オレたちは駒じゃない
ウォルターが屋敷の離れに戻った時、トマスは掃除をしていた。ただしとても腰を入れていたとは思えず、雑巾で拭いた跡がいかにも雑だった。
「お人よしのことだからもっと熱くなってるかと思ってたけど、案外、冷静っぽいじゃねえか」
ウォルターは口元を押さえつつ、イスに座った。どうにも疲れていた。ブルネイを倒す、その意思は変わらない。ただ、宿でのことがあったので、さあブルネイを今すぐにでも倒すぞ、とはなりにくい。
こういうふうに冷静にさせる意図が、ユミィにはあったのだろう。
「おい、何か答えろよ。聞こえてないのか?」
トマスがウォルターの視界で手を振る。
ようやく、ウォルターは反応した。
「なんでもない。それよりブルネイを倒す方法がどんなものがあるか、話しておこう」
「待て待て」
トマスはウォルターの前にしゃがみこみ、顔を見てくる。仮にうつむいても顔を隠すことはできない状況だ。
さらにウォルターが明後日の方向へと顔をそむけても、それに合わせてトマスが動く。
「なんか様子がおかしいな。いや、覚えがあるぞ。おいおいおいおい、まさか、まさか。あんた」
ウォルターがなおも顔を背けようとすると、トマスは頭をつかんで固定してきた。
「ヤってきたのか? こんなときに?」
「違う!」
「じゃあなんだよ。踊り子の1人を連れて、妙に落ち着いてる。違うならオレの目を見て言ってみろ」
詳しくは話せない事情がある。特に、踊り子のユミィが実は『空の目』だということは口止めされている。それを隠す気配が、トマスの疑いをより強めたらしい。彼の語気が強まる。
「いいか。もし骨抜きにされたんならそう言え。別に怒らない。ただ呆れるだけだ」
「ああ、いや、だから」
ウォルターは大きくため息をついて、観念した。
「確かにそういう運びになった。宿で、そういう雰囲気になったさ」
「どうだった? やっぱりよかったか?」
「そもそも、できなかったんだよ」
「は? ブルネイの差し金で、向こうはやる気、あんたは健康な若い男。できない話があるか?」
「オレにその気はなかった。体もそうだった。それで終わりだ」
トマスは目をまん丸にした。それから、大笑いした。
「ひ、ひひ、ああそうか、そうかよ、なあんだ。ざっ、残念だったな……!」
笑いをこらえきれない様子、腹がよじれて仕方ない様子で、トマスが喋る。
ウォルターは彼の笑いが納まるまで、顔の前で指を組み、貝のごとく沈黙していた。
「……悪い悪い」
「そう思うならそのにやけ面をやめろ」
「だから悪かったよ」
トマスはようやく、真顔になった。対面のイスに座り、まともな話し合いの席にもつく。
「あんたの言うとおり、倒す方法について話し合おうじゃないか。あんたの案は? 何もないのか?」
「ここの歓楽都市の領主なり、隣の領主に訴え出る、というのは?」
トマスは背もたれに体を預けて脱力した。
「だーめだ。そんなのはムダだよ。そんなことじゃあ、どうにもならない」
「なんでだ。ブルネイはつまり、悪いやつなんだろ?」
『空の目』たるユミィは悪事の証拠があると言っていたし、穴掘りをさせているのが悪事でなくて一体何だというのだろう。
確かにユミィは、証拠が足りない、今のブルネイは罰せられないと言っていたが、やってみる価値はあるとウォルターは考えている。
「世間に夢見てて結構だけど、そううまくはいかないぜ。そんな正攻法じゃ、ブルネイさんはぴんぴんしてる。簡単にもみ消すか、身代わりを立てるだけ」
「何を……何を言ってるんだ」
「ウォルターさんよぉ」
トマスは低い声でぼそりと言った。
「そんな当たり前の方法、これまで誰もやらず、ブルネイが警戒もしていなかったと、ブルネイが今日も元気に元締めやってるのに、そんなことを本気で考えてるのか?」
