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坂道たまご

作者: チャーハン

 朝食で使う卵が切れていたので散歩がてら買いに行こうと思った。どうしても卵かけご飯が食べたかった。

 玄関の戸を開けると秋風が強く頰をなでた。外はだいぶ寒くなってきたようだ。


「急いで済ませてしまおう」


 我が家の属する住宅街は小高い丘の上に形成されているため、目的の商店は坂を下った先にある。自転車に乗ろうかとも思ったが何となく今日は怖かったのでやめた。昨日の晩に見た映画のせいかもしれない。

 家を出てしばらく坂を下っていると横から声をかけられた。


「やあ」


 見ると友人だった。友人は隣に来て歩きながら口を開いた。


「君が朝から外出とは珍しいな」

「そうかい」

「何か用事でも」

「朝食の卵かけご飯で使う卵が無いから買いに行く」

「じゃあ君も下の商店が目的地か」

「君もか」

「ああ。取り寄せた本が届いたらしいから受け取りに行く」


 友人は読書家だった。この辺りには本屋がないので、友人は下の商店経由で取り寄せているらしい。


「なるほど」


 そこで会話は途切れ、それからしばらく二人して無言で木枯らしの吹く坂道を下った。坂道の良いところは空が広いところだ。眼前いっぱいに広がった空は見事な秋晴れで、私は朝に外出するのも悪く無いと思い始めた。

 そういえばいつか晴れの日の朝は冷えると聞いた気がする。

 実際にその通りだと実感した。

 しばらく歩いて坂道も徐々に平坦になっていく。家々の塀に段差がなくなっていくことに気付く。

 ここらの塀は背丈があってコケだのカビだのが生えているが、日本の北に行けばいくほどタッパは縮みコケもカビも居なくなっていく。原因は雪であって、背が高いと雪が降る度に崩れてしまうし、寒さでもってコケもカビも殲滅される。辛うじてコケは生き残るが、春夏秋とどれだけ繁栄したとしても毎年冬になるたび甚大な被害を受けるため細々とした営みを強いられるのだ。

 そんなどうでもいいことを思い出していると信号に引っかかった。


「なあ君、昨日の金曜ロードショーは見たかい」


 横にいた友人が話しかけてきた。


「いちおう見たとも」


 私は答えた。正直言ってあまり面白い内容の映画ではなく、私は途中で飽きてしまって後半は他の番組がCMになっている間にチラリと覗く程度だった。


「やっぱりか」


 私の答えを聞いた友人は何やらしたり顔をして意味深なことを言った。


「何がやっぱりなんだ」

「いや、寒がりのくせに自転車に乗ってないのでね。もしやと思ったが、まさか当たるとは思わなかった」

「……」


 信号が青になったのでどちらともなく再び歩き始めた。

 友人に言われたとおり、私は昨日の映画の影響で自転車に乗ることをやめた。その映画のオチというのが、自転車に乗った主人公が車にひかれて死ぬという、それまでの壮大なストーリーの割にあっさりとした終わり方だった。見たのがつい昨日だったせいか、変に意識して乗ることをためらってしまった。

 別にそれがバレたからどうということもないのだが、私はなんだか自分の行動の裏を読まれたままでいるのは気持ちが落ち着かない感じがして少しイヤだった。

 私は口を開けた。


「それならどうして君も歩きなのだろうね」


 友人は少しにやりと口の端を浮かせた。


「君は本の虫だろう。だのに商店まで歩きで向かうというのは本を読むまでにかかる時間が無駄に延びるだけじゃないか」


 私の論を聞いた友人は一拍置いて言葉を返した。


「たしかに坂を下るのは格段に早くなるだろうが、登りは押して帰らなきゃなきゃならないんだから辛いだろう。結局歩きでも変わらないと考えたのさ」

「……」


 私は上手いこと言い返す手だてが無く、黙るしかなかった。

 平らになった道の先に目的の商店の看板がぽっちりと見えた。あまり大きくはないが、ほかに店がないためここらの住民はみんなここへ集まる。

 中に入ると暖かい空気が身体を包んだ。レジカウンターに店主が一人いるだけで他には誰も居ない。


「いらっしゃい」


 店主が声をかける。

 私は店の奥の食品棚に並べられた卵のパックと、その横の保温棚に入った暖かいコーヒーを持ってレジに向かった。レジでは友人が会計を終え、本を受け取っていた。また分厚い本を買ったらしく茶色の封筒がパンパンに膨らんでいた。

 支払いを終えて店を出る。外は思ったよりも寒くなかった。日光で気温が上がったのかもしれない。

 私はコーヒーのプルタブを引き起こしながら、先ほどの問答の続きを切り出した。


「思うに、君は自転車を押して帰ってでも一秒でも早く本を開こうとするはずだと思う」

「おや、さっきの続きかい」

「そうだ」


 友人は再びにやりとした。私はコーヒーを一口含んだ。


「たしかに、調子が良い日ならそうするかもしれない」

「今日はどうなんだ」

「まあまあかな」

「あの坂で自転車は引けそうかい」

「おそらく無理ではないだろうね」


 煮え切らない答えだった。だがこれではイエスと言ったようなものだ。

 友人の顔を覗くが嘘をついている感じではない。だからといって正直に話しているわけでもない。

 私はこのおかしな問答がなんだか馬鹿らしくなってしまって、そっぽを向いて再びコーヒーを飲んだ。

 酸味の効いた熱い缶コーヒーの味は本物には劣るが、冷えた秋風と橙色の朝日で染められた空のお陰で三割増しに感じた。


「君が私のことを言い当てられたのは自分もそうだったからじゃないのか」


 友人に問いかけたが、さあねえ、とはぐらかされた。

 奴は変にムキになっているのか。

 それともそれは私の方か。

 私はなんとなく変なわだかまりを胸に抱えたまま、コーヒー風味のため息を小さく吐いた。

 平らだった道が徐々に急な坂へと変わっていく。

 私が紅葉を始めた街路樹を見上げながら歩いていると、友人がふと言った。


「そういえば今日はまだ自転車に乗っている人を見ていない」


 言われてみればたしかに一人も見ていない。早い時間だから人が少ないということもあるかもしれないが、自転車に乗った人は一度も見かけなかった。


「確かにそうだ」


 私は友人に同意した。


「これは昨日の金曜ロードショーの影響かもしれない」

「そうだろうか」


 友人は壮大なことを言い始めた。


「そこまでアレに影響力があるとも思えない」

「いや、わからない。実際君はその影響で今日は歩きだったわけだろう」

「まあね」

「あの映画のお陰で鉢合わせになったとすれば凄いことだろう」


 友人が言った。

 そう言われるとすごいのかもしれないという気になってくる。


「もしかすると今朝自転車に乗ろうとした人間はこぞって昨日の映画のオチを思い出したかもしれない」

「そして自転車に乗るのをためらうわけだ」

「そうさ。実際ここにそのおかげで歩くことを選択した人間が二人いる」

「結局お前も同じじゃねえか」


 私は友人を小突いた。奴はくつくつと笑った。

 そうこうしているうちに私はコーヒーを飲み終わり、家の前に着いた。


「なんでついて来てるんだ」


 私は横にいる友人に言った。


「君の持った卵を見ていたらなんだか卵かけご飯が食べたくなった」

「自分の家で食ったらどうだ」

「買ったばかりの新鮮な奴の方が美味いだろう」


 私は言い返そうかと思ったが、それもなんだか面倒になってしまったのでやめた。

 朝食を食べたら友人を追い出して二度寝をしようと決めて、私はおとなしく玄関の戸を閉めた。

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