魔術学院の変化
「貴様この学院で一体何をやっている!」
貴族の男が、執務机を拳で力強く叩く。
対するアレイナは軽く耳を塞いだ。
「うるさいねえ。またうっとうしい小言を聞かせに来たのかい?」
「またとは何だ! 小言とは何だ!」
「一体どうしたんだかねえ。あんたがそんなに慌てて……ははあ」
アレイナがしたり顔になる。
男がぐっとあごを引いた。
「な、何だ……」
「あんた、ウォルターに会って、話したね? それからいつもの調子で侮辱したり挑発したりした。そうだろ? やれやれ、序列を鼻にかけて、大人気ないことだ」
「ウォルター……そう、あの、アレは何だ! ストキナーの姓を名乗ったぞ! 耳を塞ぐな!」
「あんたの声がやかましいんだよ。まったく」
そろそろとアレイナは耳から手を放す。
「アレイナ・ストキナー。アレは何だと聞いている。学院で何を企んでいるのだ」
「何も。はっきり言っている通りさ。学院ではすべての素養ある人間に門戸を開き、一人前の魔術師にする。以上」
「実家が匙を投げるようなおちこぼれをなんとかいっぱしの魔術師にする、じゃあなかったのか」
「そこはずっとあんた平行線だね。ウォルター・ストキナーは私の養子だよ。あれがどうかしたのかねえ。そんなに怯えちゃってさあ」
「怯えてなどいない!」
男は叫び、汗を手の甲で拭う。
まだ衝撃が抜けきっていない証拠だった。
「ただ、そう、驚いただけだ。並み以下の魔力量かと思えば、急に30人分には膨れ上がったぞ。あんな、あんなものでさえ学院を去る? どんな恐ろしい教育計画を練っているのだ貴様は!」
「さてねえ。何のことやら」
アレイナは男の勘違いがわかってきた。
『学院が落ちこぼれのためのものであるというのは偽り。実際は恐ろしい研究や教育をしている』
そういう勘違いをしているのだ。
実のところ、今はまだ落ちこぼれのための、というのが世間的にまったく正しいのだが。
面白いので勘違いに拍車をかけてやることにしたアレイナだった。
「あのウォルターもねえ、ものすごく有望だったんだけれどねえ……ティア・ダルタインやレベッカ・バランに教わったりもしてさ」
「なっ!? やはり偽っていたのか貴様! 道理で予算が下りるわけだ!」
ひとりで勘違いをしていってくれそうな勢いである。
「おっと、口が滑ったね。あの事まで話しそうになってしまったよ。危ない、危ない……」
「『山城子爵』と密かに貴様がやり取りしているという、城の建設のことか!」
「おやおや、知られていたとは」
これに関しては、アレイナも少々驚いた。
勘違いから、真実に近いものを掘り当てられてしまったのだから。
「舐めるな。序列4位は伊達ではないわ」
「それで?」
「ああ?」
「それで、あんたはここに何をしにきたんだい?」
目一杯、声を低めて、アレイナは問いかけた。
本心ではからかいのための脅しだったが、効果はてき面だった。
「……認識を、改める。落ちこぼれのための、などと、もう決して口にはすまい。だが、これで勝ったと思わぬことだ。ストキナー家の先々代当主殿」
貴族の男は踵を返す。
「おや、もうお帰りかい」
「用は済んだのでな」
男が学院長室から出た直後、短い悲鳴を上げた。
それから足音を立てて素早く階段を下りていくのが聞こえた。
入れ替わりに、ティアが学院長室に入ってくる。
「一体、何なんですの?」
「なあに。ウォルターがまたやってくれただけさ」
あの男には、ティアがよほど恐ろしく見えたのだろう。
これまで会う度に、侮辱や挑発をしていただけに、恐ろしさもひとしおだ。
「あの日ウォルターに賭けたのは、間違いじゃなかったねえ」
アレイナは笑いをこらえきれなかった。
ひとしきり笑った後、
「ティア」
「はい」
「学院を見る目が、変わるかもしれないよ。落ちこぼれとは見られなくなるかもしれない。期待を寄せられた後、裏切ったとなるのは、辛いよ」
「期待。それこそ、わたくしの望むところですわ」
ティアはきっぱりと言った。不敵な笑みを浮かべさえする。
「アレイナ先生のご心配もわかります。実力以上を期待されて、失望される。それよりは落ちこぼれとして扱われ、それに甘んじていたほうが楽。そういう考え方もあるでしょう。他の方がどうだかはわかりません。それでも」
ティアは、拳を胸元に当てる。彼女の決意がにじむようだった。
「わたくしは、期待をされ、それに応える道を歩みたいと思っております。予想通りの道は歩めないかもしれませんが、期待に応える道をこそ、歩みたいのですわ」
「……いい生徒だよ、あんたは」
アレイナは、今日は秘蔵の酒を開けようと、そう決めた。
これにて魔術学院の洗礼、終幕です。
次話から新章『死者よ眠れ』(仮)開始です。
ここまで楽しんでいただけたでしょうか。
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作者のモチベがぐっと上がります。