4話:ファック・マイ・ライフ!④
じいさんの溜飲が下がり、上機嫌のまま店を出て行ったあと、俺はようやく品出し作業を開始することができた。
先程の件のせいで無駄な時間と精神的な労力を消費してしまったので、いつもより早いペースで働いて時間のロスを補う。
ようやく飲料コーナーの商品の補充が終わりかけた頃、店内のどこからか、お客様の声が聞こえた。
ずいぶんと大きな声だな、と思った瞬間、また他の誰かの大声が店内にこだまする。どうやら大声をあげているお客様は複数人いるらしい。
「なんか……嫌な予感がしてくるな」
さっきのじいさんみたいな面倒な客がまた来たのかもしれない。そう考えただけで気が滅入る。
正直、もう面倒事には関わりたくないし……早く買い物を済ませて出て行ってくれないかな……。そんなことを心の中で願いながら、俺はそのお客様たちと遭遇しないことを祈る。
しかし、人生はそう甘くない。
飲料コーナーの品出しが終わり、溜まったダンボールをすべてカートに乗せて、バックヤードに戻ろうとする最中、俺の切なる想いは無残に砕け散った。
「あ! すいませーん! ちょっといいですかー?」
どこか鬱陶しさを感じさせるような甲高くて独特の甘ったるいキンキン声を喋る大学生くらいの女にやたらとドデカい声で話しかけられる。すぐ近くには彼女の連れだと思われる男や女が何人も。
……たぶん、こいつらが先程の大声を上げていたお客様たちなのだろう。
「はい。なんでしょうか?」
「花火ってあります?」
聞かれた瞬間、女の連れが横から茶々を入れてくる。
「今もう12月だぞ。あるわけないじゃん」
「そんなの聞いてみなくちゃわかんないじゃん!」
「そうだよー! もしかしたら、あるかもしれないじゃん!」
「普通に考えてないだろう。常識的に考えてみろよ」
「俺も置いてないと思うぜ? なんなら、もし置いてあったら、俺が花火の購入代全額出すって賭けてもいいぜ」
「言ったわね? あんた、それ、絶対に撤回するんじゃないわよ」
「いいぜ。その代わり置いてなかったら、お前らがなにか奢れよ」
「えーいいわよ! 賭けてやろうじゃないの!」
自分たちから話しかけておきながら、俺など最初からそこにいないような扱いで、実の無い会話を延々と繰り広げるお客様たち。
俺は辟易しながら、お客様たちの顔を眺める。
おそらく、大学生だろう。みんな、顔が若いし、雰囲気も社会人より学生のノリに近い。
おそらく、飲み会のあとにでも店に来たのだろう。全員、声が必要以上に大きくてやかましいし、騒がしい。やたらとテンションが高いところをみると、相当飲んでいるのだろう。かなり酔っぱらっているように見える。
「えっと……花火ならありますよ」
「え、本当ですか!」
「マジでっ!?」
「はい。かなり種類は少ないですけど」
なにせ、今年の夏に仕入れて、冬の今になるまでずっと売れ残ってた余り物ですから。
「置いてるもんなんだなぁ」
「だから、言ったじゃん!」
「今のうちに言っておくけど、花火は割り勘じゃなくて、あんたの奢りだからね?」
「いや、そりゃないだろう! ここは男らしく、公平にジャン負けで決めようぜ? あ、男気な?」
「私は女よ! ていうか、あんたこそ男らしく負けを認めて、潔く金出しなさいよ!」
「おーい、とりあえずさぁ、そういうのは花火を見てから決めようぜ」
「そうだな。とりま、行こうぜ」
「おっけいー。で、どの辺にあるの?」
「店員さん、案内してー!」
「えっと……こちらです……」
なんていうか……全員ウザいし、面倒くさいな。
酔っぱらっているせいか、喋る声が無駄に不必要に大きくてうるさいし、テンション高めのまま、フランクな態度で接してくる辺りが特に。
俺はこいつらの俺への態度に妙な違和感を抱く。
