22話:ビター&スイート・マイ・ライフ!⑤
残り3話です。
「はぁ……」
家に帰るまでの道すがら、もはや本日何回目になるかもわからない溜息を吐く。
「どうなってるんだよ……」
わけがわからない。
自分が小学生だった頃の姿で目を覚まし、そこから、あれよあれよと怒涛の勢いで押し寄せてきた唐突な出来事と衝撃の数々に翻弄されて、ただ右往左往するばかりだ。
正直……今でもこれは夢なんじゃないかと考えてしまう。
俺はべつに現実主義者じゃないし……むしろ、なにかにつけて現実から目を背けては都合の良い妄想に耽る負け犬の敗北主義者だけど……どうしても信じることができない。
だけど……。
「……痛いっ」
自分の頬をつねってみれば、たしかな痛みを感じる。
……現実を直視せざるをえない。
これは夢じゃなくて、現実だ。
俺は今――過去に戻っている。
時間が巻き戻り、子供の頃に戻っている。
人生をやり直している。
まさに奇跡だ。俺にとって、非常に都合が良い奇跡。
だけど……。
「どうして……俺、小学生の頃に戻っているんだ……?」
たしかに、いつも願っていた。
それこそ、大人になり、働くようになってからはずっと。
あのとき……綾野を初めて抱きしめたときも願った。
人生をやり直したい、と。
あのときの凄烈なる想いを思い出したとき――気が付く。
指輪をくれた際、仲田さんは言っていた。
『いいから、いいから。受け取っておいて。とっておきの御利益があるわよ』
『もしも、きみが本気でそれを願うなら――その指輪が助けてくれるわ』
その言葉を聞いたときは特に意味などないと思っていた。
だって、指輪なんて要らなかったし……もっと単純に、彼女自身に興味がなかったから。
どうでもいいことだと思い、気にしなかった。
だから、今の今まで気が付かなかった。
慌てて、ポケットに手を突っ込み、指輪を取り出してはマジマジと見つめる。
ゴクリの唾を飲む。
これだ……!
この指輪が、俺を子供の頃にタイムスリップさせたんだ!
つまり……この指輪は時間を巻き戻すためのタイムマシン。
指輪を眺めながら……俺は根本的な疑問を抱く。
「仲田さんは、なんで俺にこの指輪をくれたんだ……?」
なんで、俺だったんだ?
なんで、俺が選ばれた?
……わからない。
どれだけ考えてみても、わからない。
わかりたいと思っても、わからない。
……わかるわけがない。
だって、俺は仲田恵理子じゃないから。
仲田恵理子の心情なんて、俺にはわからない。
仲田恵理子の心意なんて、彼女本人にしかわからない。
だからこそ……仲田さんに会いたいと俺は今でも強く思っている。
彼女に会いたい、話したい。
彼女が胸に隠している訳と秘密をすべて聞きたい。
それなのに……。
「本当にどこにいったんだよ、仲田さん……」
仲田さんはいなかった。
どの教室ににも、どのクラスにも、どこにも、彼女はいなかった。
もう一度、大きな溜息を吐く。
まさに狐につままれたような心境だ。
あのあと、桜木と一緒に仲田さんのことを探してみたが、どこにもいなかった。
桜木に頼んで、自分たちのクラスや他のクラスの同級生たちに仲田恵理子という同学年の女子生徒のことを知っているか聞いてもらったが、誰も知らなかった。
そう……誰も彼女のことを覚えていなかったのだ。
まるで仲田恵理子という人間が最初からこの世界に存在していなかったかのように彼女の存在はきれいさっぱりと抹消されていた。
気味が悪いぐらい、彼女の痕跡はなにも残っていなかった。
「どうすればいいんだよ……」
自分のことなのに……どうすればいいのかわからないし、自分の頭で考えて決めることができず、途方に暮れてしまう。
まさに前途多難な状況だった。
いったい、俺はどうすればいいんだ?
いったい、なにを信じればいいんだ?
いったい、誰を頼り……縋ればいいんだ?
