1 僕はカロ
窓から差し込む柔らかな日差しが朝を告げる。まだ、眠ろうよと二度寝を誘うベットから体を引き剥がしゆっくり伸ばして誘惑を断ち切る。
こちらの世界に来て2週間、やっとベットに慣れたといった感じ。敷布団に当たる布が煎餅みたく薄くて硬い。なので背中、特に腰が痛くて仕方ない。思い出すと初日は全身の神経の悲鳴によって叩き起こされた最悪の寝起きだった。
2日目、3日目と寝返りで何度か真夜中に目を覚ますことがあったが4日目になると人間無理にでも適応するらしくぐーすか安眠できるようになった。
ただでさえ忙しいこの仕事なのでせめて部屋に帰った日くらいぐっすり眠りたい、その細やかな望みが叶えられた記念すべき日でもある。
腰を滑らせて床に足をつけ立ち上がると足に鋭い痛みが走る。筋肉痛だ、ロボットダンスのようなぎこちない動きでなるべく筋肉を使わないようドア前に移動し錠を外して短い廊下へ。ぐぉ、とかぎぇ、とか痛みに合わせて声を漏らしながら進み急な階段を手すりに掴まり一歩一歩片足ずつ落とすよう降りていく。
「よ、おはよう。飯できたから座れよ」
その先で待っていたのはそれほど広くない長方形の無機質な木の机に向かい合うよう道具を置いていた先輩だった。相変わらず目を引く赤髪は質素な周りの景色から浮いていて一つだけ絵の具の量を失敗したのではないかと疑ってしまう。
これもまたいつも通りの朝、先輩の髪を眺めつつ元気よく返事して席に座ると前にはまな板サイズの木板とナイフが一本、脇には濡れた白い布が置かれている。
これがこの世界の食事道具で、机の真ん中に置かれた皿の料理を手で取り、ナイフを使って一口サイズに切って食べる。布はその前に手を綺麗にするためにある。
手で食べるなんて言ってしまえば幼児の行為、最初は抵抗があったがフォークやスプーンの存在がないと分かると腹を括るしかない。肉汁のベトベトさには未だ顔が引きつってしまうが、受け入れてしまえば数日で適応する。
しかし気をつけないとすぐに手のひらを使って取ってしまう、指先でつまむように取らないとマナー違反らしい、大きい物だとついやってしまう。
「やっぱウサギは美味いよな」
「そうですね」
あの目をクリクリさせた耳の長い可愛らしい動物を今食しているなんて。うわ、この部分絶対腿だよね?手羽先感覚で食べているがこれ鳥じゃないんだぞ、自分。
振り返ればここに来て様々な動物の肉を口にした。ウサギ、イノシシ、シカ、カエル、羊、おなじみ豚、....たくさんの命を貰いました。
だが肉の種類が多けれど調理法はいたってシンプル、焼いた肉に香辛料をぶっかける。香辛料の種類には胡椒、ナツメグ、ペッパー、シナモン、グローブなどなど。肉にしろ香辛料にしろ異世界だというのにどこか聞き覚えのある名前が多い。
「そろそろスープできる頃かな、待ってろ」
先輩は立ち上がると部屋奥の竃のちょうど真上に金属の二本のフックに吊るされた茶色い鍋の蓋をあける。
もわっと蒸気が昇ると共に微かだがミルクの甘い匂いが漂ってきた。
「ほら」
顔に湯気が当たらないよう控えめに覗きこむと、白いどろっとした液体で所々緑色の楕円が顔を出していた。豆スープ、これが今日の唯一の野菜、あとこれがないとパンが食べられない。
フランスパン以上の硬度を持つこの世界のパンは凶器にできるのではないかと思うほどカチカチで食べられない。だからスープに浸して食べる、最も浸さないと食べられない。先輩クラスともなると肉をスープに突っ込んだりする、真似したいとは思わない。
言っておくが先輩がこのパンが好きだからこれを食べている訳で実際は柔らかくて浸さずに食べるパンもあるらしい、久しぶりに柔らかなパンを食べたいな。
