10話:ファック・マイ・ライフ!⑩
次の日、俺は朝一でアルバイト先の店へと向かった。
もちろん、行きたくなどなかったが俺に拒否権はない。
夜が明けるまでの最中、俺はまるで死刑確定の宣告を受けた死刑囚のような心境を胸に抱いていた。
動画を視聴して、ようやくことの重大さに気が付いた俺は、その後、仲田さんと共に店内に戻ったが、いくらみんなと飲んでも、話しても、一向にテンションは上がらないし、気が載らなくなってしまった。
むしろ、色々と余計なことを考えては顔を青くしてしまう有り様だ。
結局、一度、こんな気分になってしまうと、せっかくの同窓会というイベントを楽しむことができないし、せっかく集まったみんなの気分を害してしまう。そう悟った俺は、仲田さんが天晴くんを連れて店を出て行ったあと、俺も同窓会を抜けて帰ることにした。
結果的にほぼ同時に店を出た俺と仲田さんのことをみんなは噂しているのではないだろうか。
そんな心配は――思い付きもしなかった。
どうでもいいことだったし、今は他に考えずにはいられないことがあったから。
帰宅したあと、俺はどうしても眠ることができず、仕方がないので、寝酒と称して、近所のコンビニで酒を買い、それを飲むことで気分を紛らわせた。
俺はいったいなにをしているんだろう……。
そんな風に思いながら1人で酒を飲んだ。
やがて酔いが回り、少量の酒では物足りないと感じた俺は再びコンビニで酒を買い、飲み続ける。
そうこうしているうちに、気が付くと夜が明けていた。
俺、本当になにをしてたんだろう……。
・・・・・
12月の朝は寒い。
それに加えて、今日は雪まで降っている。
眠い目をこすりながら、まだいくらか身体に残っているアルコールに脳を若干麻痺らせながら、わざと全力疾走で店まで向かう。
走る理由はふたつある。
ひとつめは、走って汗をかくことで、少しでも身体からアルコールを抜くため。
ふたつめは、わざと汗まみれで呼吸の乱れた姿を晒すことで、少しでも、「慌てて必死に急いで来ました」という体裁を整えるため。
そういえば、大人になってからずっと走ってなかったな……。
俺はそんな、どうでもいいことを考えながら、一心不乱に走り抜けた。
やがて、店に辿り着き、一目散に事務室へと向かい顔を出す。
事務室には昨日と同じように店長が。
「来たか……」
「はぁ、はぁ、はぁ、は、はいっ……」
店長が無表情のまま、俺に詰め寄る。
おもわず逃げ出したいという衝動に駆られて、一歩引き下がってしまう。
「逃げるんじゃねぇぞ」
胸の内を見透かされたかのように釘を刺される。
「はいっ」
それでも、心の中では逃げ出したいと思ってしまう。
今、俺がここにいる理由は複数ある。
ひとつめは、動画の中で起きていた出来事を説明するため。当事者である俺には事情を詳しく説明する義務がある。
ふたつめは、店に悪い意味で世間の注目を浴びせたことに対する糾弾の矢面に立つため。店の風評被害に繋がるかもしれない出来事の当事者である俺には、社員たちから指摘を受ける義務がある。
みっつめは、会社に多大なるご迷惑をおかけしたことへの謝罪をするため。俺には社員たちに首を垂れて、会社に許されるまで、誠心誠意、謝罪をし続けなければいけない拠ん所のない自業自得の理由がある。
俺は店長を前にして、萎縮しながら、それでもなんとかこの絶体絶命の窮地を切り抜けることができないか、必死にない頭を捻って考えてみる。
しかし、いくら考えても、なにも思い付かなかった。
「付いてこい」
「は、はいっ」
顎で指示されるのに対して、黙って従う。
事務室を連れ出されて、休憩室に入る。
昨日の朝の面談時のときと同じように、お互いにテーブルに座り、対面する。
缶コーヒーはごちそうしていただけなかった。
店長は気持ち悪いほどに無表情のまま俺を見つめるため、逆にこっちが気まずくなってしまう。
俺は身体を縮こまらせながら、俯き首を垂れて、目を合わせないようにする。
そんな俺を無表情で見つめ続けていた店長が、ゆっくりと話を繰り出した。
「色々とぜんぶ話してもらうぞ」
店長は煙草を取り出して吸い始める。
