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イタチは笑う  作者: 足利義光
第十二話
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ありのままを

 その日もまた、昨日とは別のラブホにボク達とレイジは一晩泊まる事にした。

 こうしてかれこれこれで五日間、こうしてここいらを巡ってはラブホで寝る生活。

 べ、別にラブホに泊まるのは、マトモなホテルとか旅館だと顔を見られるからって事であんなことやこんなことをする為じゃ無いんだ。そ、それは分かってる。…………でもさ、


「あー、あん、ああぁぁぁーーーー」


 今日はどうもお隣さんがいたらしく、その生々しい喘ぎ声が思いっきり聞こえてくる。何でこんな安ホテルに客がいるんだよ?

 ま、お互い様だろうけど。

 もしも、レイジの奴がこっちにムラムラしてきたらどうするべきだろうか。や、やっぱりそのまま流れに身を任せるべきだろうか?

 いやいや、ボクは気にしなくてももう一人のリサが嫌がったら?


「ううぅああぁぁぁぁーーーーーーっっっっっ」


 薄い壁には全く防音性は無いみたいで、物凄い絶叫が鼓膜を突き破る勢いで轟くと―――静まり返った。ボクはというと、そのあまりの生々しい声に鼓動が早まるのを感じていた。

 隣からは、はぁ、はぁという叫んでいた女の人の荒い呼吸音。もしも今、ここにレイジがいたら自分を抑えきれなかったかも知れない。そう考えると少しだけ、自分が怖かった。本物のリサを傷付けたかも知れないのに。

 そう考えると今、レイジが外に電話しに出かけたのは不幸中の幸いだったのかも知れない。



 ボクが生まれたのは、もう一人のボク――つまりは本物のリサが家庭内での虐待に耐える為だった。本物のリサは、いつも一人だった。物心つくとすぐに両親は育児を放棄した。

 一人の家政婦さんが育ててくれた。でもある時、その家政婦さんは家から追い出され――それっきり。

 それから一応、リサは家で育てられたが、その扱いは散々だった。

 他の家族とは一緒に食事はしたことも無かった。

 外に出ることも許されず、玩具も兄妹の飽きたものだけ。

 本物のリサの唯一の楽しみは、本を読むことだけ。たくさんの絵本や童話がいつも一人だったリサの心を埋めた。その頃の口癖はこうだった。


 ――いつかね、すてきなおうじさまが、りさをたすけてくれるの。


 でも、現実がそんな甘い訳もなく、むしろ酷くなっていた。

 たまに兄弟が部屋に入ってくれば、お気に入りだった本を破り捨て、部屋をめちゃくちゃにした。一番上の兄貴は、お前の顔はムカつくとか言ってリサを殴った。二番目の兄貴は同じ空気を吸うのも気持ち悪いといってガムテープで口や鼻を塞いだ事もあった。一番下の妹は、暴力は振るわなかったけれど、決してこちらには近付かなかった。

 母さんは、アナタが何かしたんでしょ? と言って冷たい視線を向けた。

 父さんは、優しかった。でも、それは普通の愛情じゃなかった。リサは何も教えられないから、それが何かも分からなかった。

 服を脱がされ、写真を撮られ、色々な服を着せられた。


 ――お前はほんとうに〇〇〇ソックリだな。


 その言葉が忘れられない。何で、あの【家政婦さん】の名前が出たのか? 子供だったリサに分かるはず無かった。父さんの【愛情】はリサを酷く傷付けた。その表情、声は今思えば、子供に向けるソレじゃあなかった。つらかった。意味も分からない毎日が本当に辛かった。


 リサはいつしか、辛い毎日に耐えられる様に人形を友達だと思う事にした。それがボクの【自我】の目覚めだった。

 初めはお互いをハッキリとは認識してなかった。でも、人形を捨てられた事がキッカケで、リサは人形の友達はずっとそばにいるんだと思い込む様になった。


 その人形は、おどおどした自分とは違って、自分に自信があって、強くて、何より――いつも一緒にいてくれる最高の【お友達】だと。


 ボク達がお互いを認識したのは、それからしばらくしての事。

 一番上の兄貴がいつもの様にリサを殴った――その時だ。

 ボクはリサを守ろうと必死だった。無我夢中で守ろうとして、気が付くと、兄貴の顔面は血塗れになっていた。

 ボクの手や、シャツは返り血が付いていた。リサに守ったよ、と言ったけど、何処にもいなくて、鏡を見て気付いた。


 ――ボクは、リサなんだ。


 とね。それから兄妹は誰も手出ししなくなった。ボク達は、家から出て、そこで何人かの家政婦さんと暮らす様になった。

 家政婦さん達はよくしてくれた。ボク達が二人である事を知っていても特に嫌がる事もなく。ボク達は、結局、籠の中の鳥だったんだろう。虐げられなくなったけれど、外には出して貰えない。

