エンディング 〜終幕と開演〜
ウォルターは仮面と帽子をつけて、舞台の観客席に座っていた。客席からは舞台を見下ろす形で、なおかつ0から120度までの角度に渡って席が配置されている。空から見れば客席は扇の形をしているわけだ。
劇場は野ざらしであり、夜の今、頭上には星空が広がっている。
雨が降れば芝居どころではないものの、大砂漠ではほとんど雨が降らない。今にしたところで、雲ひとつなく、晴れ渡っている。
歓楽都市随一の巨大な劇場は、そのおかげもあって、満員だ。
満員である一番大きな理由は、ブルネイの失脚を祝うため、実感するためである。これから行われる芝居は、歓楽都市を訪れた、1人の善良な錬金術師が、巨悪を倒す物語だ。
ブルネイが今も健在なら、これほど大きな劇場で、こんなふざけた芝居はできず、観客などまともには入らない。
しかし現実は、すべて逆を指し示している。
「錬金術師殿は、大変な人気ですね?」
と、隣のユミィがウォルターに問いかける。
ウォルターは渋い顔をしていた。
「まさか落ち着ける場所がこんなところくらいしかないとはね」
「灯台下暗しというか、まさかこんなところにいるとは、といったところでしょう」
錬金術師が自分を賞賛する芝居を見に来ているとは、思うまい。
市民が持て囃す錬金術師は、そんな人物像をしていない。善良で、控えめで、悪を許せぬ勇気ある人物だ。
「どこもかしこもウォルター様、ウォルター様。はやし立てて祭り上げて見つかればもみくちゃにされるのは必至ですからね。石像まで都市の中心にできるそうで」
「騒ぎたいだけだ。誰もオレ……じゃない、錬金術師自身を見ていない」
ウォルターは声を小さくする。
周囲はこれからの芝居や、錬金術師の噂話に夢中とはいえ、下手なことを言って気づかれては困る。
「否定はできませんが、肯定もできませんね。あなたは、あなたのしたことの意味に、あまりに無頓着です」
「最近はそうでもない」
「あら? あらあら? まあ、そうですか。では2日前にウォルター様が、砂漠の北側を一直線に熱線で焼いて幻の道を実現しかけたことについて、どうお考えでいらっしゃるんでしょう」
「大いに反省するべきだ」
大真面目に言ったウォルターを、ユミィは笑った。
「もっとも、あれでは使い物になりませんけれど。人が這って進むようなものでは……あれよりずっと大きなものはできなかったんですか?」
「そんな細かい調整なんてできない。砂漠の向こうの山を吹き飛ばしかねないことを、またやれと?」
「恐ろしくてできませんね?」
ユミィはとても楽しそうで、それはいけません、と手のひらを顔の前で合わせる。
一方のウォルターはとても楽しくはいられない。ずっとむすりとしていた。
「他にあの杖に使い道はないかと試行錯誤してただけなんだ。まさか砂漠の暑い空気を吸い込んで放ったら、熱線になるとは」
「芝居の脚本係も、頭を悩ませていたそうですよ? せっかくブルネイを倒したところできれいに収まりかけていたのに、砂漠に熱線、幻の道を造りかけた後、大蚯蚓とナイフ一本での大立ち回り。まったく、あなたのすることのめちゃくちゃぶりは人を悩ませますね?」
「それこそオレ……じゃない、錬金術師の知ったことじゃない」
「自分の縄張りを荒らされたのです。それは大蚯蚓も怒り出すでしょう」
「だから、杖から熱線が出るなんて『彼』も思わなかったんだ」
「重ねて申し上げますが、やはり自分のしたことの意味を、よくよく考えなさるべきと」
「そう思ったから、反省したから、こうして責任が取れるよう旅立たずにここにいるんだろ」
せめて、歓楽都市の混乱が落ち着くまで。
この混乱に乗じてよからぬ人間が動かぬように。
ウォルターが、ユミィという空の目とともにいることで、にらみをしっかりと利かせている。
その混乱も、3日も経てば8割がたは落ち着くこととなった。
「いい加減、ここを旅立つ。それでいいよな?」
「私の決めることじゃありません」
「あんたが『本当に旅立たれるんですか? 本当に? やるだけやってあとは放置ですかそうですかやり逃げですか』なんて言うから」
「そんなこと、言ったでしょうか」
「言ったんだよ」
