2 異世界の配達人
キャメローン王国。大陸の中央に位置し、山々を切り開いた高地の上にあるために城下町全体が山に囲まれた天然の要塞となっている。
そのため余程離れない限り、ぐるっと見渡すと何処からでも王国が発見でき「キャメローン王国周辺では迷子にならない」とも言われている。
人口も大陸1の7万人弱を誇り、その中で一番多い民族は人間である。商業、文化の中心でもあり、大陸中に名が知れた大富豪達の8割はキャメローン王国に本店を構えていたり、有名な劇団やサーカス団なども王国を中心に巡業を行っている。
今でこそ不必要だが、軍事力も大陸トップクラスである。
約100年前、大陸全土を巻き込んだ戦争にて王国直属の魔法騎馬団は1000人ほどの部隊だが、数多の国々の軍を打ち破り降伏させた。
今は軍備も縮小し、人数は減少したが国すらも捩じ伏せる大陸1の精鋭が集まる最強部隊は今なお健在である。
で、王様の名前は...確か...。
出てこない。なんだっけ、ユサ...なんとか。
「先輩、国王の名は何でしたっけ?」
「ユーサー三世だ」
ユーサー、そうだ、それだ!
あぁ、良かった!バラバラのパズルが綺麗にはまる瞬間は、なんとも言えない安心感がある。
「なんで急に国王の名前何て」
「いや、どうにも思い出せなくて」
ユーサー三世、現在のキャメローン王国を治める国王。
王としては現場主義な人でよく城下町に降りて視察に訪れる姿が目撃され、派手な衣食は好まず庶民派として親しまれている。
僕の知っているのはこのくらいだ。さて、この世界は知っての通り僕のいた世界とはまるっきり違う異世界だ。魔法と呼ばれる学問が存在し、人間以外にも様々な種族が存在している、らしい。
こちらの中世に相当する文明ルベル、ではあるが魔法のお陰か教科書のイラストのまんま、という訳でもない。火を起こすのも現代並みに簡単だし、光なんて無から生まれる。電球が切れたり、なんてトラブルには見舞われない。
ただ、食や文化レベルは歴史の教科書通り。肉には香辛料をドバドバとこれでもかとばかりに振りかけ素材の味など微塵もしないし、なにより臭いがキツイ。
街は煉瓦造りの如何にもヨーロッパと言わんばかりの家々が並び、道路も石材で丁寧な舗装がされているのに、その場でウサギを解体する肉屋や野良犬野良猫の糞のせいで臭いは酷い。そもそもお風呂に入らないため人が臭い。
そうだ、川も臭い!肉屋や魚屋から捨てられた臓器が捨てられていたり...手が、捨てられていたり。何があったのかはわからない、ただ死体が投げ込まれているなんてのも、ここじゃ常識だ。
中世ヨーロッパは綺麗で美しいなんて幻想だ。臭い、只管に臭い。
だからこの世界でも香水がある。僕もこの世界ではじめて香水を使った。最早使うことが暗黙の領域、お互い顔が歪ませながら息をしないように鼻をつまみながら会話するなんて嫌に決まっている。
大人の嗜みをせざるを得なくなった世界だが、そこにさえ目を瞑ればやはり面白い。教科書に載っている数世紀前の時代へタイムスリップした感覚を味わいつつ、魔法や種族という新鮮さもある。
デザインなどない地味な色のゴワゴワしたシャツとヨレヨレのズボンやスカートを着た人々。
露天が並ぶ商売ロードでは現地の住人だけでなく行商人や旅人なども店を構え、賑わいを見せる。時に道の中央を通りすぎる馬車からは気品漂う上級民、貴族が顔を覗かせていたり、酒場では連日武勇伝と怒号と拳が飛び交う活気ある庶民憩いの場となっている。
そんな街中を歩くこと数十分、大通りを横切り住宅街から外れて王宮近くの公的機関が並ぶ区画、サルマーンへと到着。
ここは街を警備する衛兵の本部や、税管理、露店出店の許可を出す役所がこの区画に存在するために人通りも多く王国のかなり西側にあるにも関わらずあらゆる行事で集まる役所前広場では騒がしい。
そんな役所のすぐ右隣、立派な煉瓦色がはえる2階建ての横にある半分のサイズもない控えめな平屋、そこが配達人の仕事場。
同じ煉瓦とは思えないほど黒く汚れていて、ヒビも入っている。
ガラスが張られ天井から3本の石柱が天に向かって延びるこの立派な建物の横になぜ置いたんだ。
ただ中に入れば大差ない。受付用のカウンターがあって奥には長机と個人用の小さな机が1つずつ、椅子が人数分置かれている、それだけ。
誇張はない、机の上にも小物がちょこちょこと置かれているだけで寂しさを感じる。学校の委員会でももう少し物を置いている。
役所も質素なもんではじめて訪れたときは壁に何か飾ればいいのにと口にしてしまった。
「うぃーす、おはようさんチェキ」
「おはようございます!先輩」
