不死なるもの
「一体何が起こったんだ」
「火事か、それともまた誰かが蘇ったのか」
「それなら鐘を鳴らすまでもない、みんな警戒しているさ」
「オーロックが逃げたんだと!」
「なに、あの野郎!」
「待て、彼は濡れ衣の可能性が」
「まだそんなこと言ってるのか!」
鐘が鳴ったことで、街のあちこちはさらなる混乱に陥った。
蘇り事件が収束しきっていないところに、打撃が加えられたといえる。
正確な状況を、確かな自信を持って知っている人間はごく一部だ。
「誰か、はっきりしたことは知らないのか。どうしたら……」
鐘が鳴ったときに取る行動は限られる。
礼拝堂にいる人物に、何が起きたのか確かめるか。
家に閉じこもって、誰かが知らせてくれるのを待つか。
この2つに1つである。
結果、前者を選んだ50人からの人間が、礼拝堂前の広場に集まりつつあった。
「オーロックが逃げたらしい」
カーティスが集まってきた人々の重苦しい口調で伝える。
途端、人々は色めきだった。
「どうする、探して捕まえないと」
「けどこの暗さだ、いくらでも逃げようが」
「四の五の言ってる場合か、取り逃がしたら被害がさらに」
話し合うばかりで結論が出ない中。
「やあやあやあ!」
オーロックが、突然、広場中央の女神像の上に姿を現した。
「こんばんは皆。ご機嫌いかがかな」
「オーロック……!」
もはや大勢にとって、信頼を裏切り、非道な実験を行い、死者を蘇らせるような外道を行った人物である。
敵意を以て、街の人々は彼に接した。
「よくオレたちの前に顔を出せたな」
「逃げられるとでも思ってるのか?」
おおむねこのようなことが、口々に発せられた。
対するオーロックは、飄々としたものだった。
「逃げられる? 違う違うちがーう。きみたちが、逃げられるとでも?」
ぱんぱん、とオーロックは手を打ち鳴らす。
すると、30人ほどの人間が、広場に集まってきたのである。老若男女さまざまであるが、共通することが1つ。
皆、生気というものがまったくなかった。
歩き方もぎこちなく、よたよたとしている。
動く死者に、間違いなかった。
広場に通じる道は、彼らが塞いでしまった。
「じきに、きみたちも仲間入りだ」
広場の人々は、我先にと礼拝堂に逃げ込んで、扉を閉めてしまった。
ただ1人、カーティスを除いて。
カーティスは腰から大振りのナイフを抜いて構え、問いかけた。
「なぜだオーロック」
「ん?」
「なぜこんなことをする。こんなことに何の意味がある!」
「楽しいから」
カーティスは、言葉を失ってしまった。
自警団をやっていて、金のため女のため、家族のため意地のため。白黒つくものからあまりにやりきれないものまで、犯罪の動機に触れてきた。
しかし、オーロックのような人間の動機には、初めて触れた。
あれほど短期間に信頼を寄せられる、有能な薬師でありながら、その実、とんだ悪辣な犯罪者だった。
その動機が、楽しいから。
あっけに取られる。
「それ以外に、理由なんかあるかい? 人間の行動理由はすべて楽しい、楽しいからだ」
「それだけじゃない。人の動く理由ってやつは、もっと……」
「正義も悪も、人を治すのも傷つけるのも、楽しいからだよカーティス。ついでに言えば、僕は根っこは何も変わっちゃいない。人の命を、人生をこの手に握る感覚、たまらないだろう?」
「理解しかねるな」
「存外、きみもつまらない男だね」
オーロックは、女神像の上から降りる。きれいに着地し、カーティスに歩み寄る。
「もう少し頭がいいと思っていた。何なら、きみだけは生きたまま、僕の手伝いをしてもらってもいいと思っていた。おしゃべりもろくにできない死者ばかりじゃ、つまらないからね」
「冗談」
「そうかい。それじゃあせめて」