一通りパンや肉を食べて腹を満たすと最後はスープの皿を両手で持ち上げ口内に流し込む。牛乳の仄かな甘味と何かよくわからない口に残る酸味が融合して不思議な味になる。これはこれで美味しいからゴクゴクと飲み干して完食。
「はぁ〜、じゃあ仕事行くか」
布を手に取り油を拭きながら満足げな顔を浮かべて悪魔の一言を放つ。
「今回は、どこでしょうか?」
「今度はトーサカってとこだ」
聞いておいてなんだが知るはずもなく、国の名前からも一ミリたりとも想像がわかない。なんとなく名前の雰囲気が和風ぽいなっと、トーサカ、東阪みたいな。
「ちょっと面倒な所なんだよな。ま、行ってからのお楽しみだ」
「……はい」
先輩はニヤッと笑って椅子から立ち上がり玄関横に置かれた古びた棚を引っ張りゴソゴソ道具を取り出し準備を始める。その後姿にも笑われているようで苦い顔をしてしまう。
こんな風に仕事先の村の事についてはこのお楽しみの一言で片付けられてしまう。確かに仕事のモチベーションにもなるが数回想像を絶する村に当たってしまった過去があるので、最近はこれは巨大で不気味なクジなんだ、と割り切っている。
一度だけ素晴らしい森の中の村に当たった時はここに永住したいとさえ思った。
汚れきった身体を通り抜ける爽やかな風、その風に煽られて緑の新鮮な匂いを遠くに運ぶ草木、豊かな森林を賑わせる動物たち。村の人柄も田舎特有の人の温かさや繋がりを感じられる温厚さで、熱烈に歓迎してくれた。
あぁ、懐かしい。出来ればあの村に戻りたい。
「なんか浸ってる所悪いが今回から国に届けるからな」
「……はい、……はい?」
1度目は普通に返事、してから先輩の言葉をもう一度頭で反復させてから2度目の返事。
「お前も慣れてきたからな。村じゃなくて歴とした国への配達だから」
国、村、スケールアップしたのはわかるが一体何が違うのか。
「何か、違うんですか?」
「距離」
「...はい」
「それと荷物も多いから、しっかり頼むぞ」
僕はこれまで地元周辺に届けていた。それでも数日はかかり、道中危険な目に遭うこともしばしば。それが距離も増えて荷物も多くなれば。
想像に難くない長旅。果たして僕の身体は持つのでしょうか。
「早く準備しろ」
とっくに準備を終えた様子の先輩は革のベルトをヌンチャクのように振り回して急かしてくる。遅れたらこれで一発見舞うぞ、座り続けている僕に目が若干だが怒り始めている。
あんな固い物で叩かれちゃ白い肌が当分青くなってしまう。
急いで立ち上がり自分の仕事道具を収めたタンスに移動し、着替えを始める。
タンス、着替え、僕の一日の始まりは現代であっても異世界であっても変わらない。学校指定の制服を着るか粗い布の服を着るかの違いでしかない。まぁ、その後は全然やることなすこと違うんだが。
そういえば、父や母、弟は元気だろうか、悪友も、数人の友達にも、心配かけているはずだ。
あまりにも唐突に別れてしまったのも申し訳なく思う。いや、異世界転移に事前もないのはわかっているが。
せめて、トラックに轢かれてなら、別れを告げる事が出来たのかも。待て待て、轢かれるのは嫌だな、絶対痛い。
「おい、遅い」
「急ぎます!」
一人の世界に籠っていると怒りが滲みでた一言が背中に突き刺さる。あわててリュックを背負い、最後に【サルマーン支部 配達人
カロ】書かれた古びた木の札を服の右胸辺りに空けられた専用の挿入部に入れ終わると、準備終わりましたと返事する。
「忘れ物、ないな」
「はい」
数日は変えれないんだ、入念に確認。財布、配達人証明書、折れない心、絶対に生きてここに戻ってくるんだと言う覚悟。よし、全部ある。
「いくぞカロ」
「了解です。先輩」
生きて帰って、またあのベットで横になろう。
誓いを立てると、先輩の後に続いて家を出た。