エンディング 魔笛の伝説
ウォルターの笛からは、実体を持つ動物が出てくる。
いずれも青白い光の体をしている。
動物の種類は、鶏、猫、犬、馬の4種類。
——猫。
ネズミを狩るのにこれほど都合のいい動物もいない。
月夜、人々はネズミに襲われる中、その音を聞いたのだ。
長い、長い、甲高い笛の音を。
もし空から街を眺める人間がいたなら、目を見開き、驚きのあまり空から落ちてしまっていたかもしれない。
それほど、驚くべき、神秘的で、幻想的な光景が広がっていた。
街の中心の広場から、『ソレ』は起こった。
はじめは、青白い光の点だった。
それが、光の波となって、街に広がっていく。
散らばり、また何百何千という点となって、縦横無尽、自由自在、てんでばらばらに動き回る。
その光の1つ1つは、猫の形をしていた。
猫の動きをしていた。
猫のごとく、ネズミを狩っていた。
人などには目もくれず、まっしぐらに獲物を狩る。
波は、笛の音が鳴るたびに生じた。
息の続く限り、錬金術師が吹いているのだ。
1回波が生じただけで、何千という青白い光の猫が生じる。
それが7度、繰り返された。
数え切れない光の猫が、夜闇を照らし、ネズミを狩る。
遠くからでもわかるほど、街はぼう、と光った。
万を超す光の猫がいるのだ。それはそうなる。
おそらく、いや間違いなく、この光の猫は、街のネズミを狩りつくした。地上にいようが地下水道にいようが関係がない。
街を埋め尽くさんばかりの猫。
それらに、死を運ぶネズミは狩りつくされた。
錬金術師の魔笛は、街の語り草となる。
* * *
「もういい、もういいですわよ!」
げっそりした顔で、ティアがウォルターを止めた。
8度目の笛を吹こうとしていたのだ。
十分すぎるほどに、十分すぎた。
猫がそこら中にあふれ返ってしまっている。
「もういいのか?」
「ええ、もう、十分ですわよ……」
ティアは腕組みして、頬杖を突くようにし、ため息まじりにそう言った。
「ありがとうございます、ウォルター様」
カーティスが、頭を下げた。
「貴族だとか魔術師だとか関係なく、心からの感謝と敬意を。本当に、街に来たてのあなたに、無礼なことをしたものだと思います」
「あー、いや、別に。いいんだ、そんなの」
ウォルターは照れくさかった。
「わたくしとしたことが。そうでしたわね。あなたは街を、領地を、果ては王国を未曾有の危機から救ったんですもの」
ティアもまた、深々と頭を下げる。
「ティア・オリアーノ・ベック・ラック・シルキア・イツァーク・ダルタイン。父に代わり、感謝を。必ずやこの恩義には報います。子々孫々に至るまで、貴君への恩義には礼を返しましょう」
そんな様子を見て、街の人々も、遠巻きに膝をつく。
ウォルターに向かって祈るように、感謝の言葉を口にする。
終わりの見えない感謝の言葉が、浴びせかけられた。
「ありがとうございます、ストキナー様」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます。ウォルター・ストキナー様!」
歓楽都市以来の経験だった。
二度目とはいえ、慣れるものではない。
「いや、だから、いいんだ。それより!」
照れくささから逃げるために、ウォルターは考えを巡らす。
カーティスの首の傷に目がいった。
「死者や、ネズミに噛まれた人を治さないとな。このままだと、オーロックの言うとおり、動く死者になっちまう」
人々に怯えが走った。
思わず近くの人間を確かめるようになった。
傷があるかどうか知りたかったのだろう。
もし噛まれた傷があれば、いつ動く死者となって噛み付いてくるかわかったものではない。
「皆、落ち着きなさい」
そこはさすがに生まれた時から貴族であるティアだった。
威厳のある声で、街の人々を静めたのである。
「今回の騒動は、魔術薬によるものです。前回、噛まれて重傷になった者でも、2時間の猶予がありました」
安心させるように、ティアは重ねて告げた。
「よいですか。短くとも1時間30分の猶予はあります」
今すぐに、ということにはならない。
不安は和らいだはずだった。
それでも、拭い去ることはできない。
猶予があったところで、どうすればいいのか。治療法はないのか。街の人々にはわからないのである。
「治療法は、あるのですか」
ティアは答えなかった。
答えることができないのだ。
ただ、沈痛そうな面持ちで、そっと目を伏せた。
街の人々も、カーティスも、顔を伏せる。
ウォルターも、「どうすれば」などと腕組みして顔を伏せた。
——のだが。
近くから、というかティアから、視線を感じた。
ウォルターがそちらを見ると、ティアは真顔だった。
何の感情も読み取れない。
「え、何だ?」
戸惑うウォルターの肩に、ティアの手が力強く置かれる。
ティアの顔がウォルターに迫る。
「な、何だよ?」
「わたくしとしたことが」
「は?」
「わたくしとしたことが、ええ、本当に、不測の事態に弱いことです。疲労もあり、背負ったものの重さに……いいえ、反省は後。そうです」
ぐっと、ティアが肩をつかむ力が強まる。
「ウォルター」
「はい」
「あなたの霊薬を、どうか、使わせてください」
「いいけど、どうするんだ?」
ティアはとんでもないバカを見る目つきになった。
貴族が、そうでなくても女の子がしていい表情ではなかった。
「噛まれてしまった人々を治すのに使うに、決まっているでしょう?」
「あー……」
それだ、とウォルターはのん気に手を打った。
ぐっ、とティアの手に力が入ったのは見間違いではあるまい。あまりのとぼけぶりに、平手の1つもあったかもしれない。
