13話:ファック・マイ・ライフ!⑬
綾野愛花が泣いている。
「なんでっ、なんで……なんでなのっ」
会場の裏、草木の生い茂る草叢のなかで1人泣いている。
「なんで、あの子なのっ……なんで、私じゃないのっ」
会場から離れた人目の付かない場所に隠れて、必死に声を押し殺しながら、たった1人で泣いている。
「私とあの子の、なにが違うのよっ」
自分という存在を隠すようにして。
「ママっ、ごめんなさいっ。ごめんなさいっ……ごめんなさいっ」
嗚咽を漏らし、何度もえずき、ただひたすらに“ごめんなさい”を繰り返している。
「私、もうっ、ビアノを弾きたくないっ」
懺悔し続ける綾野の背中はとてもちっぽけで、儚げで、聡くて、弱々して――学校で見る彼女の姿とはまるで違う。
「いや……もういやよっ、これ以上……嫌いになりたくないっ」
彼女は、1人、その小さな身体で必死に受け止めようとしている。
自分の弱さを。
才能のなさを。
受け入れたくない事実と現実を。
それなのに俺は……。
「嫌いになりたくないっ。ママが私に教えてくれた……私に遺してくれたものを、嫌いになんか、なりたくないっ」
彼女のことをわかってあげられなくて。
彼女の繊細な心に気付いてあげられなくて。
「これ以上、あの子に嫉妬なんかしたくないっ。私はお姉ちゃんなんだから、喜んであげなきゃだめなのっ」
彼女の為に、なにもできない自分がたまらなく嫌だった。
今日の演奏の為に整えたのだろう化粧や衣装は彼女の流す涙でグチャグチャに崩れて、汚れてしまっている。
まるで日陰に咲く花だ。
誰にも見つからないし、誰も見ようとしない。
だけど……とっても、いじらしい花。
それが、綾野愛花だ。
俺は彼女に声をかけようとして――躊躇してしまう。
……誰かに見られたら、どうしよう。
今日のこのコンクールに招待されているのは俺だけじゃない。
どこで誰が見ているかわからない。
もしも、誰かに見られたら……。
噂されるかもしれないし、からかわれるかもしれない。明日から、彼女の代わりに自分が標的にされてしまうかもしれない。
それが怖くて、俺にはなにもできなかった。
なにもできない自分は嫌だけど……自分の身に火の粉が降りかかるのはもっと嫌だ。
そうだよ……俺は、元々、妹の演奏を見に来たんじゃないか。
べつに彼女の演奏を見に来たわけじゃない。
だから、声をかける必要なんて、ないじゃないか。
そう考えることで自分の弱さを正当化させる。
俺は踵を返して、無言のまま静かに立ち去ろうとする。
そのとき――自然の音が鳴った。
茂みの草木に当たってしまった。地面に散乱する小枝を踏んでしまった。
「誰っ!?」
「!?」
そして――目が合ってしまった。
「な、なんでっ、どうして……?」
「い、いやっ、違うんだっ。俺は――」
それなのに俺は……。
1人用のソファの上で目を覚ます。
仄かに自分ではない他人の臭いが香り、鼻腔をくすぐる。間仕切りの向こう側からは紙を捲る音や微かな人の声や足音が聞こえてくる。
「夢、か……」
懐かしくて、嫌な夢を見てしまった。
おかげで嫌なことを思い出してしまった。
自分の矮小さが嫌になる。
自己嫌悪を酷く感じながら俺は大きく背伸びをする。
ソファから起き上がり、充電していたスマホを手に取って現在の時間を確認する。
「ずいぶんと長い時間、眠ってたんだな……」
