7話:ファック・マイ・ライフ!⑦
店には入ると、すぐにみんなのことを見つけることができた。
元港ヶ丘小学校6年2組のクラスメイトたちが集まって固まっているスペースは、店内の他のどのテーブルの客たちよりも騒がしく、盛り上がっている。
「お待たせっ! 遅れて、本当にごめんっ!」
みんなの元へ近付き、開口一番に大きな声で謝罪の言葉を叫ぶ。
そのまま深々と頭を下げた。
対して、みんなの反応は。
「おおっ! 杉崎!」「あー! 杉崎くん、やっと来たー!」「久しぶりー」「おっせーぞ!」「重役出勤なんて言い御身分じゃねぇか!」「なんで遅刻したの?」「私、もう今日、杉崎くん、来ないと思ってたわ」「杉崎くん、私服で来たんだー?」「これで参加するって言ってた奴も全員揃ったし、とりあえず、もう一回みんなで乾杯し直そうぜ!」「それ、いいわね!」「なら、恵理子にも一旦、中に戻ってきてもらった方がいいんじゃない?」
みんな、好き放題言いたいことをまくしたててくる。
みんな、和気あいあいとしており、実に楽しそうだ。
「待ってたぜ、杉崎! 久しぶりだな!」
「よぉ、戸山。久しぶり。中学の卒業式以来だな」
中央のテーブルの真ん中に座る本日の同窓会の幹事様である戸山公平に声をかけられたので、軽く手を振りながら答える。
「俺、どこに座ればいい?」
「空いてる席、一番隅っこの角のテーブルの席しか残ってないけど、いいか? 嫌なら俺の席と交換しようぜ」
「いや、角のテーブル席でいいよ」
むしろ中央のテーブルのど真ん中になんて座りたくない。
最もみんなと会話できるテーブル席には、明るくて、誰に対しても気さくで、いつもクラスの中心人物だった戸山のような人物が座るべきだ。
その方が絶対にいい。
そう俺が考える横で、戸山は同じテーブルに座る女から「戸山くん、次、なに飲む?」と話しかけられる。戸山は俺に「とりあえず、乾杯し直すから、席に座ったら、飲み物だけ早く頼んじゃってくれ」とだけ伝えてから「よーし! 次はなにを飲むか!」と明るく元気な口調で言って、女の差し出すメニュー表に視線を移した。
なんとなくだけど……戸山は少しだけ気疲れしているように見えた。
明るくて、誰に対しても気さくで、いつもクラスの中心人物だった戸山なりに何かを消耗しているのかもしれない。
俺は一番隅っこの角のテーブルの席に座ろうとする。
そのとき、隣に座る男に声を掛けられる。振り向くと、そこには、子供の頃、仲の良かった友達が。
「よぉ、杉崎。元気そうだな」
「桜木……! 久しぶり。お前こそ、元気そうだな」
男の名前は桜木拓人。小学生低学年の頃に知り合い、小学校を卒業するまで、よく一緒に遊んでいた友達だ。
桜木とは中学校も同じだったけど、中学校では3年間同じクラスにはならなかったし、お互いに違う部活に所属していたということもあり、だんだんと疎遠になり、そのまま遊ばなくなってしまった。
だから、桜木と話すのは本当に久しぶりで、少し緊張してしまう。
軽く会釈して、同じテーブルに座る人たちに軽く挨拶して、ようやく俺は席に座る。
すると、さっそく桜木が話しかけてきた。
「お前、今日はなんで遅刻したんだ?」
「……寝坊だよ」
そう言ってから、「俺、夜勤で働いてるから」と付け足す。
べつに見苦しい言い訳をする気なんてなかったのに。自分でも気付かない自然のうちに言い訳の言葉を口にしていた。
「なるほど。夜勤の仕事を終えた後、家で夕方頃まで寝てようとして、爆睡してたってわけか?」
「そういうこと。本当、みんなに余計な心配と迷惑をかけたわ。……ごめんっ」
改めて、謝罪し、頭を下げる。
「まぁ、そういうことなら仕方ないだろう」
桜木の言葉に同意したのか、同じテーブル座る目の前の2人も、
「仕事が原因なら仕方ないだろう」
「結果的に杉崎くん、ちゃんと来てくれたんだし、誰も責めないって」
と言ってくれた。
「そう言っていくれると助かるよ。……ありがとうっ」
言いながら、俺は桜木からメニュー表を受け取る。
「俺は……とりあえず、生ビールでいいや。中ジョッキで。みんなは?」
俺がメニュー表を開いて見せながら聞くと、
「ハイボールで」
「俺はまだあるからいい」
「私はカシスオレンジ」
と、三者三葉の反応が返ってきた。
テーブルに備え付けてある呼び出しボタンを押して、店員を呼び、注文を頼む。ふと、周りを見渡すと、他のテーブルに座るみんなも新しい酒を一斉に注文している。
「ところで、杉崎はなんの仕事してるんだ?」
「……小売業だよ。ディスカウントストアの店員をやってる」
わざと簡潔に素っ気なく、答える。
あまり根掘り葉掘り詮索されたくなかったから。
