30話:ビター&スイート・マイ・ライフ!⑬
――とっさに椅子から立ち上がる。
「!?」
教室にいるみんなが驚いた様子で一斉に私のことを見てくる。
とくに、さっきまでこれ見よがしな態度で私の悪口を話していた女の子たちや遠巻きに私のことをずっと眺めていた男の子たちはひどくビックリした顔をして私を見てくる。
「……ふんっ」
教室を出て行く。
廊下に出て教室の扉を閉めたとき、私の手は自分で抑えることができないくらいに酷く震えていた。
……もうダメっ、限界っ!
自分でもわかるくらい動悸が激しい。
焦りと緊張と強い不安で胸が苦しい。
息が詰まりそうになるのを我慢して、足早に校舎内を歩くと、顔も名前もわからない人たちが私のことを見てくる。
見られてる……!
そう思うだけで、さらに胸が苦しくなる。
見ないでよ……!
そう思うのに、言いたいことが言えない。
ひとりになりたい……!
どこでもいいから、ひとりでいてもおかしくないところに行きたい。
誰からの視線も感じない、ところに逃げたい。
胸の内で、一心にそんなことを願いながら見知らぬ校舎内をさまよい歩いた。
他の教室には入れない。
人がいっぱいいるから。
図書室にも入れない。
鍵が閉まっているから。
保健室へは……行きたくない。
扉に手をかけたとき、今朝言われたことを思い出してしまう。
『――なにかあったら――』
「……っ!」
大きく頭をふって、必死に今朝の記憶を振り払う。
結局、保健室には入れなかった。
さんざん歩き回って、他人からの視線にさんざん逃げ回ったあと、結局、私は自分の教室がある階の女子トイレへと逃げ込んだ。
おそるおそる中を覗いて、中に誰もいないことを確認してから駆け足で一番奥の個室へと入り、鍵を閉める。便座に座り、ようやく心を落ち着かせることができた。
トイレなら、たとえ見知らぬ校舎内であっても見慣れているし……慣れている。
狭いし、暗いし、冷たいし、なんだか嫌な臭いがして不潔だけど……ここにいる限り、私は他人の目を気にしなくていいし、私自身もどこに視線を向ければいいのか悩まなくてもいいから楽だわ……。
それに、ここなら私への悪口も直接は聞こえてこない。聞こえてくるのは教室へと続く廊下と開いている窓の外から聞こえてくるベランダや校庭にいる見知らぬ人たちの元気で騒がしい声だけ。
今、ここには私以外は誰もいないし、私は誰にも見られていない。
ひとりっきりになれたことを実感できて、初めて私は安心して気分を落ち着かせることができた。
張り詰めていた気が緩む。それと同時に――。
「はぁ……なにやってるのよ、私……」
心に余裕ができると今度は自己嫌悪してしまう。
誰かと一緒にいると疲れるし、誰かと話すと疲れる。
いつでもどこでも、なにをしていても、他人の視線を必要以上に意識してしまい、“ちゃんと話さなきゃっ”と必要以上に思うあまり緊張してしまう……。
「どうして、私はこんななの……」
……本当はなんとなくわかってるわ。
たぶん、私は必要以上にプライドが高くて自意識過剰なんだと思う。
だから、私は、他人からの視線にすごく敏感だし、他人からどう見られているのかをすごく気にしてしまうし……陰口や悪口を言われていることに目ざとく、すぐに気付いてしまえる。