休憩室は全面禁煙なのに。
今は休憩室に俺たち以外は誰もいないからだろうか、それとも感じているストレスが尋常ではなくて、少しでも気分を落ち着かせたいからだろうか。
「動画は見たか?」
静かに厳かな口調で詰問される。
「はい……見ました」
静かに弱々しく口振りで答える。
動画の内容を思い出す。
俺のお粗末な脳が動画の内容を完璧に記憶してくれている。
頭の中で、動画が脳内再生される。
動画には俺が昨日の朝方、この店で働いていた際に遭遇した面倒な客――じいさんに罵倒されて土下座を強要された際の様子が一部始終収められていた。
俺が気弱で弱気な態度でじいさんに謝罪しているところから、俺がゆっくりと地面に頭を擦り付けるところまでしっかりと。
困惑したり・翻弄されている俺の後ろ姿は綺麗にばっちりと映っているし、動画の中の俺が振り向いた際に見える俺の顔には、モザイクや黒線といった修正は一切施されていない。
もちろん、俺やじいさんの声までもがしっかりと収録されている。動画の中には撮影者の同情しているかのような小さな笑い声と、それに付属して、ほくそ笑んでいるかのような独り言や呟き声も収められている。
その動画を視聴したとき、真っ先に思った。
これ、世界中に晒されているんだよな、と。
「動画に映っていた店員は本当にお前なのか?」
「……はい」
項垂れたまま呟く。
「やっぱりなっ。やっぱり、この店だったのか……」
「…………」
「それで。このじいさんはいつ店に来たんだ?」
「……昨日の朝方ですっ」
素直に答えてから、軽率に答えてしまったと後悔してしまう自分がいた。
まるで他人ごとのように感じると同時に、自身の頭の中で急激に血の気が引いていくのを実感し。様々な言い訳の言葉が頭の中をよぎる。
「なんで、俺が出勤してきた朝のときに報告しなかったんだ?」
店長が俺を睨む。初めて、表情を変化させた。
「す、すいませんっ」
今まで以上にさらに身体を縮こまらせて、深く頭を下げる。
昨日の朝のときと同じように目を合わせることができない。
「すいませんじゃねぇんだよっ!」
突然、店長は声を荒げる。
そのまま煙草の火をテーブルの上に置いてあった空き缶で揉み消す。
酒に酔っていたら、俺の頭に煙草の火を無理矢理力付くで押し付けんばかりの勢いだ。
おもわず俺は恐怖してしまう。
「お前、言ったじゃねえか。『報告は以上です』って」
「はいっ……」
「お前、あれは嘘か? お前、嘘付いたのか?」
「はいっ……」
「なんで嘘付いたんだよ? お前、嘘付きか?」
「はいっ……」
「はい、じゃねぇよっ!」
店長が俺をなじる。
「も、申し訳ありませんっ」
俺はただひたすら下を向いたまま謝る。
謝り続ける。
ただ謝ることしかできなかった。
座っていた椅子の背中にもたれかかる店長。
そのまま新しい煙草を取り出して、吸い始める。
「あの動画……今かなり炎上してるみたいでよっ」
聞こえていようが聞こえていまいが構わない、そんな態度で店長は語り出す。
「元々はどこの誰だかもわからない奴のSNSにあげられてたんだが、いくつもの誹謗中傷をするようなコメントが殺到したみたいでよ。あの動画がSNSで炎上したことで、他のまったくの第三者の手で動画サイトに転載されたらしい」
俺はなにも言わない。言えなかった。
「最悪なことに動画の撮影場所がうちの店だってことまでバレててよ。今、あの動画が炎上してるせいで会社の本部にも電話が殺到してるらしい。まぁ、そのほとんどが、なにかしらの適当ないちゃもんをつけたい客からの悪質なクレームだがな」
壁に貼られた巨大な『お店からお客様へ誓った宣言文』の上には、うちの店の名前とロゴが貼ってある。
そして、その宣言文には『〇✕支店』や『店長〇〇 〇〇』という表記まである。
つまりはそういうことだ。
「本部でも、今、かなり問題になってんだよ、あの動画。そのせいで俺は今日も午後から本部に行く羽目になっててよっ」
頭の中で、宣言文を読み上げる。
『真心を込めて接客をいたします』
『当店はお客様1人1人への特別な接客をいたします』
そんなの……もちろん嘘に決まってんだろうが。