「ディスカウントストアの店員って、スーパーの店員みたいなもん?」
「まぁ、ほぼほぼスーパーの店員と同じだな」
「店まで通勤するときって、スーツじゃなくて私服でも許されてるのか?」
桜木が何気ない口調で聞いてくる。俺は、
「……いや、スーツだよ。基本的に社員はスーツ、アルバイトやパートは私服で通勤してる」
とっさに嘘を付いてしまう。
いや……嘘ではないが。
「やっぱり、小売業界もスーツでの出勤が基本なんだな」
「どうせ店に着いたら店の制服に着替えるのにな」
「スーツで会社まで通勤するのって、面倒くさいわよね」
「そうそう! 通気性は最悪で、夏は暑くて、冬は寒いしよ」
「あと、定期的にクリーニングにも出さなきゃいけないのが地味に面倒だよな」
「そうなのよね……IT業界とファッション業界以外の仕事で、私服で通勤するのが当たり前の仕事って、ないのかしら?」
「…………」
みんなの会話に入ることができない。
どうしても、躊躇ってしまう。
自分はスーツじゃなくて、私服で通勤していることを素直に話せない。
本当は自分がまだ社員ではなくて、アルバイトであることを話せない。
わかってる。
仕事に貴賤はない。
わかってる。
コンプレックスを抱く必要なんてない。
わかってる……だけど、それでも、自分の仕事にコンプレックスを抱いてしまうんだ。
「みんなはなんの仕事してるんだ?」
俺は話題を無理やり変えようとして、話しかける。
「桜木は?」
「俺? 俺は子供たちにサッカーを教えてる」
「へぇ……その仕事は働き始めて、何年目?」
「専門学校を卒業して新卒で入社した会社にそのままいるから、えーと……来年で8年目になる」
「ながっ!」
おもわず口に出てしまう。
俺も今のアルバイト先に10年以上勤めているから、人のことは言えないのだが。
「辞めないで、ずっとその会社にいるってことは、相当居心地がいいんだな」
「まぁな」
桜木は飲みかけのハイボールのグラスに口をつける。
「俺はなんだかんだで好きなことを仕事にしてるからな」
「サッカーが好きなことなの?」
対面する女が口をはさむ。
桜木は「ああ」と短く返事をしてから、少しだけ照れくさそうに笑う。
「給料も休みも少ないし、子供の相手や同僚との人付き合いは面倒くさいけど……それでも、自分が好きなサッカーに携われるし、なんだかんだで楽しいと思いながら働いてるぜ。もちろん、それと同じぐらい嫌になることもあるけどな」
そう言って、桜木が屈託のない笑顔を浮かべる。
「毎日が楽しいし、充実してるぜ。やりがいのある毎日だ」
また、少し照れながら、自身の顔をくしゃくしゃにして笑う桜木。
その顔が、俺にたまらなく眩しかった。
桜木が言った言葉を心の中で反芻する。
『毎日が楽しいし、充実してるぜ。やりがいのある毎日だ』
そんなことをさらっと言える桜木がかっこよかったし、羨ましかった。
なんだか、桜木がすごく輝いて見える。
仕事が本当に楽しいのだろう。
自分の仕事に誇り感じているのだろう。
誇りと責任を持って。働いているのだろう。
仕事を通じて、社会貢献だとか、自分の人生をより良くするだとか……会社が一方的に押し付けてくる上っ面の綺麗事や建前ではない、本当のやりがいを感じているのだろう。
それが本当に羨ましくて仕方がなかった。
ふと、俺は周りのみんなを見回す。
みんな、いきいきとした笑顔を浮かべていた。
みんな、本当に楽しそうに笑っている。
たぶん、それは……。
みんな、自分の人生にやりがいを感じているから。
みんな、自分の人生が充実しているから。
みんな、自分だけの人生を生きているから。
昔は……子供の頃は、みんな同じだった。
みんなで、同じ速さで、同じ方向を向いて、同じような人生を歩んでいたのに。
いつのまにか……みんな、自分だけの人生を歩んでいる。
誰もが、自分の人生を生きていくなかで、辛いことや苦しいことを経験したんだろう。大なり小なりの失敗や挫折を経験したんだろう。でも……それでも、みんな、諦めずに努力し続けて、しっかりと自分のペースで前を向いて歩み続けてきたんだろう。
みんなの、自分自身に自信と誇りを持った笑顔を見て、それがよくわかった。
今日、同窓会に来ていない人たちも、みんな、どこかで自分だけの人生を歩んでいるのだろう。そんなことを考えながら、内心1人で感傷に浸っていたとき、ふと思った。
「そういえば……優子先生は来ていないんだよな?」
もう一度、周りのみんなを見渡しながら聞いてみる。ざっと見たところ、それらしき人は見当たらない。
やっぱり、今日の同窓会には来ていないのだろうか?
