連戦
「チッッッ」
思わず後ろに飛び退く。そのすぐ後に今さっきまで俺がいた場所をブウンと音を立てて勢いよく棒が通過していく。ほんの少し反応が遅れていたなら俺の骨は砕けていただろう。巨漢の坊さんが歯を向いて笑いながら大声で話しかけてきた。
「カカカ、病み上がりにしちゃぁよく身体が動くじゃないか。
正直安心した…………弱りきった獲物をアッサリ殺すのはつまらんからな」
相手は坊さんの格好をしてはいるものの、ギルドの凶手。さっきから棒の様に振り回しているのは杖。一般的には坊さんの杖と言えば先に金属の輪っかの付いた錫杖が有名だが、目の前にいる巨漢が使っているのにはそういった装飾は施されていない。見た目は極々シンプルな杖だ。
ボゴッ! 今度は突き出された杖が俺の頬を掠め、そのまま木にめり込んだ。その様子から察するに杖も木製ではなく、金属製だろう。いずれにせよ、一発でも貰えばアウトという訳だ。
坊さんは、「それにしても……」と言いながら杖を引き抜くとこちらに質問した。
「……何故その腰に下げてる銃を使わんのだ? それを使えば少しは勝率が上がるかも知れんぞ?」
そう言うと、巨漢の坊さんは一旦後ろに飛び退いて間合いを取った。まるで、俺に【銃】を使えと促す様に。
だが、俺にその選択肢は今は無い。確かに間合いが広がれば銃撃は出来る。だが、奴の得物をここまで見る限り、あの金属製の杖の強度なら、腰に下げてる【ベレッタ】の九ミリでは通じないだろう。あっさり弾かれ、そのまま頭蓋骨を粉砕されるだろうし、それどころか弾かれた銃弾がこちらに飛んで来かねない。
「お前位の相手に銃は大袈裟だ、素手で充分」
俺はそう言うとダラリと脱力し、全身の力を抜いた。
こちらのその様子を見た巨漢の坊さんは「キサマ」と叫ぶと杖をブンブンと振り回しながらゆっくりと間合いを詰めてきた。
「カカカ。なら、そのまま挽き肉にしてくれるわ!」
侮られたと受け取ったらしく、坊さんは分かりやすく表情を怒りに歪め、そう叫んだ。ああいう手合いを相手にする時は、いかに自分のペースに持ち込めるかが重要になる。そういう意味でこいつは俺のペースに巻き込まれた事になる。
「カカカ、死ねッッ!!」
坊さんは、杖を右斜め上から左斜め下へと袈裟斬りの様に振りおろす。ブウンと風を切る音が闇夜をつんざく。俺は後ろに後退して躱す。バキャンと音を立てて、杖が木の幹を削り取った。
坊さんは「ちょこざい!」と喚きながら、その場で回転しつつ――右足での後ろ回し蹴りをこちらに放つ。こちらはそれを両肘を交差させ防いだ。予想以上にずしりと重い一撃だったが、何とか耐える。そしてそのまま素早く坊さんに向けて踏み込みながら、右足払いをあちらの左足に喰らわせ、足を刈り取る。
「セコい事しやがって!」
そう叫ぶと坊さんは、杖を地面に突き刺し転倒を防ぎ、そのまま回転しつつ引く抜いた杖を振り回し――牽制してきた。俺はそれには構わずに木々の間に隠れた。そこへ巨漢の坊さんが次々と杖での突きを放つ。その一撃一撃が周囲の小さな木をへし折り、大木にヒビを入れている。やれやれだ、環境に優しくない奴だ。それにもうあれは杖というよりは金棒だ。だが、ここでいい。この木々に囲まれた場所なら問題なく対応出来る。
「カカカ、木々の多い森なら杖を振り回しにくいから勝てるとでも? ――甘いわッッッ」
そう言い切ると坊さんは、杖を両手で握ると頭上に構えそのまま一気に振りおろす。ブオンという音。間違いなく狙いは俺の頭だろう。これまでで最大にして最速の一撃が襲いかかって来た。だが、残念だったな。
