驚異の水筒
踊りが終わった後、食事をしつつ、ウォルターとブルネイは雑談をした。
このあたりの情勢や、交易品、不思議な客人の噂話など、その場で忘れてもいいような、とりとめもない話ばかりをした。
雑談も終わると、ブルネイは立ち上がって言った。
「それでは私はこれにて。まだ外でやることがありますのでね。ウォルターさんは歓楽都市を楽しまれるなり、離れで休まれるなりしてください」
どうも、と短くウォルターが礼を言うと、ブルネイは部下とともに広間から出ていずこかへ向かった。
元締め、もしくは調整役であるところのブルネイ。800人規模の都市らしい。その頂点にいるのなら多忙を極めるはずだ。
我ながらうさんくさい錬金術師であるところのウォルターに、1時間くらいとはいえ時間を割く。もてなす。
裏がないわけがない。
気の置けない、奔放な友人が欲しい、というのを嘘だとは決めつけない。だがその対象にウォルターを選ぶというのは納得がいかない。
友人と呼べるものがいないだけに、ウォルターの警戒心はとても強い。
トマスの話もある。歓楽都市は決して、東の村の少女が語るような夢の都市でないのだと。
ウォルターは離れに戻ると、周囲から人を遠ざけた。
「男の醜い悲鳴を聞きたくないでしょう?」
とは、トマスを痛めつけることを暗に意味していた。もちろん嘘であり方便だが、世話をしようとした人々は、離れの周囲から姿を消した。
「で、オレはこれからムチで打たれるのかい?」
とは、トマスの言葉だった。
ウォルターは籐編みのイスに座りながら反論した。
「バカ言うな。そんなことしない」
トマスのほうも、雑巾を桶の中に投げ入れると、同じように座った。向かい合って話すことになる。
「まあな。何しろオレは、あんたにとって貴重な情報源だ」
ウォルターもトマスを心底、信じているわけではない。
しかし、信じる材料はあるのだ。
「オレだって恩義は感じてるからな。あんたがお人よしにもオレの無言の訴えを聞いてくれたんで、ブルネイさんの八つ当たりを受けずに済んだ。そのことは感謝してる。穴掘りなんざごめんだからな」
「穴掘り? 井戸でも掘るのか?」
「違う違う。幻の道をな、探すんだよ」
——伝説の、砂漠の巨大な地下道。砂漠を簡単に移動ができる。それが幻の道だ。
「幻の道、か。虹の根元を追いかけるほうがまだ見込みがあるんじゃないか?」
「砂漠に虹なんてかからねーよ。虹を渡るなんて、お伽噺だ。いくら追いかけたって捕まらない」
「じゃあ、幻の道なんてものが本当にあるとでも? 聞いてる分にはありえないものの例えみたいだけど」
「少なくともブルネイさんはあると考えて、夢を破『られた』野郎どもにあちこち掘らせてる。さすがにあまり遠くを掘らせたりしないが、今は北西にのほうを掘らせてたな。胸の悪くなる話さ」
「2人や3人、じゃあないよな」
「今は20人ばかりだな」
トマスはイスの手もたれを強く握った。
「何しろ過酷な作業だ。暑いし砂嵐や流砂の危険がある。何より掘れども掘れども終わらないってのは、もはや拷問だな。それを連中、無理やりやらされてる」
「穏やかじゃないな。歓楽都市が地獄って言ったのは、そういうわけか?」
「いろいろあるが、一番の理由はそれだな」
「まだあるのか?」
「そりゃもう。逆らうやつ、無能と思われたやつ、ちょろそうなやつは支配されて言いなり。税金がひどく偏ってる、夢を追ってきた連中を食い物にして都市から出られないようにする、何もしてないやつを罪人として捕らえる……続けるか?」
「いや、もういい」
予感はしていたが、予想以上だった。
「絶対に、なんとかしなくちゃな」
「つくづくお人よしだな、あんた」
「うるさい」
「そんなめでたい頭していて、よく砂漠を渡れたな。というかどうやって渡ってきた?」
「だから、砂の上を歩いてだ。幻の道なんか通ってきてない」
「そこだよ。そこが話のキモだ。魔術師連中は、あんたが魔術師ではないといってるらしい。キャラバンの人数管理、都市人口の管理も徹底してて、南北のルートをあんたが来た様子はない。よって、あんたがここにいる理由としてありえるのは2つ」
