悪党の末路
ブルネイの飼う3人の魔術師たち。
彼らの合体魔術は、歓楽都市最大の武力だった。
今から15年前、魔術師を用心棒に雇い入れた盗賊団がいた。いや今は盗賊団ということになっているが、当時は砂漠の領主から自治を任じられた正式な組織だった。
ただ、領主の目が届かないことをいいことに、多少、いやかなり、好き勝手をしていただけのことである。
こうした横暴の背景には常に魔術師がいた。
そんな彼らにブルネイは正面から宣戦布告し、この世から消した。
3人の魔術によって消し去られたのである。
歓楽都市の、昔話である。
* * *
そんな、そんな恐ろしい魔術が、あの不思議な杖に吸収された。
そんな杖が、敵の手の中にある。
ウォルターは、自分の持つ杖を自分でも驚いて見つめた後、1人の魔術師に先端を向けた。
魔術師は悲鳴を上げ、腰を抜かし、気絶してしまった。
ウォルターが、順繰りに、杖の先を、ブルネイやその部下たちにゆっくりと向けていった。
向けられたほうは、たまったものではない。一瞬後に、あの凄まじい魔術が渾然一体となって竜巻のごとく襲ってこないとも限らない。怯え、膝をつき、謝るなどする。
1秒後、ブルネイの私兵の1人が逃げ出した。
あとはなだれのごとく、である。
次々、あっという間に逃げていく。
「待て、逃げるな貴様ら! 逃げれば私が手ずから殺すぞ!」
ウォルターに歯向かえば死にかねない、この場に留まるだけで死にかねないのに、その理屈は通らない。ブルネイ自身もそのことはわかっているようで、あからさまに焦りがあった。
「あれを殺したものには財産を、女を、権力をやろう! だから、だから——誰か、誰かいないのか!」
錬金術の杖は、空気を吸い込み続けている。
時間が経つほどに、威力が高まっていっている。
ブルネイの呼びかけに、たった1人、現れた。
踊り子のユミィである。彼女は庭の木の陰から、ずっと事態を見守っていたようだった。あっさりと、ウォルターのそばに近寄った。
ブルネイの疲弊した顔に期待が満ちる。
「ああ、ユミィ! どうかお前からもその、ウォルター殿にとりなしてくれ! 私が悪かったのだ、なあ、どうか、お願いだ。このとおりだ」
「ブルネイ様」
ユミィはにこりと笑って、とても残酷なことを言った。
「私は『空の目』で、あなたの悪事は、すべて見ていましたよ?」
「は?」
「こうしてあなたの飼っている魔術師も気絶している以上、すぐ領主の命を受けた兵士があなたを捕らえにきます。魔術師がいなければ、あなたのもみ消しも効力が半減。もう、私のいいたいことはわかりますね?」
つまり今からお前は罪人となるのだと、そう告げたのだ。
ユミィは、ずっと隠れていれば安全だった。たった1つの可能性を除いて、彼女がこうしてわざわざ出てきて、ブルネイに社会生命の終わりを告げる意味はない。
彼女が、嗜虐趣味が大好きという、1つの可能性を除けば。
もしその可能性が事実なら、いや事実なのだろうが、ブルネイの態度は彼女にとってさぞや胸のすくことだったろう。
「嫌だ」
ブルネイは色の失せた顔でぽつりともらした。あとはもう、籍を切ったように言葉が出てくる。
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、私には夢がある、見果てぬ夢がある。こんな、こんなところで、どうして、どうしてだ! ウォルター! なぜ貴様は、私の前に現れた! どうして私はこんな目に遭っている! おかしいだろうが!」
ウォルターは理解できず、眉間にしわを作った。
どうしても何も、こうなるしかないようなことを、ブルネイはやってしまっている。悪事を重ね、人を虐げ、ウォルターを利用し殺そうとした。
すべて、ブルネイが招いたことである。
それでも他に理由を探すとしたなら、