オーロックが再び霧に変じる。
風に乗り、カーティスの後ろに回りこんだ。月光にきらりと光る歯が、カーティスの首筋に食い込んだ。
そこにカーティスがナイフを振るう。
「ぎゃっ!」
悲鳴を上げて、オーロックはたじろいだ。
ナイフは彼の首筋を裂き、明らかな致命傷を与えていた。
自警団の青年とカーティスで違う点があるとすれば、予備知識のあるなしだった。オーロックが霧に変化できることも、後ろから噛みつくこともすでに聞いていた。
それが、重傷と軽傷を分けた。
反撃のできるできないを分けた。
オーロックは倒れ、霧となって消えた。
カーティスは人を殺めた感覚を手に握り締めながら、荒れる息を整える。暴漢と争っている最中に誤って殺すのとも違う。絞首台の板を外すのとも違う。
明確な殺意と、確かな手ごたえ。
ともかく終わったのだ、と、カーティスは深呼吸する。
——だが。
「ひどいなあ」
霧が集まり、再びオーロックが人の形を取って現れた。
切り裂いたはずの首には、傷ひとつない。
殺したはずが、生きている。
「せっかく死なない体にしてあげようと言うのに。そんなに嫌かい?」
「死なないとは、バカげてるにも程があると思うがね」
致命傷だったはずだ。
普通なら死んでいたはずだ。
それが、確かに生きて、立って、話している。
どうやったら死ぬのか。そもそも、死ぬのか。
動く死者とオーロックとでは、どうやら一線を画すようだ。この分では、頭と首を切り離しても復活しそうだ。とても手がつけられない。
絶望が、じわり、じわりと、実感を持って、手足を這い上がってくるようだった。
カーティスは首筋を押さえる。痛みと、血の生暖かさが感じられる。これが絶望へのいい気付けになっていた。
皮肉な話だが、これがなければ膝を折っていたかもしれない。体が、生きろ、抗えと、頭を叱りつけてくれている。
「動く死者になるのも悪くないぞ? 誰も文句を言わない」
「言えないの間違いだろうが」
死者たちは、動いていても、生きていない。
広場を取り囲む連中も、突っ立っている。おそらくオーロックの命令のない限り、主体的な行動を取らないのだ。
「強情だな。僕に抗って何になる? あがくだけムダというものじゃないか? 何も考えず、ただ僕のために動く死者になる。なんて素晴らしいんだ!」
「そりゃ、お前さんにとっては、だろうが」
カーティスにとっては願い下げもいいところだ。
「これまで通り、僕の言うとおりにしろ。僕に、死者の王にかしずけ。頂点に立つものの部下になるんだ」
殺しても死なず、死者たちを従える。
この世がどうしたって生者より死人のほうが多くなる以上、死者の王は、圧倒的に有利だろう。死なないとなればなおさらだ。
生きる人間に、勝ち目はない。
潮時、諦め時、だったのだろう。
だが、不意に、カーティスは笑った。
「何がおかしい」
「いや、何、普通に考えれば、この世でお前さんに敵うものはいないんじゃないかとさえ思うよ。けどそれは、普通なら、だ」
カーティスは、オーロックを指差す。
正しくは、その向こう側にいる人物を、指差した。
「振り返ってみるといい。そこにきっと、お前さんの敵たりうる人がいる」
その通りにしたのは、オーロックに余裕があったためだだろう。彼の小バカにしたような、にやついた顔からそれは明らかだった。
しかし、その顔も、険しいものへと変わる。
男が、棒立ちの死者を避け、広場に歩いて入ってきた。
オーロックも、その男のことは知っていた。
闇に溶けるような黒髪黒目をした男。
錬金術師を名乗る貴族。
不可思議な薬や道具を持ち、オーロックの計画を狂わせた異分子。
名は、
「ウォルター・ストキナー……!」
不死なるものに対し、歩く非常識が迫っていた。