高潔なる騎士
どうやら机を顔にぶつけた際、すでに騎士は気絶してしまっていたらしい。
「そっちの2人は大人しくしてろ。いいな?」
こくこく、と従士2人は素直にうなずいた。
わざわざ騎士のように気絶させられたくもないだろうし、実力差は明らかだ。相手がその気なら殺されていた、ということはあちらもわかりきっているのだろう。
「言っておくけど、別に荒事をしたいわけじゃない。ただそっちの騎士さまが証明してみせろみたいなことを言うから——言ったよな?」
ウォルターは従士2人に確認を取った。
すると2人はまたもこくこく、とうなずく。この分では全財産くれるよな、と聞いてもうなずきそうだ。
「困ったもんだ。おーい、騎士さま。起きてくれ」
ウォルターは騎士の体の上から机をどけた。下敷きになっていた自分のナイフを手元に回収してから、騎士の頬をぺしぺし叩く。
幸い、騎士はあっさりと目を覚ましてくれた。
「はっ、貴様!」
「はい騒ぐなよ。試したのはあんたのほうだ」
「ぐっ……」
幸い、騎士は大声を上げはしなかった。ウォルターは両手を縛られたままで、騎士1人と従士2人は武装している。
それで助けを呼んでは、恥の上塗りになる。
「さて、ちゃんとオレはあんたたち3人を倒したわけだから、もういいよな?」
縄を解いてくれ、とウォルターは両手を差し出す。自分で切ることができるが、大切なのは手順だ。
「なんということだ。自分が情けない……」
騎士はぎりぎりと歯をこすり合わせる。
よほど悔しいのだろう。怒りのあまり読めない行動をされたりはしないか、ウォルターが不安になった時、
「何事ですか!」
と、部屋に別の騎士たちが駆け込んできた。
激しい物音を聞きつけてきたらしい。惨状を目の当たりにして、騎士たちは血相を変えた。
何しろ取調べをしていた部屋は机やイスがひっくり返っている。のみならず、従士2人が部屋の隅で小さくなり、騎士の1人は尻餅をついてしまっているのである。
なのに取調べを受けていた男が平然と立っている状況。
両手が縛られたままである点は不思議だが、無事なのはウォルターだけ。誰がやったのかと言えば、10人中10人がウォルターだと答える状況にある。
「いや、その」
「なんでもない」
意外にも、事を平和的に済まそうとしたのは、ウォルターを取り調べ、試した騎士だった。
「しかし……」
駆けつけた騎士たちも、はいそうですかとは引き下がれない。明らかにウォルターが暴れたとしか思えない状況なのだ。
「私が彼に無礼を働いてしまっただけだ」
尻餅をついたまま、騎士は砂を噛むように説明を続けた。
「どんな無礼だったかは、すまないが伏せさせてくれ。ただ、このとおりほとんどケガはないし、彼が怒るのももっともだった。行き過ぎた取調べをした。それだけだ。騒がせて本当にすまない」
「大丈夫なんだな? 脅されているわけではないな?」
「私が主君をわが身大事に危険にさらすと?」
「……いや、これこそ無礼だったな。引き続き貴君が取り調べるか?」
「ああ。もちろんだ。ほとんど無傷なのだから。主命を続ける」
ウォルターは驚いていた。
一触即発、この場でウォルターは切り捨てられる可能性もあった。そうなるつもりはまったくなかったが、あちらがそのつもりになれば、とてもこうまで穏便にコトは進まなかった。
あぜんとしている間に、片付けが行われ、ほとんど元通りの取調室になる。
駆けつけた騎士たちは、部屋から出ていき扉を閉めた。
机やイスも元の場所に戻された。
ウォルターの正面に例の騎士があごをさすりながら座る。また、やはり最初と同じように従士ふたりはウォルターの斜め後ろ左右に立って控える。
「さあ、座りたまえ。取調べを続けよう」
そう騎士から勧められて、ウォルターは恐る恐る、イスに座った。
「これは、どういうことだ?」
「そうだな。まずは、無礼をわびよう。すまなかった。だが貴様も——きみも悪いと言っておくぞ。疑われるような奇行をしていたのだ」
「奇行うんぬんについては、まあ言い訳のしようもない。ただ、ずいぶん態度が変わったな? 全部演技だったのか?」
「いいや。本気だった、というのが正しい」
喋るたび、騎士は顔をしかめている。どうやらあごが痛むらしい。原因はもちろん、ウォルターが机をかち上げた時に当たってしまったせいだろう。
「あご、大丈夫か?」
「ああ。痛みはひいていっている。触っても痛くない。打ち身にはなっても、骨はなんともない」
「そうか。まあ、でも、あれだ」
あちらが態度をやわらかくしているのだ。
ウォルターも相応に変わらなければおかしい。態度を変えた騎士は、ずいぶん話しやすい。
「悪かったな」
「お互い様だ。さて、改めて取調べを続けたいが、いいか?」
「その前に、あんたの態度の変わりっぷりについてなぜそうなったのか、教えてほしい」
「当然だな」
騎士はうなずき、率直に質問に答えてくれた。
「先ほどまでは高圧的かつ意固地でいたのはだ。お嬢様が毒を盛られ死にかけているのは真実であり、頭に血が上っていたためだ。自分では気づいていなかったのは不覚極まるがな。ゆえに私の愚かさは演技などではない。そのことは改めて詫びよう」
「まあ、今となってはいいよ。ただ、頭から血が引いたのは、冷静になったのは、なんでだ?」
「正直、きみのことを見下していた。汚く間抜けな暗殺者だろうとな。両手を縛ってもいる。そんな相手に、3人がかりで倒されていては、頭も冷えるさ」
己の恥であることを、薄い笑みを交えて騎士は話す。ごまかすための笑みではない、とウォルターは感じた。
己の至らなさを自分自身であざ笑うための笑みだ。
とすれば、騎士の横暴な態度はともかく、総合的なところで、真面目な人物なのだと、ウォルターは彼の評価を改める。