カマドウマの恐怖を君に教えて上げよう(実話)
みなさんはカマドウマという虫をご存じだろうか?
田舎とか山の中に住んだことがない人は見たことがないかもしれない。たぶんほとんどの人は知らないだろう。だからこのお話をする前に、まずイメージを湧かせていただけると幸いである。
まずカマドウマというのはゴキブリとコオロギを足して2で割った感じの生き物である。ゴキブリのようにテカテカと光る黒い体と触角と羽を持ち、コオロギのように太った立体的な腹回りをしている。大きさはだいたい成虫の黒ゴキブリと同じくらいである。
特技は跳ねること。
ゴキブリのようにバサバサと飛ぶことはできないが、バッタのようにピョンピョンと跳ねることが出来る。
―虫恐怖症の人が出会えば1秒で失神するだろう
そんな生き物である。
このカマドウマ、田舎ではよくボットン便所に出没したため、便所コオロギという俗称も授かっている。
そんな生き物である。
昔の話だが、ぼくの中学校の頃、国語の先生が
「カップヌードルのシーフード味に入っている桜エビみたいなのは、茹でたカマドウマだ」
と発言したら、子供の口からそれを聞いた保護者たちが大挙して学校に押し寄せてきて、大変に騒ぎになったことがあった。
カップヌードルの製造工場が学校のすぐ近くにあったのである。とにかくそのくらい嫌われている生き物である。
そのカマドウマが先日ぼくの家に出たのだ。
風呂上り、座敷に着替えを取りに行って、電気を付けたら、壁に張り付いていたのである。
ぼくは山育ちの上、山登りが趣味であるのでたいていの虫には驚かない。
カマキリもバッタも蛾もクモも別に怖くない。しかしカマドウマだけは怖い。あのピカピカした体を見ると(カマドウマは種類によっては縞模様である)蕁麻疹が出てくる。そのくらい嫌いなのである。
それがぼくの着替えが掛けてある壁のすぐ上30㎝くらいのところにぴたっと張り付いていたいのである。
見た瞬間ぼくは「ギャッ」と小さく悲鳴を上げた。
黒くてピカピカと光っている。いまにも飛びそうな雰囲気である。
ぼくはどうしようと思った。
着替えを取れば動きそうだし、放っておけば朝になって、いま場所からは消えているかもしれない。
しかしそうなると、トイレとかどこかほかの逃げ場のない場所で再対面する危険がある。
―どうしよう
2階にはおばあちゃんがいる。ヘビ以外の生き物には無敵の強さを誇るばあちゃんなので、声を掛ければ助けてくれるだろう。
しかしばあちゃんは最近膝が悪い。
一回上ってしまったのにわざわざ下りて来させるのも悪い気がする。
―男だろ!しっかりしろ!
ぼくの心の中の強がりな方の奴がそういった。そしてぼくの中のやさしいぼくがおばあちゃんはもう休んでるから声を掛けないでやれといった。
ぼくは熟慮した結果、今回は自分の力でこれを退治することを決めた。
ぼくは自分の部屋からハエ叩きを持ってきた。このハエ叩き、表面にすこしヒビが入っているが、まあ大丈夫だろう。やっつけるには問題なさそうだ。
ぼくはすうっと息を吸い込んでカマドウマと1メートルくらいの距離に立ちハエ叩きをかまえた。
息は止めているのは奴に感づかれないためだ。
とにかく一撃である。一撃で殺さなければ、やつは必ずジャンプして反撃してくる違いない。そうなればもはや地獄である。
額に汗が浮かんだ。
―殺らなければこちらが殺られる―
ぼくはハエ叩きを振りかぶった。
1秒ためた。
そして一気にカマドウマめがけてハエ叩きを振り下ろした。
―その瞬間である
カマドウマがぼくを目がけてびょーんと飛んできたのである。
「ギャアーーーーーーーー!!!」
ぼくは絶叫した。
さっきまで4センチくらいだったカマドウマがどーんと目の前にいるのである。
ぼくは「ギャーー」と手で振り払った。
その瞬間、足がもつれて、後ろにあったガラス障子に向かってぼくはひっくり返った。
ガラス障子はがしゃがしゃーんという音を立てて粉々に割れた。
ぼくの体は割れたガラスの海の中である。
だがそんなことはどうでもよかった。
―カマドウマは?
ぼくは起き上がって確認するとカマドウマはさっきの場所から消えていた。
―どこに行ったんだ?
あたりを見渡してもどこにもいない。どこか、この家のどこかの片隅にピョンピョン跳ねて消えてしまったのだろうか。
ぼくは脱力した。完敗だった。奴にビビらせられ、ガラス障子を割ってしまった。
そういえば小学校の頃も負けたのだった。
あれから25年以上が経っているのに、ぼくはまたしても勝てなかった。
でもとにかく目の前からあいついなくなってくれたことが嬉しかった。
しかしぼくはなぜやっつけられなかったんだろう?確実に当ったはずなのに。
そう思ってハエ叩きを見ると、ハエ叩きは表面が3分の2くらい無くなっているのである。
そうか。たぶん叩いた衝撃で割れたのである。
そしてその隙間からカマドウマはほくのほうへ飛んできたのだ。きっと。
すると2階からドタドタと音を立てておばあちゃんが下りてきた。
「どうしただ!!てててて!!(驚いた時の山梨弁)どうしただ!なにがあっただ?」
「カマドウマが!カマドウマがいたんだよ!」
ぼくはばあちゃんに説明したのだがばあちゃんは
「なんだ虫くれえに怖がってるようじゃどうしょうもねえじゃねえか」
と至極まっとうなことを言った。
「あーあ、床が傷だらけだ。片づけとけな」
そういい残してばあちゃんは2階に戻っていった。
ぼくはほうきを持ってきてそこを片づけながら、あのカマドウマはどこに行ったんだろうと思った。
結局あのカマドウマはいまに至るまで見つかっていないのである。
―もしかしたらぼくの部屋にでも潜んでいるのだろうか?
―いつかトイレの中で遭遇するんじゃないだろうか?
そう思うと今日も一人でおしっこにも行けないのである。
ちなみにばあちゃんからガラス障子の修繕費5800円の請求書を渡されたのは、その三日後であった。