品川で仲田さんと別れたあと、俺は駅には向かわず、駅周辺に近在するネットカフェへと足を運んだ。
もちろん、それは、べつに気になる漫画や読みたい漫画があるからじゃない。
ただ単純に寝るためだ。
昨日、同窓会に寝坊して起きたときから一睡もしていないため、眠くて仕方がなかった。喫茶店で仲田さんと話していたときは我慢することができていたが、それも限界に達していた。
本当は帰宅して、ちゃんと家で眠ろうと思っていたが、1人で駅まで歩く道中、眠気が我慢できなくなり、やむをえず、ネカフェで少し仮眠をとっていくことにしたのだ。
個室に入り、シャワーも浴びずにソファに身をゆだねたときは外的からの刺激にある程度の不快さを感じたが、眠気もさることながら精神的に疲労困憊していた俺は意識を手放すのにそう長い時間はかからなかった。
俺は泥のように眠りこけて――そして、今に至る。
精算を済ませて、店の外に出る。
辺りはすでに暗くなっており、冬の夜が広がっている。
雪はすでにやんでいた。
俺は歩き出す。
まず、真っ先に最寄りのコンビニに寄って、ATMを利用する。転ばぬ先の杖というわけではないが、持っていく現金は多いに越したことはないだろう。
ふと……考えてみる。
綾野愛花の値段――価値はいくらなのだろうか。
「そういえば、仲田さんが言ってたな……」
あのときの彼女の言葉を思い出す。
『そんなことで、あの子の価値が決まるわけないじゃない』
そんなことで、綾野の価値は決まらない。
なら……なにで決まるのだろうか。
人の価値は、なにで決まるのだろうか。
そんな、いくら考えても確固たる答えなどあるはずもない禅問答を繰り返しながら、品川駅へと向った。
電車に乗る前に駅のホームで立ち食いそば屋に寄って、手早く飯を食ってから電車に乗る。
向かう先は銀座駅――綾野が働いているというお店だ。
予想していた通り、車両内は比較的、空いており、他人の温もりを感じることなく、比較的、快適に乗っていられる。
ふと、車両ドアの上に備え付けられている液晶画面に目が行く。
字幕による無音のテレビ番組が流れている。
下品で下世話なワイドショーだ。
とある大会社の社長とその家族の仲睦まじくて幸せな生活の様子が大衆に向けて晒されている。
夫は今をときめく大会社の若社長。容姿端麗のイケメンで社会的偏差値の高い生まれながらの勝ち組だ。車椅子に座る妻のことを献身的に支えている。
妻は夫よりも1つ年下で、夫の幼馴染だという。綺麗で可愛らしくて、愛くるしくて、お上品な女性だ。車椅子に座り、夫に全幅の信頼を寄せながら夫の庇護を受けている。
子供は父と母に深く愛されているのだろう。2人に寄り添いながら、屈託のない純粋無垢な笑顔を浮かべている。
一目見て、幸せそうな家族だと思った。
インタビューによると夫と妻は幼い頃からお互いに想い合っていたらしい。
2人の恋路にはいくつもの障害があったという。それでも、2人はお互いのことを諦めずに信じて、共に力を合わせきたという。そして、いくつもの試練を乗り越えて、2人はついに結ばれて、幸せになることができた。
「まるで物語の主人公とヒロインみたいだな……」
そう言ったとき、不意に思った。
じゃあ――俺はなんだ? なんなんだ?
俺は何者なんだ? いったい、何になれる? 俺は何になりたいんだ?
俺には何ができる? ……いや、何がしたいんだ?
俺は……彼女の為になにができるんだ?
