マデライン先生の魔術基礎の始まり
「マデライン先生の魔術基礎、はっじまっるよー!」
登場から非常に元気のよい先生だった。
ティアとの決闘の翌日、時間は九ノ刻ちょうど。鐘が鳴ったので間違いない。
場所は学院1階西の大教室。
広さはざっと縦17メートル横10メートル。
生徒はウォルターとレベッカの2人のみ。
さわやかな朝の広い教室に、少なすぎる生徒とあってうら寂しい。
生徒が5人しかいないので、たとえ全員そろっていても寂しさは変わり映えしないだろう。
だというのに、スコルチは朝の鶏のごとくやかまし——元気だ。
「はっじまっるよー!」
どう反応したらいいか困るウォルター。
にこにこ笑うだけのレベッカ。
しつこく大声を上げるスコルチ先生。
ちょっとした悲劇が繰り広げられている。
スコルチ先生はめげない。自分の束ねた後ろ髪を確かめたり、眼鏡の位置を調整したり、ジャケットやタイトスカートのホコリなど払ったりする。
彼女の身だしなみに、何も問題はないのだ。窓に映る自分の姿に素敵に笑いかけもする。完璧な教師である。
ただ、ちょっと、生徒と比べて元気すぎるだけのこと。
若い女性ではあるのだが、それにしても大人として、落ち着きというものが欲しい。というのが、生徒2人の共通認識なことだろう。
スコルチは教壇に立つと、机の天板に両手を突き、さてと言う。
「マデライン先生の魔術基礎の授業へようこそ。私はマデライン・スコルチ。マデライン先生、もしくはマディ先生と呼んでくれても大丈夫だからね?」
ウインクするスコルチ。
やはり反応に困るウォルターと、にこにこ笑うだけのレベッカだった。
「ほらほら、呼んでみて? お返事は? 『はい、マデライン先生』?」
「はい、スコルチ先生」
ウォルターとレベッカは息ぴったりに同じ言葉を発する。
スコルチはめげない。
「うんうん、節度ってやつね! けど呼びたくなったらいつでも呼んでね。ただしマッドって呼んだら空の彼方までぶっ飛ばす——あ、冗談冗談、半分」
「その、スコルチ先生、発言よろしいですか」
挙手の上で、ウォルターは訪ねた。
昨日、ティアから教えてもらった作法だった。
「積極的! どきどきしちゃう! もちろんどうぞ、質問はね、私の授業ではいつでもしてくれて大丈夫だからね!」
「魔力制御……放出魔力を抑える方法だけ教えてもらえますか?」
「嫌いじゃない! 嫌いじゃないわ即物的アプローチ! け・れ・ど」
打って変わって、落ち着いた、甘い口調になるスコルチ。
「それにはいくつか手順があるからね。慌てないで、焦らないで。骨の髄までちゃんと指導してあげる。なぜって、あなたみたいな生徒はとてもいい研究素材だもの……」
ウォルターは腰を浮かせた。
なんとなく危険を感じたためだ。
それに気づいたらしいスコルチは、手の動きで座るよううながした。
「あ、ごめんなさいね? 何も怖くない、怖くないから。ただ魔術基礎というものは、基礎のようでいて、案外奥深いものなのよ。あんまり軽く見ちゃだめだめっ」
「オレは、どうも失礼を働きやすいというか、人を怒らせやすいようなんです。教えていただけたら、極力直しますから」
「もう、怖くない、こわくなーい。レベッカさん、ウォルター君に言ってあげて。マデライン・スコルチ先生は、優しい先生だって」
「はい。ウォルター君、あのね」
レベッカは口元は笑ったまま、目だけ真剣なものになる。
「スコルチ先生は王国序列7位の魔術師で、基礎魔術の権威、大抵の落ちこぼれも並にまでは叩きなおしたすごい先生なんだよ」
「レベッカさんてば、わざと? わざとなの? ウォルター君がなんだかさらに恐縮しちゃっているように見えるのだけれど」
「すみません先生」
「大丈夫よ! 先生こそ、すぐに結果や変化を求めすぎてしまったわ、反省! ……反省終わり!」
ウォルターは、即行で反省を終わらせたスコルチのことを、どうにも評価しかねた。
愉快で元気で優秀な先生とも思えるし、恐ろしい先生とも思える。
その両方、ということもありえる。
「初対面から親しみを持ってもらおうというほうが、どうかしていたわ。そうよね、学ばされる。楽しい! ハイ! ハイになってるわ私!」
それは最初からだと思われるが、ウォルターもレベッカも無言を貫いた。
スコルチは深呼吸し、少しだけ落ち着いたようだった。
「いつもこうして引かれるのだったわ。うんうん。学習してる、すばらしい。——さて、ウォルター君、ちょっとこちらに」
ウォルターはレベッカのほうをうかがった。行って大丈夫か、ということだった。スコルチに対する恐れがなくなったわけではない。
レベッカのうなずきを以て、ウォルターは教壇に立つスコルチのそばまで行った。
黒板の前に、向かい合って立つ。
距離は1メートルくらいあったのだが、スコルチのほうから詰めてきた。
「変なことはしないから、もっと近く、近く、そう。まだ近く」
ウォルターとスコルチの距離が、10センチになる。
とても近い。
「ではこれより、実践授業に入ります」
スコルチの左の瞳が、きらりと輝いた。