不殺の覚悟
ポニーテールの女がニヤニヤと笑みを浮かべ、爪男は不気味にこちらににじり寄って来る。
「お姫様ももう終わりね、心配しなくても殺さないわよ――一応アンタには利用価値があるそうだから」
ポニーテールはもう自分達の勝ちが揺るがないと確信しているらしく、傲然とそう言った。
実際、状況は私に不利だと告げていた。単純な一対一ならこうはならなかったかも知れない。――けど、今、私の目の前には二人の敵がいる。
一人はポニーテールの女。これで戦うのは二回目。かなりの体術を使ってきて、何らかの【暗器】を隠している。
もう一人は両手に鋭い爪を装着した爪男。黒のラバースーツを身に纏っていて、仮面の下は不気味な素顔。いえ、およそ素顔とは言えない様なその顔には【表情】が存在しない。何故なら、本来当たり前のモノが彼には付いていない――そう【顔の皮】がだ。爪男については以前、リス君やウサギちゃんから話を聞いていた。顔の無い殺人マシーン。そう聞いていた。
話し半分で聞いていたけど、こうして実物を見ると話し以上の化け物ね。私の攻撃をここまで喰らって立っていた奴なんてこれ迄お目にかかった事も無かった。間違いなく彼の両腕は折れている。今もブラブラと落ち着きなく揺れていて、まるでアンティークの柱時計の振り子のよう。
そう、だからこそ【おかしい】。痛みを我慢している風でも無く、負傷を意識することもなく、ただ、【平然】としていられる事が。
その答えに私もようやく察しがついていた。だから――
「【フォールン】を使ってるわね、アンタ」
その言葉が口を付いた。前に話だけなら聞いたことがあった。前の大戦中に全線の兵士に用いられて絶大な効果をもたらした画期的な薬。フォールンを投与された兵士はまるで不死の軍団だった。
不死の軍団はあらゆる戦場でその猛威を振るい、大戦の形勢さえ翻すかとさえ思われた――経済の疲弊による破綻が起きなければ。
半ば冗談のネタみたいな話が事実だと知ったのは数年前。繁華街で大暴れした元軍人がその薬を投与していた事からだ。
その私の言葉に反応したのは、爪男ではなく、ポニーテールの女だった。彼女はピイ、と口笛を吹く――爪男が後ろに飛び退いた。
「そうよ、彼は【それ】を投与されてる。【協力者】からの試供品をね」
「試供品?」
「そう。ギルドが手を貸している連中からの、ね」
「フォールンを使ったらどうなるか分かってるの、アンタたち」
私の声に怒りが混じった。そう、フォールンを使ったら最後。あとは個人差こそあれ、すべからく【廃人】になるばかり。
生きたまま魂を失う。堕天とはよく名付けたモンよ。
「勿論、知ってるわよ――これは本人が望んだのだから」
だからこそ、ポニーテールの女の言葉が信じられなかった。
大戦中の兵士の場合は何も知らなかった。でも、目の前の爪男はその結果を自分の意志で選択しただなんて云うのが信じられなかった。
「そもそも、何でコイツの顔がこうなのか分かる?
ギルドは弱肉強食。強い者は称えられ、弱者は虐げられる。
同じ武器を学んだ者の中から一番優秀な者は称えられ、それ以外の敗者は何かを奪われる。それがギルドの掟。
爪の場合は敗者は【顔】を奪われる。つまりコイツらは【でき損ない】なのよ。そんな奴が役に立てるなんて素晴らしい事じゃないの」
「…………もう、話すだけ無駄ね」
「そうね、所詮アナタはお姫様。こっちと住む世界が違う。
相手を殺す覚悟もないお嬢ちゃんにこっちが負ける訳がないわ」
ポニーテールがピイ、と口笛を吹く。爪男がそれをキッカケに再度動き出した。まだ廃人じゃないみたいね。一見すると化け物でも理性は残ってる。
「か……あ…………あっっ」
絞り出すような叫びをあげて爪が繰り出される。さっきは不意を突かれた。でももう問題は無いわ!
