死者が蘇った街
王立魔術学院から北東に歩いて3日。
高い壁に囲われた街をウォルターは訪れた。
そして捕まった。
牢の扉が勢いよく閉められる音の余韻を聞きながら、ウォルターはきゅっと唇を引き結んだ。悲しみをこらえるためだった。
「なぜ……」
「なぜってお前さん、至極当たり前だと思うがね?」
と、自警団の長、カーティスが柵の向こうで言った。
小さな垂れ目に、丸鼻が印象的な、40から50歳くらいの男だ。低く落ち着いた声といい、堂々とした立ち姿といい、飾り布やボタンなど貴族の服を真似た身なりといい、格というものがあった。
「この街では何もしてない旅人も捕まえて当然なのか?」
「何もしてないのか、するつもりもないのか。それを調べるために、お前さんを捕まえたんだよ。素直についてきてもらえて助かったがね」
イスを部下に持ってこさせて、カーティスは腰かけた。
あまり動きたくないのかもしれない。
「さて、本当のことを話してもらおうか。えーと、名前、なんだっけ?」
カーティスは手をこすりあわせて、首を傾げた。
どうでもいいふうを装い、挑発まがいのことをしているのだ。
「ウォルター」
「そうそう。ウォルター君。で、何者だと名乗ったんだっけかな?」
「錬金術師だ」
「あー、そうだった。ペテン師だったな。悪い悪い」
ウォルターの口から渇いた笑いが出てきた。
おかしかったわけでなく、怒りからくる笑いだった。
「誰も彼も、初対面のやつはみんなそうだ」
「こっちが常識を知らないと思ってるのかお前さん。それともお前さんが常識知らずなのか?」
「どっちでもいいだろ。どうしたらここから出られるのか、それがオレには重要だ」
「さてねえ。ウォルター君よ。自分がこの上なく怪しい人間だってわかってるかい?」
「オレは怪しくない」
「いや、怪しいに決まってるだろ。いちから説明してやろうか。錬金術師を名乗り、魔術師か修道士みたいにローブを着込んで、身元の知れない旅人で、持ち物はなんだかよくわからない杖に笛。そのくせ大金を持ち歩いてる。今度からは凄腕の大道芸人のほうを名乗るといい」
「怪しいって言うなら、あんたのほうが怪しい」
「ほう?」
面白そうに、カーティスが身を乗り出した。
「聞かせてもらおうじゃないか。言うに事欠いて、わしが怪しい?」
「オレが怪しいというだけで捕まえたのが1つ。リーダーだっていうあんたが1人で調べてるのが2つ。で、あんたがずっと何かを隠してる感じがするってのが3つだ」
「さすがペテン師。なかなかよく見てるじゃないか」
「わいろか? わいろが欲しいのか?」
ウォルターは大金を持っている。
権力をかさに着て、お気持ちという名のわいろをせびる。ウォルターも経験したことがないではなかった。払わなかったが。
はっはっは、とカーティスが低い声で笑った。
「いいねえ。なかなかいい話し相手だ。もっとお前さんについて知りたいね。錬金術師と言ったが、他に自分を語る言葉はあるだろう?」
「錬金術師で……薬師みたいなこともできる」
「いいぞ、もっとだ」
「つい先日、ストキナー家の養子になった」
声ならぬ声で、カーティス笑う。膝を何度も自分で叩くほどだ。
「いいぞ、俄然面白くなってきた。お前さんがストキナー家の養子? 荒唐無稽すぎで笑えるな。他にとっておきの冗談はないのか?」
「ないよ。いいからオレの疑問に答えてくれ」
笑いでにじんだ涙を拭いながら、カーティスは言った。
「えーと、何だっけ そうだ、わいろが欲しいのか、だったか? 答えは、いいや、だ。そんなもの欲しくはないね。女房に出ていかれて独り身だし、酒も賭けもやらない。楽しみは犯罪者の相手だけで足りてる。給料は安いが満足してる。あえて自分が犯罪者になる理由がまるでない」
「じゃあなんでだ。怪しいから、だけで捕まえるのは納得がいかない。ここの貴族のお嬢様が毒殺されかかったとでも?」
山城に住む子爵の令嬢が、毒殺されかかった。
その事件があったから、ウォルターは以前にも捕まったことがある。
「いいや。ダルタイン家のご令嬢は皆さん元気なはずだがね」
「ダルタイン! そうか、そうだ、手紙を送ってもらえないか」
「へえ? なんでまた」
「オレの身元を保証してもらえるはずだ。とにかく魔術学院に手紙を送ってくれ。そうすればオレが怪しくないとわかる」
途端、カーティスの視線が鋭くなった。
ウォルターは思わず柵から顔を遠ざけた。何かよくないものを感じ取ったのである。胸の内の触られるような、あまり愉快でない心地がした。
