落とし前
「その、久しぶり」
「イヤアアアアアアアアアア!」
ウォルターは村娘に会うなり、すさまじく高い声で悲鳴を上げられた上、逃げられた。
なぜだ、とウォルターは首を傾げた。
村娘に会おうと思ったのには、2つの理由がある。1つは、追放処分についてであり、もう1つはセリンの企みについてだ。
そのあたりの話をせねばならぬと、会いに来た。
ところがあちらの反応は、さっきのとおりである。
村娘は怒ってしかるべきなのだが、不思議だった。
村のほうで何か大きな変化があったのかといえば、そうでもない。
自宅と違い、村は何も変わっていない。
何の変哲もない、普通の村だ。
村には10軒ほどの家がある。
その周りは、小麦や野菜を育てる畑が一面に広がっている。
日の高い今、小さい子ども以外は畑に働きに出ている。
そういう状況で、村長の娘が悲鳴を上げて逃げ出した。
当然ひとに聞かれたし、それも大勢いる。
この事実は重い。
鋤や鍬を、武器のように構えて村の男たちが集まってくる。
とても友好的とは言いがたい。
というより、敵意むき出しだった。
「あー、えっと、その」
ウォルターを中心に、半径1メートル半の男たちの輪ができあがった。
袋叩き、という言葉がウォルターの頭によぎる。
「お前、何者だ?」
男たちの1人が、尋ねてきた。
「ウォルター・ストキナー……」
「は、ああ?」
男たちは、門番と同じ反応をしていた。
「お前がストキナー様だと? バカも休み休み言え」
まったく、信じてもらえないのである。
「ストキナー様といえば、三国でも一級品の美丈夫だそうだぞ」
「なんか普通」
「普通というか、ちんけ」
「おお、こんなんじゃ騙しようも、名を騙りようもない」
笑いの合唱が起こる。
面白くはない反応だが、とりあえず、当座の危機は脱したようだった。ウォルターも肩の力を抜く。
「じゃ、オレはこれで」
ウォルターは逃げ出した。
「あっ、待て!」
待てるか、とウォルターは心の中だけで答えた。
逃げると決めたら徹底的に逃げる。
全速で逃げる。
それはもう逃げる。
「くっ、なんて逃げ足の速さだ!」
ウォルターは、あっという間に村の男たちを引き離し、森に飛び込んだ。
こうなればもう安心だった。
森で暮らし、森で採集や狩猟を行ってきた。主に農業をして暮らす村の男たちとはわけが違う。
逃げ込んでからしばらくして、追ってこないのを確認。
「まいたか……」
ウォルターはほっと息をつく。
とはいえ、悩み事が消えうせたわけではない。疑問は尽きない。
中でもいま一番の疑問は、村娘——村長となった娘が、なぜ怯えて逃げ出したのか、だ。
村娘は、いまはどうしているだろうか。
今のウォルターと同じように、森に逃げ込んでいた。
耳をそばだて、静かな森でかすかに聞こえる泣き声をウォルターはとらえた。
「あっちか」
泣き声のしたほうに行くと、娘らしい人影があった。
森の泉のほとりで、膝を抱えて泣いていた。鼻をすすったり、小さな泣き声を出したりしている。
出会いがしら、顔を合わせただけで、悲鳴を上げて逃げられてしまっている。ただ声をかけたのでは同じことが繰り返される。
ウォルターは精一杯の笑顔を浮かべて、友好的に、後ろから声をかけてみた。
「よう」
「イヤアアアアアアアアアアアアア!」
顔を合わせるや否や、悲鳴を上げられる結果は何も変わらなかった。
村娘は立ち上がり、また走って逃げ出そうとした。
今度はウォルターも逃がさず、手首をつかんで捕まえる。
「いや、離してください、お願いですから!」
首を振る村娘に、ウォルターはできるだけ優しく言い聞かせた。
「落ち着け。大丈夫。大丈夫だから」
「ごめんなさい、申し訳ありません、すみませんでしたっ!」
「何もしない、話をさせてもらいたいだけだ。本当だ。セリンの友だちにおかしなことはしない」
村娘は一気に大人しくなった。
セリンの友だち、という言葉が効いたらしい。
「本当、ですか? 本当に、話だけ?」
「ああ、本当だ」
「わかり、ました……」
すん、と鼻をすすると、村娘は逃げようとするのをやめた。ウォルターのほうに向き直る。
「どうして逃げ出したんだ?」
原因を知らなければ、問題の対処のしようも難しい。
村娘は目を閉じ、口をきゅっと結ぶ。答えづらそうだった。
「あの、どうか怒らないで聞いていただきたいんですが」