まぁ、なんにせよ、こういう客はさっさと案内を終えて、傍を離れるに限る。そう、内心、結論付けながら、お客様たちを花火が置いてある箇所まで案内する。
「こちらになります」
アウトドアコーナーの一角に陳列されている花火を指差す。
「おー! 本当に置いてあるじゃん!」
「最高かよ」
「ロケット花火あるー?」
「今、どこも置いてないでしょ、あれ」
「じゃあ、ねずみ花火。とりあえず、ねずみは買い占めておくわよね」
「おっけい。……お、あったあった。ぜんぶカゴに入れとくぞ」
「店員さん、ありがとー」
「はい。それでは失礼いたします。ごゆっくりどうぞ」
うそ。さっさと買って、早く店から出て行ってくれ。
自分でも不思議なぐらい、目の前のお客様たちにイラついている。なぜだかは自分でもよくわからない。
でも、とにかく、早くこいつらの前から消えて離れたいと思った。
懇切丁寧に深々とお辞儀して、そのままそそくさと退散しようとする。
しかし、逃げようとした瞬間、またもや声を掛けられてしまう。
「ねぇねぇ、店員さんー、おすすめってどれですかー?」
「おすすめ、ですか……?」
知らねぇよ……そんなの俺に聞かないで自分で考えろ。
「人気の商品とかってあります?」
「えっと……申し訳ありません。私はこのエリアの担当ではないので、そういうことはちょっとわからなくて……」
「えー、そうなのぉ?」
女が露骨に顔をしかめる。彼女の不躾な態度や俺に向ける眼差しが、またもや俺をイラつかせる。
この女、酒臭いから喋らないでくれないかな。
「お店で働いてるんだし、ちゃんと把握しておいてよ。なんのための店員なのよ」
すこぶるウザい、と思った。そんなの知るかよ。
「申し訳ございませんっ」
努めて平生を装いながら、口だけの謝罪の言葉を口にして、真摯に謝るふりをする。
「ていうか、花火の種類少なくない?」
「あ、私もそれ思った。店員さん、もっと他に置いてないの? ここにあるだけでぜんぶ?」
「そうですね。今はもう冬ですので、これしか残ってなくて……」
さっき説明しただろうが。
「本当なのぉ?」
「無いなら仕方ないだろう。冬なのに花火をやろうとしてる俺たちの方がマジキチなんだから」
「まぁ、たしかにね」
そう言って、女は笑った。
「ねぇ、店員さん。悪いんですけど、裏に花火が残ってないか、確認してくれません?」
「え、いや、でも……本当に在庫はここにあるのがすべてでして……」
「もしかしたらあるかもしれないし、一応念のため、確認してください」
「……わかりました」
内心、俺は深く溜息を吐いた。同時に心の底から面倒くさいと思った。
本当にクソウザい客だな。
黙って俺の言うことを信用しろよ、と心の中で愚痴る。
「少々お待ちください」
そう言い残して、俺はわざわざ花火の在庫を確認しにバックヤードに向かう。
お客様から離れて、角を曲がり、お互いの姿が見えなくなる。相変わらず、お客様たちの声はデカくてうるさい。酔っぱらっているせいで、自分の声の大きさを自制することができないのだろう。
「あの店員さん、本気で面倒くさがってたねー」
女の笑い声が聞こえる。
「てか、お前、どんだけ花火やりたいんだよ」
男の笑い声が聞こえる。
「だって、本当は在庫確認するのを面倒くさがってるだけで、もしかしたら、裏にまだ在庫があるかもしれないじゃない。あの人、このエリアの担当じゃないって言ってたのに、花火が残っていないことは把握してたみたいだしさぁ」
「あー、言われてみれば、たしかにそうね」
「でしょ? それにあの店員さん、愛想悪くて、なんか感じ悪かったからさぁ」
また女の笑い声が聞こえる。
「私、クレーム書こうかしら?」
「いいんじゃない? 指摘されないと、あの店員さんも改善しないだろうし」