鞭の様にしなる腕。確かに厄介よ、でも。
シュバッッ、鞭と化した両腕を私は身体を半身にしながら躱す。
爪男が更に爪を下から上に振り上げた。今度は顎を引いて躱す。
そして、反撃。私は右足で彼の左膝を蹴りつけ――左掌底で顎先を打った。ガクン、と姿勢を崩し、掌底の威力で身体が後ろに傾いた。余裕綽々だったポニーテールの女が「なっっ」と声を上げる。
確かに私は人を殺さない。これからも殺すことはしない。
ポニーテールが私を姫扱いしたのは、そんな私が甘く見えるからなんだろう。甘くて結構よ。
「せやあぁぁっっっ」
気合いを込めてた私は、更に左足で右膝を踏みつけ――狙い澄ました右掌底で再度顎を打ち抜く。ガツンという感触がハッキリと掌に伝わった。今ので爪男は完全に身体全体がぐらつく。如何に痛覚が麻痺していても、【脳】を揺らせば関係無い。だめ押しに左肘を顔面に叩き込み――爪男は完全にぐらついた。
寧ろ、下手にタフになった事で、大事な物を失った。状況判断っていう物をね。
「りゃああぁっっ」
ポニーテールが私めがけて飛び蹴りを放つ。まるで槍の様なその蹴りを私はいなすように避け――爪男に直撃。爪男はそれがキッカケだったのかそのまま大の字に倒れていく。
ポニーテールが蹴りの反動で再度こちらに振り向きながら右回し蹴りを放ってきた。確かに強い。でも蹴りならウサギちゃんの方が鋭い。私はその回し蹴りを左肘で弾く。「が」と呻きポニーテールは距離を取る。でも、遅い。
私は一歩で間合いを詰める。すると相手の右手が鈍く光り、突き出された。それは先端が鋭利に尖った鉄の棒な物。
さっきは不意を突かれたけど、そうはいかない。私は素早く飛び退く。
「く、くそっっっ。何でだ?」
彼女の関心は爪男に向けられていた。さっき迄あれ程のタフネス振りを誇った彼が、何故ああなったかに困惑を隠せない様子ね。
「簡単よ。スイッチを落とせばいいだけ」
私の答えにポニーテールは更に困惑した。確かに答えをはしょり過ぎたわね。
「いくら【痛覚】が麻痺したからって身体を動かすのはここ」
と言いながら私は指で頭を指した。そう、私は彼の脳を揺らした。いくら痛みを感じなくても、脳振盪には耐えられない。
家のブレーカーを落とせば家中の家電が動かなくなる様に。
対処法さえ分かれば後は簡単だった。
それでも、爪男がフラフラしながら起き上がるのを見て、驚いた。ここまでやられてもなお立ち上がろうとするのは薬云々ではない。じゃあ、何が彼を?
「あ、あ………アァ」
完全に平衡感覚を失った爪男はまるでうわ言の様な声を出し、ポニーテールへと手を伸ばす。あぁ、そういうことね。
私も誤解していた。爪男の事を見た目の不気味さで見謝っていた。彼が何故【フォールン】の投与に志願したのかを。
彼もまた、自分の大事な物の為に生きようとしていたんだ。
「あぁ、う…………まも……」
爪男はポニーテールの前に立った。あくまでも彼女を守る覚悟という訳ね。もう目の焦点も定まらず、足元もおぼつかない。明らかに闘える状態じゃない。でも、立ちはだかる。
「認めてあげる、アンタ大した男だよ」
本音だった。こういう状況でなければもっと他の道もあったのかも知れない。そう感じたからこその偽らざる言葉だった。
トン。
小さく音が聞こえた。何かが【貫いた】様な音。
その音が聞こえたのと同時に爪男が崩れ落ちていく。遂に限界だったのかとも思ったけれど、様子がおかしい。
まるで糸の切れた凧みたいに何かが無くなった感じとでも云うべきかしら。
そして気付く。爪男の片方の目から【何かが】突き出ている事に――先端が鋭利な棒状の物が目から飛び出しているかのように。
「くっだらなぃ」
ポニーテールの女が、心底くだらなさそうな表情を浮かべながら【それ】を引き抜いた。彼女の使った暗器は【峨眉刺】。両端が尖っていて棒のほぼ中央に指を通す為の輪っかがついているから間違いないわ。
「あ、あう……ぅぅっ」
――もしもゾンビアーミー……いえ、フォールンを投与された相手と戦うなら、殺す覚悟が必要です。
とね。でも私はこう返した。
「人殺しはしない。どんなにクズでも私は人は殺さない」
と。カラスは少し考えていたけどやがて、口を開いた。
