水筒を届けに
穴掘りをしているという場所は、トマスが教えてくれた。
ウォルターは水筒などを入れた麻袋を手に、屋敷の外へと繰り出した。ただし、思っていなかった障害がついてきたのである。
「ウォルター様は、どちらに向かわれたいのです?」
踊り子の1人がついてきた。
その娘は、セリンに少しだけ似ている、例の娘だった。似ているのは冷たい雰囲気と吊り目であることくらいだ。
外見は、金髪褐色で、厚くやわからそうな唇と、豊満な体をしている。1人で立っていても見栄えがする。
今は、都市の外に出るとあって、踊り子の衣装よりもずっと落ち着いた服装ではある。肌の露出がぐっと少なくなった。それでも体のラインがしっかり出る貫頭衣を着ている。
特にサイドがどういうつもりなのか、いやわかりきった意図ではあるが、スリットが足首から太ももの付け根まで入っている。
装飾品もたくさんつけており、動く度にじゃらじゃら鳴る。
歩けば、男の10人が10人、目で追ったり、あからさまに目をそらしたりするだろう。つまり意識せずにはいられない。
「ユミィと申します」
ユミィと名乗った踊り子は、丁寧に頭を下げる。谷間がちょうど顔の真下に来るような角度だったのはその場の計算か訓練か。
「できれば1人で行きたいんだけど」
「失礼ながら、宿に向かわれるのでしょうか」
「宿? いや、ただ危ないところというか」
ウォルターの行動は、ブルネイに筒抜けだろう。それにしても、水筒をこっそり穴掘りの人間たちに渡すとなると、ぴったりついてこられては都合が悪い。
宿と言えば、ユミィも納得するような気配があった。どういうことかわからないが、ウォルターは試しに言ってみるだけ言ってみた。
「いいや、宿だな、うん」
「私ではいけませんか?」
「いや、え、うん!?」
屋敷の正門前、往来での話である。
ユミィがウォルターに寄りかかってきた。乳房が腕に押しつけられる。
ウォルターは慌てて離れた。
ユミィが傷ついたように、斜め下にうつむき、口元に手をやった。
「私では、満足いただけないのでしょうか。よほどウォルター様の好みから外れているのでしょうか?」」
「好み? 好みというか、いや、え、うん? どゆこと?」
ウォルターはしきりに頭をかく。こうまで混乱し、焦ったのは久しぶりだ。混乱するのも焦るのも、単独ならまだしも、両方なのだ。
「脈なし、ということではないようですね?」
冷たそうな女だと、ウォルターは勝手に思っていた。ところが今いたずらっぽく笑うユミィは、純真な乙女のようでもあった。
踊り子というものは、いや女というものは、こういうものなのかもしれないが。
「ウォルター様のお相手をするよう、命じられています。この身も心もあなたの望むとおりに捧げなさいと。いいえ、命じられるまでもなく、ウォルター様のように謎めいて魅力的なお方なら、ぜひともお世話させていただきたいと思っていました。それとも」
ユミィはしなを作り、目を潤ませた。
「私よりも他の娘がよいなどと、おっしゃられるのですか?」
甘えきった声だった。
ここに来て、すっ、とウォルターは混乱から我に帰る。ああ、やはり、と思う。やはりこの娘はセリンに似ている。一気に心が落ち着いた。
「いいや。たぶん、あなたこそが、オレにはいいんだろうな」
「ええ、その通りです。わかっていただけて私、本当にうれしいです」
そう言って、ユミィはウォルターの右腕に取りついた。ウォルターの上腕に、ユミィの乳房が当たる。
ウォルターはぎょっとしてしまったが、ユミィに押しきられた。
「こうして参りましょう。このほうが、ふさわしいですから」
「……了解した」
ユミィには何か隠された意図がある。
それが何なのか、はっきりとはわからないものの、ウォルターに演技だとわからせる素振りがあった。
あそこでユミィがあからさまに甘えてみせた。ウォルターはそれこそ飽きるほど見てきた演技だ。セリンという弟子は、ウォルター以外の人間にああした手をそれなりに使う。
これがうまくいくのだ。真実を知るウォルターも感心するほど。
だから、ウォルターは甘える演技に敏感だ。
わざとらしいほどの甘えた演技を、相手に悟らせる。その意味はまだわからない。
「何か、オレに打ち明けたいことがあるんじゃないか?」
ウォルターが尋ねると、くすりとユミィは笑った。
「ここではとても申せません。宿でゆっくり、2人きりの時に打ち明けたいと存じます」
「じゃあ、オレの用事の後でいいか?」
「もちろんです。どちらへ?」
ウォルターは腕にユミィをまとわりつかせたまま、歩き出した。
「都市の北西の外れ。300メートルほど行ったところに」
