企みと見定め
「ところでウォルターさん。好みの酒ではありませんでしたか?」
ウォルターは、唯一の飲み物である酒を、一口も飲んでいない。匂いをかいだ瞬間、鼻にしわを寄せ、戻したのだ。
「確かに多少きつい匂いですが、試してみるとクセになる味です。どうぞ試してみてください」
「あ、いや」
ウォルターは弟子の忠告を思い出す。ついでに自分の家の惨状も。
「酒はあまり。完全な下戸で、その上酔うと、我を忘れてとんでもないことを」
「ほう。それはぜひ見てみたい」
ブルネイは酒杯を手に取り、ウォルターに手ずから勧めてきた。少し杯を動かすだけで、香るきついアルコール臭と果実の発酵した匂いが漂ってくる。なるほどこれは玄人向けに違いない。
「勘弁してください。本当に、できれば失礼を働きたくないんです。友人になりたいと言う相手に、こんな食事をごちそうになってもらっているのに、建物を破壊する、なんてことは避けたいんです」
ブルネイはこれを冗談と受け取ったようで、声を上げて笑った。上品で、お手本のようにきれいな笑い方だった。完全な愛想笑いではないにしても、心からの笑いでもなさそうだ。
「愉快な人だ。まさか酔って壁を殴って壊したとか?」
「どうしてわかったんです?」
これも冗談と受け取ったらしい。ブルネイは屈託なく笑った。
「いやいや。ぜひとも、なおのこと酒を飲んだあなたが見たくなりました。が、ムリに勧めるわけにはいかなそうだ。では、別のもてなしにしましょう。これがなかなか、どんな客人にも喜んでいただけるものなんです」
ブルネイは手を2回、打ち鳴らす。
すると踊り子たちが10名、列をなして、広間に入ってきた。
どの娘も若く、美しく、何より衣装が際どかった。
胸回りと腰回りだけがしっかり衣服に包まれている以外は、肌がむき出しだ。顔、腹、太ももは薄布で覆ってはいるが、むしろただ露出するよりも色気をかもし出している。
衣服には極細の鎖が数個つけられており、動くたびにしゃらしゃら鳴るし光る。目を釘付けにさせる工夫だろう。
彼女らに続いて、音楽隊も入ってくる。彼らは広間の両脇に並んだ。楽器は、太鼓や弦楽器、笛と揃っている。
音楽とともに始まった踊りは、見ごたえのあるものだった。
彼女らの踊りは蛇のごとしだった。やわらかく、なまめかしく、それでいて力強い。
全身にかすかな振動を与えてくるほどの太鼓の音。そこから始まった音楽は、笛や弦楽器と合わさって情熱的なリズムを奏で、熱量を増していく。
それに当てられたがごとく、踊り子の動きも激しさを増した。
激しさが高まってくると、踊り子たちは、一段高い、屋敷の主人と客人が座る舞台へと上がってきた。そこで何をしたかと言えばもちろん踊りの延長線ではあったが、その動きがまるでまとわりつくようだった。
押さないまでも、頬をなでていく。抱きつかないまでも、熱の伝わるほど体を近づけて去っていく。腕で寄せてわざとらしく強調はしないまでも、胸の谷間を眼前で通り過ぎさせていく。
若い男なら誰しも、夢中になるようなもてなしだった。
いや50歳、60歳の男でも、腹のあたりが熱くなったことだろう。
が。
ウォルターは、ぼんやりと、きれいだなあ、と思うくらいだった。
あ、あの娘セリンにちょっと似ている、とか思ったりもする。
そんな中、踊り子の1人が、ブルネイを気にしているのに気づいた。注意しなければわからないが、ブルネイを見る目に怯えが混じっていたのだ。
すぐにウォルターは隣のブルネイを見た。
彼はわずかに、目を細めていた。こちらを見定めるような目つきだった。それもウォルターと目が合った途端、笑みの形に変わるが、変わる前があまりに印象的で、とても忘れられるものではなかった。
踊り子の1人が、ブルネイに怯えていた。その一事がまた、ウォルターにブルネイへの疑念、警戒心、敵意を増やさせる。
ブルネイはのんびりした、何気ない口調で言った。
「いかがですか。美しいでしょう?」
「そうですね。とても」
「どの子が一番、美しいと感じますか?」
「そうですねえ」
踊りはまだ続いている。いつの間にか音楽が変調し、先ほどまでとは打って変わって、落ち着いたリズムになる。踊りもそれに応じてゆっくりしたものになっていた。踊り子たちの外見が、よく観察できるようになる。
10人いる中で、8人がまったく同じであるように、ウォルターは感じた。
8人は、うっとりした表情で、ウォルターに視線を投げかけては、踊りに戻る。正直見分けがつかなかった。
残り2人の内1人は、うっとりした表情を装ってはいるものの、怯えが混じっていた。一番年齢が若そうでもあった。
最後の1人は、他の9人とまるで異なる。
他の9人と同様に美しく、また色気というものはある。金髪褐色であるのは大した違いではない。大きく違うのは、その内にあるのが砂漠の昼の熱でなく、夜の冷気であるということ。
その娘は、セリンに少し似ている、と感じた娘でもあった。
「あの子が一番、きれいだと思います」
ウォルターはセリンに少し似た娘を指差した。
「ほう……それはそれは」
それだけ言って、踊りの続く間、ブルネイは黙ってしまった。