 勉強は家政婦さん達が教えてくれた。でも、彼女達は友達では無かった。優しかったけれど、必要以上には近寄らなかった。


 四年くらい前の事だ。ボク達は、【外】に出た。見つからない様に夜中にこっそりと。ボク達は外に出さえすればきっと【自由】になれる。そう思い込んでいた。でも、違った。


 気が付いたら、知らない部屋にいた。そこにはたくさんの女の子がいて、それをたくさんのおっさん達が見ていた。

 気味の悪い光景だった。おっさん達の目は、一様に気味悪く、吐き気を覚えて、【既視感】を感じた。

 既視感の正体は、リサの父さんだった。同じ目をしていた。


 ――私たち、これから【奴隷】にされるのよ。


 横にいた、お姉さんが乾いた声でそう呟いた。

 そこは【人身売買】の会場だった。そこにいるのは売られる順番待ちの女の子と、それを買い付ける下卑た男たちだけ。他の女の子達はもう諦めたのか声もろくに出さない。酷いことをされたらしく、全身傷だらけの子もいた。


 許せなかった。どんな経緯があったにせよ、この光景が。

 ボクは拘束を解くと見張りに襲いかかった。油断していた見張りを倒すと、逃げようと試みた。でも、所詮は世間知らずの子供だった。すぐに連中にバレて追い立てられて――もう後が無くなった。

 背中には敷地の柵。目の前には息を切らして近付く見張り達。その一人が言った。


 ――手間取らせやがる。おい、コイツもう殺してもいいか?

 ――だな、そんな跳ねっ返りはどうせ【売り物】にもならねぇだろうし、構わないだろ。

 ――でも、殺す前に【お楽しみ】位はいいだろ?

 ――だな、たまには俺らもソレくらいの見返りがあってもいいだろうよ。


 下卑た男達の笑顔と笑い声、そして荒い息づかいが聞こえてきた。ボクは、もうダメだと諦めていた。歯向かう気力も無くし、自分の無力さに絶望していた。ただ、「ゴメン」と本当のリサに言うのが精一杯だった。


 ――いいんだよ、もう一人の私。


 リサの声が聞こえ――目の前が真っ白になっていた。



 気が付いた時にボクが見たのは、さっきまでボク達を犯そうとした男達の変わり果てた姿だった。あれほどに下卑た表情が、恐怖で引きつっている。


「ハァ、ハァァ――」


 そして、いつの間にか表に出ていたのは本当のリサ。リサは震えながら、棒立ちになっていた。ボクはリサを守る為にいたはずなのに……リサに守られた。汚れるのは、ボクで良かったのに――本当のリサが手を汚してしまった。


「大丈夫だから、心配しなくてもいいんだよ」


 本当のリサはこんな役立たずなボクを守ってくれたんだ。だからこの時に誓ったんだ。もう、手を汚させないって。

 これから先、【汚れる】のはボクだけで充分だと。

 この直後にこの人身売買組織は踏み込まれた警察に検挙された。

 リサは【正当防衛】で片付き、逮捕もされなかった。多分、両親が自分の家の都合の悪い事実をもみ消したのだろう。いつの間にか、あの見張り達を殺したのは踏み込んだ警察の手による正当防衛だと書き変わっていた。


 それから、家族はリサには決して近寄らなくなった。下手な事をすれば自分が殺されるかもとでも、考えたのだろう。いずれにせよ、平和になった。

 でも、その平和も長くは続かなかった。

 三年前、ボク達の前に軍人が現れた。そいつは、こう言ったんだ。


 ――君には素養がある。この街を守れるだけの素養が。


 それがボク達が【イリーガル】計画に参加したキッカケだった。

 この計画は、様々な理由で【人殺し】をした子供達を集めて訓練し、そこにある処置を施すことで、殺しを躊躇わない【本物の殺し屋】を育成する計画だった。

 ボクはリサを守る為に、表に出た。これ以上、汚れちゃいけないから。


 実験は様々な方法で【人格統合】を図るというものだった。

【親役】のエージェントが様々な知識を授けつつ、催眠術や暗示等で徐々にもう一人の人格を作成。二重人格とし、そこから訓練をさらにしていくという流れだった。

 ボク達にはこの方法はは効果が無かった。当たり前だけど、元々二重人格なのだから。連中を騙すために本当のリサが造られた人格であるかの様に振る舞い、日々を過ごした。

 妙な話だけど、エージェントの女性は本当に優しかった。彼女からは様々な事を教わった。彼女から譲られた【グロッグ26】は今でも修理して――今でもボク達の足首に備えている。今思えば、彼女は、ボク達の関係に気が付いていたのかも知れない。だから気を使ってくれたのかも。