いくら考えても、答えはやっぱり、出てこない。
やがて、俺は考えるのを放棄した。
余計なことは考えない方がいい。どうせ、俺は感情でしか動けないんだ。
だったら、今はなにも考えず、己の思うままに行動するべきだ。
無意識にスマホを取り出そうとして、ジャケットのポケットに手を入れる。そのとき、初めて、スマホや財布以外の貴重品を持っていたことを思い出す。
ポケットから、仲田さんから貰った指輪を取り出して、マジマジと見つめる。
リングの内側にはなにも書かれていない。あしらわれた宝石がなんなのかも俺にはわからない。
指にはめてみようとするが、俺の指とはサイズが合わなくて、入らない。
「……どうして、仲田さんはこんなものを俺にくれたんだろう?」
それもまた、いくら考えても答えは出てこない。
「……わかりたくてもわからないことの典型だな」
仲田さんが言っていた言葉を思い出す。
『しょうがないわよ。だって、他人の気持ちなんて、わからないもの。いくら、その人のことをわかりたいと思う気持ちが自分自身にあっても、その人が相手のことをどう思っているかなんて、わからないもの』
『だからこそ、相手のことをわかろうとすることには意味があるし、とっても大切なんじゃないかしら?』
まぁ、べつに俺は仲田さんの気持ちなんて、そこまで知りたいとも思わないが。
指輪をポケットに仕舞い込み、代わりにスマホを取り出す。
SNSのアプリを開いて、仲田さんに連絡を入れる。
【ERIKO】
[今日]
杉崎勇気
『仕事お疲れ様。今日は綾野のことを教えてくれてありがとう』
杉崎勇気
『あと指輪もありがとう』
対して考えず、即興で考えた必要最低限の文章だけを打ち込む。
そのまま特に何も考えず、お礼の文章を送信した。
・・・・・
電車を乗り継ぎ、ようやく銀座駅に辿り着く。
地下の改札を出て、地上へと上がると、俺の知らない世界が広がっていた。
往来には多くの人が行き交っている。だけど、日本を代表する高級商店街であり、日本有数の繁華街でもあるここ銀座は俺の知っている川崎や横浜といった繁華街とは、どこか行き交う人たちの赴きが違うような気がする。
ここ銀座を歩く人々は、一言で言って、みんな、お洒落でお上品だ。
幸福な生活を送っている人たちばかりなのだろう。みんな、表情は明るく、一様にゆとりある顔をしている。豊かな生活を送っているのだということがすぐに理解できる。
そんな恵まれた環境下を生きる勝ち組が闊歩する往来のなかを俺は歩く。
「せめてスーツとコートを着て来ればよかったな……」
痛切に後悔する。
スーツを着ていれば、会社の付き合いで銀座に来ているサラリーマンを装うことができるのに。
「そう考えると仲田さんって、すごいな……」
粗悪で粗末な安物の衣服を着ている自分の服装に酷い場違い感を抱きながら、仲田さんに教えてもらった綾野が働いているというお店を探す。
電車に乗っていたときに、すでにお店の住所は調べている。
俺はスマホを片手に目的のお店を求めて彷徨い歩く。
「しかし、人生で初めて銀座に来て、向かう先が風俗店か……」
もちろん、それは自身の性欲を処理するためじゃない。
あくまで、綾野に会うために俺は店に行く。
「銀座か……なんていうか、綾野にとっては皮肉な話だよな……」
“お金持ちのお嬢様”だった綾野なら、銀座の繁華街を歩いていてもなんら不思議ではないし、違和感もないだろう。それが、今では銀座の風俗店で働いているのだとすれば……本当に皮肉な話だ。
やがて、それらしき店を見つけた。
仲田さんに教えてもらった店の名前と看板に書かれている店名が一致している。
「ここか……!」
ここで綾野は働いている……!