――では、もう一つ。これは可能性ですが…………。
それで聞いたのが【脳を揺らす】事だった。そしてそれは正解だった。――なのに。
爪男は力無く床でヒクヒクと痙攣を起こしていた。いくらフォールンを投与していても、【脳】をやられたらもうダメだ。痛覚が麻痺しようと、それはあくまでも現実の先送りみたいなモノ。その効能が切れた瞬間、ショック死。戦場でこのパターンで大半の被験者の兵士が死んだそう。カラスが言っていた。
もう言葉も出ないのか、爪男は口をぎこちなく動かしていたけど声にはならなかった。ただ、必死に彼女を見ていた。その目には不思議と憎しみとかの感情は感じられない。
ポニーテールはその爪男にまるでゴミでも見ているかのような目で苦々しそうな表情を浮かべるとこう言った。
「――キモチわりぃんだよ」
そう吐き捨てると峨眉刺をクルリと回し――頭頂部に突き立てた。
そのままズブリと刺し込み、一気に引き抜く。爪男は手足をばたつかせそのまま首が力無く垂れると崩れ落ちた。
私の中で怒りが充ちてくるのが分かった。目の前の出来事に。
つい今さっき会ったばかりで戦った相手。勿論友達でも何でもない――だからって。
「アンタ……ざけんじゃないわよ!」
私はポニーテールの女に突進した。
いくら悪党でも、クズでも、どんなに外道でも命は命だ。感情もあるし、何処かに人間性が残っていればそいつはまだ【戻れる】かも知れない。
それを、目の前の【コイツ】は踏みにじった。それも自分に想いを向ける相手を、だ。
コイツは爪男の最後の人間性を踏みにじった。戻れたかも知れなかった【可能性】を。
「ハァ? ヘドが出るねぇ!!」
ポニーテールも向かってくる。腰からもう一本峨眉刺を取り出し、指先で回しながら。
「りゃああっっっ」
彼女が右肘を振るう。それを躱す。すると右手が伸びてきてその先には血で赤くなった峨眉刺 。右手刀を下から突き上げ防ぐ。今度は左手の峨眉刺を顔に向けてきた。恐らく私への威嚇。生憎だけどそんなの通用しないわ。私は更に半歩踏み込み――左掌底を彼女の顎に叩き込み、足払いをかけて転ばせる。
彼女も流石に訓練されているからか、掌底で一瞬意識がとんだみたいだけど即座に体勢を整える。
今度は私から。その場でしゃがみ込みつつ足払いを放つ。ポニーテールは軽く後ろに飛び退く。こっちは低い姿勢で突進――肩をお腹にぶつける。
「くぐっ」ポニーテールは軽く呻きながらも峨眉刺を繰り出し、私から距離を取ろうと試みる。でも、そうはいかない。苦し紛れの攻撃を首を振り、躱すと右手刀を彼女の首筋に叩き込む。残った左手刀も同様に首筋に。そこへ、追い撃ちに頭突きを顔面に喰らわせた。「がふっっ」呻き声をあげポニーテールの女が後退る。
「中途半端な気持ちで私を止められると思わないで」
私はそう投げかけると構えた。
「――もっとも、私はアンタを殺さないけどね」
はっきり言って挑発だ。その言葉を受けたポニーテールの顔色はみるみる真っ赤になっていく。冷静さを失った様ね。
「くそ女が、一生モノの傷をつけてやるよ!!!」
ポニーテールはジャンプするとそのまま飛び蹴り。私はそれを正面から両腕でガード。そこに左右の手を伸ばし――峨眉刺を突き立てる様に放った。
でも、予想の範囲。私はガードした両腕を押し出す。後ろに飛ばされ、峨眉刺が空を切る。そこに私は一歩踏み込む。右手を伸ばし相手の頭を掴み――そのまま壁に叩きつけた。ポニーテールが「あぎゃ」と呻きながらも峨眉刺で突き刺そうと試みた。それを左手刀で弾き――右肘を鼻先に叩き込んだ。ミシっという感触。鼻先は砕けただろう。でもまだ。ぐらついた彼女の右膝をこっちの右足で踏み込む。左手を彼女の後頭部に回すとそのまま反対の壁に叩きつけた。
ピシッ、と音を立てて壁にヒビが軽く入るのが見えた。
私が手を離すと、ポニーテールの女はそのままズルズルと崩れていく。
「アンタみたいな奴でも殺さない――それが私の【覚悟】だから。
――覚えときな。覚悟もない奴に私は倒せない」
それだけ言葉を投げかけると、私は先に進む。全身が痛む。
『――思ったよりも苦戦したわね。でも、まだこれから』
そう、大切な【友達】を助けて、【家族】とここを出る為に。まだこれからが本番なんだから。