相手の言葉をちゃんと聞いて、ちゃんと理解して、ちゃんと返事をして……私はそういった人付き合いが下手で……できないからこそ、こんななんだっていうことくらいわかってる。
だから、私は誰かと一緒にいるのも、誰かと話すのも嫌いなの。
それなのに……私はひとりでいるといろいろと余計なことを考えてしまう。
たぶん、私は必要以上に被害妄想が強いんだと思う。
だから、私は、すぐに不安になるし、自分ひとりで考え込んだり、いろいろなことをいちいち気にしてしまう。
「そういえば、彼にも言われたっけ……」
先日、彼が『私に』会いに家まで来てくれたときに言われたことを思い出す。
『なにかあったら、いつでも俺に言えよ』
『電話でも、メールでも、なんいいから……とにかく絶対にひとりで変に考え込むなよ』
『お前は思い込みが激しいっていうか……ネガティブすぎるんだよ』
『自分で勝手に嫌われたと思ったり……自分で勝手に傷ついたり……自分で勝手に距離をとったり……自分の思い込みだけで相手の気持ちを勝手に決め付けるなよ』
「………」
ポケットから携帯を取り出して、彼にメールを送ろうとする。
必死になって今の自分の気持ちを文章として綴り、出来上がったメールを送信しようとする。送信ボタンを押しかけた瞬間――突然、複数人の女の子たちの声が聞こえてきた。
「あいつさぁ、本当になんなわけぇ?」
「!?」
とっさに携帯をポケットにしまい、そのまま息を潜める。
「いくらなんで態度悪すぎるよねぇ」
「だよね、だよね。私もそう思う」
「…………」
「すました顔して本ばっかり読んでてさぁ。お高くとまってるみたいで超ウザくない?」
「私はあなたたちとは違うのよっていう態度がムカつくよね。たいして可愛くもないくせに」
女の子たちは個室には入らずに洗面台で身なりを整えているだけみたい。
「そんなに私たちと喋りたくないのかな?」
「あの態度を見るかぎりはやっぱりそうなんじゃないの?」
「ほんと、何様のつもりだよっていう感じだわ」
「…………」
私への陰口が耳に張り付いて離れてくれない。
聞きたくなかった。耳をふさぎたかった。
でも……聞かずにはいられない。
気になって仕方がない。
「…………」
また自己嫌悪してしまう。
私の陰口を喋る女の子たちに正面から立ち向かうわけではなく、他の誰かに助けを求めるわけでもなく、ただなにもせずに自分の殻に閉じこもるだけ……なんの解決にもならないのに、ただ逃げているだけの私。
「これじゃあ、前のときとおんなじじゃない……」
無意識に自嘲気味に呟く。そのとき。
「ん? 今、なんか言わなかった?」
「!?」
「なにも言ってないわよ」
「私も言ってない。気のせいじゃない?」
「じゃあなんだったんだろう、今の……」
心臓がドキドキする。
「個室に入ってる子が咳でもしたんじゃない? ほら、あそこ。誰か入ってるみたいだし」
「!!?」
動悸が、いっそう激しくなる。
「あ、ほんとだわぁ。気が付かずに大きな声で喋っちゃってたわぁ」
「大丈夫?」
「ごめんなさい。うるさかった?」
「…………」
無言のまま必死に息を殺す。
「ねぇ、ちょっとぉ!」
「聞こえてないのかな?」
「この距離で? そんなことある?」
「でも、反応ないじゃん」
「どうかしたのかな?」
気にしないで! 声をかけないで! そのまま早く出て行って!