緊張と興奮で高鳴る胸の鼓動を抑えながら、店の外観を眺めては気分を落ち着かせる。
ちょうど、そのとき、店の中から1人の男が出てきて、店の入り口近くでたむろしていた2人の男たちと合流する。
「よー、どうだった?」
「俺はアタリだったわぁ。超胸がデカくてさぁ。超興奮した」
「俺も、俺も。やっぱり高い店は違うな」
「マジで? 俺はハズレだったわ。一目見た瞬間に“ない”って思った」
「そりゃあ、ご愁傷様、高い金をドブに捨てたな」
「やっぱ一番グレードが低いコースで指名なしのお任せは駄目だってことだろう」
「それな。いい勉強になったわ」
そんな下衆な会話をしながら店から去っていく男たち。
おそらくは客だったのだろう。
そして、男たちのうち、1人はとんでもないハズレを引いてしまったらしい。
「ハズレ、か……」
自分でもよくわからない、ただぼんやりとした不安とでもいうような奇妙な胸のざわめきを感じる。
「……ここまで来たんだ。もう逃げるって言う選択肢はないよなっ」
自分自身に言い聞かせる。
俺は覚悟を決めて、緊張で震える足を抑えながら、店の中へと入った。
「いらっしゃいませ。ご予約はされておりますでしょうか?」
受付に佇む黒服に声を掛けられる。
「あ、いえ、してないですっ」
緊張しているせいで声が上擦いてしまう。
「そうでしたか。失礼致しました。では、当店のご利用は初めてでしょうか?」
「は、はい、初めてですっ」
「承知いたしました。では、まずは奥のお部屋へとどうぞ」
黒服に待ち合わせ室へと案内される。
部屋には別の客が数名。他の黒服となにかを話している。
部屋に入り、ソファに腰掛けると、黒服が烏龍茶の注がれたコップとタブレット端末を手渡してくる。
タブレットには今日出勤しているという女の子のプロフィールが表示されている。
差し出された烏龍茶を飲みながら、タブレットをいじる。
ある程度の加工はあるのだろうが……みんな、綺麗で可愛い。そして、“若い”。下は10代から20歳前後の女の子たちを俺は食い入るように見つめてしまう。
つい、本来の目的を忘れてしまいそうになる。
つくづく自分は男なのだということを痛感させられて、酷い自己嫌悪を感じながらも、俺は女の子たちの中から綾野を探す。
タブレットの画面をスライドして、表示される女の子たちを1人1人見ていく。
画面をスライドさせる指が止まった。
1人だけ、見覚えがある女の子の顔が。
その顔には――面影があった。
俺は、はやる気持ちを抑えながら彼女のプロフィールに目を通す。
【プロフィール】
名前 :マナカ(MANAKA)
年齢 :28歳
出勤情報:出勤中
予約情報:予約0件
マナカ……綾野の下の名前――アイカとよく似ている……!
漢字だって、『愛花』なら、どちらにも読める……!
年齢も俺と同い年……!
俺の隣で適時、女の子の説明をしてくれる黒服に聞いてみる。
「こ、この人はっ?」
「マナカちゃんですね。うちのお店では最年長の女の子になります」
「最年長……」
「はい。この子なら今ちょうど出勤中で予約もありませんので、今すぐに指名することができます」
俺は食い入るように彼女の写真を見つめる。
他の女の子たちと同じようにに綺麗だし、可愛い。
だけど……他の女の子たちと比べて、どこか違う。他の女の子たちにはあって、この子にはないものがある。
そして――それは“若さ”なんていうありふれた表面上の希少価値なんかじゃない。
この子にはないもの……それは人の目に宿る生気だ。
この子の目には、生きるための活気や気力が微塵も感じられない。
「この子でお決まりでしょうか?」
「…………」
「お客様?」
「……この人でお願いします」
俺は意を決して、彼女を指名する。
彼女が綾野であるという確信が俺にはあった。
「マナカちゃんをご指名ですね。承知致しました。では、お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「杉崎です……杉崎勇気」
「杉崎さまですね? 承知致しました。では、女の子準備ができ次第、お呼び致しますので、少々お待ちください」
「……わかりました」
手短に説明するが早く、黒服はタブレットを小脇に仕舞い、すぐに俺の元を去る。
1人になった俺はどうにも落ち着かず、そわそわとした気分になってしまう。
すると、俺と同じように女の子の指名を終えて、手持無沙汰となっている見知らぬ男に話しかけられる。なんとなく、その男は店の常連なんだと思った。