* * *
霊薬が足りるかどうか。
それだけが心配だった。
何しろ、霊薬の残りは瓶1本分しかないのだ。
広場にて、そのための検証実験が行われた。
霊薬1滴を100倍に薄めたものを一口、カーティスは飲んだ。
「これは、また……」
カーティスは笑うやらあきれるやら、といった感じだ。
オーロックの魔術薬の効果がなくなったのかはまだわからない。ただ、首の噛み傷がみるみる内に治ってしまったのだ。
周囲で見ていた人たちもどよめく。
「治癒魔術ってやつか……?」
「霊薬だって言ってただろ」
「あんなちょっぴりでこれか……」
噛み傷が治ったことは喜ばしい。
問題はこの先だった。
「カーティス、こちらを向きなさい」
噛まれたことにより、体液を取り込んだ。
これにより魔術薬の効果が伝播している。
薄めに薄めた霊薬で、傷は治ったが、魔術効果まで消し去れたのか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
ウォルター含めて、その場の全員が、緊張していた。
ティアが、カーティスの胸に手を当て、何か調べているようだった。
「何をしてるんだ?」
ウォルターが聞くと、ティアが叱るように言った。
「いま、カーティスの魔力反応を調べているのですわ。繊細な作業です。少し黙ってなさい」
ウォルターは返事をせず、ただ黙った。
10秒、20秒、1分、と時間が過ぎ去っていく。
やがてティアがカーティスの胸から手を離す。
「……どうだ?」
「大丈夫ですわ。何の魔術反応がすっかり消えています」
つまり。
霊薬を薄めに薄めたものを一口飲むだけでいいのだ。
それで、死のネズミに噛まれても、動く死者とはならない。治るのだ。
場に満ちていた緊張が一気に解ける。
「やった、助かるんだ」
「よかった、本当によかった」
「ありがとうございますストキナー様、ティア様!」
時間に余裕はある。
霊薬も、薄めたもので十分で、量は足りている。
善は急げと、作業が進められた。
井戸水を汲んできて集めて、量を間違えないよう、霊薬を垂らす。霊薬の溶けた井戸水が人々の手に行き渡り、体を癒す。
街を襲った未曾有の危機は、完全に去ったのである。
40名弱の死者は出したものの、滅びは回避した。
まもなく、街の人々は全員が膝をつき、ウォルターに向かって頭を下げた。
ウォルターはぎょっとする。
「ありがとうございますストキナー様」
「よりにもよってあなた様を、その、犯人扱いした無礼を、どうぞお許しください」
「罪とご恩には、必ず報います」
口々に、このようなことまで言われる。
ウォルターはたじろぎ、逃げようとした。
おおげさに感じたし、むずがゆくて仕方がなかったのだ。大したことはしたのかもしれないが、自分にできることをしただけでもある。
人には器というものもある。ウォルターの器では、受け止め切れなかった。
が、ティアに背後に回れていて、止められてしまう。
「逃がしませんわよ?」
「頼むから。な? 苦手っていうか……」
「これだけのことをしておいて何もさせないだなんて許しません。わたくしや、ダルタイン家、この街の住民から、存分に礼をさせていただきますわ」
ウォルターは怯えたような顔になった。
実際、なんだか、恐ろしかったのである。
正真正銘、心からお礼をされようとしているのにおかしなことではある。
ただ、何であれ、許容量、というものがあるのだ。こうまで大勢に深く感謝されると、どうも落ち着かない。
その不協和、違和感は、まずいことをした恐怖や不安とよく似ていた。
「やめてくれ……」
消え入りそうな大恩人の言葉は、聞き入れられることはなかった。
* * *
——こんな伝説があります。
ある街に、死者の王国を作ろうと企む不死の男がおりました。
男は生きた人間を動く死者に変えていったのです。
手先の死のネズミに噛まれた人は、次々、動く死者となって、男の部下になっていきました。
そこに現れたのは、粗末な身なりの旅の錬金術師でした。
はじめ、街の人々は彼に濡れ衣を着せてしまいました。
『死者が動き出すのはあいつのせいに違いない』
ところが錬金術師は、怒りませんでした。
それどころか、人々のため、不死の男を水晶に封じたのです。
『ただでは封印されてなるものか』
不死の男は封印されても、部下のネズミに、人々を動く死者に変えるよう命じました。
死のネズミが、街にあふれかえりました。
街は大混乱です。悲鳴と恐怖の嵐です。
『どうしよう、このままでは街も王国も死者であふれかえってしまう』
そこで錬金術師は、不思議な笛を吹きました。
すると光り輝く猫が、ごまんと現れ、死のネズミたちを食い尽くしました。
街の人々は深く、深く、錬金術師に感謝しました。
その証の1つとして、この伝説が語り継がれているというわけです。
……え?
その錬金術師が誰なのかって?
もうおわかりでしょうに。
錬金術師のお名前は、ウォルター・ストキナー様。
かの方が辺境伯となられる前の、お話です。
辺境伯となられた後、数々の魔導具を作られ、そして。
その魔導具の内、2つが、魔術師の時代を終わらせることになった——。
あの、偉大なる、ウォルター・ストキナー様です。
これにて死者よ眠れ、終幕です。
ここまで楽しんでいただき、応援していただき、ありがとうございます。
このあたりでまた更新を休みたいと思います。
ここまで楽しんでいただけた方。
続きを望んでくださる方。
感想やブクマ、評価など、色よい反応いただけると嬉しいです。
それが続きを書く気力になります。