じいさんのときと同じように、心の中で吐き捨てる。
「もう一回聞くけどよ。なんで俺に報告しなかった?」
「申し訳ありません……本当に申し訳ございませんっ」
上唇をグッと強く噛む。
だって……いちいち報告するのが面倒だったから。
だって……疲れてて、さっさと帰りたかったから。
だって……報告したら話が長引きそうだったから。
だから……なんでなのかは言えなかった。
「はぁ……もういい」
やがて盛大に溜め息をつかれる。
俺自身に呆れたというよりは、俺自身を諦めたというような表情をしていた。
「とにかく、この件について、お前はなにもするな。余計なことを言うなよ? もちろん、誰にもだ。他言無用だ。どうせ、すぐにほとぼりも冷めるだろうし、会社もこれ以上騒ぎが大きくならないかぎり、なにもコメントは出さないつもりだ」
「わかりましたっ」
「それと、お前はしばらくの間は休みだ。ほとぼりが冷めるまで、そうだな……今週はずっと休んでろ」
「わかりました……」
クビにはならないのか、と思った。
そして、すぐに納得してしまう。
……まぁ、そうだよな。
今、うちの店もぜんぜん人手が足りていないし。
店側としても、俺みたいな真面目に黙々と誰かのために働いてくれるような責任感のある男を手放したくないよな。
店側としても、いくら俺みたいな意志薄弱で上から言われたことしかできないくせに面倒くさがりで与えられた仕事を適当に働くような男でも手放したくないよな。
「ああ、あと……わかってると思うが」
「はいっ」
心臓が大きく鼓動を打つ。
内心、酷く怯えながら、容易に想像できてしまう店長の言葉を待つ。
「昨日の朝、話した社員登用の件はなしだ。べつにお前が悪いわけじゃねぇけどよ……こんな問題が起きた当事者じゃあ、俺も推薦してやりたくてもできなくてな」
……やっぱりな。まぁ、仕方ないよな。
「俺はべつにそんな深刻に考える問題でもないと思うんだが……本部の連中はこういう店のイメージに関わるようなことにうるさいからよ」
だって、悪いのはぜんぶ俺だし。
ぜんぶ、俺が蒔いた種だし。
「それによ……報連相は仕事における基本中の基本だ。それができない奴を社員に推薦することはさすがの俺もできないんだよ」
なにもかも俺の自業自得だ。
だから、受け入れるしかない。
「残念だけどよ、なかったと思ってくれ」
「わかり、ましたっ……」
自分でも驚くらい、冷静に……素直に受け入れて、諦めることができた。
・・・・・
店の外に出ると、相変わらず雪が降り続けていた。
深呼吸をしてから、スマホを取り出して、現在の時間を確認する。
店長との面談時間は30分もかかっていない。それなのに、まるで1日中、店の中にいたかのような心境だった。
張り詰めていた空気が抜けていくのがわかる。
張り詰めていた糸がほぐれていくのがわかる。
俺は大きく背伸びをしながら呟いた。
「世の中そんなに甘くないか……」
でも。
でも……これでよかったのかもしれない。
正直、安堵している自分がいる。
だって、社員になったら残業させられるだろうし。人手が足りないときは休日だろうがなんだろうが店に駆り出されるだろうし。どうせ給料もほとんど変わらないのに責任だけは重くなるだろうし。面倒な飲み会や人付き合いもあるだろうし。
たぶん、社員になったところで、あんまりいいことはなかったと思う。
「……むしろ、正社員にならなくてよかったよな。うん」
そう……必死に、自分に言い聞かせた。
ふと、スマホにチャットの通知が届いていることに気が付く。
アプリを起動して、画面に表示された通知を確認する。そこには、知らないアカウントからの友達申請とチャットが。
俺はそれを読む。
【ERIKO】
[今日]
ERIKO
『おはよー』
ERIKO
『仕事中だったら、ごめんね』
ERIKO
『今日、仕事で品川駅近くにいるんだけど、お昼か仕事終わりにでもちょっと会えない?』
ERIKO
『綾野愛花が今どこでなにをしているのか、教えてあげてもいいよ』
それを見て、おもわず、すぐに返信してしまう。
杉崎勇気
『いいよ』
とだけ打ち込んだ。