祈るようにして必死に願う。
「……! ね、ねぇ……!」
「……ん?」
「どうしたの――って……!」
「あー、なるほどねぇ……!」
女の子たちの間で奇妙な沈黙が流れる。それを破ったのは――。
「あれ? みんなして、どうしたの?」
「!?」
「!? って……な、なんだぁ、レーナかぁ。脅かさないでよぉ」
「そ、そうだよー! ビックリするじゃないのよ、もうー!」
「あはは、ごめんねー」
誰か違う女の子の声が聞こえる。
どうやら違う子がトイレに入ってきたみたい。
「それで、どうしたの? なにかあった?」
「ううん……べつになんでもないわよぉ」
「そうそう! 3人で話してただけよ」
「今、ちょうど転校生のこと話してたんだけど……てかさ、レーナはあの転校生のことをどう思う?」
「転校生? 綾野さんのこと?」
「そうそう!」
「あいつ、態度悪くてムカつかない?」
「レーナもそう思うでしょ?」
「えーと………………うーん、まぁねぇ……さすがにあの態度はねぇ……」
…………。
歯切れの悪い反応だったけど……たしかにその女の子は同意した。
「やっぱり、そうよねぇ!」
「レーナ、やっぱりわかってるじゃん!」
「それにさぁ、あの子が着ている服もダサいよね」
放っておいてよ。
「あーうん、たしかにねぇ……」
いいじゃない、私がどんな服を着ようと私の勝手でしょう。
「オーダーメイドかなにか知らないけど、服がもったいないつーの」
やめて。
「たいして可愛くないんだしさぁ、もっと鏡で自分の顔見て、自分に似合った服を着てろっての」
私たちのためにつくってもらった服を悪く言わないで。
「似合ってないのにね。なんで気付かないんだろうね?」
わかってるわよ……私には似合ってないことぐらい。
「そうそう! 普通、気付くよね?」
本当は好みじゃないわよ……私だって。
「友達とクラスの子とかさぁ、家族とかもなにも言わないのかなぁ?」
しょうがないじゃない。
「言わないんじゃない? 知らないけど」
姉妹で着れるようにって……妹に似合うかどうかも考えてつくってもらった服なんだから。
私がすぐ近くにいることにも気が付かずに女の子たちは話を続ける。
「ていうかさ、レーナ。戸山とさっきなに話してたの?」
「べつに普通よ、ただの世間話してただけ」
「えー本当に?」
「本当よぉ! なんで嘘付く必要があるのよ……?」
「だって、レーナ、戸山のこと好きでしょう?」
「は、はぁ! なんでそうなるのよっ!」
さっきまでとは違って明らかに動揺している浮ついた声。
「もしかしてバレてないと思ってたの? 傍から見たらバレバレだよ」
「そうそう! 気付いてないのは戸山本人だけだよ」
「あいつ、本当に鈍感だよね……まぁ、気づかないふりしてるだけの可能性も微レ存だけど」
「レーナ。ことあるごとに戸山に話しかけに言ってるじゃん。さっきもえっと…………そう! 思い出した! 杉崎と話してたのに、そこに自分から話しかけに行ってたしさぁ」
ああ……あの子たちのことね。
お昼休み中、ずっと私のことを遠巻きに眺めていた男の子のことを思い出す。
「ていうかさぁ、うちのクラスって、ほんっとうにろくな男子いないよねぇ?」
「せっかくの最後のクラス替えだったのに最悪ー」
「うちのクラスで精神年齢が高い男子って、戸山ぐらいじゃない?」
「まぁねぇ……あとは全員子供っていうか、ガキみたいだししねぇ……竹尾とかとくに」
「あいつは論外」
「竹尾だけはマジでないわぁ」
「そうそう!」
女の子たちの笑い声が響く。
……本当、関心するわ。
ここにいない人のことを言いたい放題言い合って笑うのはどこも一緒なのね。
「やっぱりレーナは気が合うわね。同じクラスになれてよかった」
「これから楽しくなりそうだよ」
「ていうか、レーナも私たちのグループに入ればいいのに」
「レーナなら、私もマジ大歓迎するよ」
「あはは、ありがとう。でも、私、モエやニーナがいる今のグループもけっこー気に入ってるからさぁ……」
波風を立てないようにしているような声色。
「ていうかさぁ。レーナ、なんであのふたりといつも一緒にいるの? しょーじき、レーナとは釣り合わないでしょう、あのふたりは」