まず先輩が声をかけたのはチェキと呼ばれる受付担当の女性。赤毛のショートカットが可愛らしいまだあどけなさが残る16歳、この近くの商人の家で生まれ15歳からここで働いている。
紺色の地味なロングワンピースを着る彼女はいつものスマイルで出迎えてくれた。
「カロくんも、おはよう」
「おはようございます」
にこっと微笑みかけてくれる。可愛いい、狸顔で少し丸い輪郭だが笑ったときの大きなえくぼが彼女のスマイルにいい味を出している。
「今回トーサカに行くの?あそこって北西にずーっと行った所だよね。大丈夫?」
「ずーっと、ですか...がんばります」
優しいなぁ、チェキさん。チェキさんが来てくれるならいくらでも頑張れそう。ずっと側で励ましてもらって、心折れそうになったときは...いやいや、こんな危険な仕事に彼女を連れては行けない。無念、無念...。
せめてのスマイルを海馬に焼き写し、カウンターの奥へと入っていった。
奥には1人、初老の男性が座っていた。色の抜けた白髪と喉を隠す白い髭はよく整えられているので中々に男前なこの方、一番奥の唯一の専用席を持つここのトップ、ジール。
「おはようさん、お2人」
「おはようございます、ボス」
「おはようございます、ジールさん」
専用席の前で僕たちは軽く一礼。上司への挨拶を済ませる。
「して、今回はトーサカか。ルートはキミが知っているから心配はしていない、任せるよ。...だからカロくん、安心して着いていきなさい。」
ちらっと先輩に目をやるとまかせろっと言わんばかりのどや顔。あーぁ、ヘマしないかなーなんて考えたが『ヘマ』すれば僕たちの命もマズイことになるので、そんな考えも凍りついて粉々に砕ける。
「手紙は預かっている」
そう言ってジールさんが取り出したのは、刀だった。次に何かしらの植物の葉付き枝、今度はシャツ。
そうしてどんどんと机の上に出されていく。手紙なんて1つもない。
全て出し終えると背負った鞄を降ろして丁寧に入れ始める。柔らかいものは底に入れて、枝みたいな繊細な品はその上に寝かせて置く。2人であーだこーだ言いながらお互いのバックに無理なく手紙に負担がないよう相談しながら詰める。
「頼んだよ、2人とも。気をつけて、幸運を祈る。」
「行ってきます、ボス」
出発前にはジールさんとの握手が恒例となっている。席からたつと2m近い身長に圧倒され、差し出された手を握るとゴツゴツとした手に毎度ビビる。
「いってらっしゃーい、気をつけてー」
毎度お馴染みチェキスマイルのお見送りも欠かせない、こっちは絶対!必要不可欠!ここに帰ってこよう、帰ってまたあのえくぼを見るんだ。そんな気にさせてくれるから、去り際行ってきますの元気な一声と深い一礼は、そんな彼女へのささやかなお礼と感謝。
よーし、やるぞー!広場で空を仰ぎながら、気合いを入れ直した。
手紙、遠くの人へ思いを届ける。何気ない一通から、恋文、顔も知らない人との文通、様々だ。
ただ、この世界には文字がない。衝撃的だった、鉛筆などの筆記具は勿論本などあるわけない。そんな世界で代わりに生まれたのは、声の魔法だった。無機物に声を録音する魔法、そうやって関連付けたものに声を付けたりしている。代表的なのは絵、簡単な物から画家が書いた後世に残りそうな素晴らしき名画まで、庶民から役所まで多様な人、場所で使用されている。
そうした魔法があって生まれたのがこの手紙、実際全然手紙でもないし、そもそも文字の概念がないこの世界で何故手紙という言葉すら生まれたのか不思議ではあるが、現に手紙と呼ばれているので、これ以上は深く知らないが、手紙を届ける配達人という仕事がある。
これには、どんな声が聞こえてくるんだろう。時々だが、触っていると勝手に聞こえてしまうことがある。誉められはしないが、先輩は時折旅の道中で盗み聞きをやっている。
今も、大通りに戻ってきてすぐ先輩は汚れた剣を手にとって耳に鞘の部分を当てていた。
「手紙から聞こえる声が、励みになる。」
先輩耳から鞘を離して鞄に戻しながら、言い訳した。
でも、ちょっとわかる気がする。僕もはじめて聞いた声は、今でも覚えているし、あの時は届けようって奮起した。
『お父さん、元気ですか?私は元気です、お山のお仕事頑張ってるお父さんが大好きです。今度、会ったらいっぱいお話ししようね』
それは短い女の子の声、お父さんと離れ、待つことしかできない女の子のメッセージ。白のハンカチに込められた思いは計り知れない。
配達人は思いを届ける。物に込められたメッセージを、待っている人々へ。
この物語は、僕がメッセージを届ける、だけの物語。