錬金術師、貴族の養子になる
「や、入学するつもりはないんですけど」
ウォルターがあっさり否定すると、アレイナは苦笑いを返した。
「まあ、予想はついてたよ。とりあえず中に入るといい。約束の金貨を渡そう」
そういうことならと、ウォルターはアレイナの後についていく。
門の向こう側は、比較的小規模な城となっていた。
面積にして2万平方メートルといったところか。四方を城壁に囲まれた、四角い建物に尖塔が5つ生えているのが概観となる。
高さは目測で12メートル、最も高い尖塔で25メートルはありそうだ。
10分少々で、中央の尖塔の最上階、学院長室にたどりついた。
部屋は工芸品で満ちており、ウォルターが座ったソファにしても一級品のようだった。どうやって彫ったのか、職人の頭の中が覗いてみたくなるほど、精緻かつ躍動感のある動物の彫刻がなされている。
クッションにしても、程よい硬さと弾力があり、手触りもすべすべとしていて、少しも毛玉がない。
やや緊張して、ウォルターは高級なソファに尻を落ち着けた。
「それで、約束の金貨は」
「少し待ってくれるかい。その前に、悩みがあるんじゃないかい?」
「ないですけど?」
「いや、いろいろあるだろうに。どれ、思い出させてやろうか。鍵となる言葉は、家と、追放、錬金術だ」
「確かに次に落ち着いて研究できる場所を探していましたけど」
それは魔術学院である、とはならない。
魔術学院は魔術を学ぶところであって、錬金術を研究するところではない。
「魔術学院だって、四六時中、魔術を学んでいるわけじゃないさね。例えば授業に半日拘束される、ということがない。自由なんだ」
「とても王立、と名のつく場所とは思えない自由度ですけど」
「そこが、魔術と、魔術師の厄介さというものでねえ」
アレイナは太ももの上に両腕を乗せて、前のめりになる。彼女の苦労がにじみ出ているようだった。
「ここまでで、ろくに人と会わなかったろう?」
「そうですね。1人、掃除をしている男がいたくらいです」
「教師は揃えてるんだけれど、生徒が少ない。なぜって、応用魔術はそれぞれの貴族家庭で教える。基礎魔術をここでは教えられるけれど、それだって魔術学院に入る必要がない。自由な校風にして入りやすくしていても、入るメリットが少なすぎるのさ」
「けど、生徒は少ないにしてもいる、んですよね」
「4人いる」
「すく……ないですね」
決して大きな城というわけではないにしても、生徒が4人とは少ない。
「誰も彼もが訳ありで。口の悪い連中はこう言う。『落ちこぼれのための』魔術学院だってね」
ウォルターは言葉が出てこなかった。大変ですね、というのも違う気がした。その大変さを、まだ表面上でしか理解していないのだ。貴族の関わることとなれば、根も深いだろう。半端な同情は、失礼というものだ。
「というわけで、自由がウリなんだよ、魔術学院は。別に錬金術の研究をしていて構わない。ただ、気が向いたら授業に出てくるといい。4人しかいないし、教師も授業内容も融通がとんでもなく利くんだ」
「いや……けどやっぱり、オレは、錬金術師です。魔術師になるつもりはない」
「それが魔術を学ばない理由になるのかねえ?」
確かに、わかりづらかったとウォルターも思う。ただ、言語化が難しかったのも事実だ。始めにあったのは、単なる拒否感だった。
それがどういうことなのかといえば、
「魔術学院に世話になるなら、魔術師にならないといけないように、なってしまうように、そう考えます。なんだか嫌です」
「変なところで真面目だねえ。やることなすことめちゃくちゃなくせに」
アレイナは顔のそばで指を回した。
すると、魔術なのだろう、左の扉が開き、袋が宙を舞ってきて、机の上にずし、と着地した。金属音も交じっており、
「そら、約束の金貨50枚だよ」
「あ、どうも」
悪い気はしているが、約束は約束だし、アレイナから言い出したことだ。ウォルターはありがたくいただいた。セリンには見栄を張って、魔獣の骨が金貨61枚で売れたことにしよう、などと姑息なことも考える。
「で、だ」
ウォルターが受け取ったそばから、また別の袋が宙を舞ってきた。
同じように机に着地する。
ただし、今度は大きさがまるで違った。10倍はある。
「あんただけに知らせる、お得な情報ってのがあるんだけどねえ」
「え? 何? 何ですか?」
期待と恐怖が、ウォルターの中で入り混じる。
なんとなく、袋の中身はわかっていた。一方で、裏があること、意図があることを恐れてもいた。
「この袋に、金貨1000枚詰まってる」
「せんっ!?」
農民一家族が、一生遊んで暮らせる額だ。
袋の口がひとりでに開き、きらきら輝く黄金が姿を現す。
「入学してくれたなら、これをあんたにあげよう」
「ひ、ひ、卑怯だ!」
ウォルターは勢いよくアレイナを指差す。
こんなもの、断れるわけがない。ないのだが、ウォルターはまだ渋った。一目散には飛びつけない。やはり怖すぎる。
「裏があるんでしょう……?」
「ははは、何もありはしないよぉ」