「そうそう。むしろ、ご指摘していただきありがとうございます、だよ」
男女の笑い声が聞こえた。
「…………」
俺はなにも聞こえていないふりをして、バックヤードに向かう。
一応念のため、花火の在庫が残っていないかを確認する。しかし、やっぱり、在庫は残っていなかった。そのことを注意深く何度も確認してから、俺は先程のクソウザい客たちの元へと戻る。
お客様たちの傍まで行くと、また話し声が聞こえてしまった。
話の内容は、まだ俺についてだった。
無視していい。そう頭ではわかっているのに、おもわず立ち止まり、なんとなく、聞き耳を立ててしまう。
「だーかーらー、今時、こんなところで働いてるような人にそういうことを求めちゃ駄目だって。求めるだけ無駄だから。そういう当たり前のことができないから、こんなところで働いてるんだし」
「まぁ、たしかに今はどこも人手不足なのにねぇ?」
「俺も来年から就活が始まるけど、絶対にこんなとこで働きたくねぇよ」
「私もさすがに小売りはいやだなぁ。本社勤務の総合職とかならまだしも、現地勤めの店舗社員なんて、絶対にいやっ。もし、仮に内定貰えたとしても絶対に辞退すると思う」
「せっかくの新卒枠を使ってこんなとこに入社したんじゃあ、一生、底辺人生だもんな」
棚の向こう側からドッと笑い声が聞こえてくる。そのとき、ようやく俺はこいつらの俺への態度に対する妙な違和感の正体がわかった。
こいつらは俺という存在自体が酷く滑稽で面白くて、笑ってるんだ。
おもわず、歯軋りしてしまう。
奥歯をギュッと強く噛み締める。
なんで、ここまで言われなければいけないんだろう。
顔も名前も知らない赤の他人……それこそ、まだ社会に出て、働いたこともない大学生たちに、ああだこうだと言われるような筋合いはないはずだ。
屈辱にも似た強い怒りを感じずにはいられない。
「ていうか、あの人、社員ですらないじゃん」
「!?」
その言葉が聞こえたとき、咄嗟に、無意識に、胸に留めていた名札に触れてしまう。
書かれている役職と名前を自身の手で隠すようにして。
つまりはそういうこと。
恥ずかしいとか、後ろめたいとか、そういう想いは当の本人である俺が一番よく感じている。
「でもさぁ、結局、ああいう人たちがいるからこそ、世の中って上手く成り立ってるだよね?」
「えー、どういうこと?」
「いや、だってさぁ、こういう誰でもできるような仕事だったり、自分のなんのスキルアップにもならないような単純作業も、世の中に存在する以上、そういう仕事を非正規雇用や安い賃金でやってくれるような人も必要なわけじゃん?」
「あー、あるほどねー」
「たしかに!」
「やっぱりさぁ、ああいう人たちだってさぁ、大切だし、必要なんだよ」
少しだけ遅れてから。
「いや、もうマジで底辺労働者様、様様だよ」
と。また、男女の笑い声が聞こえてくる。
「ふざけんな……」
誰に言うわけでもなく、ドスのきいた声で呟く。
俺は力強い歩きでお客様の元へと近付く。
無性に腹が立った。頭に血が上り、今すぐにこいつらをぶん殴りたいという衝動に駆られる。
だけど……。
「申し訳ございません……たった今、在庫を確認してきたところ、やはり花火は残っていませんでした。そちらに並べられている商品ですべてとなります」
俺は、できるだけ、笑顔で愛想良く振る舞い、お客様に接する。
心を……自分自身を……必死に押し殺しながら、屈辱という怒りに耐える。
こいつらを大声で怒鳴りつけて、ぶん殴りたいと思った。
だけど……もちろん、そう思うだけで、そんなことはしない。
……いや、できない。
そんなことをするような勇気はない。
俺はそんな自分の弱さと情けなさに必死に耐えて我慢しながら、お客様たちに媚びへつらい続けた。