16話:ファック・マイ・ライフ!⑯
店の前まで戻り、入口を眺める。
荒れた呼吸を整えながら、必死にない頭を捻ってはもう一度、綾野に会うための手段を考えてみる。
おそらく、俺はもう店の中に入ることはできないだろう。
もし仮に入ることができて綾野を指名したとしても、綾野は俺のことを拒絶するだろうし、店が彼女の意思を考慮して俺を追い出すことも十分に考えられる。
だから、もう一度、綾野と会うには彼女が店の外に出るのを待つしかない。
そのときを狙えば……。
そんな自分の考えが本当にストーカーのようであることは理解しているし、心底、見苦しく、往生際の悪い行動だということも理解している。
……だけど、今は形振りかまっていられない。
「お疲れ様でーす」
「お先に失礼しますー」
そのとき、店の中……いや、店の裏側の方から複数の女の子たちの声が聞こえた。
「しまった……店の人たちは裏口から出入りしているのかっ」
当たり前の事実に気が付き、慌てて、店の裏口へと回り込む。
店の裏側には駐車場があり、ミニバンが1台だけ停まっている。そこに裏口から出てきた何人かの女の子たちが車に乗り込もうとしていた。おそらく、出勤を終えた女の子たちの送迎だろう。
車内に座る女の子たちのことをマジマジと見つめる。
車の中に綾野の姿はない。
まだ店にいるのだろうか。
そのとき、俺の存在に運転手が気付き、降りてくる。
その運転手のことを俺は知っていた。
「お客様、こんなところまで来られては困ります」
「!?」
俺の接客をしていた黒服だった。
言葉遣いはあのときと同じく丁寧だけど、声色はまるで違う。
「こちらは店の従業員専用の出入り口です。お客様が来店されるための店の入り口は反対側にございますので、どうぞ、そちらからお入りください」
「あ、あの……」
「女の子たちも怖がっていますので、どうぞ早くお立ち去り下さい」
有無を言わさぬ口調で一方的且つ世継ぎ早に告げられる。
車内から女の子たちが俺と黒服のことを見てくる。
どう見たって、俺には女の子たちが怖がっているようには見えない。身の安全を保障された安全地帯である観客席から傍観しているようにしか見えない。
「あ、あの……」
「はい?」
まだ乱れている呼吸を繰り返しながら、俺は黒服に話しかけようとする。
「あ、綾野はっ?」
「はっ?」
「あ、いえ……間違えましたっ……マナカちゃんはまだ店に残っているんでしょうか?」
「…………」
店内はまだ明かりがついている。まだ夜中にもなっていないので店は営業中だ。彼女がまだ出勤中の可能性は十分にある。
間の抜けた表情をしていた黒服の顔が強張り、しかめた表情に変わる。
そして、
「おいっ、聞こえなかったのかっ?」
「!?」
俺の胸ぐらを掴んできた。
「とっとと失せろ。それとも痛い思いをしなきゃわからねぇのか? あぁ?」
「い、いや、あの……いえ、わかってますっ、すいませんっ」
「なら、早く失せろ。目障りだし、仕事の邪魔だ」
「す、すいませんっ、迷惑をおかけして……ただ、あの……彼女のことだけ教えてくれませんか……?」
黒服の高圧的で威圧的な声と、俺のしどろもどろとした弱々しい声が交差する。
そのとき、車の後部座席の窓が開いた。
「あの人なら今日は送迎車には乗らずに徒歩で帰ったわよ」
車に乗っていたとある女の子が俺に話しかけてきてくれる。
「なに窓を開けているんですか? 危ないですよ?」
「ごめんなさーい。でも、大丈夫よ」
「そんなのわかんないじゃないですか? 自分のことを付け狙うストーカーだったらどうするんですか? なにかあったときは俺の責任になるんですからね?」
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。この人ならねぇ。だって、そーいうことができるようなタイプにも見えないし」
自分を諫める黒服をなだめつつ、その女の子は俺に嘲笑の眼差しを向ける。
「あの人、いつもは車で家まで送ってもらってるんだけど、今日は乗ってないわよ」
「そ、そうなんですかっ……?」
「ええ。なんか用事でもあったんじゃない?」
「あの……彼女がどこに行ったか、知りませんか……?」
「それはさすがに知らないわねー。私、べつにあの人と仲がいいわけじゃないしさぁ」