俺はどうすればいいのかもわからぬまま、重い足取りで自分の家へと帰るのだった。
……もちろん、たった一人で。
桜木からの一緒に帰ろうという誘いは断った。
誰かと一緒にいたい気分じゃなかったし……子供相手になにを話せばいいのか、どう接すればいいのかわからず、お互いに気まずい気持ちになるだけだと思ったから。
・・・・・
懐かしの我が家に辿り着く。
「……ただいまー」
返事はない。
「誰もいないのか……?」
靴を脱ぎ捨てて、リビングへと向かうが……やはり誰もいなかった。
「……考えてみれば、当たり前か」
リビングに俺の独り言が響く。
俺の家――杉崎家は両親二人と子供が四人の計六人家族だ。
子供は上から順に長男、長女、次男、次女の四兄妹。俺は次男だから、第三子……まぁ、いわゆる真ん中っ子だ。
片親や兄弟のいない一人っ子の家庭が多い今時では珍しい、それなりに子だくさんな大家族といえるだろう。
うちは両親共に共働きだったから、昼間は父さんも母さんも家にいないのが当然だった。今、二人は仕事中のはずだ。
上の兄姉……俺よりも二歳年上の兄貴と一歳年上の姉ちゃんは、この頃はもう中学生だ。
兄貴は新学期早々から部活か、塾か、もしくは学校からの帰りに、そのまま友達と遊びに行ったのだろう。
姉ちゃんは買い物だと思う。
学校からの帰りに近所のスーパーに寄って、買い物をしてから家に帰るのが姉ちゃんの日課だったはずだ。
下の妹……俺よりも一歳年下の妹は遊びにでも出かけたのだろう。
その証拠に、玄関の扉には鍵がかかっていなかったし、玄関の床には赤いランドセルが置いてあった。
「まったく……鍵ぐらいしめてから行けよ」
また、俺の独り言がリビングに響く。
俺以外、誰もいない家の中は閑散としており、とても静かだった。
なんとなく、そのまま自分の部屋へ行く。
「うっわぁ、懐かしいなぁ……」
部屋に入ると、まず真っ先に二段ベッドに目が行く。
下段が兄貴で上段が俺。子供の頃、兄貴と一緒の部屋だった頃に使っていたベッドだ。
中学生にもなって、弟と一緒の部屋であることが嫌だったのだろう。
せめてものプライベート空間を確保するためか、兄貴が使うベッドの下段部分はカーテンがかけられており、中が見えないようにすっぽりと覆われている。
かつての自分の部屋を見回す。
部屋にはいろんなものが置いてある。
テレビに繋げられたままのゲーム、本棚に並べられたマンガ、子供の頃に集めていたオモチャ……どれも大人になってからは一度も触れていないし、今でもまだ実家に残されているのかすらわからない。
それでも……これらは全部、俺の子供時代を彩る大切な思い出の品々だ。
つい懐かしくて、感慨に耽てしまう。
俺は無邪気な子供のように笑い、それらを手にする。
我ながら、見た目だけではなく、精神までもが子供の頃に退行してしまったかのような幼稚な行動をしているという自覚はある。
それでも俺は楽しかった頃を思い出しては過ぎ去りし時の残滓に手を伸ばす。
俺は心底、思った。
「……この頃は楽しかったな」
と。
毎日が楽しくて、仕方がなかった。
大好きだったゲームソフトを手に取る。
毎日、学校から帰ってきては勉強もせずに狂ったかのようにゲームに熱中していた。そのことで、よく母さんに叱られたのを覚えている。
この頃は寝食を忘れて、なにも考えずに好きなことに心から夢中になることができた。
大好きだったマンガ本を手に取る。
友情とか、努力とか、勝利とか……子供の頃はそういった綺麗事を素直に受け入れて、純粋に信じていた。不幸な境遇であるにも関わらず、誰よりも一生懸命に努力している主人公に憧れたし……よく勇気を貰い、励まされたものだ。凡人でも、落ちこぼれでも、諦めないで必死に努力すれば、みんな認めてくれるし、血筋や才能にも……天才にも勝てると信じていたのを覚えている。
この頃は自分の人生に希望を持って、ひたむきに努力しようと思うことができた。
俺はなにか特別な才能を持った天才であると根拠もなく信じていたし……せめて、『やればできる』『努力をすれば、必ず報われる』『当たり前のことが当たり前にできる』そんな普通の凡人であると信じていた。
「それが今じゃあ、こんなだもんな……」
おもわず、自嘲してしまう。
今の俺を子供の頃の俺が見たら、どう思うのだろうか?
失望して、怒る?
軽蔑して、罵る?
絶望して、泣く?
絶対にあんな風にはならないと奮起するだろうか?
ろくでもない未来を変えようと努力するだろうか?
