35話:ラビットハウス・オン・ザ・ラブ!③
それから一週間後の月曜日。
朝、学校に行くと、うさぎが死んでいた。
発見したのは俺よりも早く学校に来ていた綾野だった。
きっと早くうさぎに会いたかったのだろう。
俺が来る頃にはすでに当直の先生が駆けつけていて、死んだうさぎを抱き抱えていた綾野は手が付けられないくらいに錯乱し、泣いていた。
学校では朝からその噂で、もちきりだった。
俺のクラスでも、みんなああだこうだと話している。
「絶対、誰かが殺したのよ! 絶対にそう!」
「ねぇ、知ってる? 学校で飼ってたうさぎが死んじゃったんだって」
「死んだんじゃなくて、殺されたらしいぜ?」
「今、それを発見した子に話を聞いてるんだって」
「普通にただの寿命じゃないの?」
「本当だったら事件じゃん」
「誰だよ、そんなひどいことしたやつ」
「最初に発見したの綾野らしいよ」
「……くそっ!」
本当かどうかもわからないような噂話がえんえんと耳に入って来るのがたえられなかった俺は自分の席から立ち上がり、そのまま教室を飛び出す。
どうなってるんだよ……!
飼育していたうさぎが死んだ。
そんなことは、俺の小学生時代に起きていなかった。いくら物覚えの悪い俺でも自信を持って断定できる。ましてや俺は実際に飼育委員をしていたのだ。
記憶の間違えなんてあるはずがない。
どうなってんだよ……!
向かったのは職員室の隣にある面談室。
扉に手をかけたとき――突然、部屋の中から大きな声が聞こえた。
「私はやってません!」
扉の前に立ち尽くす。
中でなにを話しているんだろう。
「お、落ち着け、綾野……」
「先生は私が殺したと思ってるんですか!?」
「違う。そんなこと思ってない。ただ詳しい話を聞きたいだけだ。どうして死んでしまったのかも獣医に診てもらわないとわからないし……」
「じゃあ、どうして“飼育してたときになにをしていたか”なんて、聞くんですか!? それって私のこと疑ってるじゃない!!」
「だから、違うって! いったん、落ち着けよ」
困りきった様子の大人の声と情緒が不安定の様子の女の子の声。
「先生も綾野が犯人だなんて思ってない。信じてる。ただなぁ……たまにいるんだよ。飼育している動物に面白がって、その辺の草や小石なんかを……ひどいときには消しゴムや鉛筆なんかをむりやり食べさせようとするイタズラ好きな生徒が」
「私、そんな、おかしなものは食べさせてません!」
「わかってる! 話は最後まで聞け!」
「!?」
苛立った様子で先生はまくしたてる。
「ただなぁ、学校で飼ってる動物が死ぬってときは大抵はそういうのが原因なんだよ。事実、先生が赴任してた前の学校でも、あったんだ。だから、一応、こうして話を聞いてるってだけだ。第一発見者である綾野の――」
そのとき。
「ちょっとなにしてるのよ」
突然、背後から声がした。
慌てて振り返るとそこには……。
「せ、先生……」
教師に見つかってしまう。しかも、姫川先生にだ。
「そういえば、あなたも飼育委員だったわね。顧問の先生に呼び出されたの?」
「い、いえ、違います……」
俺は弁明しつつ目を逸らす。
「盗み聞きはよくないわよ。今、中で大切な話をしているんだから」
ギロリと睨まれては釘を刺される。
血の気が引いていくのが自分でもよく分かる。
「わかったらはやく教室にもどりなさい。先生もすぐに行くから」
「は、はいっ。わかりました……」
俺はきびすを返し、すぐさま教室へと戻っていった。
・・・・・
教室に戻ると姫川先生もすぐに来てホームルームが始まった。
先生の口から学校で飼育していたうさぎが突然死んだことを正式に伝えられる。
ざわつく生徒たちだったが、先生が教卓を叩くと教室内はすぐに静まり帰り、強制的にホームルームが続行される。
「どうしてうさぎが死んだかについては現在調査中のため、よくわかっていません。今、第一発見者の生徒に話を聞いているところです。ですので根拠のない噂話はつつしんでください」
俺にしたように強い口調で釘を刺す。