ウォルターが噛みつくように迫ると、逆にユミィが顔を近づけてきた。
「むしろなぜ旅立たれるんです?」
「なぜって……」
「ここにいれば、何もかもが手に入ります。財産も、人気も、権力も。出稼ぎ、とおっしゃられましたよね。財産ならうなるほど手に入るでしょうに」
「お飾りの市長となって手に入るものなんかいらないし、ブルネイを倒したことに責任をできるだけ持ちたくない。何かを受け取れば、責任が生じるだろ?」
「なんだか最低ですね」
「その通り。こんな人気を得てるのは、間違ってる」
ユミィが、ウォルターの肩に頭を預けてきた。
ウォルターは驚いたものの、そのままにしておいた。彼女に恥をかかせたことがあるだけに、あまり逆らえない。セリンを思い出す、というのもある。
「ですが、最低の最低ではありません。ブルネイのような。そこは、褒めるべきところですね?」
「そいつはどうも」
「どうしても、行かれるのですか?」
「別に、近いうちにすぐ旅立つ動機、というのもないんだ」
「だったら」
「けど、弟子と、約束、のようなものをしたんだ」
「私と少しだけ似ているという?」
「その話はできれば忘れてくれ。——そう、その弟子をな。どうだできるんだぞ、って、やればできるところを見せたい。ブルネイを倒したとかそういうの関係なく、魔獣の骨をちゃんと売ってみせて、認めさせたい。まあこれもそこまで強い動機じゃないけど、きれいな動機じゃないけれど、はっきりした動機だ」
「そー、ですか」
ユミィは一気に熱が冷めたようだった。ウォルターから離れ、膝に頬杖を突き、つまらなさそうな顔をする。
「よくわかりました。仕方ありません。都合よく治安に使えると思ったんですけどね」
「おい」
「ですが、半年後には念のため戻ってきてくださいね。こちらで不測の事態が起きないとも限りませんし、旅をされていては連絡もろくにできませんので」
「そうしなきゃダメか?」
「そのくらいの責任、取ってください」
ウォルターは、迷い、散々迷い、了解した。
「わかった。また、半年後」
ユミィが小指をウォルターに差し出した。約束、と言うので、ウォルターもおまじないのことを思い出した。
ユミィとウォルターが指切りを交わした直後。
砂漠の夜に、涼やかな笛と弦楽器の音が奏でられる。
観客の話し声が徐々に小さくなり、興行主の口上が始まった。
「お集まりの皆々様方、長らく、本当に長らく、お待たせ致しました。芝居の予告から実に3日、大変長らくお待たせしたことをここにお詫び致します。けれど! それだけの時間をいただいて初めて、今宵のすばらしき舞台は完成したのです。これ以上は何も申しませぬ。ただ、皆様の目と耳と、魂で以て、存分に楽しんでいただきたい。そう、この歓楽都市に訪れた奇跡の劇。題名は、——『歓楽都市の闇が晴れる時』」
興行主は恭しい一礼とともに、闇に消えた。
舞台が始まる。
その始まりは、錬金術師が歓楽都市を訪れるところから。
* * *
ちなみに。
学者一族で有名なノートクビストの娘が、歓楽都市に1週間後訪れた。
彼女はウォルターが砂漠に焼き上げた狭い『トンネル』を見るや、あることを思いついた。
「北の都市でもやっていることス。あの砂漠にせり出した都市は、地下に水路を引くことで成り立っているス。そうやって砂漠における気温の激しい変化、植物の枯渇、これらを抑制してるス。これは砂漠にオアシスがあるのと同じ理屈。つまるところ、あのトンネルを利用した地下水路と、あとは魔術による調整さえあれば、面白いものができる」
半年後、ノートクビストの思いつきは実現した。
北の都市と歓楽都市を結ぶ本物の道が完成したのである。より詳しく言えば、オアシスが道の形に続いたような土地ができあがったのである。
超長距離のトンネルを造るなど本来消費に見合わないが、そこは錬金術師がやってくれた。やってくれてしまった。
結果。
錬金術師は幻の道ならぬ『天国の道』を造ったのだと言える。
大陸全体から見れば、ブルネイの失脚よりもよほど大きな事件だった。
文字通り、地図が描き変わり、歓楽都市の経済構造を変えた。
歓楽都市に留まらず、彼の錬金術師の名声は、絶大なものとなった。