「見る目がなかったんだよ、あんたは」
ということくらいである。
ブルネイはこれを聞くなりうなり声を上げて、叫び、ウォルターに向かって走り出した。途中で、兵士が投げ捨てた剣を拾い、剣で突いてくる。
「うおああああああああああああッ!」
破れかぶれの行動でしかなかった。
それでも彼自身が言っていたことだ。無謀だろうと何だろうと、退けば終わりなら、わずかな可能性に賭けるしかないのだ。
ウォルターは、杖の握りを緩め、魔術を開放した。少し角度を上につけることは忘れずに。
竜巻が、ウォルターの手元から斜め上に向かって生じた。
ブルネイは汚い言葉を叫びながら、竜巻とともに上空へ舞い上がり、歓楽都市の外まで飛んでいった。
小さな点となり、彼が落下するのを見てから、ウォルターは少しだけ心配になった。
「砂漠の上に落ちて、逃げ延びた、とかはないよな」
「それはないな」
いつの間にか、トマスが近くまで戻ってきていた。
危なくなったらさっさと逃げ、安全になったと見れば平然と戻ってくる。当然のことではあるが、ウォルターは彼に対しちょっと複雑な気持ちを抱く。
「ちょうどブルネイが落ちたあたりな。ちょうどいま、穴掘りをやってるところだ」
「それは、ああ……」
もはや、ブルネイが生きているという心配はないのだ。
「歩いて、穴掘り連中のところに行こう。できるだけ、ゆっくりな」
トマスがそう言った。
見たくないものを見ないようにするためなのは、明らかだった。
* * *
男たちがありもしない幻の道を探すため穴掘りをしている、歓楽都市北西部にて。
「竜巻?」
ふと顔を上げると、歓楽都市の中心部のほうから、斜め上に傾いた竜巻が生じているのである。
「なんだあれは……」
と驚くのは、とても普通の竜巻ではないからだ。
竜巻は、基本的に上に向かって伸びる。それが、寝そべるみたいに、ほとんど真横に傾いている。さらにおかしいのが、砂漠の竜巻となれば上がるのは砂埃なのだが、雷や雨をともなっていた。
極めつけの異変を、穴掘りの中で1番の年かさの男は、はっきりと見た。
竜巻から外れて、何かが降ってきた、低い悲鳴とともに砂漠の丘に突っ込んだ。
「なんだぁ!?」
男たちが近づけば、砂漠の丘の斜面に、誰かが突き刺さっていた。踝から先だけが、地上に出ていた。
慌てて男たちはその砂にほぼ全身が埋まった男を掘り出して助ける。
そしてまた、大いに驚いた。
「おい。ブルネイさんだ」
「どうしてブルネイさんが?」
「ひどい有様だな。服がぼろぼろだし、火傷や切り傷もたくさんある」
男たちが話し合っている間に、ブルネイは目を覚ました。
彼らの顔を見るや、飛び起き、距離を取った。
「お前たちは……」
「あんたの下らない夢に無理やりつき合わされてる、濡れ衣連中ですよ、ブルネイさん」
男たちの中の1人——役者が、ブルネイに向かって言った。仮にも罪人が事実上の最高権力者に利く口ではない。周囲の男が咎めるが、構うものか、と役者は言った。
「ここに、ブルネイの警護はいない。魔術師もだ。いるのはオレたちだけ。まさかこんなときまでこびへつらうのか? 自分にされた仕打ちを思い出せよ」
すでに、役者の男が失礼な口を利いたばかりだ。触発されて、1人、また1人と、恨み言を口にした。
「オレは——こいつに身包みをはがされたんだ」
「オレは騙されて連れて来られた」
「オレはこいつに妻を」
男たちの中で、怒りがはっきりと膨らんでいく。
ブルネイは、立ったまま、深々と頭を下げた。
「す、すまなかった。本当にすまないことをしたと思ってる。この通りだ」
早口に続ける。
「詫びにはならないが、一生遊んで暮らせる金をきみたちに捧げよう。私の持つ権利もだ! せめてもの詫びだ!」