「そういや、魔術学院の長はアレイナ・ストキナー殿だったな。ダルタイン家の長女もそこに通ってると聞く。本当に手紙を送っていいのか?」
「ぜひ送ってほしい」
ウォルターが力強く言うと、カーティスは頭をがしがしとかいた。
「断る。そんな面倒で厄介なこと、ごめんだ」
「頼むって。わいろじゃなく礼として、金を支払ってもいい」
「嘘だったらその時は、刑罰を受けることになる。棒打ちで済めばいいほどだ。それでも?」
「それでもだ。本当なんだから」
「ふうむ……なるほどね」
「おい、手紙は送ってくれるのか、送ってくれないのか、どっちだ」
「条件がある」
「何だ?」
「お前さんの言うことを頭から信じるわけにはいかない。もし嘘だったら、お前さんほどでないにしても、わしも罰を受ける。それはわかるな?」
「そっか。あんたからすれば、そうだよな」
怪しい人間の言うことを真に受けて、貴族の手をわずらわせた。
そんなことになれば、降格や減給の処分が下されるかもしれない。カーティスが慎重になるのももっともだ。
「2つある。1つ目の条件はだ。お前さんが、貴族と縁のあるような特別な人間である根拠を何か見せてくれ。大金を持ってるだけじゃ根拠が弱い」
「そうだな。じゃあ、水筒……いや、笛を持ってきてくれ」
ウォルターの荷物は、取り上げられている。
スープがいくらでも湧く水筒でもよかったが、手品だと思われるのも話がさらにややこしくなる。砂漠の東の村で、少女から手品と言われたことが効いていた。
一方で、錬金術で作り出した笛なら、安全で、かつ手品ではありえないものをカーティスに見せられる。
「笛を、ねえ」
カーティスは疑わしげだった。
「笛で、お前さん、何ができるって言うんだね?」
「『言うよりは見せろ』だ」
言葉よりも行動で示したほうが説得力がある。
億劫そうに、カーティスは地上に行き、笛を持って戻ってきた。
「ほら、お望みのお前さんの笛だ」
柵越しにウォルターは笛を受け取る。
地下牢とあって、薄暗い。階段を通じて届く光が、唯一の光源だ。
だからこそ、笛の効果がわかりやすく、派手になる。
ウォルターは、その横笛を吹いた。
1秒に満たない、短い音が鳴らされる。
すると一匹の猫が、牢屋ににゅるりと姿を現したのである。
本物の猫ではない。青白い光でできた、半透明の猫だ。
猫は牢の隅に体を向けると、そこにいたネズミに飛びかかった。ネズミを狩り、食べてしまうと、丸くなって毛づくろいを始め、そして消えた。
残ったのはネズミの骨のみだ。
「こりゃあ、一体……」
カーティスが驚いているところに、ウォルターは畳み掛ける。
異なる音をさらに3つ、短く鳴らした。
猫と同様、青白い光でできた動物が3種類、出現する。
鶏、犬、馬だ。
鶏は牢内を暴れ回る。
犬はウォルターの足元で行儀よく座る。
馬は柵から頭を出し、カーティスに息を吹きかける。
「お前さん、いやあなた様は、本当に魔術師だったんですかい? これは大変な失礼を。どうかお許し願いたい」
敬語に改め、へこへこと頭を下げるカーティス。
ウォルターはため息交じりに否定した。
「いや、違う。オレを魔術師なんて言ったらアレイナ先生に叱られる。これも魔術じゃない。けど……これで、貴族と縁のある人間だと、信じる根拠にはなったよな?」
「ええ、もちろんです。いやいや、本当に驚いた」
目を大きくしたまま、カーティスは馬の鼻先に触れようとした。
寸前、馬は消えてしまう。犬も鶏もだ。
「しかし、魔術師ではいらっしゃらない?」
「そうだ」
「ストキナー姓なのに?」
「その辺は複雑な事情があるんだ」
「そうなると……いえ、これは2つ目の条件というわけでなく、お願いになるんですが、よろしいでございますかね?」
敬語に慣れていないのだろう、妙な言葉遣いをカーティスはする。
「できる範囲なら聞くけど」
ウォルターは少しだけ警戒して、腕組みをした。
この期に及んでまだ出される条件、もといお願い。
普通のこと、簡単なこととは、思いにくい。
「へへ、ありがたいお言葉を頂戴しまして、誠にありがとうございます。何、そう警戒されることではないんです、ウォルター様」
揉み手でもしそうな勢いで、カーティスが慇懃に喋る。
「身元の保証のためということにして、ぜひ、ダルタイン家のご令嬢か、ストキナー家の、とにかく魔術師にこの街に来てもらいたいんですよ。あなたを怪しいからって捕まえた理由と同じでして。ちょいと、奇妙なことが起きてるんですな」
「奇妙なこと?」
「死者がね、蘇ったんですよ」
それは、この世で最もありえないことの1つだった。