食えない男
ウォルターは、部屋で旅の汚れを濡れた布で落とした。汗や砂ぼこりが肌から取り除かれるとともに、気化熱で体がほどよく冷える。
体を拭い終わった後は、生まれ変わったような気分だった。
体をきれいにした後、広間に通されて、豪勢な食事のもてなしを受けることになった。
広間は白亜の石を積んで造られており、カーテンや敷物は赤い布に金色の刺繍が施されている。刺繍の細かさ、美しさから、高価なものに違いない。ウォルターはおっかなびっくりしながら敷物の上を歩いた。
広間の奥まで歩くと、ウォルターは座るよううながされ、その通りにした。奥はそこまでの場所と違い、一段高くなっている。
本来、賓客が座る場所なのだろう。
隣(とはいっても1メートル半離れた距離)にブルネイも座ると、手を叩いて合図を送ったようだった。
途端、薄着の褐色の女性たちが、料理を次々と運んでくる。
ウォルターは口の中でよだれがわいて仕方なくなった。
この2週間、ウォルターはほぼ同じスープだけを飲んで過ごしてきた。それ以外はたまにパンや干肉をかじっただけだ。
砂漠の東の村では、旅人のための備蓄はあったが割高だった。というのも、キャラバンのためにこそ用意するものらしい。相場を値上がりさせるほど大量に。
それらが高く売れるからこそ仕入れているものだ。小売りに安く売っていては、せっかくの儲けを取り逃すし、信用にも関わるらしい。
なので東の村ではろくに食料を補給できず、ほぼスープだけ、というありさまだった。
それと比べて、歓楽都市の元締めの歓待は実に豪華だった。
1人分どころか3人分、ともすると10人分ありそうな量に加え、見たこともないような料理がさまざまな種類並んでいる。ウォルターにわかるのは肉料理とか汁ものとか野菜料理とか、料理の食材に何を使っているのか、焼いたのか煮たのか切っただけか、くらいである。種類を数えると、50を超える料理や盛り付けが、磁器の皿の上に並べられている。
中でも鶏を一匹まるまる焼いた、てらてらと光る丸焼きなんてものを初めてで驚いた。森にいた頃のウォルターの食事といえば、野菜と少しの肉を煮込んだ塩のスープとパン。これが基本でありほとんどすべてだ。拳大以上の塊の肉を見るのも初めてになる。
さらに果物まであるのはより一層の驚きだったここは砂漠のど真ん中である。オアシスであるとはいっても、果樹は見かけなかったし育つものでもない。わざわざ運んできたのに違いない。日持ちしない分、鶏よりも高価に違いない。
ウォルターはがっつくようにこれらの料理を食べた。
頭の隅に、これはあのブルネイが指示して用意させたもの、という考えはあった。あったのだが、食欲に勝てなかった。
「気に入っていただけましたか」
ウォルターが用意された料理の半分を平らげた頃。
ブルネイが声をかけてきた。
「もちろん! うまい、その、すごいうまい!」
まったく褒める言葉の多様さがなかった。
なんとか感謝を伝えようと、ウォルターは言葉を重ねる。
「なんだか申し訳なくなるくらいです。砂漠の外でだってこんないいもの食べたことないくらいで、気を遣ってもらってほんと申し訳ない。わざわざこんな」
「いえ。何分急なことでしたので。これはほとんど私の普段の食事です」
「は?」
ウォルターはあっけにとられた。この、4,5人で宴会でも開けそうな豪華な食事が、普段の食事だというのだ。何なら、砂漠の外でこれと同じものを食べようとしたら、ウォルターの普段の食費の1年分は軽々越える。もしかすると3年分にはなるかもしれない。
ましてここは歓楽都市。
一体いくらになるのか。
ウォルターは食べかけの肉団子を器に戻した。今さら遅いが。
「オレ、お金は、その……」
金貨はあるが、果たして足りるのか怪しい。というよりも足りない。あちらが魔獣の骨をほしがって代金としてくれるかも、というのはこちらに都合のよすぎる楽観的予想だ。
つまり、代金をとても払えない。
「ご心配なく。これはただの友人に向けてのちょっとした親切なのです」
「ゆうじん? 誰が?」
「気が早かったですね。しかし、ここではっきり言いましょう。私はあなたと友人になりたい。親友になりたいと思っています」
品よく微笑むブルネイに、ウォルターは首を傾げた。
「それはまた、珍しい」
「かもしれませんね」
ウォルターは過去を振り返る。友人、と呼べる間柄の人間はいなかった。周囲にいたのは、師匠と、弟子と、家族くらいだ。
「しかし私は人を見る目があるつもりです。伊達にこの夢の都市の調整役はしていません。誰が、何をするにふさわしいか。何をするべきか。見定める確かな眼を持っています。あなたはただ者ではない。ペテン師などでは決してないと」
ブルネイはきっと、ほめたつもりだったのだ。
ウォルターもそれはわかる。
笑おうとした。しかしできなかった。
いささかも、喜ぶことができなかったのである。食べたものを戻したくなる気持ちにまで駆られた。
ブルネイの見定める眼とやらは、言葉通りなら、すばらしいものだ。多くの人がほしがる才能であり、彼に能力を見定めてもらいたいと、そう思うかもしれない。
誰だって自分の得意なことを知りたいし、活かしたい。現状に満足していなければ不満の分だけ、より強く望むことだろう。その先で、誰かに認められたいのだ。
ウォルターも人にほめられたい気持ちはある。特に弟子のセリンにはほめてもらいたかった。認めてもらいたかった。
けれど、ブルネイに評価されたいとは思わなかった。なぜかははっきりとはわからなかった。
ただそのことを考えるにつけ、トマスのことや、都市の隅で劇をしていた役者たちのことが思い起こされた。
トマスは、ああして徴税をしたり旅人に暴力を振るったりするべき人間なのだろうか。役者たちはあそこで劇をして衣食住がある代わりに儲けの大半を持っていかれるべき人間なのだろうか。
その疑問が、ウォルターにそれなりの吐き気を催させた。
砂を飲み込んだような気分である。——流砂。トマスに言われても実感はなかったが、いま生じた。自分は流砂にいつの間にかハマっていたのではないか。
ブルネイの褒め言葉は続く。
「いえ。何もあなたが有能だから、というだけではありません。察するに、あなたは奔放なところがあるでしょう? 私はこんな仕事ですから、自由で気兼ねのない、なおかつ気のいい人物にいてほしかったのです」
能力から人格にほめるところが移った。
これにも、ウォルターは、どうも、と芳しくない反応を返した。愛想笑いがその極めつけだ。
「ウォルターさん。私は何か、気に障ることでも?」
「いえ。料理は大変おいしいですし、ほめていただき光栄です」
「ならよかった」
胸をなでおろしたようだった。
これが演技なら相当なものである、と感じた。