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元子爵令嬢と無表情男  作者: 樫本 紗樹
本編 元子爵令嬢と無表情男
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元子爵令嬢と無表情男

【内緒ですが恋愛結婚です】の番外編ですが、読んでなくても問題ありません。

登場人物の名前に違和感があると思いますが、途中で答えを書きますのでお付き合い頂ければと思います。

「ジュリア、また綺麗になったのではないか?」

「ランス卿に久し振りに会えて気分が高揚しているだけですよ。いつもので宜しいですか?」

 ここは王都にある酒場の一つ。所謂高級酒場。ジュリアはグラスに高級ワインを注いだ。ランスがジュリアの太腿に手を伸ばしそうになるのを咎めるように、彼女はワイングラスを持ち上げる。

「さぁどうぞ」

 ランスは少し不満そうな顔をするものの、この店はお触り厳禁である。そういう事を望むのならば娼館が併設してある酒場へ行かねばならない。この店はあくまでも貴族や豪商が高級な酒を楽しむ為の店であり、女性は酒を注ぎ会話を盛り上げる存在である。その為この店にいるのは三十歳前後の落ち着いた雰囲気の女性が多い。その中でジュリアは二十歳前後に見えるので、たまに触られそうになるのである。しかしこの店で働き出して一年も経っている彼女はあしらい方を習得していた。

「お仕事がお忙しかったのですか?」

「いや、息子の結婚について色々とあってね」

「あら。どちらのご令嬢を娶られる事になられたのですか?」

「それがまだうちのと息子が揉めていて決着がついていない。だから気分転換だよ」

 ため息を吐くとランスはワインを口に運ぶ。

「あぁやはり美味しいな。グラス一杯だけ楽しめるのがこの店のいい所だ」

 この店は高級なワインやシャンパンをグラス一杯から楽しめる。瓶一本購入出来なくても一口飲んでみたいと言う者が集うのだ。例え一口でも飲んでいれば評価は出来る。上流社会での付き合いが円滑になるのである。伯爵であるランスはたまに一杯だけ飲みたいと言う人間であり、そんな人にもこの店は受けていた。



「ジュリア、最近何か面白い話はありましたか?」

 翌日の昼過ぎ、ジュリアの所に一人の男性が訪ねてきた。眼鏡をかけ髪を下ろした地味な風貌のその男性は、この酒場の主人ケインである。

「特には。ランス卿が御子息の結婚で揉めているというくらいで」

「ではまた何かあれば教えて下さい」

 無表情でそう言うとケインはジュリアの元を去っていく。彼女はその背中を寂しく見つめていた。



 ジュリアは源氏名である。彼女は元々子爵令嬢だ。しかし母が病死すると父が酒に溺れるようになり、体調を崩して母の後を追うようにこの世を去った。当時まだ十五歳だった彼女は兄弟もおらずどうしていいのかわからないうちに、父が実は不正を行っていたと家門取り潰しになった。家門取り潰しになると財産没収になる為、彼女は身の回りの物を持てるだけ持って十五年過ごした屋敷を追い出される事となったのだ。この間親族は余罪が及ぶのを恐れて誰も助けてくれず、使用人達も知らぬ間に消えていた。世間知らずな彼女はどう生きていけばいいのかわからず途方に暮れた。そんな時に声を掛けてくれたのがケインであり、彼女はこの酒場の地下に一室を借りて生活していた。

 子爵家で暮らしていた時よりは勿論不自由である。何故自分がこのような仕打ちに遭わなければいけないのかと父を恨んだ事もある。しかし恨んだ所で屋敷は取り戻せないし、お腹は膨れない。彼女は娼館に売られるよりはましだったと前向きに捉えて、仕事を懸命にこなしていた。他の女性達も何か過去があるのか、昔の事は聞いていけないと言う暗黙の決まりがあったが、彼女にはそれがありがたかった。親から貰った名前を封印し、ジュリアとして新しい人生を歩んでいくと決めた以上、過去を詮索されたくなかったのだ。



 ジュリアは今日も濃い目に化粧をして店に出る。彼女は社交界に出る前に家を潰されているので、知り合いに会う確率は低い。それに店内は薄暗い。それでも濃い化粧はやめられなかった。

「ジュリア、最近何かいいお酒は入った?」

「お久しぶりです、マイヤー様。先日あのワインが入りました。少々御待ち下さい」

 ジュリアは店の奥から高級ワインを一本手に取ると、グラスを持ってマイヤーが腰掛けている席につく。マイヤーはワインの銘柄を見て微笑む。

「私が飲んでみたいと言っていたものじゃないか。わざわざ取り寄せてくれたのか」

「えぇ。マイヤー様のご希望でしたから」

 客が望んでいる酒の種類をケインに伝えるとこうして仕入れてくれる。しかし全部というわけではない。お得意様や、今後付き合いが長くなりそうな客にのみ対応してくれる。今ジュリアが手にしているのは隣国からの輸入品であり、普通に生活していたらまず入手出来ない高級品である。マイヤーは商人だが貿易商ではないので、手に入らないと以前愚痴を零していたのを彼女はケインに報告していたのだ。