「先生なら来てないわよ」
思案するよりも早く、対面する女がにべもなく答えてくれる。
「やっぱり、来ていないか……」
少しだけ……本当に少しだけ残念に思う。
もしも、俺が、また、なにかの学校に通うとして、優子先生が担任だなんて――二度とごめんだ。
心の底からそう思う。
だけど……。
「もう一度、会って話がしたかったな……」
それも、また、心の底から思うことである。
「ていうか、優子先生って、今どこでなにをしてるのかもわからないのよね」
「え? 教師を続けているんじゃないの?」
「噂で聞いた話なんだけど……優子先生、教師をクビになったらしいわよ」
「それ本当なのか?」
おもわず半信半疑で聞き返してしまう。
あの人は俺たちが卒業した後も教師を続けているのだと、今頃はどこかの小学校の校長にでも上り詰めているのだと、本気でそう思っていたから。
「考えてみてよ。あの姫川優子先生が、この時代に今も小学校の先生を続けられていると思う?」
「…………」
俺は少しだけ考えてから、
「……どう考えたって、無理だな」
と深く納得して頷いてしまう。
話を聞いていた他のみんなも同じような反応している。
すると、それまで隣のテーブルで違う話をして盛り上がっていた人たちが、俺たちが優子先生の話をしていることに気が付き、会話に入ってくる。
「なに? 姫川先生のこと話してんの?」
「うん。先生のこと、なにか知ってる?」
「なんかよ、先生、俺たちが卒業してから数年後ぐらいに生徒の親たちから苦情が殺到して、無理矢理、教師を退職させられたらしいぜ」
「それ本当なの?」
女が先程の俺と同じような口ぶりで聞く。
「いや、俺も噂で聞いただけだから、本当かどうかはわからん」
そう言って、男は一度持っていたビールを一口飲む。
そして、また口を開く。
「でもよ。俺たちの頃だって、学級崩壊やいじめ問題、モンスターペアレントなんて言葉があって、問題になっていたのに、最近は学校の先生って、ほとんど怒ることができないらしいじゃん?」
「今でもよくニュースとかで言われてるよね」
「俺の弟、今、大学生で学童のアルバイトをやってるんだけど、女の子が怪我したとき、男の先生が介抱しただけでも、ロリコン教師って騒がれるらしいぜ」
「うっわぁ、それは女の私でもおかしいって思うわぁ」
「なんていうか、どんどん生き辛い世の中になってきてるよなぁ」
「まぁ、とにかく、こんなご時世なんだ。姫川先生みたいな人が教師を続けられているはずがないよな」
「悪い先生じゃなかったのにな……良い先生でもなかったけど……」
そんな風に優子先生について話していると、ちょうど店員が俺たちの注文した酒を持ってきてくれた。同時に隣のテーブルにも注文した酒を持った店員がやってくる。
俺は店員から酒を受け取り、戸山に向かって大声で叫ぶ。
「戸山ぁ! こっち、全員酒きたぞぉ!」
「おー! わかった!」
中央のテーブルの真ん中でなにかを夢中で話していた戸山が大声で返事を返して、グラスを持って勢いよく立ち上がる。どうやら、あいつが乾杯の音頭をとるらしい。
「ちょっと待ってぇ!」
そのとき、戸山が座る中央のテーブルの隣のテーブル……女たちで固まって座っているグループから声が上がった。
彼女たちの顔には見覚えがある。
あれは……織部たちのグループだ。
6年3組の女子のボスと男子たちの間で称されていた織部麗奈といつも彼女の近くにいた取り巻きの2人。
あの頃、3人は学校でも、いつも一緒にいて、仲の良かったことを覚えているが、それは現在も同様のようで、1つのテーブル席を占領して、思い出話に話を咲かせていたようだ。