パァン。
乾いた銃声が響いた。
「カカカ…………姑息な」
「お前の言う通りに銃を使ってみただけだ」
「それもそうだな、カカカッッッ」
坊さんは歯を剥き笑いながらそう言うと、後ろに倒れた。
木々の多い森では杖の取り回しは難しい。そこでの攻撃は突きか振り下ろし等に限定される。そして奴は一撃で仕留めることを選び、振り下ろしてきた。だからこちらは一歩分前に飛び出しながら腰のベレッタを引き抜き、引き金を引いた。狙いは奴の右膝。いかにあの杖が強かろうとも、それを用いる人間を戦闘不能にすれば問題はない。膝を撃ち抜かれた坊さんにもう戦闘続行は無理だ。俺は巨漢の坊さんに近付く。
「くそ、こちらの負けだ。とどめをさせ」
負けた事は坊さんも理解している。目を閉じ、覚悟しているのが分かる。
だが、俺には関係ない事だ。そのまま通り過ぎる。気付いた巨漢の坊さんが怒鳴るように叫んだ。
「な、何故殺さん? このまま生き恥をさらせとでも云うのか?」
俺がとどめを差さない理由は簡単だ。コイツが【凶手】では無いからだ。
ギルドの凶手に正々堂々という選択肢は無い。それはギルドに限らず、殺し屋なら大体そうだろう。前に遭遇したあの【針使い】は凶手だったと言えるかもしれない。だが、この坊さんは違う。ただそれだけだ。
「悔しければもっと腕を磨け、そしてまた俺の前に来るんだな」
俺はそれだけ坊さんに投げかけると先へと進む。今の騒ぎでもうギルドの連中にこちらの存在は発覚した事だろう。急ぐ必要がある。
「負けだ、アンタの勝ちだ……悔しいがな」
そう言う坊さんの声には清々しささえ感じられた。コイツは思った通り、まだ【こっち】の世界に浸かりきってはいない様だ。恐らくは寺の警備をしていた為に凶手としては不完全だったのだろう。もしもコイツが骨の髄まで凶手だったとしたら俺も無事では済まなかっただろう。
俺は言葉は返さずに口元を緩めた。奴も同じく口元を緩め、頭を地面に付けた。そのまま先を急ごうと走り、十数メートル程した時だった。
「かががぁぁッッッッ」
突如、俺の背後で絶叫が轟いた。その声に俺が振り向くと、あの巨漢の坊さんの身体が電気ショックでも受けたようにビクリと脈動していた。「か、が…………」とかすれる声を絞りだしながら、右手を空に掲げると、やがて糸の切れた人形の様に崩れた。
「やだやだ、見苦しいんだよ【負け犬】のくせにぃ」
そう言いながら、姿を見せたのは今度は小柄な坊さん。同じ僧衣を来ているはずなのにさっきの坊さんとは違い、暗闇の中に溶け込んでいるかの様――その目だけが凶悪に輝いている。
「お前は?」
「名乗る程のモンじゃ無いですよ。只の下っ端の凶手だからぁ」
小柄の坊さんはそう言いながら、隠すこともなく殺気を剥き出しにした。月明かりに映し出されるその表情は口調とは違い、凶悪そのもので、舌を無造作に出していた。そこからは品性の欠片も感じられない。
「しっかし、ここが【ギルド】の拠点って知ってて来るなんてホンっとにバカだよ、アンタぁ……!!」
そう言うと、小柄の坊さんは腰に手を回すとそのままこちらに向かい飛び込んできた。足元は砂利と枯れ葉だらけにも拘わらず殆ど足音も立てずに間合いを詰めてくる。さっきの相手とは違い、機動力で襲ってくる相手の様だ。
「ヒャハッ」
そう一声あげると小柄の坊さんがスライディング気味にこちらの足元めがけて突っ込んで来る。俺は躱さずに右の前蹴りを顔面に向けて放つ。わざわざ避ける必要も無い、相手の思惑通りにする必要は無いのだから。