嘘くさい、とはウォルターも口には出さなかった。思っただけだ。
「私は、優秀な魔術師が生まれる、その可能性を失いたくないだけさ。言ったろう? ここは『落ちこぼれのための』、魔術学院なんて呼ばれてる。学院長として、面白くないのさ」
「わからなくはないですし、非常に魅力的なんですけどね。オレが入学するだけしてやーめた、と、この金貨をもらうだけもらって終わりにする、ということをしないとも限らないわけですよ?」
「そうなっても、何も文句は言わないし恨まないよ。これはただの賭けなのさ」
「オレは……自分が錬金術師でありたいと、ずっと思ってます。小さい頃あこがれてから、ずっとです。大金を積まれても、諦めろ、というのは」
「私は、錬金術師を諦めろ、と一言でも言ったかい?」
言っていない。
だが、この金貨を受け取ることは、錬金術師を諦める一歩なのではないのか。諦めることには結局ならなくても、夢が濁ってしまう。ウォルターは、それが恐ろしかった。
「オレは、魔術学院に入ると、自分が錬金術師でなくなってしまう気がしてるんです。すみません」
ウォルターは頭を下げた。
アレイナが悪いわけでもないし、落ちこぼれのための、なんて不名誉な形容詞を取り去りたい彼女の志にも協力したい。金貨1000枚を積んでまで、誘ってくれた。
断るのは意地で、申し訳ない、となる。
「バカだねえ」
アレイナは足を組み、ソファの背もたれに腕を回す。リラックスしたようであり、とても誘いを断られそうになっている人間の態度ではなかった。
「魔術学院に入ることは、魔術を学ぶことは、むしろ錬金術師であることに繋がるんだよ」
「は?」
考えていたことと、まったく逆のこと、矛盾したことを言われて、ウォルターは混乱してしまった。
「いや、え? 魔術師と錬金術師は、違います、よね?」
「違う」
「じゃあなぜ? 話が通らないです」
「難しい話は置いておいて、だ。錬金術の素材に魔獣の死骸を使うだろう?」
「もちろん。よく使います」
「それで? 錬金術に必要なわけだが、あんた、最近、魔獣を狩った覚えは?」
「大蚯蚓以外は……ないです」
「私は、あんたが、バカげた魔力をしてる、と初めて会った時言ったね?」
「言いました」
ウォルターもちゃんと覚えている。
まったく自覚のないことで、首を傾げたものだった。
「魔獣というのは、魔力感知に優れていてね。自分より大きな魔力を感じたら逃げる。強くて大きな魔獣なら、なわばりを荒らされたり攻撃されたりなんかすると特に、襲うことがある。大蚯蚓がそれだろうね」
「つまり、魔獣を狩るため、逃げられないために、魔力をどうにかする必要がある、と」
ウォルターにも話が見えてきた。
同時に、アレイナはさすが学院長を任される人だ、とも感じた。魔獣に関する知識もそうだし、いつの間にか、魔術学院に入る方向にすっかり心動かされつつある。
大した人心掌握術だった。
逆らいがたい。
「その通り。魔力の放出を押さえ込めるようになれば、以前のように、魔獣を狩れるだろうね。魔力の制御は魔術学院で教えられる。けど、そこいらの庶民には教えられないし、そこいらの貴族は、錬金術師を名乗るやつに魔術を教えてくれやしない。いくら魔力が多かろうと、ね」
「その、だから、はい」
「魔獣を狩るため、魔力を押さえ込むため、魔術学院は打ってつけだ」
「わかりました。参りました。降参です」
ウォルターは、完全に心変わりをした。
癪な気持ちもあるものの、錬金術師でありたいなら、むしろ魔術学院に入るしかない。これ以上なく納得させられた。
「魔術学院に入ります。入らせてください。……ただ、その、やっぱりオレは、魔術師になるつもりはなくて」
「もちろん。いま私が求めてるのは、魔術の門をくぐってもらいたいだけ。それ以上は求めない。この金貨も好きにするといい」
ずい、とアレイナは金貨が1000枚詰まった袋を押して、ウォルターに近づける。
「ありがとうございます……」
「で、入学するに当たって、この書類にサインを」
用意がいいことで、アレイナは、奥の執務机から羊皮紙を魔術で引き寄せた。すでに内容は書かれてある。
「オレ、文字が読めないんですけど。自分の名前も書けません」
「じゃあ血判でいいよ」
「わかりました」
ウォルターは自分のナイフで親指に傷をつける。アレイナが指差したところに親指を押し付けかけて、はたと止まった。
「これ、どういう書類なんですか?」
「入学するにあたってどうしても必要な書類だ。これに血判がないと、あんたは魔術学院に入れない、同意書だね。本当だ。魂にかけて、誓う」
念のための確認だった。
ウォルターは、嘘はないと判断し、羊皮紙に血判を押した。
アレイナがその羊皮紙を手に取り、うんうんとうなずく。
「これで、あんたは私の養子になったわけだ」
「え、はあ!?」
ウォルターは思わず覆えが出る。
事態に頭がついていかない。やっとの思いで言葉を振り絞った。
「母上と呼べと?」
「やめな」
アレイナは心底嫌そうだった。