「先生はこれから緊急の用事がありますので今日の1時間目は自習とします。プリントを配布しますので各自やっておいてください」
おそらくうさぎの件での対応……具体的には綾野への対応があるのだろう。
「……なにか質問はありますか?」
「あ、はい……えっと、綾野さんは今日はお休みですか?」
とある女子が聞いた。
噂話とお喋りが大好きな軽薄な女子だ。以前、綾野の陰口を言っていた女子でもある。
「綾野さんは事情により席を外しています。まだわからないけど、もしかしたら今日はこのまま早退するかもしれません」
内心、俺は思った。
おそらく綾野は、今日はもうこのまま早退するだろう。
だから、彼女に会うことができないし、話を聞くこともできないだろう。
そして、もうひとつ。
根拠のない噂話のネタとしてはこれだけでも十分だ、と。
ホームルームが終わり、先生がいなくなると瞬く間に本当かどうかもわからないような憶測が教室内に拡散する。
「もしかして綾野さんが犯人?」
「そういえば、他のクラスの友達が言ってたけど、土日なのに飼育小屋に来てる女子がいたんだって」
「ほんとかよ? ていうか、なんでその友達は学校に来てんだよ?」
「野球クラブの練習が週末にあったんだって」
「ちょっとやめてよ。不謹慎よ」
「生き物が死んだのよ。そういう冗談はやめなさいよ」
「でも、ああいう大人しくて暗い子ほど、裏ではなにをしてるのかわかんないって言うよな?」
みんな口々に言いたい放題言っては噂を拡大させていく。
話が盛り上がれば、なんでもいいのだろうか?
俺は聞くにたえず、耳と目をふさいだ。
そのまま、無音・無界の世界で思考を巡らせる。
綾野はもともと飼育委員ではなかった。先日の綾野と織部の喧嘩も本来、起きていなかった。どちらも俺のやり直した人生で初めて起きたイレギュラーな出来事となる。
そして、その起点となる原因をつくったのは俺だ。
俺が綾野にしつこく話しかけたから彼女は教室を出た。
そして、女子トイレであれが起きた。
その結果、彼女は早退してしまい、飼育委員になった。
そして……うさぎが死んだ。
そんな馬鹿な、と思う。
しかし、同時に思った。
俺のせいなのかもしれない、と。
・・・・・
放課後、俺は職員室に呼び出された。
呼び出したのは姫川先生……ではなく、委員会の先生だった。
というよりも俺だけじゃなく、飼育委員の生徒は全員呼び出された。死んだうさぎについて、念のため話を聞いておきたいとのことらしく、職員室隣の面談室にてひとりずつ先生と個別に話をしていく。
「不信な人物を見かけたりしたか?」
「いえ、見てません」
「学校でもらったエサ以外になにか食べさせたか?」
「ないです。学校で回収したにんじんの皮だけです。あげたのは」
「うさぎの世話してると下級生の生徒なんかが見に来ることがあるけど、その子たちはなにも食わせていなかったか? ……たとえば、ゴミとかシャー芯なんか」
「そういうのも、とくにないです。昼休みも放課後も誰も来なかったので、ずっと綾野さんとふたりっきりでした」
「そうか……わかった。もういいぞ。ありがとう」
少しくたびれた様子で会話を打ち切る先生に向かって俺は聞いてみる。
「あの、うさぎの死因って……」
「まだわからない。このあと先生が動物病院に行って、獣医さんに死んだうさぎを診てもらうから、わかるのはその結果しだいだな」
「そうですか……」
「……やっぱり気になるか?」
「ええ、まぁ、はい……」
綾野と違い、俺は特別うさぎに愛着を抱いていたわけじゃないが……世話をしていた動物が突然、死ぬのはやはり目覚めが悪いし、気になってしまう。
「まぁ、そうだよなぁ。お前も世話をしてたもんな。……わかった」
先生はコホンと咳払いをする。
「特別に原因がわかったら教えてやるよ」
「ほんとですか?」
「ああ、約束だ。ただし、他の生徒には秘密だからな。これ以上騒ぎを大きくして生徒たちを動揺させたくないんだ。飼育委員以外の友達に言っちゃだめだぞ?」