そう言ってから「そもそも、あの人とほとんど話さないし」と付け加えてくる。
「そうですか……」
気落ちする俺をよそに、その女の子の隣に座る他の女の子が口を開いた。
「たぶん、あれじゃない? あの子と会ってるんじゃない?」
「あ、それかもぉ。そっかぁ、それなら納得だわぁ」
2人は俺を無視して話し込む。
「あの人、本当に性格悪いよねぇ。いったい、あの子から、いくら搾り取れば気が済むのかしら?」
「ヤバいよね? いくら金を盗まれたからって、それを本人が死んでからは、その妹を脅して、払わせ続けているんだもん。悪魔よね」
「悪魔っていうか、鬼? それとも鬼畜?」
「ぜんぶじゃない? 妹のその子にとっては?」
その言葉が笑いのツボだったらしく、2人して互いに笑い合う。
「あの人、絶対良い死に方しないわよ」
「あはは、言えてる! いつか誰かの恨みでも買って、殺されちゃうんじゃない?」
「でも、そうなったら面白いよね!」
「そうそう! 私、気の毒だとは思うけど、あまりにも自業自得過ぎて、絶対に笑っちゃう自信がある!」
俺をよそに、夢中で話し込む女の子たち。
俺は苛立ちを感じた。
そんなどうでもいいことより、綾野の居場所について教えてくれよ。
「あ、あの……」
「え? あー……まだ、いたのね。なに?」
「それで、彼女は今どこに……?」
「ああ、その話だったわね。えーと……ここからちょっと歩いたところ、駅からけっこう離れたところに公園があるんだけど、そこに行ってみれば? いつもそこで会ってるみたいだし、もしかしたら、そこにいるかもしれないわよ」
「公園……それって、どこに……」
公園の名前と場所を聞こうとしたとき、
「おいっ! てめぇ、いい加減にしろよっ!」
黒服が俺の胸ぐらを再び掴んでは詰め寄る。
いつまでも自身の命令に従わずに居座る俺に業を煮やしたのか、黒服が凄む。
「失せろって言ってんだろっ! ぶっ殺されてぇのかっ!」
「は、はいっ! ……じゃなくて、いえっ! すいませんっ! すぐに行きますからっ!」
慌てて、低姿勢のまま必死に謝る。
俺の懇願を聞いて、黒服はようやく俺を掴んでいた腕を離してくれる。
そして――
「――おらっ!」
「!?」
俺の顔を殴った。
あまりの痛さと予想外の衝撃に足が立ち眩み、そのまま地面に倒れ込んでしまう。自分の身になにが起きたか理解できず、地面にキスをしたまま、うめき声を上げる。
「ふんっ……」
対して、黒服は軽く鼻をすする。
「じゃーねー。お兄さんも気を付けて帰ってねー」
「今度は私を指名してくださいね。そしたら、いっぱいサービスしますから」
女の子たちの軽口が聞こえる。
そして、そのまま、車が動くエンジンの音が聞こえて――音は遠くへと離れていった。
「痛ってぇ……!」
俺は鈍い痛みに悶絶しながら、なんとか立ち上がり、そのまま地面に尻を付く。
だけど、すぐに女の子の言っていた言葉を思い出して、スマホをポケットから取り出す。
「うっわ……マジかよっ、最悪……」
不幸にもスマホの液晶にはヒビが入っていた。
だけど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
スマホで周辺の公園を検索して探してみる。
「……あった! ここから歩いて10分もしないところに小さな公園がある!」
駅からそれなりに離れているので、人気もそれなりに少なそうな公園だ。
「急がなきゃっ!」
痛みでまだふらつく足を必死に動かしながら、俺はまた走り出した。
・・・・・
スマホのナビを片手に冬の夜を走り抜ける。
冬の凍てつく寒さを全身で体感しながら、息も絶え絶えのままに公園へと向かう。冬だというのに、身体が外気に触れる表面の肌は寒いのに、身体の中は熱く、じっとりとした汗が絶え間なく噴き出す。
全身が汗まみれで、気持ち悪い。
服が汗を吸収して生温かな湿りを帯びていて、気持ち悪い。
だけど、それでも、俺は一心不乱に走り続けた。
やがて、公園へと辿り着く。
「ここだっ……! はぁはぁ……ようやく、見つけたっ……!」
はやる気持ちと衝動を抑えて、公園内に足を踏み入れようとする。
そこにはいた。
ずっと探していた綾野と、俺の知らないべつの女の子が。
辺りの暗い、冬の夜で本当によかったと思う。
