父の不正の事実
それから暫く代わり映えのしない日常が続いた。しいて変わったと言えばマイヤーが来なくなった事くらいである。しかし彼は商人であり、遠出すると何ヶ月も来ないので、ジュリアは特に気にしていなかった。
そんなある日、ケインがジュリアの部屋を訪れた。彼は珍しく手に袋を持っている。
「今は報告するような事は何もありません」
ジュリアは淡々と言った。ケインが自分の事をただの従業員としか見ていない事くらいわかっている。無駄な恋心をいつまでも抱えているよりは、ここでしっかり働いてお金を貯め、将来の設計図でも描いた方が有意義だと彼女は思考を変えようと努力していた。
「これは先日のお礼です」
そう言ってケインはジュリアに袋を差し出す。彼女はそれを受け取らなかった。
「お礼を貰うような事は何もしていません」
「マイヤー様の一件、私にはとても重要な事でした。それが片付きましたのでそのお礼です」
「片付いた?」
ジュリアは訝しげな表情を向けた。その表現の仕方が嫌だったのだ。しかしケインは相変わらず無表情である。
「彼は存命ですから心配なさらなくても大丈夫です。ただ不正が発覚し城への納品が出来なくなっただけですから」
ジュリアは不審そうな顔をした。ケインはいつもならこのような事を口にしない。何故あえて自分にそのような話をするのか、彼女にはわかりかねた。
「ジュリア、よくここまで頑張りましたね。ウィーラー子爵家の件について調べがつきました」
ジュリアは目を見開いた。ウィーラーは彼女が手放す事になった家門名である。しかし彼女はマイヤーとリードの話し合いに同席していたのに、そこに繋がるとは一切わからなかった。話していたのは城への納品に今後も便宜を図って欲しいという内容だったのだ。
「リード卿は前々から不正をしていると噂されていたのですが、決定打がありませんでした。ウィーラー卿がそれに気付き告発する所で先方に露見し、酒に溺れたように見せかけて殺されていたのです」
「そんな、まさか」
ジュリアは両目を見開き、両手で口を覆う。自分でさえ父は寂しさから酒に溺れたと思っていた。それが実は不正を暴こうとして殺されていたなどとは思いもしなかったのだ。
「ウィーラー卿はお酒を飲まされていたのです。この店で飲んでくれていれば話は早かったのですが、そうではなかったので、ここまで時間がかかってしまいました」
「それでは父は不正などしていなかったのですか?」
ケインは無表情のままジュリアに説明をした。リードが借金をしていた事。その返済の為にマイヤーと裏取引をして城への納品の便宜を図っていた事。その事実がウィーラーに露見し口封じをした事。そしてそれ幸いにとウィーラーに罪をなすりつけ資産を巻き上げて自分の借金を返済した事。借金がなくなったリードはマイヤーと手を切ろうとした事。それを防ぐ為にマイヤーは高級ワインが必要だった事。そして再度手を組むと決めた事。それを告発した事によりリードは失脚、マイヤーも城に出入り禁止となった事。
「それではあの屋敷は今、どうなっているのですか?」
「リード卿の財産はすべて国庫に収まりましたが、あの屋敷は既に売却されており、今すぐ取り戻すという事は難しい状況です」
「そうですか。別に構いません。子爵令嬢に戻りたいわけではありませんので」
ジュリアは一人娘であった以上、家を再興するのならば婿をとらなければならない。平民に落ちてこのような店で働いていた女性の所に婿に来る男性に期待など出来ない。それに既に今の生活に慣れてしまっていて、元の生活に戻りたいとは思えなかった。
「戻らなくても宜しいのですか? 便宜を図る事は可能ですが」
「結構です。ケインさんが婿入りしてくれると言うのでしたら考えますけど」
「私のような冴えない男を誘ってどうするのですか。ジュリアにはもっと適した男性がいるはずですよ」
ケインはいつもの無表情である。ジュリアは落胆した。告白のつもりだったのだが相手に全然伝わっていない。しかしここで引くのは何だか癪だった。
「ケインさんと一緒になれないのなら独身で構いません。ここで今暫くお世話になります」
「ここで働いてくれるのは大歓迎ですよ。ジュリアはお客様の評判が上々ですから」
