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元子爵令嬢と無表情男  作者: 樫本 紗樹
本編 元子爵令嬢と無表情男
6/11

新しい仕事

ここから本名になります。

ジュリア→エマ、ケイン→ヘンリー

【内緒~】を読んで下さった方はしっくりくるかと思います。

 エマはウォーグレイヴ公爵家に足を踏み入れた。使用人なので裏口からだが、それでも庭が広いのはわかる。ヘンリーは目の前に見える館を指した。

「あちらの大きい建物が本館です。そして手前の建物が使用人寮です」

 エマは驚いた。使用人は基本的に地下で生活するものだと思っていたのに、その建物は男爵家の屋敷くらい大きい。

「部屋は各自個室です。相部屋はありません。これからエマが生活する部屋に案内します」

 エマはどこか落ち着かなかった。勿論初めての屋敷と言うのもあるが、本来のヘンリーの姿がどうしても馴染まなかったのである。眼鏡もなく、髪をきっちり後ろに流していると、どこからどう見ても執事である。冴えないなんて言葉は似合わない。執事は主の代理を務める事もある為見目優先の職業でもある。今まで外見はあまり気にしていなかったが、これから落ち着いて彼の顔を見られるのか彼女は心配で仕方がなかった。

 使用人寮の一室の前に着くとヘンリーはエマに鍵を差し出した。

「これが部屋の鍵です」

「ありがとうございます」

 エマは受け取ると鍵を開け扉を開ける。その部屋は酒場で使用していた部屋と違い陽射しが入っていた。窓にはカーテンがあり、ベッドや箪笥も備え付けられてある。机や椅子もあり、使用人部屋にしては綺麗だった。ヘンリーは入口に持っていた荷物を置く。

「何か必要な物があれば言って下さい。出来る範囲で対応します」

「ヘンリーさんはどこの部屋なのですか?」

「隣です」

 そう言いながらヘンリーは部屋の方向を指した。彼女の部屋は角から二番目であるから彼の部屋は角部屋になる。

「そちらに入ってもいいですか?」

「今は新しい環境に慣れる事を優先して下さい。それに私は身の回りの事は自分で出来ますから、その辺の世話は結構です」

 エマは視線を伏せた。わかってはいたが本当にヘンリーは夫婦生活を送る気がないのだろうか。ここへ来る途中、結婚の書類は提出したので夫婦にはなった。結婚指輪も採寸は終わっており、届くのを待つだけである。結婚式は彼が忙しいだろうと彼女の方から断っていた。そもそも彼女には両親がこの世にいないし、友人もいない。結婚を祝ってくれる人がいないのである。

「わかりました。お忙しい所時間を割いてもらいありがとうございます」

「いえ。あとで家政婦長がこちらに来ると思います。仕事の指示は彼女から受けて下さい」

「はい」

「では、私は仕事に戻ります」

 ヘンリーは無表情のままそう言うと去っていった。彼は入口から入ろうともしなかった。いくら私室とはいえ夫婦なのだから中に入ってくれても構わないのに、まるでそれを避けているようだった。酒場の時は部屋に入らなければ話している内容が他の従業員に聞こえてしまうので致し方なかった部分があるにしろ、それでも全く距離が縮まらない事が彼女には不満だった。

 エマはため息を吐くと荷物を片付ける事にした。この屋敷で働く以上濃い化粧は必要ないと半分ほど化粧品は捨ててきた。着る物も酒場用の物ではおかしいだろうと貯めていたお金で平民らしい服を買ってきた。それでも大した荷物はなく、彼女は片付けるのにさほど時間を要しなかった。

 暫くして部屋をノックする音がした。

「家政婦長のレイです。エマさん、いらっしゃいますか?」

「はい、今開けます」

 エマは扉を開けた。そこには四十歳過ぎのいい人そうな女性が立っていた。

「初めまして、家政婦長のレイです」

「初めまして、エマと申します。どうぞ中へ」

 レイは勧められるがまま部屋の中に入った。部屋には簡素だが机と椅子が二脚あり、二人はそこに腰掛ける。レイはエマを暫くまじまじ見つめた後、柔らかく微笑んだ。

「ヘンリーさんの妻とはどんな方かと思えば、何て可愛らしい人なのでしょう」

「可愛らしいなんてそんな」

「こんなに若いお嬢さん見つけてくる暇が一体どこにあるのかしら。不思議な人」

 レイの言い方は決して悪口ではなかった。仕事で忙しいはずなのにという意味だろう。しかしエマはヘンリーから出会いについては一切言ってはいけないと言われていた。あの酒場を経営しているのは秘密なのである。

「でも納得しました。調理場と洗い場は嫌だなんて条件を付けるから、どこの令嬢を連れてくるのかと思ったのですが、ただ単に可愛い子に冷たい水を触らせたくないだけだったのですね」

「私は洗い場でも大丈夫です。お役に立てるかわかりませんが」

「いいえ。貴女の仕事はクリフォード様の話し相手をして頂こうと思っています。勿論これだけで一日過ごすのは苦痛でしょうから、あとは適当に補助に入ってもらう事になると思います」

