6話:ファック・マイ・ライフ!⑥
帰宅ラッシュの時間帯ということもあり、混雑している電車内。
仕事に疲れ、社会の荒波に疲れ切った人々がイモ洗い状態のまま、車両内という限られた狭い空間の中に押し込められており、人と人との間のわずかな隙間を見つけてはそこにスマホを出している。
かくいう俺も、そんな世の中に疲れ切った人々の1人であった。
赤の他人と身体を密着することで、窮屈さと、ただただ不快にしか感じない人の温もりというやつを感じながら、スマホをいじる。
【こーへー】
[今日]
杉崎勇気
『ごめん』
杉崎勇気
『寝坊した』
杉崎勇気
『今、急いで向かってる』
こーへー
『わかった!』
こーへー
『あとどれぐらいで店に着く?』
杉崎勇気
『あと10分ぐらいで川崎駅に着く』
杉崎勇気
『そこから走っていくから20分ぐらいで着けると思う』
こーへー
『りょーかい!』
こーへー
『俺たち、もう店に入ってるから』
杉崎勇気
『わかった』
杉崎勇気
『本当に遅れて、ごめん』
杉崎勇気
『できるだけ急いで向かう』
こーへー
『急がなくても、いいから』
こーへー
『笑』
こーへー
『落ち着いて、ゆっくり確実に来てくれ』
こーへー
『事故だけは勘弁な笑』
杉崎勇気
『わかった』
簡潔な返事を打ち込み、そのままアプリを閉じる。
今頃は、みんな、久しぶりの再会に話が盛り上がっている真っ最中だろうし、あまり通知を送るのも迷惑になると思ったから。
狭い空間の中で、なんとかスマホを仕舞う。
ちくしょう……盛大に寝坊しちまった……。
いつもはちゃんと起きれるのに、まさか今日に限って寝坊するなんて……。
もう一度スマホを取り出し、時間を確認し直す。現在の時刻は20:16だった。川崎駅での待ち合わせ時間は午後6時だから、すでに2時間以上遅れていることになる。
独り暮らしはこれがこわいよなぁ……。
絶対に自分で起きなきゃいけないわけだし……。
毎日飲み食いする飯や酒は仕事先から廃棄食品を無断で頂戴すればいいからどうにでもなる。掃除も休みの日にまとめてやればいい。洗濯だって、寝る前にでも洗濯機で洗い、室内に干しておけば、家にいるときにいつでも畳めるのだからなにも問題ない。家賃や光熱費の支払いだって、自動振込やコンビニ払いにしてしまえば簡単だ。
でも、規則正しい生活だけは……これだけは、いつまでたってもできないでいる。
夜勤で働いてるせいか、生活リズムが崩れているため、今日みたいな寝坊による遅刻はいつ起きるかわかったものじゃない。
これが仕事だったら、社員登用の件は消えてたかもしれない……。
そう考えると、なんだか顔が青くなってくる。
ある意味、社員になる前にプライベードで失敗することができて、よかったのかもしれない。今回の遅刻は緩んだ自身の気を引き締め直すためのいい機会となったと。
社員になったら実家に戻ろうかな……。
そうすれば、最悪の場合でも両親に起こしてもらえる。
いや……でも、実家には姉ちゃんもいるしな……。
姉ちゃんは今、自分の子供と一緒に実家で暮らしているはずだ。
旦那さんが浮気したとかなんとかで離婚して、実家に出戻り、それからはずっと。
姉ちゃんが実家に出戻りしている現状の中で、俺まで実家に戻るのもなぁ……。
いい歳した大人が2人も実家に出戻ってくるとか……呆れる父さんと母さんの顔が容易に想像できてしまう。
「……いつまでも親に頼るわけにもいかないよな」
おもわず、口に出して呟く。
ふと、電車内に存在する自分以外の他人の存在を意識する。
仕事を終えて帰宅する人々の顔は、みんな、一様に疲労困憊といった様子でくたびれている。
俺は心底思った。
みんな、本当にすごいよな……。
生きるために体力と神経を擦り減らしながら必死に働いて。
たぶん、それでも、ほとんどの人が生活に余裕がないのに。
中には、結婚したり、子供を育てている人だっている。
たぶん、家事や仕事、育児に追われて、自分の自由な時間なんてほとんどないのに。
それでも……みんな、必死に生きている。
社会や誰かに守られる側ではなくて、社会や誰かを守る側でいる人って……本当にすごい。精神は子供のままなのに、歳だけは大人になってしまった俺は純粋にそう思うことができた。
心の中で自問自答する。
いつの日か、俺も誰かを守る側になれるだろうか……?
