お人よしへの警告
「あんた、とんでもないお人よしだな」
と、トマスが呟いた。
ウォルターはブルネイの屋敷に招待された。砂漠の中のオアシスとはいえ、庭には池や噴水があり、屋敷は贅沢な白亜の城といえた。
その屋敷の北東隅の離れに、ウォルターは部屋を用意してもらった。そこで歓待の準備ができるまで休んでほしい、と。とりあえずトマスを償いのために寄越すから好きに使ってくれ、とも。
トマスはウォルターの荷物を運び終えて2人きりになった途端、先ほどのようなことを呟いたのである。
面と向かってほめられるのは久しぶりだったので、ウォルターはこう返した。
「照れる」
ほめてねえ、とトマスは断った上で、言葉を続けた。
「何もわかってないんだな、あんた。こっちの意図を汲んでくれたのは助かったよ。ありがとな。けどあんたはいわば流砂にはまったんだ。知らないか? 砂を飲み込む場所があって、ハマればまるで底なし沼に沈むみたいになるんだ」
「知ってる。危うくハマりかけた」
「……砂漠を横断したってのは、本当なのか? キャラバンと来てれば、そんなことには絶対ならない。危険な場所をやつらはちゃんと知ってる」
「横断したかといえば、まあそうだ」
「幻の道を通ってきてはない……んだよな?」
「なんだそれ」
初めて聞く単語だ。
「まあ伝説だ。大砂漠にはでかい地下道があって、オアシスまで簡単にたどり着けるんだ。もしそんな道があれば、交易はぐっと楽になるし莫大な富を生む」
「知らないし通ってないぞオレは」
大砂漠のことについて、東の村の少女から聞くまでろくに知らなかったのだ。そんな伝説のことなど聞いていない以上、知らない。
地下道を通ってきた覚えもない。
ウォルターが否定すると、トマスは犬のフンを踏んづけたみたいに顔を歪めた。
「つーことはだ。おいおい勘弁してくれよ。じゃあ、砂漠を1人で横断してきたのか? 地上を歩いて?」
「そうなる」
「よく渡ってこれたな」
「オレのローブと水筒はけっこうすぐれものなんだよ」
ウォルターの説明では足りなかったようで、トマスは疑わしげな顔になった。
「……あんたがいくらとぼけようと、ブルネイさんはきっと、知らないなんて思ってくれないぜ」
トマスは頭をかく。ああもう、と毒づくところ、イライラしているらしい。
大変そうだなあ、とウォルターはぼんやりとその様子を見て思う。単に粗暴な男だと思っていたが、どうも違うらしい。
頭を働かせ、責任を背負い込む節がある。イライラするのは、ウォルターをお人よしと罵るのは、彼が負い目を感じているからだ。ウォルターがいわば流砂に飛び込んだのも、自分に責任がいくらかはある、と。
下っ端とはとても思えない器をしている。
「あんたは逃げるべきだったんだよ。逃げられたならだけどな」
「オレのことをお人よしだと言ったのは、そういうわけか?」
「ああ、人を助けるのに自分を切り売りするなんざ、お人よし以外の何者でもない」
トマスは同情するように目じりを下げた。
「オレはあんたが逃げなかったおかげで、腹いせを食らわずに済んだ。けどあんたは、幻の道をブルネイさんに教えない限り、地獄を見ることになるぜ。それこそ腹いせにな」
「この歓楽都市がどうも物騒なのは、あんたのおかげでわかってるよ」
何しろ質問に暴力で返すような男が、都市の元締めの部下をやっているのだ。ブルネイがあの品のよさそうな顔の下に悪辣な獣を飼っていても、ウォルターはすんなり受け入れるだろう。
「いいや、あんたはわかっちゃいない。知らねーんだものな、この都市の闇を——っと、誰か来る」
足音がこの離れに近づいてきていた。
トマスはすぐに平身低頭、ウォルターに対し丁寧に振舞う。
「はい旦那様。本当に申し訳ございませんでした。お慈悲に一生感謝いたします」
やや声が大きかったのは、外に聞こえるようにする意図があったのだろう。そうやって、ウォルターに散々になじられていた、ということにするつもりらしい。
ウォルターもその芝居に乗ってやる。
「口の利き方がまだなっていないな。お前ひとりの一生では足りない。末代まで恩に着るのだ。妻子によく言い聞かせろよ」
「ははあー!」
トマスはひれ伏した。
が、右手がわずかな間だけ、卑猥なシンボルを表す動きをした。挑発によく用いられる動作であり、要約すれば『調子に乗るな』だ。
離れにやってきた足音の主は、美しい年頃の女性だった。目鼻立ちが整っているとともに、体つきもよく曲線を描いている。
「歓待のご用意が、簡単にではございますが整いました。どうぞこちらへ」
「わかった。どうぞよろしく」
ウォルターは美女の案内についていく直前、トマスに言った。
「オレが戻るまでこの離れを掃除してるんだ。戻った時にまた仕事をさせてやる」
「ありがとうございます!」
まだトマスから聞き出したいことは残っている。彼が正直で素直なのはわかるし、出会いはああだったが、なんだかんだ好感が持てる。事情を聞く相手としてありがたい。
そういう意図があったところで、伝わるものではなかった。トマスはまたも、こっそりと、案内役の美女には見えないよう、あの卑猥な手の動きをしてみせたのである。
『調子に乗るなっつってるだろ』と。