「凄いな。早速注いでくれ」

 ジュリアは慣れた手つきでコルクを開けてグラスに注ぐ。この注ぎ方一つで香りが変わってしまう。この店で働く女性は徹底的にそれを叩き込まれていた。故に誰が注いでも美味しいはずなのだが、特別ジュリアが注ぐと美味しいと評判であった。

 マイヤーは満足そうにワインを堪能する。

「やはりジュリアが注ぐと美味しい」

「適当な事を仰らないで下さい。このワインは初めてでしょう?」

「これだけ高級な物ならジュリア以外に注がせたくないよ。ここを辞めて私の所に来ないかい?」

「私はこの仕事が好きなので、お気持ちだけ頂いておきます」

 ジュリアは微笑んだ。この店で働いているとたまにこのような事を言う男性が出てくる。しかしそれは決して正妻への誘いではない。愛妾である。そんなものになるくらいなら彼女はここで働いていたかった。それに彼女には密かに想いを寄せている男性がいるのである。



「マイヤー様は満足されましたか」

「はい。もし可能なら一本購入して持ち帰りたいと仰っていました」

「当店は酒屋ではありませんから売りません」

「えぇ、そう言われると思いましたので一緒に飲みたい方と御来店下さい、その時まで他のお客様には出しませんと約束をしました」

 ジュリアの答えにケインは頷いた。相変わらず無表情である。しかし彼女には彼が無表情の瞳の奥に満足を感じているのを読み取っていた。自分の判断が正しかった事を確認出来て嬉しかった。

「ジュリアもこの店に慣れたようですね」

「ケインさんのおかげです。感謝してもしきれません」

「売り上げに貢献して頂ければそれで問題ありません」

 ケインは無表情のままである。ジュリアはそんな彼の瞳から特別な感情を読み取れず、落胆しそうになるのを必死に隠しながら微笑んだ。

 ジュリアは生きる術を与えてくれたケインに感謝していた。最初は無表情で当店で働きませんかと誘う怪しい男だと思ったが、妙な笑顔より無表情の方が信じられると思い直した。彼が教えてくれたのは酒の知識だけである。それでも彼女が店に馴染むよう配慮をしてくれていたし、今もこうして客の話を聞くついでに様子を見にくる。彼はこの店に暮らしていないのでいつ来るかはわからない。それでも例え仕事の話だけでも彼と話せるのが彼女の楽しみだ。感謝の気持ちが恋心に変わるのに、さして時間はかからなかった。



 数日後、マイヤーはとある侯爵を連れて店を訪れた。個室を希望した為ジュリアは店の奥にある個室に案内した。グラスを二つ用意し、手際よくワインを注ぐ。

 個室に案内すると打ち合わせなどが始まり女性が追い出される事はよくある。しかしマイヤーは出ていけと言わなかったので、ジュリアは無表情でその場に座っていた。話の内容からいって彼女が同席していいものではなかったが、マイヤーは彼女を信頼しているのか何も言わず、グラスが空くと注ぐようグラスを振るので大人しくワインを注いでいた。



「マイヤー様はあのワインをどなたと飲まれましたか?」

 翌日ケインはジュリアの部屋を訪れていた。彼は相変わらず無表情であるが、どこか落ち着きがない様子だ。どうやら余程相手が知りたいのだろうと彼女は思った。

「珍しいですね、そのような事を聞かれるのは」

「あのワインは本当に入手困難なものなのです。その価値があったのかを知りたいのです」

 ジュリアは薄々気付いていた。ケインはこの店を情報取集の為に経営しているのだと。彼は貴族か、もしくはそこに雇われている人間なのだろうと。だから眼鏡をかけて髪を下ろし目立たない風貌をして、店にもまず顔を出さない。

「一緒にいらっしゃったのはリード卿です」

 ケインの瞳に一瞬光が差したようにジュリアは感じた。しかしそれは一瞬で、彼女は見間違えたかなと思っていると彼が口を開く。

「同席は許されましたか?」

「えぇ。瓶が空になるまでワインを注ぎました。お客様の話されていた事は他言無用、そうですよね?」

 ジュリアは微笑んだ。多分話の内容をケインは知りたいはずだ。そうわかっていても彼女は気軽に話す気はなかった。この店内で聞いた話はどこにも洩らしてはいけない。それが決まりであり、働く女性達に徹底されていた。それ故にこの店は高級酒場として維持出来ているのである。

「そうです。それでいいですよ」

 ジュリアには無表情のケインが笑っているように見えた。彼は誰が一緒だったかさえ分かれば話の内容はわかったのだろう。彼女は自分の浅はかさに自己嫌悪した。駆け引きなど出来る相手でないとわかっていたはずなのに、何を期待したのだろう。

「ケインさんは凄いですね。誰と一緒だったのかというだけで十分なのですか」

「その為に苦労してあのワインを入手したのです。ですがそのきっかけを作ってくれたジュリアにも感謝しています」

「そうですか。お役に立てたのならよかったです」

 ジュリアは気丈に振る舞った。悲しげな表情など見せたくなかったのだ。ケインは相変わらず無表情だった。

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