俺は、今この電車の中にいるすべての人たち――仕事に疲れ、世の中の荒波に疲れ切っている人たちのことを――かっこいいと、そう本気で思った。
・・・・・
JR川崎駅で降りて、店へと向かう。
スマホのナビで店の住所を打ち込み、ナビの指示に従って店へと向かう。
繁華街を抜けて、駅周辺に存在していた人混みがだいぶなくなるところまで歩いて、ようやく店へとたどり着いた。
道路を縦断する横断歩道の信号機の点灯が『赤色』に灯火している。そのすぐ目の前に店はあった。
店の看板に目を向ける。
外観からして、お洒落でいかにも値段の高そうな個人経営の居酒屋だ。もう少しグレードの低い店でもよかったのに……そう思ったけど、俺が代わりにしち面倒くさい幹事をするつもりなんて最初からなかったので文句は言えない。
そのまま俺の視線は徐々に下降していき、やがて店の軒先に立つ1人の女性を捉える。
あの人は――。
遠目から見たところ、たぶん年齢は俺と同じぐらいだろう。なにやら小さな子供をおんぶしている。
その女性のことを俺は見覚えが――まったくない。
やがて信号が『青色』に灯火したので横断歩道を渡り、店へとまっすぐ進む。
女性が俺に気付き、一瞥する。
彼女は俺の顔を見て、開口一番に、
「杉崎くん?」
と俺の名前を呼んだ。
「え、あ、うん。そうだけど……」
彼女のことを思い出そうとするが、顔と名前が出てこない。
「ごめん……きみ、誰だっけ?」
「私だよ、私。仲田――仲田恵理子よ」
「なかたえりこ……?」
首をかしげる。すると、自称、仲田さんという人物も俺に釣られて首をかしげる。
「もしかして、思い出せない? 私、麗奈たちとよく一緒にいたし、自分で言うのもなんだけど、クラスでもけっこう存在感あったと思うんだけど?」
「麗奈って織部のことだよね? うーん……」
昔の記憶を探る。
そういえばクラスの女子たちのボス的存在だった織部麗奈といつも一緒にいる取り巻きの連中の中に、そんな名前の女子がいたような気がする。
だけど……詳しくは思い出せない。
まぁ、でも、とりあえず……。
「あー! 仲田さんかぁ! 思い出した、思い出したっ。久しぶりっ」
と、失礼にならないように表面上は思い出した振りをする。
まぁ、話してみれば、そのうちに思い出すだろう。
「久しぶりー。杉崎くん、ずいぶん変わったね」
「そりゃあ、仲田さんも一緒だよ。お互い今年でもう28歳になるんだから」
「あはは。たしかにそうね」
笑った仲田さんの顔は少しだけ小皺が目立つ。
少なくとも身体と容姿は確実に劣化している。
「私たちが最後に会ったのって、小学校の卒業式以来じゃない?」
「たぶん、そうだと思う」
本当は俺もよくわからないのだが。とりあえず、話を合わせておく。
「やっぱり、そうだよね。私は湊台中学校に行ったし、杉崎くんは湊ヶ丘中学校に行ったから」
「じゃあ、俺たち、もう15年以上会ってなかったことになるのに、よく俺のことを一目見ただけでわかったね?」
「なんとなくだけど、わかったわ。杉崎くん、顔に昔の面影が残ってるっていうか……なんていうか、雰囲気が昔のままだったから」
「そう?」
というより、よく俺のことを覚えてたね。
「自分で言うのもなんだけど……俺、昔はけっこう内気で暗い性格だったし、みんなの印象に残るようなタイプじゃないと思うんだけど……覚えてくれてて、ありがとう」
昔は、じゃなくて、今も、だが。
心の中で、自分で言ったことを自ら訂正する。
「あら? 私、一度でも自分と関わった人のことは絶対に忘れないわよ?」
真顔で答える仲田さん。
「本当に?」
「ええ。本当よ」
「記憶力凄いね?」
「まぁねぇ。嘘だけど」
「どっちだよっ」
おもわず少し声を荒げてしまう。
すると、いきなり俺が声を荒げた拍子に、彼女におんぶされたまま眠っていた子供が起きてしまう。
幼稚園児ぐらいだろうか。どこか仲田さんの面影を持つ男の子だ。
「うぅ~……ママ、うるさい~」
