マデライン先生の魔術基礎、その成果
「てい」
という声とともに、スコルチがウォルターを抱きしめにかかった。
ウォルターは頭を下げつつ後ろに退く。スコルチの腕の輪を潜り抜け、2メートルの距離を取る。
「スコルチ先生?」
「やはり手っ取り早く、はよくないわね。それにしてもいい反応。魔術師は身体能力を軽く見がちだけど、私はけっこう重視するのよね。見所があるわ!」
「その、どうもありがとうございます」
「うんうん! でね、いきなり抱きしめようとしたのは置いておいて、手を出してくれる? 大丈夫、抱きしめたりしないから」
おずおずと、ウォルターは手を差し出した。
その上に、スコルチが手を重ねる。
「目を閉じて、そう。手の感覚だけに集中。何か感じる?」
「手があるなあ、と。それだけです」
「他には? あたたかい、つめたい。やわらかい、ごつごつしてる?」
「冷たい、と思います。やわらかいです。……これが何か?」
「焦らない。ゆっくり、ね」
妙に甘い声で言うものだから、ウォルターは眉根を寄せる。
子ども扱いされている気分だ。
「感覚を研ぎ澄ますこと。外の情報をよく咀嚼するの」
ウォルターはスコルチの指導にできるだけ従った。
手の感覚に集中する。
先ほどまでと同じく、あたたかく、やわらかい手がある。
なめらかで、自分の手よりは小さそうだ。軽く触れる、くらいの圧力だ。女性の手に、そっと触れられているというのはわかる。
だからといって、これに何の意味があるのか。
「焦らないで。ゆっくりと。大丈夫」
スコルチは、王立魔術学院の教師なのだ。
レベッカの語ってくれた評判もある。
これには意味があり、感覚を集中させれば何かがわかるはずだ。
ウォルターは、視覚だけでなく、聴覚をできるだけ遮断。そうすることで、手の感覚をより深いものとした。
すると、手に、風のような、水の流れのようなものを感じた。
手の甲の近く、スコルチの手が触れている部分で特に感じる。
「これは、何ですか? 風とも水の流れとも言いにくいものが……体から抜けていくような」
「何だと思う? 一番に思いついた答えは?」
「まさか、魔力の流れ、ですか」
「正解。目を開けていいわよ」
ウォルターが再びスコルチの顔を見た時、彼女の血色というか肌つやがよくなっているような気がした。
「おめでとう。一歩前進ね。明日もきっと前進できるでしょう。覚えたてこそ成長が早いものよ」
「けど、スコルチ先生。これが何だというんですか?」
「魔力放出を押さえ込むのに、まず魔力を感じられなくちゃ。今のあなたは、いわば目が見えず酔っ払ってるのに前に進もうとしてる状態なの。とてもまともには進めない。魔力を感じられるようになることで、魔力が押さえ込めているかどうか、それをまず感じなくちゃね?」
「……なるほど」
直接関係がないようでいて、しっかり繋がっているのだ。
「闇雲にコツや感覚は教えてあげられるけど、結局これが確実で早い道。さ、今度はレベッカさんと組んでやってみましょうか。魔力感知のいい練習になるわ」
スコルチの魔術基礎の授業は、それから1時間続いた。
彼女の指導や自主訓練を経て、1ヵ月後。
ウォルターは魔力放出を並みの魔術師程度には、押さえ込むことができるようになった。
それも感情が激しく上下するとうまくいかなくなるという不完全さのある習熟度だった。
魔術師になりたいわけではないが、やはり劣っている、という感覚がつきまとってしまう。
「これって、その、落ちこぼれ、というやつですよね」
ウォルターがそう言うと、確かに、とスコルチはうなずいた。
「貴族の子どもは、1日から3日でできるわね」
「あ、やっぱり」
基礎の基礎ですわよ、なんてティアも言っていた。
「けれどウォルター君。物差しなんてものは、たくさん、たっくさんあるの。足の速い人と腕力のある人、どちらが優れてる?」
「比べられません」
「そうでしょう、そうでしょう」
スコルチはウォルターの肩に両手を置いた。
「あなたは魔力量が尋常でなく多い。嵐の中で扇を振っても感じにくいように、膨大な魔力の波の中では、小さな魔力の流れはとても感じにくい。1日と3ヶ月という期間の差はあるけれど、習得は早いほうがいいけれど、決して、あなたという人間を損なうものではありません」
「はい」
「ウォルター君。例えばティアさんとあなた、どちらのほうが優れていると思いますか?」
「それも比べられるものじゃないですね。あえて答えを出すなら、等しい、というところでしょうか」
「その通り。アレイナ学院長は、落ちこぼれのための、なんて文句をこの学院から取り除きたがっています。私も同じ気持ちです。学生自身にも、その意識を持ってほしいと思っています。改めて聞きましょう。あなたは、落ちこぼれですか?」
「いいえ。スコルチ先生」
「よろしい。これまでよくがんばりました」
スコルチは寂しげに微笑んだ。
それがウォルターには不思議だった。
「まるでこれで終わりみたいな言い方ですね」
「おや、違いましたか? あなたは魔力を押さえ込む方法だけ知りたかったのでしょう? 方法を習得したなら学院に用はないはずです」
少し意地悪な言い方ではあったが、軽口の内だと、ウォルターにもわかっていた。
「そうでした。すみません、スコルチ先生。オレはやっぱり、錬金術師でありたいと、そう思っています」
「謝ることはありません。わかっていて、教えたのです。私の研究もおかげで進みましたし、何より完全に終わりというわけではありません。あなたは学院の生徒です。何しろまだ卒業認定ではありませんからね」
「ええと、つまり」
「いつでも戻ってきていいということです」
これで終わり、お別れというわけではないのだ。
ウォルターは、それが妙にうれしかった。身勝手な話ではあるが、また迎え入れてくれるところがあるというのは、ありがたい。
「ウォルター君」
「はい」
「お別れに、軽く抱きしめても?」
「……どうぞ」
軽く、本当に軽く、別れの抱擁を交わした。