ジュリアが今まで頑張ってきたのはケインに認めて欲しかったからだ。彼女は元々子爵令嬢だったので上流貴族の家門名にも通じていたし、対応もそつはなかった。他の従業員達は知らないが、彼女はその有利な点を活かしてここまで頑張っていたのである。
「私は決めました。必ずケインさんと結婚します。これから攻めていきますので覚悟して下さいね」
ジュリアは微笑んだ。諦めようと思っていたがどうしても将来の設計図が上手く描けない。それならしつこいほどケインに求婚して、彼が首を縦に振るまで諦めないでいようと思った。彼はこんな時でも相変わらずの無表情であるが、瞳の奥が困惑している。
「勝手に決めないで下さい。それは不毛です」
「もしかしてケインさんは既婚者ですか?」
「私は一生独身でいると決めています」
「それなら不毛ではありません。努力はいつか実りますから」
ジュリアは微笑んだ。今まで生きてきて一番楽しい気分だった。ケインは珍しく困った表情を浮かべて紙袋を彼女に差し出す。
「実らない努力も世の中にはあります。これはただのお礼です。本当に意味はありません」
ケインの言い方が気になってジュリアは紙袋を受け取る。彼はそれを確認するとそのまま部屋を出て行った。彼女が紙袋を開けると、そこには綺麗な銀の首飾りが入っていた。彼女は家を出る時に宝飾品は持って出たのだが、全て換金していて手元には何もない。賃金は貰っているので今なら買う事は出来るのだが、彼女は将来の為にと貯金しており、宝飾品は結局何も持っていなかったのである。彼女は自然と笑みを零していた。
それからケインとジュリアの攻防が始まった。しかしどちらも引く事はなく、ただ時間だけがいたずらに過ぎていった。
「ジュリア、そろそろやめませんか? 適齢期を逃してしまいますよ」
ケインは珍しく心配そうな表情をしていた。ジュリアは笑顔を返す。
「それなら適齢期の私を今すぐ妻にして下さい」
「ですから考え直しなさいと言っているではありませんか」
ジュリアもただ闇雲に迫っていたわけではなく、ケインの背景を考えていた。きっとケインというのは偽名だろう。マイヤーの一件を追っていたのだから王家か上流貴族に近しい者だ。しかし彼は三十過ぎているように見えるのに独身なのだから長男ではない。継ぐ家はなく出仕していると考えるのが妥当だろう。役人だったらこの店に昼間から来られるはずがないのである。そうなると結婚しないと言っていた意味も理解出来る。従者や執事の場合は独身が多い。主人に一日中仕える職業なので家庭を顧みる時間が少ないのである。彼がここにこうやって定期的に足を運べるのは、主人の命令で情報を集めていると思えば自然である。
「ケインさんに拾って貰えなければどうせ果てていた命です。考え直す必要はありません」
「そうですか。諦めは肝心だと思いますけれど」
無表情のケインにジュリアは微笑む。最近彼女はこのやりとりでさえ楽しく感じていた。面倒なら相手をしなければいいのに、彼は根気よく彼女に付き合ってくれる。それだけで彼女は十分かもしれないと思い始めていた。誰かの愛妾になるよりは有意義だと感じていた。
「ジュリア、もし君が良ければ私の所に来ないか?」
「ボガード様、お気持ちだけ頂いておきます」
「私は本気だ。本気で君を妻に迎えたいと思っている」
ジュリアは驚きを隠せなかった。最近この店によく顔を出すようになったボガードは貿易商である。彼の商売は安定しているような雰囲気であるし見た目も悪くないが、ずっと仕事に没頭していた為に婚期を逃してしまったというような話は以前聞いていた。しかしまさか彼の好意が自分に向けられているなどとは思いもしていなかった。
「ボガード様にはもっと素敵な方がいらっしゃいますよ」
ジュリアは微笑んだ。彼女は変わらず濃い化粧をしている。この顔の一体どこを気に入られたのか彼女にはわからなかった。会話もそこまで話し込んだ記憶はない。
「そういう人がいなかったから今まで一人だったんだよ。すぐに答えを出さずに一旦考えてくれないか?」
あまりにも真剣な表情でそう言われ、ジュリアは困りながらも頷いてしまった。しかし彼女は考えなくとも答えは出ている。今心が動かなかったのだから考えても答えは変わらない。