「今、恵理子が外にいるんだけど、呼んだ方がいいんじゃない?」
「そうだった、そうだった。仲田のことを忘れてた。外で子供を寝かしつけているんだっけ?」
「うん、そう。天睛くんがもう眠いみたい」
「店の中に入ったら、子供が起きちゃうしな……起こしちゃかわいそうだし、呼ばない方がいいんじゃないか?」
「でも、呼ばないと、今度は恵理子がかわいそうじゃない?」
意外……というべきだろうか。
織部は仲田さんのことを気にかけているようだ。そう言えば、仲田さんも織部とよく一緒にいたと言っていたし、仲が良かったのかもしれない。
俺は外で愛息子を寝かしつけている仲田さんのことを思い出す。
「……大変だよな。シングルマザーってのも」
べつに誰かに聞いてもらいたくて喋ったわけではないのだが、隣に座る桜木には聞こえていたらしく、
「仲田のことか?」
と目ざとく反応してくる。
「仲田のやつ、織部たちと一緒に飲んでたけど、そのとき、『久しぶりにビールが飲める~』って言って、超喜んでいたぜ」
「それだけ母子家庭の生活が厳しいってことよ」
目の前に座る女が仲田さんを庇う。
「あいつ、まだ2杯ぐらいしか飲んでないんじゃねぇか?」
「たぶんね」
「せっかくの同窓会なのに、みんなと話せない、飲めないのはちょっとかわいそうだな」
「なら、あとで酒を持って行って、やろうぜ。もちろん、店員には見つからないように隠して」
特に深く考えもせず、俺は言う。すると、桜木は、
「わざわざ俺たちが行かなくても、織部たちが行くだろう。あいつらに任せておけよ」
と言った。
そんなことを話しているうちに戸山と織部の会話は終わったようで、改めて戸山は今日集まったみんなに声をかけようとする。
「はい、みんな、ちゅーもく!」
織部がみんなに呼び掛ける。
「えー、では、ただいま、ご指名に上がりました戸山公平です! 僭越ながら、私が音頭を取らせていただきます!」
元男子たちのリーダーである戸山が、まるで会社の飲み会の要領で乾杯の挨拶を話し始めた瞬間、それまで沈黙を守っていた周りのみんなたちが騒ぎ出す。
「おい! 堅苦しい挨拶はいらないから早くしろ!」「誰も戸山くんを指名してないって!」「いいから早く終わらせちゃってよ!」「私、お手洗い行きたいから早くー!」「戸山ぁ! お前、中学の頃の彼女と人んちの駐車場でヤッたって本当かぁ!」「え、それマジっ!?」「乾杯、はーやーく!」
また、みんな、好き放題言いたいことをまくしたててくる。
騒がしい喧噪が辺り一面を包み込む。
もはや、収拾がつきそうにもない。
「あーもう! わかった! わかった!」
戸山は降参したかのように苦笑しながら大仰に叫ぶ。
「よーし! 杉崎も来て、これで参加するっていってた奴は全員揃ったな!」
「揃ったよー!」
誰かが叫んだ。
「まぁ、仲田は今、外にいるし、優子先生や今日参加してない人も何人かいるけど、今日は久しぶりに元6年3組のみんなで集まれたんだ! 今日はとことん楽しもうぜ!」
「おおっ!」
また、誰かが叫んだ。
「みんな、いいか!」
辺りが一瞬にして静まり返る。
さっきまであんなに騒がしかったくせに。
「せーのっ……」
『乾杯!』
グラスを天井に突き出しながら、かち合わせる。
澄んだ音が辺りに響き渡る。
相変わらず、みんな、声が大きいし、うるさい。夢中で色んなことを話し込んでおり、騒がしい。
もうすでに遅刻した俺のことを気にする人は誰もいないし、俺が寝坊して遅刻してきたことそのものを誰も覚えていないかのような空気だ。
そのことを心嬉しく思いながら俺は夢中でビールを呷った。