俺は近くの木陰に隠れながら、2人の様子を遠巻きに見つめる。
女の子の年齢は20代前半ぐらいだろうか。遠巻きに見ても、顔には、まだあどけなさや幼さが残り、俺や綾野よりも年下だということがわかる。
見るからに鈍臭そうで幸の薄い、一見すると人のよさそうな素朴で純朴な顔をしているのに……なんていうか、酷く陰気で可愛げのない顔をしている。
いったい……なにをしているんだろう……。
ここからでは距離が遠すぎて、なにを話しているのかはわからないが……2人はなにかを言い争っているみたいだ。
だけど、その反応は非情に対照的だ。
女の子の方は酷く感情的に綾野になにかを訴えているのに対して、綾野の方は静かにつまらなそうに女の子の訴えをあしらっている。
なんとなく、俺は2人の前に出る頃合が掴めず、そのまま2人のやりとりを覗き続けてる。
すると、突然――
――女の子は財布を取り出して――
――綾野に数枚の紙幣を手渡す。
「!?」
俺は言葉を失った。
だけど、綾野は至極同然といった様子で受け取り、何食わぬ顔で紙幣の枚数を数えている。
また、なにかを話しているみたいだ。
だけど、なにを話しているかはわからない。
俺はただ茫然と2人のやりとりを見つめることしかできなかった。
・・・・・
私は酷く冷めた心を抱きながら、先輩の妹を追い詰める。
「ちょっと、これだけなの? いくらなんでも少なすぎるわよ」
「今月は……もうっ、これで精一杯なのよっ!」
「なに言ってるのよ? あなたが色々と見苦しい言い訳を並べて、懇願してくるから、先月はお金を受け取るのを諦めたのよ?」
「こっちも本当に生活が苦しくてギリギリなのよっ! お父さんは相変わらず、働いてくれないしっ……!」
「あなたさぁ……」
私は大きな溜息を吐く。
「……なによっ?」
「いったい、先月も今月もなにをしてたの? お金がないんだったら、もっと必死に働きなさいよ?」
もっと知能を使いなさいよ。
「もうっ、本当に限界だし……これしかないのよっ……! お金なんて、あるわけないじゃないっ! 私っ、大学に通うために借りてた奨学金だって、あんたにぜんぶあげたんだからねっ!」
「あんな、はした金額じゃあ、ぜんぜん足りないわよ」
「!?」
私の話す残酷な事実に、彼女は顔を歪める。
少なすぎるわ。
しょせん、あんたの知能じゃあ、あの程度の金額しか借りれないのよ。
だから……。
「だからさぁ……あなた、もっと必死に頑張りなさいよ」
もっと、必死に努力しなさいよ。
「いい加減にしてっ! いったい、いつになったら、終わるのよっ!?」
突然、彼女が激昂する。
「いつになったら、あんたの気は収まるのよっ!?」
「…………」
「いくら返せば、あんたは満足するのよっ!?」
「…………」
「いつになったら、お姉ちゃんのことを許してあげるのよっ!?」
「…………」
「いつになったら、私は自分のことだけを考えて生きていけるようになるのよっ!?」
「…………」
「ねぇ、教えてよっ!」
彼女は泣きながら必死に訴えてくる。
「私は、いつ、自由になれるのよっ!?」
私はそんな彼女を見て――心底、怒りが込み上げてきた。
「……あんたの姉が……先輩が、私から盗んだお金をぜんぶ返し終えたらよ」
私はなにも悪くないはずだわ。なーんにも。
だって――あんたは先輩の妹で、加害者の妹じゃない。
被害者は私の方なのよ。
なのに――なんで、あんたが被害者面をして、泣くのよ。
泣きたいのは私の方よ。
「だから、それはいつなのっ!? あと、いったい、いくら欲しいのよっ!!」
「うーん、そうねぇ……1000万くらいかしら?」
ねぇ返してよ。
返せるものなら、返してみなさいよ。
「そんなの無理に決まってるでしょっ!?」
妹が半狂乱で頭を振る。
そうね。正しい反応だわ。
でも……盗まれたお金の利子を考慮すれば、これくらいが妥当な金額でしょ?
だから……。
「だからさぁ……無理にでもつくりなさいよ」
「どうやってっ!?」
「そうねぇ……あなたの父親の名義で他から借金をしたり、父親に生命保険をかけてから殺したりしてみれば?」
まぁ、私は責任をとらないけどね。
でも――やってみる価値はあると思うわよ?
そうすれば――あなたが抱えている苦しみをひとつ軽減できるわよ?
