世の中捨てたもんじゃない
「ありえない。なんだこれ。もう1回。いやその水筒貸せ!」
トマスはウォルターからひったくるように水筒を奪った。自分でもスープを飲む。
「ちゃんと、ある。しっかりありやがるぜ」
見て、飲んで、そうやって確かめてもまだ、トマスは食い入るように水筒を見つめたり、揺らしたり、スープを手で受け止めたりする。
「あるに決まってるだろ」
「いや何かのペテンとしか……意味がわからねえ」
トマスはまたスープを飲んだ。
水筒の蓋を閉める。それから開く。
スープは元通り、なみなみと水筒に注がれている。
トマスは声ならぬ声を上げ、全身を震わせていた。よほど叫びだしたいのだろうが、人を呼びつけるわけにはいかない以上、彼もこらえているのだ。
「うっそだろ!?」
それから10回は同じようなことを繰り返した。そうする内にトマスの腹はスープで満たされた。
見ただけでは済まされない。ペテンの入る余地などのない体験を繰り返した。認めるしかない。
「確かにこれなら食料も水も心配いらねえ。どういうことだ。あんた、何者なんだ?」
「言ったろ。錬金術師だって」
「つまり、本物か?」
「ペテン師じゃないっていう意味なら、本物だな」
別にスープの湧き出る水筒を作れるから錬金術師なのではない。真理を、完全なるものを求める求道者こそが錬金術師なのだ。
「本物だあんたは。すげえ、すげえ手札が転がりこんできやがった。世の中捨てたもんじゃねえなおい。なあなあ、なんか他にないのか? あんたの作ったもんはよ」
トマスはまるで子どものようだった。きれいな道端の石を宝物にでもしそうな勢いだった。
「鞄は弟子が作ったものだし……ああ、このナイフがある」
ウォルターは手のひらサイズのナイフを取り出した。
トマスは目を輝かせて聞いてきた。
「それは!? そのナイフは何がすごいんだ?」
「よく切れる」
「ァん?」
トマスの堪忍袋の緒がまず切れそうだった。
「いやだから、よく切れる」
「バカにしてんのかそんなもん大して役に立つか。他にはねえのか」
トマスはものすごい剣幕だった。
それに気おされ、ウォルターは何かないかと思うものの、あとはごく普通の野営道具と、胃薬くらいのものだった。
「……ないな」
「なんだよそれ、作れたのはそれだけか!? いや十分すげえけどもっとこうないのか」
「……ないな!」
「一発? 一発でいいから殴らせてくれ。な、な?」
トマスがにじり寄ってくる。
さすがに殴られたくはない。ウォルターもじりじりと下がった。
不毛な争いを続けること10分。
2人はイスに座りなおした。
2人ともちょっぴり疲れていた。
「なあ、一発でいいからよ……」
「断る。誰が好き好んで殴られたいんだよ」
「どんなすげえナイフかと思えば……ブルネイ子飼いの魔術師どもに比べて、よく切れるナイフ? とても勝ち目がねえ」
「強いのか?」
「魔術師に弱いも強いもあるか。普通の人間なんざ一瞬で殺されちまう」
「それは、厄介だな」
「大蚯蚓だってこの歓楽都市に近づかねーよ。キャラバン付きの魔術師どもも言ってる。1人1人が厄介なら、3人揃うともはやドラゴン級だってな」
「ドラゴン級?」
ウォルターは目を瞬かせた。
「あ? 知らないのか?」
「ドラゴンは知ってる。ただ、何か特別な言い回しなのか?」
「そのまんまの意味だよ。ドラゴンみたいにべらぼうに強いって言う」
「ドラゴンなら狩ったことがある」
トマスは目を閉じ、頭を振り、耳を指でほじるなどしてから、聞き返してきた。
「……なんて?」
「ドラゴンなら狩ったことがある」
「そりゃ頼もしいが、あんたの仲間はここにいないし、ここにすぐ呼べるのか?」
「いやいや」
ウォルターは真顔で手を振った。
「1人で狩った」
「嘘つけこのペテン師」
「本当だ」
ウォルターは鞄の中の骨を漁る。
取り出したのは、ドラゴンの翼の骨だ。
「どうだ」
「いや得意げなとこ悪いが、オレに骨の見分けはつかねえって」
「わからない?」
「わからねえ」
ウォルターは軽く落ち込んだ。自分が間違いなくやったことである。信じてもらえないのは仕方ないにしても、仕方ないとわかっていても、軽くへこむ。何しろ本当のことを言っているだけなのだ。
「オレとしても信じたいが、そうならすげえ心強いが……すまん、やっぱ信じられねえ」
「いや、いいんだ。いいんだ。そうだよな、これじゃ証明にならないよな……」
ウォルターは骨を鞄にしまった。
「その、な? ドラゴンを1人で狩った、なんざ信じられないけどな? その水筒、水筒だけはもう間違いなく信じてるしすごい! すごいぞ?」
「ああ、どうも」
「で、ぜひ、その水筒のことと関係して、あんたにやってもらいたいことがある」
「オレに?」
「そうだ。この頼みを聞いてくれたら、オレはあんたの手下になってもいい。あんたを見込んでのことだ。聞いてもらえないか」
トマスの様子がちょっと変わっていた。表面的には、軽い感じのままだ。しかし、軽いふりをしていて、重いものをぶら下げているようでもあった。頼みというのも、簡単なことではなさそうだった。
「内容による」
トマスは言いにくそうに、あの、とか、その、とか繰り返した後、ようやく頼みの内容を話した。
「……穴掘りをしてる連中に、この水筒を貸してやってもらいたいんだ」
「なんだそんなことか。別にいいぞ」
「ほんとか!」
トマスはぱっと顔を明るくする。初めて会った時からこれまで一番の上機嫌だった。
「いやあ、ありがてえ」
今にも立ち上がって踊りだしそうなほどである。そこまでの頼みだったのだろうか。
「とはいっても、やっぱり貸すだけだ。これをあげるわけには……すまない」
穴掘りの人々にスープの湧き出る水筒をくれてやりたい気持ちはある。あればきっと彼らも助かるだろう。しかしあげてしまうと、今度はウォルターが困るのだ。水筒はこれ1つだし、大事なものだ。
穴掘りをしている人々とウォルター。どちらが持っているべきかは前者ではあるのだが、やはり惜しかった。貸すのはいい。しかしあげてしまうとなると、惜しさが増す。
「わかってる。貴重すぎるもんだからな。むしろ必ず返す。なんとしても返す。命懸けで返す。それと、たぶん長い話じゃない。せいぜい一週間のはずだ」
「それなら」
とウォルターは快諾する。
するとトマスが立ち上がって握手をしてきた上に、手をぶんぶん振ってきた。
「感謝する、ああ、あんたに深く感謝するぜオレは! 胸のつかえが半分取れた感じだ! はじめはあんたと関わったことを呪ったもんだが、こうなると幸運だったんだなオレは」
「どういうことだ。なんであんたはそこまで」
「それは、届けてもらえばすべてわかるだろうさ」
トマスはにやりと笑った。
意味深ではあったが、人助けには違いない。これでウォルターの立場がまずくなったとしても、構わなかった。話を聞くだに、恐ろしい目に遭わされている人がいる。
できる範囲でなら、助けになろう。
それはこの歓楽都市に戻る判断をした時から、ずっと同じ気持ちだ。
「ウォルターさんよ、念のため言っておきたいんだが、くれぐれもこっそりとな。見つかったら没収されるに決まってる」
「……わかってたぞ?」
「おい。冗談だろ」
とは、ウォルターがどうやらわかっていなかったと、トマスが気づいたということだった。