 最終試験という名目で、ボク達は集められた。その時に初めてアイツと、レイジと出会った。

 とんでもない奴だった。殺しの訓練を受けた三人相手に一人で応戦して、勝っちまうんだから。しかも、ボク達の事を見逃した。

 あとでアイツが言った。


 ――お前からは【人殺し】の匂いがしない。


 そう、アイツには見透かされていたんだ。本当のリサが自分から表に出てお礼をしたいと言った。その時にアイツの目は気付いていた。ボク達の違いに。人殺しについて。でも、何も言わず、気が付いたら、頻繁に会うようになった。

 アイツは、意外と間の抜けた所もあって、楽しい奴だった。でも、時折見せる表情には何処かボク達と同じだった。


 ――今からよ、オレの事はレイジって呼んでくれ。


 何回目かのデートでアイツは、照れながらそう言った。その日初めてボク達はアイツとキスをした。

 それから、レイジは少しずつだけど、身の上を話してくれた。アイツの話はボク達よりも悲惨だった。

 数えきれない人が死んでいき、その都度心が痛むのが聞いてて分かった。


 ――だからさ、何となく分かンだよ。リサはオレに似てるって。だから、お前の事が気になったンだよ。


 そう言って微かに笑ったレイジの表情を見て、ボク達も話した。自分達のこれまでを。そして、これからのことも少しだけね。




 目を覚ますとレイジさんが私の目の前にいた。その寝顔はあまりに無防備で、優しくて、心が落ち着いた。

 もう一人の私にはいつも苦労をかけている。あの子は自分のせいで私が取り返しのつかない【殺人こと】をしてしまったと、今でも後悔している。

 でも、私は後悔なんかしていない。私はあの子に何もかもを押し付け過ぎたんだ……何もかもから逃げ出したくて。

 あの子は私を守る為に全力だった。臆病な私のために。

 だから、人殺しをした事も後悔はしない。私は【守りたい者を守った】のだから。

 あの子は幸せになる権利がある。こんな私の事をずっと見捨てないで一緒にいてくれたのだから。


 レイジさんは、私達の話を聞いても何も態度を変えなかった。これまで通りに気を使ってくれるし、その気になればいくらでも好きに出来るのに、決して【一線】を越えたりはしない。

 ただただ、傍にいてくれた。だから、もういいんだよ。


「ン? 起きてたのか」


 レイジさんが目を覚ました。私は微笑みながら彼の手を握り締め――唇を合わせた。


「……いいのか?」

「……うん」


 私達は、レイジにこの身を委ねる。彼はこれまで見てきた様な薄汚い男達とは違う。私達を、見せかけで判断せず――ありのまま全てを受け入れてくれたのだから。この人なら大丈夫だと心から思えたのだから。





 ◆◆◆





 目を覚ますと、リサの寝顔がすぐそばにあった。

 初めての事だった。オレは初めて全てをさらけ出せた気がした。

 お互いに本心から、なんの打算も無く。

 で気付く。情けない話、オレはこれまでアンダーや塔の街で好き放題した事を後悔した。あれは、他人の身体を使った自慰行為でしか無かったんだと今更ながら気付いた。


「でも、もう――必要無いンだよな。そんな心配はさ」


 オレは初めての【恋人】の頬を指でそっと撫でてみる。微かに赤みがかかったその肌、漏れる吐息、その全てが新鮮で、驚きの連続で、【幸せ】だった。


 時計を見る。時間はもうすぐ朝の五時になる。オレはリサの額にキスをすると服を着て外に出た。

 そして、調達したプリペイド携帯で電話をかける。相手はすぐに出た。


 ――もしもし? イタチちゃんね。早起きさんねぇ。


 その声は少しだけ、疲れていて、昨晩の電話から恐らくは寝る間を惜しんで依頼した件を調べたり、預けた【荷物】の配送をしてくれたのだろう。


「あぁ、人生で初めてって位にいい目覚めだったよ」

 ――あらあら、もしかして?

「その事は別にいいでしょ、それよりも――」

 ――せっかちだねぇ。頼まれた件は調べたし、あなたから預かっていた【荷物】も送ったわよ。お礼はこっちに帰ってきたら弾むのよ。私も疲れたから寝るわ、じゃあねイタチちゃん。


 そう言うと電話の相手――オレの情報屋の【マダム】は電話を切った。


「ンじゃ、さっさと片付けていかないとね」


 オレは笑いながら呟くとプリペイド携帯をゴミ箱に捨てた。




















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