブで、飾り気というものがまったくない。フードを目深に被り、顔は鼻から下だけわかる。それだけでは、若いということしかわからない。
三十代前半よりは若い。
ただでさえ体型がわかりづらいローブ姿なのに、ローブは風で膨らんで、背の高さと、体の太い細いがなんとなくわかる程度だ。
背はウォルターより低い。百六十半ばくらい。体は細い。少なくとも決して太っていない。
その謎の人物との距離は、七メートルある。
街道沿いとはいえ、1人でこんなところに現れた。
他人のことは、同じような立場であるだけウォルターもとやかく言えない。しかし、持ってきたナイフを鞄に隠して握ることだけはする。
危険なのか安全なのか、まだわからないのだ。
「こんばんは」
口火を切ったのは、謎の人物——女のほうだった。
声の感じからして、三十そこそこ、とウォルターは推測をつける。張りも高さも若々しさもあるが、微妙に声に迫力というものが含まれていた。
「……こんばんは。女ひとりで、何してる? 村のやつか? それとも西の町の?」
「ここよりはずっとずっと、西のほうからね。お前はどこから? どこにいたんだい?」
そう言う女の声には、木の虚からでも響くような、不気味さがあった。
ウォルターはナイフを握る手に、知らず、力をこめる。
「この先の、東に進んだ森にいた」
「ほう、森に。どうして森を出てここに?」
「その前にお互い名乗らないか。オレはウォルター。錬金術師だ」
ウォルターが自己紹介した途端、女は声を上げて笑った。肩を震わせるほど、おかしかったらしい。
「何がおかしい?」
「錬金術師? あんたが? もし冗談なら、ひどい冗談だ」
「それだけ笑えるなら上等じゃないか」
「変わった錬金術師もいたもんだ。それだけの魔力を垂れ流しながら、錬金術師? 魔術師の間違いだと言ってほしいものだねえ」
女はにやにやしながら言う。
ウォルターはむっとする。
「あんたが何言ってるかわからないな。オレは、まあ、立派な錬金術師かっていわれると……ただ旅の錬金術師に短い間教わっただけだけど……そんな笑われるようなもんじゃない」
「ああ、そいつはすまなかった。なんだい。こちとら覚悟決めて来たっていうのに、恐ろしく気の抜ける男だ」
「こっちとしては、さっさとあんたに名乗ってもらいたいんだけどな」
おかげでさっきから、ナイフを握りっぱなしだ。手汗ですべってしまいそうでもある。
女はウォルターがうながしたことで、まず、フードを脱いだ。月明かりに女の顔が露になる。
予想よりも、年齢は若いようだった。少なくとも見た目はそうだ。肌つやがよく、二十代前半に見える。目つきは鋭く、薄い唇は皮肉っぽい笑みがよく似合う。波打つ赤毛は、赤黒いローブとも合っていた。
「あたしはアレイナ・ストキナー。
魔術師だよ」