提示された条件は、魅力的ではある。代わりにはならないが、喉から手が出るほど欲しいものだ。
恨みか、実益か。
穴掘りたちの中で、迷いがまったく生じなかったわけではない。
「信じられるか?」
「頼む! この通りだ」
ブルネイは膝をつく。砂漠に直接触れはしない。そうするには、砂が熱すぎる。ブルネイの謝罪の様子を見て、穴掘りの中で意見が分かれる。
「こいつだって命は惜しいはずだ。脅せば」
「待て。こいつへの恨みはそんなものなのか」
「けど、反省をしてるようだぞ」
これを聞き、ブルネイは内心でほくそ笑んでいた。
穴掘りたちの関係に亀裂を入れることこそが狙いだった。伊達に歓楽都市の元締めを何年もやっていたわけではない。
「ブルネイさん。1つ、尋ねたい。それに答えてもらったなら、オレはあんたを信じてみてもいいと思う。信じるやつが増える。いいよな?」
「なんでも答えよう」
「あのな。昨日も、死んだんだよ」
まずい。
この男は——まずいと、ブルネイは思う。
人の心というものを、知っている。確かこいつは役者だった。この男だけは。
髑髏仮面を被り、ブルネイを皮肉る芝居を続けた——あの役者だ。
ここであえて、昨日死んだという事実を、周囲に知らしめる。思い出させる。
それはとりもなおさず、自分もともすると死んでいた、という事実の再確認。ブルネイが反省しているかどうかなど関係ない。
もし死んだのが自分だったなら、関係がないのだ。なんとしても恨みを晴らしたいと考える。死んでいては何もできないが、幸い自分は生きている。なら。
穴掘りたちの殺気が明らかに増していた。
だがブルネイは諦めない。
この役者の男は、攻め手にまだ隙を残している。
「ああ、悪いことをした。間に合わなかった。残念でならない。遺族にはきっと償いをするとも」
「そいつの名前は?」
ブルネイは瞬間、歯噛みした。
重ねて、役者の男が尋ねてくる。
「おい。知ってたか。ブルネイさん、そいつの名前は?」
ブルネイは必死に頭を巡らせた。罪人の名前は、きちんと覚えている。ただし顔となると、あやふやだ。昨日今日送った者ならさすがに覚えているが、ここにいない人間の、死んだ人間の顔と名前となると、さしもの彼も怪しかった。
賭けに出るしか、なかった。
「——システィン。そうシスティンだ。もちろん知っている。昨日死んだ者の名前くらい」
沈黙が流れるのは、正解だからとブルネイは——勘違いを、した。口元に笑みを浮かべ、
「そいつはな。1年前に死んだやつの名だよ」
地獄の底に叩き落されたような表情になった。
「こいつにとって、オレたちは、どうでもいい存在なんだな。よくわかったよ」
「待て、待ってくれ! 覚えていないのは悪かった! 反省する! だからどうか!」
ブルネイは、再び頭を下げることに、1分かけた。その間、穴掘りたちは何も言わなかった。ブルネイが許しを期待して顔を上げると、そこには期待とは正反対の、凍てついた表情の男たちが立っていた。
スコップの握り方は、とても穴を掘るためのものではなく、人を殴るためのものになっている。
「待て」
と役者の男が言った。
「こんな下らないやつのためにみんなが手を汚す必要はない。然るべき人間の手に任せるべきだ」
バカめ、とブルネイは内心で罵り、顔では感涙にむせび泣いてみせた。
「ありがとう! ありがとう、ありがとうございます!」
ブルネイは役者の男にすがりついた。
役者は彼に笑いかけた。
「だからおれがやる」
「やめっ——!」
役者はスコップを思い切り振りかぶった。
* * *
——その後。
ウォルターやトマス、ユミィの味方である領主の部下が、穴掘りの男たちのところに訪れ、ブルネイの行方を尋ねると、役者の男は下を指差してこう言った。
「やつなら、幻の道を探しに行ったよ」
ブルネイが生きていないことは明らかだった。