トマスは2本、指を立てる。
「1つ。あんたがここで生まれ育った。これなら砂漠を渡る必要がない」
「冗談だろ」
「まったくだ。けど、オレはもう1つの可能性のほうがもっとありえないと思ってる。それは、あんたが、魔術師でもないのに砂漠を横断することができたって話だ。それも幻の道なんてものを使わずに。使ってないんだよな?」
「しつこい。そんなもの通ってきてない。信じられないか?」
「いや、これでも人の嘘を見抜いてきた。あんたみたいな甘そうなやつの嘘、見破れないはずがない。信じるさ。ただなあ」
トマスは自分の額を手でこする。おそらく恐れと、戸惑いが渦巻いていて、それらをやわらげるための仕草だ。
「一体全体、どうやったらそんな条件で砂漠を横断なんかできるんだ?」
「逆に横断できない理由は?」
ウォルターは、トマスが戸惑うほうが不思議だった。自分としてはただ、砂漠を歩いて渡ってきただけのことなのだから、何も難しいことはない。せいぜい、斜面を登ったり降りたり、砂嵐や流砂にやられかけたりしただけだ。いや、これにしても大変なことかもしれないが。
「あんただって、東の村のガキから聞いたそうじゃねえか。いいか、仮にだ。砂漠を歩くだけの体力もあったとしよう。砂嵐や流砂にも幸いにして乗り越えられる。ここまではまあ、ありえない話じゃない」
「そうだな。で?」
「問題はだ。運ぶ力と消耗のジレンマなんだよ。砂漠を渡るには暑さ寒さをしのげる装備品が必要だ。特に水がとんでもなく必要だ。けどそれを運ぶにも1人じゃ砂漠を渡るための大量の水なんて運べない。かといって、馬や牛を使おうにも、馬や牛がさらに水を必要としちまう。馬や牛以上に便利な動物もここらにゃいない。つまり……つまりだ」
トマスは心底嫌そうな顔をした。自分がこれから言うことの非常識さが嫌になったのだろう。
「大量の物資を担ぎながら、それでも砂漠を6日に渡って歩くことのできる超人か、それこそ魔術師でもなければ、人間が単独で砂漠を横断するなんてムリな話なんだよ」
トマスの理屈は通っている。
それとともにわかりやすい説明であり、食事の前に感じた彼の器の大きさといい、彼が下っ端をやっているのが奇妙だった。
「あんた、本当に下っ端なのか?」
「オレを下っ端前提にした質問だよなそれ。間違ってないし、そうだけどよ。オレはただの下っ端だ。けどなんでそんなこと聞いた。なめてんのか? おお? ぶん殴るぞ」
「それだとあんたが返り討ちだけど?」
トマスが腕っ節に自信があるのはわかる。そうでなければ、ほとんど出会い頭にしかけてきた説明がつかない。
問題は、ウォルターが彼にあっさり勝った、ということである。一撃であった。
「……一発でノされただけに、何も言えねえな」
トマスは長く、細い息をついた。
「下っ端だよ。残念ながらな。この話はいいだろ。それよりだ、いま言った、砂漠の横断の障害。これをどう説明する」
「簡単だ。このローブと、この水筒」
ウォルターはローブをつまんでみせた後、鞄から水筒を取り出してみせた。水筒のほうは、外見上は、あちこちぶつけて傷ついた単なる木の筒である。
「ローブと水筒。この2つであんたの言う障害を解決できる」
「嘘つけ」
「本当だって」
「いや。わかった。ローブのほうは受け入れてもいい。あんたがものすごく暑さにも寒さにも強い人間で、それなりにいいローブを着てた。いい。ただ、食料はどういうことだ」
「こういうことだな」
ウォルターは、水筒の蓋を開く。それからあらかた飲んでみせて、空にしてみせる。
「それが?」
トマスはつまらなさそうに、頬杖をついてウォルターが何かするのを眺めている。
「よく見てろ」
水筒は空っぽだ。間違いない。
蓋を閉める。また開く。
するとだ。
「……うっそだろ」
水筒には、なみなみと薄茶色のスープが入っていた。
トマスはあごをこれでもかと落としていた。