「怒らない怒らない。というよりその、そっちこそオレのこと怒ってないのか?」
「どうして私が怒るんです?」
きょとん、と、村娘は心底不思議そうだった。
ウォルターは自分の心配がいらぬものとわかって和らぐ一方、自分のほうこそ不思議だ、と思った。
「いや、その、ほら、森を、吹っ飛ばした、みたいな?」
それで追放処分を受けたみたいな、というか、まさに追放処分を受けた。特に期限は指定されていなかったが、永久追放という扱いだったのは察せられる。
ありましたねえ、と村娘は脱力した笑みを浮かべた。
「そのことは何も。セリンがストキナー様の道具を使って森を元通りにしたので、怒る理由はほぼ皆無です」
「え」
「え?」
「なんだそれ」
「セリンは、道具のこと忘れてるだろう、とは言ってましたけど、本当に忘れてたんですね」
ウォルターは、記憶の中の、これまで作ったものを思い出す。
とんと思い出せなかった。
魔導具は相当数作ったし、作ったものに興味もあまりなかった。作るのがずっと楽しかったのであって、使うことにあまり興味がなかった。
子どもが泥の城を作るのと同じである。
作ることこそが楽しくて、その砂の城でどうこうなどあまり考えない。壊したり壊されたりするのは惜しいが、それだけだ。
「興味ないのにも、忘れるのにも限度があるように思いますけど、似たようなとんでもないものを長年たくさん作っていたとなれば、私も納得させられました」
潔い言葉とは裏腹に、村娘の視線にはじっとりした感情があった。恨みがましいような、あきれて蔑むような、そんな感情である。
「私が逃げ出したのもそのあたりと関係があります。とんでもない人を敵に回すようなことをしたものだと、それに」
「それに?」
村娘は言いづらそうだったが、それでも自分から言い出した。
「ストキナー様がこうまで出世されるだなんて。どんな罰を受けることになるのか……それが、おこがましくも、恐ろしくて」
村娘は両膝をついて、頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした」
村娘が顔を合わせるなり悲鳴を上げて逃げた理由が、ようやくわかった。ウォルターにとってバカバカしいにも程がある勘違いだった。
「オレが、あんたを、罰する?」
「はい。いかような、罰でも」
村娘の声は震えていた。不安で、恐ろしいのだろう。
ティアからの小言、もとい教育でもなければ、ウォルターも理解できなかったことだろう。
恐ろしい力を持つということ。貴族であるということ。
普通の村娘にとって、それは重大で深刻な意味を持つ。
理解、できる。
ただ、それはやはり、理解どまりなのだ。その先にある、納得からは遠い。
「あんたのやったことは、実に真っ当なことだった。オレがどんな人間だったからって、どんなモノを作ったからって、どんなに偉くなったからって、それは変わらない」
ウォルターは、尽くせるだけの頭と言葉を尽くして、話す。
「正しいことは正しい。悪いことは悪い。罪には罰を。オレのやったことに追放処分を。あんたは何も、間違っていない。正しく、とても偉いことをした、と思う」
村娘は目を丸くし、唇を噛んだ。
内心で、何をこらえたのかははっきりとしはしない。それは、彼女の口から語られなければわからないことだ。
ただ、何がしかの変化があって、村娘は、顔を上げ続けていた。
「はい」
謝罪も感謝もない、単なる肯定。
言葉が届いたと、ウォルターはそう判断する。そうでなければ、この応答はなかったと思うから。
村娘は正しいことをした。その後相手が、どんな変化をしたからって、それは変わらない。
その時、その場での正しい判断をしたのだ。
「ただし、そうなると」
ウォルターは、唇を捻じ曲げた。したくない話をしなくてはならず、体が拒否反応を示しているのだ。
「オレが追放処分を受けながら戻ってきたことの落とし前を、つけなきゃならないんだよなあ……」
村娘がくすりと笑った。
「あなたがこのあたりを治める辺境伯となられる方で、本当によかったです」
それは、村娘が、地位や能力でなく、人格を認めたということだ。
そのこと自体は誇らしいことであったが、聞き逃せない単語があった。
「オレが? 辺境伯?」
「そう、セリンから聞いてますけど」
ウォルターは、聞いていない。