……そんなの決まってる。
だから、俺はいつまでもこんななんだ。
大人になってからの自分の人生が楽しいのか、楽しくないのかと聞かれたら……ちっとも楽しくなんかない。
大好きだったテレビゲームに夢中になれない。
いい歳した大人が……なんていう周囲からの評価、世間体、他人の視線や反応など、自分が他人からどう思われているのかを酷く気にするようになり、素直に自分が好きな物事を楽しむことができなくなった。
なにをしていても仕事のことが頭によぎり、心の底から夢中になることができない。仕事で忙しくて、疲れていて、楽しむための余裕も時間もないという言い訳をするようになった。
だから、大人になってからの俺は、酒を飲んで酔っ払うか、インターネットで漁った二次元のエロ画像をオカズにして、自分の手で自分を慰めることぐらいしか夢中になれない。
まるで覚えたてのサルだな……。
自分でも情けないと思う。
それでも、俺にはもうこれぐらいしか楽しめるものが、続けられるものがなかった。
新しいなにかに手を出すのは面倒くさくて……やる気も出ないから。
だから、俺が夢中になれる趣味はこれだけだ。
だから、俺のオカズはいつも二次元だ。
三次元のエロ動画を視ていると、動画に映っている男女は本当にやっているし、そのための相手がいるのに、自分にはそのための相手がいなくて、他人の営みを画面越しに視ながら自分を慰めることしかできないという事実を見せつけられる。
……それが本当に情けなくて、虚しかった。
大好きだったマンガ本を楽しむことができなくなった。
努力ができる時点で天才じゃないか……そんな捻くれた考え方をするようになり、綺麗事を耳障りの良い子供騙しでしかないと思うようになった。
なにもしないでいる自分を正当化するための言い訳ばかりして、努力することを諦めるようになった。
大人になり、ようやく気が付いた。
俺は天才じゃなければ、ましてや凡人なんかじゃない。
他人よりも要領が悪く、あらゆることで遥かに劣る落ちこぼれだ。
俺は大好きなマンガの主人公とは違う。
どんなに頑張ってもなにもできないし、いくら努力しても報われない無能だ。
俺はそういう運命なんだ。
だから努力しないんだ。
努力しないんじゃなくて、努力できないんだ。
少し考えれば、すぐにわかることだ。
本当になにもない人間が物語の主人公になれるわけがない。
そんな主人公……普通の凡人たちに受けるわけがない。
物語はいつだって……ロマンチックでドラマチックな方が大衆受けする。
物語の主人公はいつだって……最後には必ず、努力が報われて、幸せになれる。
不幸な境遇なのは最初だけで、物語が進めば……実は主人公にはとんでもない才能や血筋があったことが判明してしまう。
結局、読者に感情情移入させるための設定でしかないんだ。
凡人や落ちこぼれでも、努力すれば、きっと天才にも勝てる……そう子供たちに残酷な希望を持たせておきながら――結局、才能や血筋に帰結する。
でも……それも仕方がないことだ。
だって、本当になんにもない人間が主人公では、物語が進まないし……ドラマチックにならない。
それを俺は正しく理解しているからこそ、俺の人生は楽しくないんだ。
俺はただ生きている。
ただ働いている。生きる為だけに働いている。
ただ生きている。働く為だけに生きている。
やりがいも生きがいもなく、ただ働いて生きるだけの人生。
そういう生き方しか残っていないんだ。
そのくせ、人生を変えようと努力しないくせに、一丁前に自分の現状や将来に不安を抱いてしまう。なにもしないくせに、なにも考えず、ただ享楽的に“今”を楽しむという生き方ができない。
そういう生き方を選ぶ勇気すらないんだ。
だからこそ、俺は心の底から仲田さんのことを尊敬している。
子供を自分の都合だけで産んだのだから。
後先考えず、責任感も持たずに生きるバカは幸せだし……本当に強い。
皮肉でなれば、嫌味でもなく、本気でそう思うし……本当に羨ましくて、仕方がない。
勇気がない俺にはできないことだから。
だから、俺の人生には希望なんてものはないし、楽しくない。
本当になんにもないのだ。なーんにも。
自分の人生なのに、どうにかしようとする気概すら湧かないのだから、俺はもう終わってる。
つくづく痛感する。
俺はのっぴきならない状況にまで追い詰められないと努力できない性分なのだということを。