「そんなことっ、できるわけないじゃないっ!?」
「だったら……自分の身体を売ればいいじゃない?」
「!?」
彼女は絶句して、言葉を失う。
私は彼女に、その道で生きていくことを勧めた。
「あなたはまだ若いんだし、男に媚びて、甘えれば、簡単に釣れると思うわよ?」
「ふざけないでよ……」
「ふざけてなんか、いないわ。……なんなら、私がお姉ちゃんの代わりに……先輩として、一から手取り足取り指導してあげてもいいわよ?」
「…………」
「ねぇ、どうかしら?」
「そんなの……嫌に決まってるでしょ……!!」
「……そう、残念ね」
……本当に、残念だわ。
もしも……。
もしも、彼女がその道を選んでくれたなら、私は彼女の姉の借金をすべて帳消しにしたわ。
喜んで、水に流したと思うわ。
喜んで、私の知っている、生きていくための力と技術を彼女に教えたわ。
喜んで……先輩の代わりを務めたわ。
たぶん、そのための努力もしたと思う。
でも……駄目なのね。
彼女は私や先輩が生きる道を選びたくないのね。
彼女にとって、先輩の代わりは……お姉ちゃんの代わりはいないのね。
でも……まぁ、当たり前よね。
誰も、誰かの代わりになんて、なれないわよね。
「……じゃあ、どうやって、お金を稼ぐつもり?」
「それはっ……」
「もういっそのこと、もうひとつの意味で自分の身体でも売る?」
「!?」
彼女はそれを想像して――恐怖していた。
でも――やってみる価値はあると思うわよ?
そうすれば――あなたが抱えている苦しみのなにもかもがなくなるわよ?
そうすれば――お姉ちゃんに会えるわよ?
「なんなら、私が、そういうことを生業にしている業者を紹介してあげてもいいわよ」
恵理子に相談すれば、たぶん、本当にできちゃうし。
……まぁ、さすがに冗談だけどね。
ていうか、もう、恵理子と会うことはないだろうし。
だから、私は同じ目線で立ってくれる人を探しているんだと思う。
だから、私は彼女を許さないし、逃がしてあげたりなんてしない。
彼女は自分のすべてに……自分の人生のなにもかもに絶望したような表情を浮かべて――俯いてしまう。
長い前髪が、彼女の表情を隠す。
彼女はなにも言わない。
「ちょっと、やめてよ。やぁねぇ、冗談に決まってるでしょ。どうして、わざわざ私がそんな面倒くさいことをしなきゃいけないのよ」
「…………」
「まぁ、いいわ。とりあえず、今日はこれで我慢してあげるけど、次は、もっとまとまった金額のお金を用意しておいてよね」
「…………」
「また、来週か再来週ぐらいに連絡するから。また、昔みたいに無視したり、勝手に連絡先を替えたりしないでよ」
「…………」
「もし、そんなことをしたら……あんたの家に行って、あんたの父親にぜんぶ言うから」
「…………」
「自分の娘をなんとかしてくださいって、なんとか躾け直してあげてくださいって、そう言うから」
「…………」
「わかった?」
「…………」
「ちょっと、さっきから無視さっきからしてるんじゃないわよ。私の話を聞いてるの?」
「…………」
だけど、やっぱり、彼女はなにも言わない。
「はぁ……」
わざとあからさまに大きな溜息を吐く。
「まぁいいわ。私も今日は疲れてるし……もう、帰るわ」
今日は本当に疲れた。
せっかく、臨時収入が入ってきたのに……ちっとも嬉しくないし、ちっとも心が躍らない。
ちっとも、私の心は満たされない。
たぶん、それはきっと……あの人のせいだ。
私のことを見てくれる人がいたなんて……。
今更、私を見てくれる人が現れるなんて……。
でもね、もう遅いの。もう、手遅れなの。
私は、もう、終わってしまったの。
だから、私は……。
「じゃあね。あんたも明日仕事なんでしょ? 風邪を引かないうちに早く帰りなさいよ」
私は彼女に背中を向ける。
彼女のことを1人置いて、公園を出て行こうと歩き出す。
そのとき――
「……なければっ」
――微かに、私の背中で彼女の声が聞こえた。
「……いなければっ」
「……?」
なんの躊躇いもなく、振り返る。
「……さえ、いなければっ」
彼女は顔を上げて、私のことを見ていた。
「あんたさえ、いなければっ……!」
「!?」
私は彼女のその目をよく知っていた。
彼女の目は私と同じように暗い穴凹のような目をしていた。
でも、そんなことはどうでもよかったわ。
だって――
――彼女の手には包丁が握られていたから。
そして――
「あんたっ、さえっ、いなければっ!!!」
彼女……先輩の妹が私を刺した。