「わかりました」
そんなやりとりをして部屋を出る。
廊下に出ると窓の外はすでに夕暮れになっていた。
足早に校舎内を歩き、帰ろうとする。
下駄箱で靴を履き替えていたとき、偶然、とある女の子と遭遇する。
「あれ? 杉崎くん?」
「織部さん……」
織部とばったり出くわしてしまう。
「まだ学校に残ってたんだ? どうしたの?」
「ちょっと飼育委員の先生に呼び出されてね。ほら、例の件で話を聞きたいらしくて……」
「あー、なるほどねぇ」
適当に返される。なんとなく、気に障った。
「織部さんは?」
「私はちょっと調べものがあって図書室に寄ってたんだ」
「ふーん、そうなんだ」
なんとなく、適当に返す。
「新学期早々大変ね、飼育委員は」
「そうかな?」
「そうだよ。だって、自分が世話してた動物が突然死んだんだもん……つらいし、悲しいじゃない」
「……まぁね」
曖昧に頷く。
否定はしない。
しかし……。
「でも、俺なんかより綾野さんの方がつらいかも」
俺なんかよりも彼女の方が心配だ。うさぎのことをかなり可愛がっていたから。
「ショックで今日も早退しちゃったみただし……また泣いちゃってるのかも」
「気になるの?」
「そりゃあね」
「なんで?」
「なんでって……クラスメイトだし、同じ飼育委員だし、それに先日のこともあるし……やっぱり心配だよ、俺は」
「ずいぶんあの子にこだわるのね」
「え……」
織部は不思議そうに首をかしげる。
俺は言葉に詰まり、誤魔化すように話をそらす。
「いや……でも、なんでうさぎ死んじゃったんだろう……もしかして本当に誰かに殺されたのかなぁ……」
「あながち間違ってないかもしれないわよ、それ」
「え?」
「でも、杉崎くんの言うとおりかも。もしかしたら、あの子このまま学校に来なくなるかもね」
「え……」
おもわず呟く。
彼女の言葉が胸に響き渡り、一抹の不安を覚える。
「ぜんぜんクラスにも馴染めてないしね。喧嘩した私が言うのもなんだけど、こう何度も嫌なことが合ったら学校に来たくなくなるんじゃない?」
「学校に来たくなくなる……」
「相変わらず友達もいないみたいだし、学校に来ても居心地が悪くてつらいだけでしょ。それに今回の出来事、しばらくは犯人かもしれないって疑われるだろうし」
「疑われるって……どうして?」
「第一発見者っていう最悪の当事者だからね。今回の件にかぎらず、周りの部外者の人たちにとっては本当に犯人かどうかなんて関係ないの」
「そんな……」
「火のない所に煙を立てようとする人はいくらでもいるわ。そういう人たちにとってはねぇ、陰で噂話ができて、それがおもしろおかしければそれでいいのよ」
彼女の言葉に、ハラワタが煮えくりそうなぐらいイライラしてくる。
「なんとかならないのかよ……」
「無理でしょう。だって、人の口に戸は立てられないもの」
「それじゃあ、いくらなんでも可哀想すぎるだろ……」
「でも、杉崎くん、『止めろ』って言わなかったじゃない」
「!?」
言葉を失う。
「教室でみんなが噂をしてたとき、きみもいたわよね? あれ、注意する人がいれば止んだと思うわよ」
「…………」
「今、うちのクラスに蔓延してる『あの子は無視しよう』っていう空気だってそうよ。誰かが声をあげていれば、ここまでひどくはならなかったわ」
織部の言い方はまるで他人事のようだ。
「私も“そっち側”だから偉そうにとやかく言えないけど、杉崎くんも“こちら側”なんだから、とやかく言う権利はないと思うわよ」
同時に、限りなく同じ目線からぶつけられる正論でもある。
「…………」
俺はなにも言えなかった。
どんなことを口にしても、それはただ言い訳でしかなく、自分自身の矮小さを見せつけるだけのような気がして……なにも言えなくなってしまう。
そんな俺を見透かしてか、織部は聞いてくる。
「杉崎くんさぁ、なんでか知らないけど、ずいぶんあの転校生のこと気にしてるよね……なにかあったの?」
その問いかけに、やはり俺はなにも言うことができなかった。




