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元子爵令嬢と無表情男  作者: 樫本 紗樹
本編 元子爵令嬢と無表情男
3/11

攻防は続く

「ジュリア、ボガード様の件を前向きに考えてみてはいかがですか」

 ジュリアは不快な表情をケインに向ける。数日振りに顔を出したと思ったら、誰から聞いたのか知らないが、彼女が彼の口から聞きたくない話だった。

「考えません。好きでもない所に嫁ぐくらいならここで仕事をします」

「ですが彼の仕事は安定しているように見受けられます。いい話だと思いますよ」

「自分が楽になりたいからと言って私に適当な人を押し付けないで下さい」

 ジュリアは視線を外す。いくら根気よく付き合ってくれているとはいえ、この攻防に手ごたえがないのは嫌でも感じていた。それでも好きな気持ちは変わらないのだから仕方がない。

「ジュリア、貴女はよく頑張っています。幸せになっていいのですよ」

「それなら尚更他の人を勧めないで下さい」

「ジュリア、冷静になりなさい。貴女は私の何を知っているというのですか。私の本名も知らないでしょう? 意地を張っても仕方がありません」

 ケインの声色は珍しく優しかった。それはまるで娘を諭す父親のようでジュリアは悔しかった。どうしたら彼の目に女性として映るのかわからなかった。

「本名が何だと言うのです。私は別にケインさんが誰の執事でも構いません。ただ、ケインさんがいてくれる、それだけでいいのです。私にはもう家族がいませんから、ケインさんと夫婦になりたいのです。他の誰かでは嫌なのです」

「執事とは、どういう意味でしょうか」

 無表情ながら瞳の奥が揺れたのをジュリアは見逃さなかった。彼女は自分の憶測が間違っていないと確信する。

「そのままの意味です。ケインさんは平民ではないでしょう? 伯爵家の長男以外で、公爵家か侯爵家の当主の執事をしている。そうでなければリード卿の件など関わるはずがありませんし、私が子爵令嬢に戻れるように便宜も図れないはずです」

 ケインは小さくため息を吐いた。

「そうですか。少し話しすぎましたね。ただこの店で聞いた事は他言無用。私の事もそれでお願いします」

「別に誰かに話したりしません。もしかしてケインさんは結婚するなと言われているのですか?」

「いえ、私の主はそのような心の狭い事を言う人間ではありません。私が不器用なだけです」

「確かに、ケインさんは不器用そうですね。そんな所も好きですよ」

 ケインは珍しく動揺した。それを見てジュリアは驚く。多少表情が崩れる事はあっても、ここまで動揺するのは初めて見た。そして彼女は気付く。いつも結婚して下さいとかだけで、好きだと言ったのは初めてだったと。彼女は微笑んだ。

「ケインさんは可愛い方なのですね。ますます好きになりそうです」

「いい加減にして下さい。私は結婚しないと言っているではありませんか」

 困惑するケインを見てジュリアは胸の奥を掴まれた気がした。今までは感謝が恋愛感情に変わっただけという曖昧なものに、意地になっていただけだとわかった。今彼が愛おしくて堪らないと思うこの感情こそが本来の恋愛感情なのだ。

「でも私はもうケインさんの虜です。その腕に抱かれてみたいのです」

「そのような事は結婚前の女性が口にしていい言葉ではありません」

 今までの淡々とした攻防と違い、ジュリアは楽しくて仕方がなかった。しかしケインも大人である。いつまでも年下女性の戯れに付き合ってはくれない。彼は無表情を取り戻していた。

「ボガード様には今度きちんとお断りします」

「本当に宜しいのですか? このような話は二度と来ないかもしれませんよ」

「どのような話も必要ないのです。私の決意は今日固まりましたから」

 ジュリアは微笑んだ。それをケインは無表情で受け止めたが、瞳の奥にまだ困惑が残っているのを彼女は見逃さなかった。



 ジュリアはボガードに結婚する気がない事を告げた。ボガードはしつこくする事はなく、それからも客として度々通ってくれた。彼女の事を恨まず、まるで何もなかったように接してくれるボガードの器の大きさに感謝しながら、彼女は仕事を続けた。



 ジュリアが店で働き出して二年半が過ぎた。来月には十八歳になる。彼女は相変わらず手応えのないケインとのやり取りをしながら、懸命に働いていた。彼女は男性客に色目を使わず、何を話しても誰にも洩らさない。別の客に尋ねられても受け流す。それが評判を呼び、個室を使う客はほぼ彼女を指名して同席させていた。やはり酒は手酌よりもお酌して貰った方が美味しいのである。しかも彼女の注ぐワインは絶品と言われていた。



「そうですか。ではまた何かあれば教えて下さい」

 ジュリアは客には何も洩らさない。ただしケインは例外である。この店の目的の為に彼女は彼に協力をしていた。自分の父の汚名を雪いでくれたのだから悪い事には使わないだろうと思っている。しかし彼女は自分が彼の為に仕事を頑張れば頑張るほど、婚期を逃しているのではないかと苛まれていた。この店の中で情報を一番集めているのは自分であり、結婚してこの店をやめさせるという選択肢を彼が持つとは到底思えなかった。

「ケインさん、私がこの店で働けないくらい歳を取ったら結婚してくれますか?」

「そのような頃には私がもうこの世にはいないと思います」

「あと十年くらいならまだ大丈夫でしょう?」

「いいえ、ジュリアならあと三十年は働けますよ」

 相変わらずケインの答えはつれない。この店は女性の若さを売りにしているわけではないので、確かに四十歳を過ぎても働けるだろう。しかし彼女はそこまで長く働きたいとは思っていない。

「それより前にケインさんが本職の方で変化が出るのではないですか?」

「私は終身雇用を約束頂いています」

「そうですか。そのお屋敷はさぞ立派なのでしょうね」

 ジュリアはケインが誰に仕えているのか考えていた。彼女は上流階級の人達と接する機会が増えた為、この店に来ない人に絞れると思ったのだ。しかしそれは彼が同じ考えだったのか、その主が経営している事を隠す為なのかこの店に来ていない公爵・侯爵はおらず、結局彼女は絞り込めないままだった。

「そうですね。ジュリアの育った屋敷よりは立派かと思いますよ」

 無表情のケインにジュリアはつまらなさそうな視線を投げた。子爵家では金銭的に執事が雇えない。もし雇えたとしても雰囲気執事で実際は従者など色々兼任していて彼のように自由には動けない。そんな当たり前の事を言われても、彼女には何の助けにもならなかった。

「終身雇用でなければ、私が子爵令嬢に戻る選択をした場合、ケインさんは婿入りしてくれましたか」

「もしもの話は意味がありません。しかし私は今の仕事に満足しています」

 あの日以降ケインの動揺した所をジュリアは見る事が出来なかった。どうやら彼は何か対策をしたようで、その後好きだと言ってみても無表情のままだ。彼女はいつか決着をつけなければと思いながらも、何も見つけられなかった。

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