毒薬騒動
「よりにもよってわたくしが一番怪しいなどと、よくも言えたものですわね?」
「いや、ティアというか、ダルタイン家か? 領地なら多少好き勝手できるし、魔術師だ。誰が一番できてやりやすいっていったら、そうだろ?」
ティアは少しの間だけ、押し黙った。
「ウォルターのくせに一応、筋が通っていますわね」
「オレのくせにって」
ウォルターの反論は黙殺された。
「カーティス? この世間知らずさんに物の道理を教えてあげられるかしら?」
「は。あのですね、ウォルターさん」
カーティスの話しぶりには、あきれがふんだんに盛り込まれていた。
「ダルタイン家が死者を蘇らせる魔術を使うというのは、百害あって一利なしなんですよ」
「と、いうと?」
「死者を蘇らせる魔術は禁術で、使ったものは死刑確定。家も滅びます。そんな危険なことをして、一体ダルタイン家に何の得があるんですかね?」
「それは、わからなくないか? 何か得するかもしれない。あとは、ついやってみたかった、とか」
「あなたはよほどわたくしやわたくしの家を犯人にしたいようですわね?」
ティアの恐ろしい笑顔がさらに深まる。
ウォルターは慌てて言った。
「いや! 単純に、その、ありうるってだけで」
「もしやるとしても、ダルタイン家ならもっとうまくできます。屋敷でこっそり、ということがいくらでもできるんです。今回のはあまりにずさんです。手からこぼれ落ちるなんてものじゃないくらい、だだ漏れというものですよ」
と、カーティスが諭すように言う。
「よく言いましたカーティス。それに怪しいというのなら、目の前に、ダルタイン家以上にとても怪しい人間がいるではありませんか」
ティアがじっと、ウォルターを見つめる。
その場にいる全員が、同じようにした。
「え? オレ?」
「怪しげな道具を使い、怪しげな風体をしていて、怪しげな言動をする。これ以上ふさわしい人間もいないのではなくて?」
「い、やいやいや、オレは違う。違うぞ?」
何しろ、と言いかけて、ウォルターは口を閉ざした。
自分がやっていない、と言い張ることはろくな根拠にならない。やっていようがやっていなかろうが、同じ言葉を言うからだ。
では他に否定できる根拠が思いつくかと言えば、なかった。
それはもう、何も見つけられなかったのだ。
逆に怪しむ材料がそろっているのだから始末に負えない。
「し、失礼いたします!」
胸当てと棒を装備した、若い男が部屋に飛び込んできた。
「何事だ」
と、鋭く言葉を飛ばしたのはカーティスだ。
若い男は、荒い息で、なんとか、といった風情で、報告した。
「暴動が、起きかけております!」
「どこで、なぜだ」
「この屋敷の前で! ウォルターという男を出せと!」
部屋にいた全員の視線が、またもウォルターに集まった。
ウォルターはとりあえず、首を横に何度も振った。
「何もしてない、してないぞオレは」
ともかく、その場の面々は、2階に移動し、屋敷正面の様子を確かめた。
確かに、殺気だった街の人々がいた。
武器を手にしている者こそいないが、男たちはいずれも険しい表情をして、ウォルターを出すように要求している。
「どうか説明をしていただきたい!」
「よそものが我々でひどい実験をしているのではないですか!」
「あんまりです!」
窓からわかる範囲では、人数は、20人くらいいる。
対する自警団は、2人といかにも心もとない。
「こりゃあ一体どういうことだ」
カーティスが若い男に聞くと、彼は簡潔に答えた。
「ウォルター・ストキナー様が所持していた薬、それが問題の種になっているのです」
「わしは薬師の兄さんに調べるよう頼んだだけだぞ」
「それがまさに、問題の発端なのです」
「オレの薬が?」
胃薬——もとい、霊薬。
ティアやアレイナ曰く、そうらしいのだが、それがどう転べば問題になるのか。
「薬師に調べさせていたところ、気化したものを吸い込んだだけで人を殺す、毒薬だとわかったそうなのです。持ち主であるウォルター・ストキナー様が捕まっていること、死者の蘇りが続いていることと合わせて、よからぬ実験をしているのでは、という風聞が街中に広まったのです」