“普通”でいることの難しさと自分の無能さを。
いや……俺と同じような境遇の人々はこの世界にたくさんいるはずだ。
もしかしたら、俺も“普通”なのかもしれない。
名前もわからないけど、べつに仲良くしたいとも思わないけど、同じ境遇の“仲間”は世界中にたくさんいるはずだ。
そう思うと、少しだけ気が紛れる。自分だけじゃないという事実に救われる。
子供の頃に買ってもらった本来の用途としてはまったく使っていなかった勉強机の椅子に腰掛ける。
机も椅子も、ちょうどいい高さだ。
――ふと、部屋の隅に立て掛けてある姿見に目が行く。
兄貴が中学生になって異性やファッションに興味を持つようになり、身嗜みに気を遣うようになってから、自分でホームセンターから買ってきたものだ。
同じ部屋の住民である俺は使っていなかった。なんなら中学も、高校も、髪の寝癖も直さずに毎日学校に行っていた。
鏡に映る今の自分。
それは紛れもなく、子供の頃の自分だった。
幼くて、あどけない。
社会を知らず、現実を知らず、まだ単純で純粋だった頃の自分。
まだ、ひねくれていなかった頃の自分。
……どこからどう見ても、見た目は子供だ。
だけど……中身は子供ではない。
立派な大人ではないし、子供の頃から大して成長していないかもしれないが……それでも中身は大人だ。
社会の厳しさ、現実の理不尽さを知っている。
働くことの大変さ、大人としてのつらさを知っている。
楽しくない人生を終わらせられず、それでも生きていくしかないことの苦しみを知っている。
そして……。
『どうして、できないの?』
『どうして、誰でもできることができないの?』
『どうして、普通にできないの?』
普通って、なに?
『努力してないだけじゃないの?』
『言い訳してるだけじゃないの?』
俺のなにがわかるの?
『――――なんかじゃないよ』
『――――じゃないし、ぜんぜんそんな風には見えないよ』
『お前は普通だよ』
どうして、わかってくれないの?
どんなに自分なりに頑張り、努力しても、一向に報われないことの苦しみともどかしさを知っている。
それを他人にはわかってもらえない苦しみと悲しみを知っている。
それが死ぬまで続いていく、自分の人生の―――――生きづらさを知っている。
そしてなにより……。
『綾野が幸せになるのはこれからだっ!!』
『いや……俺が絶対に幸せにしてやるっ!!!』
『どうして、あのとき、私を見てくれなかったのっ!?』
『どうして、まだ、やり直しができるときに私のことを見てくれなかったのっ!?』
『……嘘じゃねぇかっ!』
『人生はいつだってやり直しがきくなんて……そんなの嘘じゃないかっ!!』
大人になってからの後悔を知っている。
「…………」
俺は思った。
これはチャンスだ。
今の俺は例えるなら、強くてニューゲームの状態だ。
または記憶を持ち越し、新しい人生に転生した状態。
これを奇跡と呼ばず、なんという?
これをチートと呼ばず、なんという?
「やり直せるかもしれない……!」
自分の未来を、自分自身を、変えることができるかもしれない。
凡人ですらない無能の俺はみんなと同じ土俵で勝負しても勝てないかもしれないけど……他人よりも十歩も百歩も先を知っているという大きなハンデがあるなら、勝てるかもしれない。
今度こそ、努力できるかもしれない……!
そして――
「今度こそ、綾野を守ってあげられるかもしれない……!」
ギュッと拳を握り締める。手にしていた漫画本にシワが寄る。
だけど、そんなものは気にもならない。
俺の中で、なにかが弾けた。
胸の高鳴りが止まらないし、心臓の鼓動が激しくなり、興奮しているのがわかる。
俺の中で決意のようなものが芽生える。
都合の良い奇跡――チートだけど、これは紛れもなく俺の奇跡だ。
俺だけの奇跡だ。
俺だけのチートだ。
それをどう利用するかは――すべて、俺次第だ。
なにもかも、俺の自由だし、自己責任だ。
……なんで俺なのかはわからない。
どうせ考えたってわかりはしない。
だから、俺は考えるのをやめた。
今こそ、なにも考えず、“今”を全力で生きるべきだ。
ただ、未来に向かって、無様に、愚直に、足掻けばいい。
一度目の人生ではだめでも、二度目の人生なら……!
「今度こそ、やってやる……!」
俺も、綾野も、必ず……!
「絶対に、幸せになってやるっ!」
誰もいない部屋の中で、俺は一人、胸に固く誓った。