「まあ、もしかして穴掘りをしている罪人たちのところに?」
「いや、その、そうだ」
「何をしに行かれるんですか?」
水筒を届けに、とはとても言えない。
トマスに釘を刺されている。『いいか、絶対にバレるんじゃないぞ。絶対にだ。絶対にだからな!』。実に信用がなかった。
問題は、ウォルターは聞かれた時の嘘を用意していなかった。トマスも用意はしてくれなかった。やれやれ困ったものだと、ウォルターはトマスに責任を押しつけた。
「うーん? その、な? なんというか、そう! 面白いと思ったんだな、うん」
我ながら苦しい嘘だとウォルターは思って、ユミィのほうはうかがう。
ユミィは笑顔を固めているように顔面の筋肉をぴくりとも動かさなかった。
それは本当に笑顔なのか別に意味があるのか、ウォルターは恐ろしく感じる。
「面白い、と。そういうことなのですね? トマスさんをいたぶっていたことといい、そういうことなのですね?」
「ん、ああ、そうだ」
納得してくれたようなので、ウォルターはユミィの調子に合わせる。
「ウォルター様は、嗜虐趣味でいらっしゃるのですね。素敵です。私も、そういうのが大好きなんですよ?」
これが本音なのか演技なのか、ウォルターは判別がつかなかった。
果たしてユミィが好きなのは嗜虐趣味が好きな人なのか、それとも自分が嗜虐趣味を好きなのか。この判別も同じように、つかなかった。
その後は、歓楽都市の名物や伝説など、面白おかしく聞かされて、陥落都市の北西の端まで歩いていった。大通りのおかげで、わかりやすいものだった。
「ん? 旦那様、どちらへ?」
家の軒先の下で、砂漠に向かって、イスに座っていた中年の男がウォルターに聞いてきた。
「穴掘りしている連中のところに行こうと思ってるんだ」
「はあ? なんでまた」
「旦那様はとても嗜虐趣味でいらっしゃるんです」
ユミィがうっとりと言えば、中年男は、顔をほのかに赤くする。ウォルターにそんな趣味はないので、嘘を見過ごすのはむずがゆいが、場合が場合である。
中年男のほうはといえば、ユミィの色気に当てられたようで、軽く背中を前に曲げた後、話を続けた。
「おやめください、と言っても始まらないでしょうね。ただしやはり、そちらのお連れ様はここにいてください。行くなら旦那様1人で。それとこれを」
中年男は、ムチを差し出す。
「どうしてムチを?」
「どうしてって、当たり前でしょう。連中は気が立ってるに決まってるんですから。襲われかねません。ムチを持ってれば逆らってきませんが、お連れ様のような美しい女性が行くとなると男が大勢いるだけの砂漠の上です。不快な思いをされます」
「見張りはいないのか?」
「言うなれば、互いが互いの見張りになってるんです。誰かが逃げれば他の全員が痛い目に遭う。見張りをやりたがるやつもいませんのでね。私がここにいるのは、見張りというよりは、連絡役をするためと、観光客が不快な思いをされないためです」
「……なるほどな」
中年男の言うことはいちいちもっともだった。
同時に、穴掘りの人々が置かれている状況も、推して知るべしであり、実に胸が悪くなる。
「ムチはいらない」
「そんな! それじゃ行かせられません!」
中年男は立ち上がって、ウォルターの行く手を塞いだ。
「本当はそもそもムチがあろうとなかろうと行かせるのだって反対なんです。連中があんまりにもかわいそ……いやいや、旦那様が危険です」
「ムチなんか、使えるもんか」
護身用に、ウォルターはナイフを持ち歩いている。これは、旅をする人間、部外者として当然の備えだった。殺められる前にやる。その意思の表れだ。
しかしムチとなると違う。ムチは、痛めつけるための道具だ。恐怖を与えるための道具だ。
確かにムチを持っていれば安全なのかもしれない。きっと穴掘りの人々は恐怖を植え付けられているのだろう。
だが、だからこそ、ウォルターは、ムチを持っていくわけにはいかなかった。
「もう一度言う。ムチはいらない」
「しかし……」
話が進みそうにないところに、ユミィがこういった
「ご心配なく。旦那様はとてもお強いんだから」
「いや、それにしても」
「ブルネイ様も、わかっていることよ」
これが効果ばつぐんだった。
沈んだ顔はそのままに、中年男は脇にどいて、ウォルターを通すつもりになったのである。
「……どうぞ」
「すまない」
ウォルターは、中年男に謝っておいた。言ってから、中年男に驚かれてから、失敗したと気づいた。謝るようなところでは決してないのだ。
だが、ウォルターにここからごまかすような能力も、ごまかせる自信もなかった。
勢いに任せ、砂漠を進んだ。