「こいつは、しくじりましたね」
カーティスは目を背け、カーテンを閉めた。
ただ見ていても状況は好転しない。
「まさかこんなことになるとは。ウォルター様にはなんとお詫びしたら」
「オレにはまだわからないんだけど、どうしてこんなことに?」
「想像、にはなりますが」
息をつき、カーティスが疲れをにじませて話した。
「薬師がウォルター様の薬を調べていた。そこにきた薬師の患者が死んでしまった。そうしたら大騒ぎです。原因はウォルター様の薬。吸い込んだだけで死ぬような危険なもの。さらに、死者が蘇るなんてことの原因探しに躍起になっている最中。ウォルター様も一度は捕まった。悪いことの原因をよそものに求めやすいなんてことは——ウォルター様もご存知でしょう?」
「そうだな。まさに似たような経験もある」
「なぜ起こったのかははっきりとわかりましたわ。それよりも、騒ぎを収めませんと。下手を打つと、50人が100人、300人に膨れ上がりかねません」
ティア以外の全員が沈黙した。
集団の狂気というものを収める方法。
わかりやすい即効の方法は、1つしかない。
「一芝居、打つしかないな」
「……よろしいんですか?」
「ウォルター、あえて不名誉を受けるつもりなのですか? わたくし、それは看過できなくてよ。貴族の振る舞いではありません」
ウォルターの決断に、カーティスが疑問をし、ティアが否定をする。
「このままケガ人を出すのが貴族の振る舞いなのか? オレはまだ貴族ってものをあんたほどわかってないけど、領民を守るのも義務の1つだろ?」
「では、本当によろしいんですね?」
「もちろん。さっさとやろう。手をこまねいているほど厄介になる」
「わかりました。おい」
カーティスは部下に命じた。
その部下に、ウォルターは両手を縄で縛られた。
「これで、表の連中にとっての秩序が保たれるな」
集団の狂気をその場で収める方法。
それは、狂気に従ってやることだ。
狂気を止めるのでなく、こちら側で制御する。そうして初めて、暴走は防げる。
自警団の面々に引き連れられる形で、ウォルターは屋敷の正面から堂々と出る。
「出てきたぞ!」
「どういうことだカーティスさん!」
「そいつが犯人なのか!?」
出てくるなり浴びせかけられた言葉の数々に対し、
「黙れ!」
カーティスが街中に響き渡りそうな大声を上げた。
つかの間、集団が静かになる。
「言葉に気をつけろ。この方は、ストキナー侯爵の血縁者。名誉と実務を重んじ、こうして調査に協力していただいているに過ぎない。散れ、周囲にこのことを伝えろ。わしが貴族のお方を捕まえた意味、わからないか」
ウォルターが貴族と聞いて、あからさまに集団の熱が引いた。
貴族には権力と武力がある。
多少の罪は、無罪で押し通すことも可能でもあるのだ。
正しい正しくないの話でなく、それが事実。
カーティスがウォルターを捕まえた、それだけでカーティスに死刑宣告が下されることもありうる。
まだ、息巻いていた彼らの瞳にくすぶりはあった。
それでも、貴族を捕まえているという意味は、効果は、絶大だった。
カーティスが自分にできる最大限、秩序を保とうとしてくれているのだ。文字通り身をなげうつような覚悟とともに。そのことに気づき、冷静にならない者はいなかった。
屋敷を取り巻いていた集団は、あっさりと散っていく。
「では、行きましょうか」
屋敷の正門脇には、馬車が待ち構えていた。
幸いにして、ティアのドレスに比べれば地味で簡素な2頭立ての馬車だった。
それにウォルター、ティアは乗る。
カーティスはティアに命じられて馬車に乗り込む。貴族2人が乗る馬車とあって、居心地が悪そうだった。
「少しの辛抱ですカーティス。では、出発させなさい。行き先は」
ティアがそっと御者に、行き先を告げた。
てっきり牢のあるところに向かうものと思っていたウォルターは驚かされた。聞き間違いではないかと思ったが、確かにこう言ったのである。
「薬師オーロックの診療所です」