「うーん、なんていうのかなぁ? あのふたりとは長い付き合いだし……まぁ、腐れ縁っていうやつよ」
「まぁ、レーナ自身がいいっていうなら、かまわないけど……」
「私らマジでレーナのこと気にしてるからいうけどさぁ、友達は選びなさいよ」
「そうそう。へんに自分より下の友達と一緒にいても自分のレベルが下がるだけだよ」
「あはは……気にしてくれてありがとうね。うん、ちょっと本気で考えてみるわ」
「友達……」
友達……お友達。
私にだって友達はいた。お友達はたくさんいた。
『愛花ちゃん一緒にお弁当食べよ!』
『愛花ちゃん一緒に遊びましょう!』
『愛花ちゃんと一緒にいるの楽しいよ!』
『また同じクラスになれるといいね!』
『クラスが違っても、また遊ぼうね!』
『私たち、ずっとお友達でいようね!』
ずっと、友達だと思っていた。
だけど……。
『ねぇ、愛花ちゃんは誘わなくていいの?』
『また先生に怒られちゃうよ。“愛花ちゃんと仲良くしてあげなさい”って』
『私、親からも言われてるんだよ。“愛花ちゃんと仲良くしなさい”って』
『今はもうクラスが違うんだから、愛花ちゃんに言わなきゃ大丈夫だよ』
『それに……たまには本当の友達だけで遊びたいし』
『…………』
あのときも、私はなんにもできなかった。
ううん……なんにもしなかった。
トイレにこもって、自分の殻にこもるだけ。
今とまったく同じ。
その子たちは私の家に来てくれなかった。
私が遊び来てよと誘っても。
私が学校に行かなくなっても。
来てくれたのは彼と……先生たちくらい。
『先生に任しておけ。みんなには先生からしっかりと言っておくからな』
『仲間外れはよくないぞ。みんなで仲良くしなさい』
『みんな待ってるんだぞ……頼むから、ちゃんと学校に来てくれ』
お友達も……先生も……みんな私に優しかった。
みんなして、私のことを特別扱いしてくれた。
私は……それが一番嫌だった。
もう学校になんか行きたくない。特別扱いなんかされたくない。
だから、パパに泣いてお願いした。
だから、この学校に転校してきた。
それなのに……。
また、今朝言われた言葉を思い出してしまう。
『車じゃなくて電車で学校に通いたい?』
『なに言ってるんだ。ダメに決まってるだろう』
『とにかくダメだ、ダメ。お前には絶対に無理だ』
『遠くて大変だし、なにより危なくて危険だ。送り迎えする車を用意させるから、いいからそれに乗って登下校しなさい』
やめて……やめてよっ……。
車じゃなくていい。危なくても、大変でもいいから電車がいい。みんなと一緒がいい。
途中まででもいいから……みんなと一緒にお話ししながら、誰かと一緒に帰ってみたい。
『なにかあったら、いつでも連絡するのよ』
『ムリしちゃダメよ。つらかったり、体調が悪くなったりしたら、早退してもいいのよ』
『すぐに迎えの車を行かせるからね』
やめて……やめてよっ……。
必死に息を殺しながら、絞り出すようにして呟く。
「ねぇ、パパ……おかあさん……」
ねぇ、パパ……なんで『私には』絶対に無理なの?
電車で通勤している子だっていっぱいいるよ?
ちゃんと言ってよ。ちゃんと話してよ。ちゃんと私の話を聞いてよ。
ねぇ、おかあさん……なんで『私には』そんなに優しいの?
私、わがままを言って転校したんだよ? みんなに迷惑かけたんだよ? なのに……どうして、なにも言わないの?
ちゃんと叱ってよ。ちゃんと怒ってよ。ちゃんと私のことを見てよ。
転校させて、わがままを聞いて、言う通りにして……それで、おしまいになんかしないで。
いやだ……いやだよ……私だけ、特別なんていや……。
普通がいいよ……ちゃんと学校に行って、みんなと普通に友達になって……。
そう思っていたのに……。
「じゃあ、私たち先に教室に戻るね」
「バイバイ、レーナ。またあとでね」
「あ、うん」
「また、語ろうね」
「うん。バイバイ」
女の子たちが遠ざかる足音。
そして、長い沈黙の後に響き渡る深い溜め息。
「はぁ~……やっと行なくなった……疲れた……」
そのまま隣の個室に入り――鍵が閉まる音。
「…………」
私は無言のまま、もう一度携帯を取り出す。
私は一縷の思いを込めたメールを送信しようとして――――――