ウォルターは、イスに座りなおした。腰をすえて話す必要がありそうだったからだ。
「他の方法は? オレよりトマス、あんたのほうが詳しいだろ?」
「繰り返すけど、まともな方法じゃムリだ。とんでもない『何か』を持ち出さない限りな。そっちこそなんか不思議な錬金術道具とかないのか?。 その鞄の中には何が入ってる?」
「骨が入ってる。ただの骨じゃないぞ魔獣の骨だ」
「そりゃすげえが、それが何の役に立つって?」
「売れるかもってのと、お守りになる……かもしれない」
「ブルネイさんをやっつけるのに役に立つのかって聞いてるんだ」
「立たないな」
「他に何かないのか?」
「オレが持っているのは、ローブと、野営道具、鞄、胃薬、ナイフ、水筒。あと保存食に骨。これで全部だ」
「それらだけじゃどうあがいてもブルネイさんに対抗できないな……あんたがドラゴンを倒したって話に賭けるか?」
「それだけでブルネイをどうにかできるのか? 何か、違う気がしているんだけど」
「……どうだろうな。ブルネイさんの強みは3つだ。いや4つかな」
指折り、トマスは数えていく。
「1つ、何より歓楽都市の長であること。下手に逆らえば悪人はこっちだ。2つ、3人の強力な魔術師が身を守ってること。3つ、ブルネイさんの兵隊。これは最大で50人ってとこ。4つ目は、やつの頭のよさ、キレ者具合だ。最初の3つの強みを築いたのは、やつの頭脳、特に人を見極める力だ」
「こっちの強みは?」
「あっちの強みを知ってること。あっちがこちらを下に見て油断してくれていること。あっちが、あんたの強みを知らないことだ」
「オレの強み? ドラゴンを狩るのと、人間の集団を相手にするのは違うだろ。オレに人殺しをするつもりはない」
「ドラゴンを狩ったってのは正直アテにしてない。それよりもあんたのわかりやすい強みはあるだろ?」
トマスがウォルターの頭を指差した。
「あの不思議な水筒を作った、その頭脳だ」
「水筒が作れるからどうなるんだ? 腹をいっぱいにしかしてやれないぞ」
「それだけでけっこう売り込めるもんだが、まあそうじゃない。オレが言いたいのはな。あんたは、あれと同じくらい不思議なものを作れないか、武器を作れないかってことだ」
ウォルターは、少しの間考えた。
確かに、ブルネイになく、ウォルターにある最大の違いは、錬金術だ。
ただし問題がある。
「オレは、武器を作れるかわからない。自分が何を作れるかわからないんだ」
「水筒を作ったんだろ?」
「すべて直感と試行錯誤の産物なんだよ。これを組み合わせたら面白そう、よし作ってみよう、できた。こうだ」
「頭が痛くなってくるぜ……」
トマスは両方のこめかみを押さえた。
「けど、このままブルネイさんに当たるよりよっぽどましだ。錬金術とやらで新たに何か作ってくれるか、錬金術師」
「望むところだ。と言いたいところだけど、材料が足りない」
「任せろ。多少危険を冒してでも、全財産を使っても、オレが集めてくる」
トマスは自分の胸筋を叩いて請け負った。
いやに乗り気だ。危険を背負うのもそうだし、ウォルターへの働きかけが思えば最初から積極的だった。
「あんた一応、ブルネイさんの部下なんだろ。どうしてそんなに乗り気なんだ?」
はっ、とトマスは毒々しく笑った。
「八つ当たりに穴掘りに行かされかけたんだ。自分だけはうまくやる、周囲のやつらは足りなかっただけだ、と思ってたけどよ。何のことはない。何も変わらなかった。ブルネイにとってオレも遊戯盤の駒だったと、気づいたのさ。だが、あいつがどう思おうと、オレたちは駒じゃない。駒扱いされてる連中と一緒に、盤面をひっくり返してやりたくなったのさ」
その瞳には、ぎらぎらした輝きがあった。




