部屋でもないのに苦労した話
俺があいつに気付いたのはいつの事だったか。
ずっと一緒にいたはずなのに――――いや、だからこそか。
俺があいつといつから一緒にいたのかは、全く覚えていない。
『いつの間にかいた』としか言いようが無い。
けれども最初に意識したのははっきり覚えている。
あいつがあの男に出会って、その胸を貫かれた瞬間だった。
それまでしっかり地に足つけて生きていたあいつが途端にふわふわとしだして、マヌケなことに俺はそこでようやくあいつがいつの間にか大きく成長している事に気付いたんだ。
もう小さい頃のあいつの面影は何一つなくなっていた。
ふっくらとした、何とも言えない丸みを帯びた身体つき。
赤く染まったつやのある肌に、すらりと伸びた背。
下品な言い方をすれば「美味しそう」と思うやつも少なくないだろう。
実際、そうやって狙う奴も何人もいたし……その毒牙にかかる事だってゼロじゃなかった。
それを俺は、ただただ間抜け面を晒して見ていることしか出来なかったよ。
だって、そうだろ? 俺に何が出来たっていうんだ?
気をつけろって忠告すれば良かったのか?
それとも、身体を張ってでも止めれば良かったのか?
そんなこと出来るわけがない。そんなことをすれば、関係が崩れてしまう。
俺にはそれが何よりも恐ろしかったんだ。
俺はただの傍観者でしか無い。出来ることはただしあわせを祈ることだけだ。
ただただ、あいつと、あいつの上を行き来する男たちを見ていることしか出来なかった。
そう。
ただ見るだけという意味でなら、俺は全部見ていたよ。
見ていたくもなかったけれど、仕方がない。
一対一ってこともあったし、複数人を同時に相手にすることだってあった。
生臭い体液の匂いや、男たちの呻き声なんてのを聞かなきゃいけないのは正直心底かんべんして欲しいことだったけれど、それもしかたのないことだ。
だが一番辛かったのは……そう。あいつに子供が出来たことだった。
到底信じたくなかったが、事実は受け入れなきゃいけない。
子供を育てていくには、色んな物が必要だ。あいつはどうしたと思う?
簡単な話だ。今までやってた事を、より積極的に始めたのさ。
つまり、男たちを利用するようになったんだ。
何人もの男を咥え込むのは勿論のこと、男を利用して新しい男を誘い入れるようにさえなった。俺の知る、小さくて、健気で、控えめなあいつの姿はもうどこにもなかった。
だがそんなことになっても、俺は何もすることが出来なかった。
……いや。そんな風に言うのは、食い物になった男たちに悪いか。
正確に言えばもはや俺は傍観者ではない。あいつの片棒を担いでいると言ってさえ良い。
あいつの子供たちに居場所を与えているのは、俺なんだから。
どうしてこんなことになっちまったんだろう。
一体何が悪かったんだろう。
そんな益体もないことばかりを考えても、俺にはどうすることも出来ない。
ただただ、新しい獲物を求めるだけの化物みたいになっちまったあいつを見つめるだけだ。
今日もあいつは新しい男を引き込んだみたいだ。
いっそ。
いっそのこと、全部終わらせてくれればいいのに。
* * *
「くそっ、一体なんだってんだこいつらは!」
イルフォはいつものだみ声で叫びながら、斧を振るった。
ぐしゃりと嫌な音を立てながら、人型の生き物が真っ二つに分かれて地面に倒れる。
だが両断されてなお、それはずりずりと這いずり近づいてくる。気味が悪いったらなかった。
「アンデッド……というわけではないようですね。聖水が効きません」
「ちっ、冷静に言ってる場合かよ!」
バルドザルドの澄まし声に、イルフォは苛立ちながら這いよる上半身を蹴り潰す。ねちゃりとした粘液がブーツに付着して糸をひくのを見て、彼は盛大に顔をしかめた。
「わかった! これ、人間だヨ!」
イルフォが切り倒した生き物をしげしげと見つめていたピケが声をあげる。
「あぁ? でもアンデッドじゃねえんだろ?」
「そうだヨ! 人間の死体を何かが操ってるんだヨ!」
「ということは、どのみち殺されたら我々も彼らの仲間入りということですね」
更に迫り来る一体を切り伏せながら、バルドザルドはくいとメガネを押し上げた。
「ケッ。死んだあとの事になんざ興味はねえが……キリがねえ! どうする!?」
「操ってる奴がいるんだから、司令塔みたいなものがいるはずだヨ! それを倒せば終わりなはずだヨ!」
「オーケイわかった。突っ込むぞ」
いうなり、イルフォは雄叫びをあげながら化け物たちの群れに突っ込んだ。
「ああもう、これだからミノスは……仕方ありません。後ろはおねがいしますよ、ピケ」
「任せといてヨ!」
大斧を振り回して活路を開くイルフォを、バルドザルドは杖剣から火炎球を放って援護する。その後ろを走りながら、小柄なピケはとっておきの魔法玉を背嚢から取り出した。
「あれだっ! アレできっと間違いないヨ!」
イルフォの切り開いたその先に、柱のようなものを認めてピケは素早く身を躍らせる。すると、周りの化け物たちは一斉に彼に襲いかかった。
「行かせません!」
「おら、行けチビ助っ!」
バルドザルドが素早く複雑な印を組めば炎の柱が立ち上って道を作り、イルフォの背中を駆け上がってピケは跳躍した。
「喰らえっ!」
ピケは魔宝玉を纏めて五つ、柱に向かって投擲する。
轟音とともに魔宝玉は砕け散り、柱は一瞬にして巨大な炎に包まれた。
と同時、周りで蠢いていた怪物たちは一斉に動きを止め、砕け散る。
「……何とかなったようですね」
バルドザルドは息を吐きながら、外套についた埃を払った。
もう数拍遅ければ、彼の身体は周りから殺到した化物にバラバラに引きちぎられていただろう。
「しっかし、こりゃあ……」
イルフォは燃え尽きた柱を見やる。
「結構美味そうだな」
それは、巨大なキノコの塊だった。
「あいつらの仲間になりたいってんなら、オイラは止めないヨ……」
好奇心旺盛なピケでさえ、イルフォの言葉に顔をしかめる。
「……? 今、何か言いましたか?」
ふと、バルドザルドは何か声が聞こえた気がして、後ろを振り向いた。
「ん? 何もいっちゃいねえぞ」
「いえ、気のせいですかね。……何か、お礼を言われたような気がして」
「ああ? 言ったとしてもそっちから聞こえるわけねえだろ」
「……ですよね」
イルフォの言葉に、バルドザルドは頷く。
「私の後ろには、壁の角しかないんですから」