「きみ、この店は初めてかい?」
「え、あ、はいっ。そうですけど……」
「いやぁ、初めてなのに、あの子を選ぶなんて、ずいぶんとチャレンジャーだね」
「あの……どういう意味ですか?」
男の言い方が、なんとなく、癇に障る。
「そりゃあ、まぁ、あの子だって、そこいらの同世代の女の子よりはよっぽど可愛いかもしれないけど、ここは超人気の高級風俗店だよ? もっと若くて綺麗な可愛い女の子だっているのに、なにもそんな子を指名しなくたっていいじゃないの?」
「……俺、こういう店に来たこと自体が初めてですので」
てめぇの価値観で物事を語るな。
俺はお前みたいに、金で女を抱きにきたんじゃねぇんだよ。
「そうなのかい? だったら尚更勿体ないよ。どうせ女の為に金を使うなら、いい女に金を出さなきゃ」
「…………」
「初めてなんでしょ?」
「…………」
俺は男のことを無視する。
しかし、俺が黙り込むのを見て、それを事実と見抜いたのか、男はさらにべらべらと一方的に話してくる。
「どうせ相手の女の子も金目当てでこんな仕事をしているんだから、同情する方が、かえって失礼だよ」
「…………」
「良く言うだろ? 誠意は言葉じゃなくて、金だって」
「あの……」
「ん? なんだい?」
「俺が指名した女の子……マナカちゃんって、そんなに人気がないんですか?」
プロフィールに書かれていた予約情報の項目を思い出す。
彼女の現在の予約件数は0件。
「うん。まったくないよ。あの子、今このお店で一番指名数が少ないみたいだし、お任せで選んだときや一番グレードの低いコースを選んだとき、あの子が相手になるみたいだよ」
「…………」
「彼女自身も客をとるために必死なんだろうねー。すっごく愛想がいいし、お店には秘密で最後までヤラしてくれるんだけど……やっぱり、あれで3万はぼったくりだよ」
「…………」
俺は必死で男のことを殴り殺したいという衝動を抑える。
もちろん、実際は男のことを殴る勇気なんてない。だけど、そうしてやりたいと強く思いはした。思うだけで、それを実行する勇気なんて、俺にはなかった。
「しかも、あの子、さっきまで従業員専用のトイレで暴れてたみたいだよ」
「……暴れてた?」
「なんか知らないけど、いきなり泣き喚いたり、ヒステリックに叫んだり、情緒不安定になってたみたいでさぁ。まぁ、こんな仕事をやっているような子なんだもん。色々とあるだろうし、ストレスも酷いんじゃない? 精神的に追い詰められているんじゃない?」
そう言ってから、男は最後に言い付け加える。
「まぁ、あの子も、もう長くないだろうね。もうすぐ、きられるんじゃないかな?」
「…………」
男の反応が不快だった。
男が語る綾野への批評が不愉快でしかなかった。
てめぇに綾野のなにがわかるんだよ、と言ってやりたい。
でも……実際に言う勇気はない。
それに……それは俺も一緒だ。
しょせんは俺もこの男と同じ。同じ穴の狢だ。
綾野のことをなにも知らないし、わからない。
だから、彼女を庇うことはできなかった。
「杉崎さま。お待たせいたしました。女の子の準備が整いましたので、ご案内いたします」
「…………」
無言のままソファから立ち上がる。
「頑張ってなー。せっかくなんだ、3万円の女の子の味を堪能して楽しんできなよー」
男がまたなにか言っているけど、無視する。
黒服に連れ出されて、部屋を出る。
部屋の暖簾をくぐり、廊下を歩き、上の階へと向かう階段へと差し当たる。
そして。
階段の踊り場に――正座をしたまま、頭を下げる女の子が1人。
心臓が大きく鼓動する。
自分の心臓の音が聞こえるほどに心拍数が跳ね上がる。
動悸が止まらなかった。掌が汗ばんだ。目を疑った。
やめてくれっ。やっぱり、来なければよかったっ。
女の子はゆっくりと顔を上げる。
やめてくれ。
やめてくれ。
やめてくれ。
見たくなかった。
見たくない。
見たくもない。
「ご指名いただきありがとうございます」
女の子はにっこりと微笑む。
俺はなにも言えずに立ち尽くす。
「マナカです。杉崎さまに喜んでいただけるように精一杯頑張りますので、よろしくお願いしますね」
酷い笑みだった。
まるで、暗い穴凹のような目をしていた。
彼女のこんな姿なんて、見たくもなかった。
彼女のそんな顔なんて、見たくもなかった。
一目見て、確信してしまう。
この子が、俺が子供の頃に想いを寄せていた初恋の女の子――綾野愛花だ。