「ごめんね、天晴。起こしちゃったわね」
「むぅ~……」
男の子はまだ眠いらしい。寝惚け眼のまま、目をこする。やがて、そのまま、また眠ってしまった。
「この子って、仲田さんの息子?」
「ええ。息子の天晴よ」
「へえー。男の子なんだ」
仲田さんは自身の背中で眠る天晴くんを見て、優しく笑う。その表情は紛れもなく、実の息子を慈しむ母親のそれだった。
一応、社交辞令と思い、「可愛いね」と言うと、「でしょう? 寝てるときの寝顔とか笑ってるときの笑顔とか、天晴って、最高に可愛いのよ」と自信満々のドヤ顔にも似た満面の微笑みを見せてくる仲田さん。
自分の息子のことをかなり溺愛しているようだ。
「天晴くん、今いくつなの?」
「5才。来年の4月から小学生よ」
「おんぶしてて、つらくないの?」
5歳児で、しかも男の子なら、それなりに重いだろうに。
「正直に言って、超つらいわ。まぁ、でも、私、現場仕事してて、それなりに体力はある方だから、大丈夫よ」
「ふーん、そうなんだ」
母親におんぶされたまま眠る天晴くんを見る。ここら辺は駅からそれなりに離れていて、人気や車の気配もまばらで静かであることから、ぐっすりと眠っているようだ。
「もう5才なのに、こんな早い時間に寝るんだね」
「私が仕事柄、朝早くに起きるから、釣られて天晴もすっごく早起きなのよ。だから午後8時頃にはもう目がトロンとしてきてるのよねぇ」
「もしかして、それで仲田さんは店の外にいたの?」
「そういうこと。お店に来て、最初の方はまだまだ元気だったし、みんなに可愛がってもらってたんだけど、今はさすがにもう眠いみたい。だから、私だけ外に出て、完璧に熟睡するまで寝かしつけてたの」
「でも、今、外はかなり寒いし、店の中で寝かせてあげればいいのに」
「そうなのよねぇ」
なぜか仲田さんは俺に同意して困ったように溜息を吐く。
「今もう寒いし、風邪を引かれても困るから本当はあんまり天晴を外に出させておきたくないんだけど……この子、ちょっと神経質すぎて、眠るときにテレビの音とか人の声とか、とにかく周りがうるさいとすぐに不機嫌になって泣きだしちゃうからさぁ」
「大変なんだね」
子供を育てるのって。
「まぁ、でも、そこが可愛いんだけどね」
「かなり溺愛してるね」
おもわず笑ってしまう。
「まぁね。自慢の1人息子だもん。可愛くないわけがないわよ」
仲田さんも笑う。
お互いに自然と頬が緩んでしまう。
「でも、今日はせっかくの同窓会なんだし、旦那さんに面倒を見ててもらえばよかったんじゃないの?」
なにげなく聞いてみる。
すると、仲田さんは今度は困ったように笑う。
「うーん……それは無理かな」
「なんで?」
「だって、私、シングルマザーだし。ていうか、結婚もしてないわよ」
その言葉を聞いて、軽率なことを聞いてしまったことに気が付く。
慌てて、しどろもどろになりながら謝ろうとする。
「ご、ごめんっ」
「いいのよ。気にしないで」
しかし、彼女はあっけらかんとした表情で気にしてない様子。
「私はこの子がいるってだけで、今、すっごく幸せなんだから」
また、自身の背中で眠る天晴くんを慈しむように見つめる仲田さん。
それが本心なのか、強がりなのか、俺にはわからない。
対して、俺は心の内で思ってしまった。
未婚のくせに母親か……ろくでもないな。
貞操観念どうなってんだよ?
と。
俺は自分本位の一方的なイメージと偏見を彼女に抱き、内心、見下してしまう。
「それより、ほら。みんな、もう集まってるよ。早くみんなに顔を見せてあげたら?」
「そうだね。……ていうか、仲田さんは店の中に戻らないの?」
「私はもう少しだけ、外にいるわ。もちろん、もし、同窓会を抜けるときはちゃんとみんなに挨拶してから帰るから」
「わかった。じゃあ、また、あとでね」
「うん。また、あとでね」
お互い、「また、あとでね」という、まったく信用できない挨拶を交わしてから、俺は店の中へと入った。