「わかりました」

 エマは頷いた。クリフォードと言うのはアルフレッドが結婚相手を自由に選ばせたいと言っていた息子である。果たして自分が公爵家の跡取りと話が合うのかわからなかったが、とにかくここに慣れる事が今の彼女にとって最優先課題だ。

「先にこの家の特殊性を話しておきます。この家には今お嬢様三人とクリフォード様が暮らしておられます。しかしお嬢様方はクリフォード様の事をまるでいないように振る舞われておられます。それがこの家での普通です。決して指摘しないで下さい」

 エマは眉間にしわを寄せる。その普通の意味が全くわからなかった。

「この家の噂をご存じないのですね。旦那様と亡き奥様の間のお子様はお嬢様三人だけです。クリフォード様は誰の子供なのか正直私は存じ上げません。突然旦那様がクリフォード様をこの屋敷に連れて来られたのです。それからすぐ奥様は体調を崩されて亡くなりました。お嬢様方が母親を殺したのはクリフォード様だと恨みたい気持ちもわからなくはないのです。ですから我々使用人は出来る限り会わせないという対策を取っています。守って頂けますか?」

 エマは頷く。酒場で聞いていた話ではこのような事情までわからなかった。しかしアルフレッドは確かに愚息の母親と表現していた。レイが知らないと言っている以上、その母親はここにいないのだろう。母親を知らない少年の話し相手、エマは難易度が上がったと感じた。

「お嬢様方は幸い全員結婚が決まっています。年齢的な問題ですぐにとはいきませんが、あと三年もすればクリフォード様だけと言う環境になります。それまで辛抱して下さい」

 エマは再び頷く。あの日アルフレッドが祝杯だと言っていた意味を理解した。この家をクリフォード中心にしたいのだろう。

「では私はお嬢様方ともし会った場合はどうしたら宜しいのでしょうか?」

「頭を下げるだけで宜しいですよ。会話は必要ありません。クリフォード様は今屋敷の一番端の部屋ですからまず会う事はないと思います」

「わかりました」

「では早速ですがクリフォード様の所へ案内致します。人見知りの激しい方ですが、正直それでは次期当主にはなれません。その辺を上手く対応して頂けると助かります」

「そのような役目を私のような者がしていいのでしょうか?」

 不安そうなエマにレイは笑顔を向ける。

「エマだからいいのですよ。あの無表情男を落としたのですから」

 エマは驚いた。しかしレイはそんな彼女を気にも留めず立ち上がる。エマも慌ててレイの後をついていった。



「クリフォード様、本日からこの屋敷で働く事になったエマです」

「エマです。宜しくお願い致します」

 エマは頭を下げる。クリフォードはどこか怯えているような雰囲気だった。

「クリフォードです」

 その声は小さかった。次期公爵家当主としては頼りなさすぎる。母親がいないだけで果たしてここまで気弱な感じになるのだろうか。エマはどう対応していいのかわかりかねた。

「ではエマ、早速ですが夕食まで任せますよ」

 エマはレイに縋るような視線を向ける。しかしレイは微笑んだだけで失礼しますと言って部屋を出ていってしまった。クリフォードと二人きりになってしまったエマはどうしていいのかわからない。今まで彼女が相手をしていたのはお酒が飲める大人の男である。十二歳の少年など話した事もない。

「クリフォード様は何か趣味などありますか?」

 クリフォードは首を横に振る。人見知りが激しいと言っていたから、会話さえ出来ないのかとエマは思った。

「ここに腰掛けても宜しいですか?」

 クリフォードは頷いた。どうやら嫌われてはいないようだ。エマは椅子に腰掛けると彼と視線の高さを合わせた。彼はアルフレッドに似ていた。母親は誰かわからなくとも父親は間違いなくアルフレッドだろう。しかし雰囲気が違い過ぎる。アルフレッドはもっと自信に満ち溢れている。異母姉達に無視されて屋敷の端の部屋に籠っていれば、こうなってしまうのは仕方がないのかもしれない。

「クリフォード様、私は本日初めてこのお屋敷に来たばかりで何も知らないのです。ここにもレイさんに連れてこられたので戻り方もわかりません。だから暫くここでお話してもいいですか?」

 クリフォードは頷く。エマはどうしても彼と会話をしたかった。これは質問が悪かったと思い直す。

「ありがとうございます。クリフォード様は何をしている時が楽しいですか?」

 クリフォードはきょとんとした表情をエマに向けた。まるで楽しいという意味を知らないような表情だ。彼女は不思議そうに首を傾ける。すると彼も首を傾げた。エマは笑って逆に首を傾ける。すると彼も嬉しそうに首を逆に傾けた。

「クリフォード様、それは答えになっていませんよ」

「今のは少し楽しかった」

 クリフォードは楽しそうにそう言った。エマは微笑む。時間はかかるかもしれないが、この仕事は案外出来そうだと思えた。

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