蹴りは寸分違わずに相手の顔面を撃ち抜くはずだったが――奴は「ヒャハァァッ」と叫びながら上半身を弓なりに反らして躱す。信じられない程の柔軟性だ。そのままの勢いで互いが交差しようとした瞬間、俺の身体を衝撃が走った。
俺は思わず「ぐッッッ」と呻き、スライディングのまま通り過ぎゆく相手を確認した。
すると、相手の右手に何か棒状の物が握られていた。一瞬、警棒かとも思ったが、棒の先に鈎が伸びているのが見えた事から【十手】だと分かった。そして距離が三メートル位離れた所で、立ち上がると、そのまま上半身を弓なりに倒して満足げな笑みを浮かべた。気味の悪い奴だ。
「どうだい? 身体を電気みたいな痛みが走ったでしょ。
全くどいつもこいつも十手を単なる玩具だと思っているからねぇ、最初の一撃を喰らうまでは……だけどぉ」
「成る程な、確かに意表を突いた武器だ。お前の素早さと柔軟性もなかなか厄介だ……」
「そうだろうともぉ……」
「……だが、それだけだ。他の奴ならいざ知らず、初手で仕留めきれなかったのがお前の敗因だ」
「――何だとぉ?」
奴の表情が歪んだ。自身の優位を確信していただけに俺の言葉に怒り、反発したのだろう。思ったよりも単純な奴で助かる。
実際にはさっきの先手でこちらの右脛にかなりの激痛が走っていた。骨には異常は無さそうだが、動きには支障が出そうだ。冷静に判断されると厄介だと判断した俺は更に挑発する事にした。
「十手は確かになかなか悪くない武器だ。【護身用】の玩具としてはな」
「玩具だと?」
奴は自分でも言っていたが、自分の得物をバカにされるのが我慢できない性質の様だ。恐らくは体格など見た目で劣っていた事で、仲間内でも侮られたのだろう。奴にとっては――
「仮にいくらその十手が優れた武器だとしても、」
侮られるという行為そのものが恐らくは――
「お前自身が非力である以上、大した脅威にはならない」
我慢ならないのだろう。
みるみる奴の表情には怒りが充満していくのが分かる。今にも湯気を上げそうな位に怒り、全身を震わせ、こちらに殺気を向けるや否や「殺してやるよぉぉぉぉッッッッ」と絶叫しながら飛び掛かって来た。恐らくは無傷では勝てない、如何にこちらの損害を軽減出来るか、それがこの後の事も考えた上で最も重要な事だ。
奴は「ヒャハァァァッ」という奇声を発しながらこちらに襲いかかって来た。確かに俊敏で危険な相手だ。だが、これよりも【早い】奴を俺はよく知っている。問題ない。
奴の顔面めがけ左ハイキックを放つ。右脛に痛みが走るのは気にしない。さっきの初手でこの次のこいつの動きは予測がついた。恐らく奴は左足に反撃するだろう。こちらは【それ】を待つ。
「キシャアアアッッッ」奴はハイキックを頭を下げて躱すと予測通りに、十手で殴りかかって来た。
ガキャン!!
甲高い金属音を鳴らし、十手が弾かれた。そこを俺の右拳が奴の顔面を正確に打つ。本来なら大した威力は無いだろうが、カウンター気味に入り坊さんは「ぎにゃァァァ」と叫びながら吹っ飛んだもののも途中で態勢を整え着地した。まるで猫の様な動きだ。
「な、何でだ!」
だが、目論み通りに奴は動揺していた。鼻や口からは血が滴っていたが、それも気にする事も無く焦りの色が窺える。
何故十手を弾けたのかは簡単な答えだ。俺の左の足音のアンクルホルダーには【白のデリンジャー】が収まっている。十手が直撃する直前で足を引き、足音のデリンジャーで受け止めた。ただ、それだけの事だ。確かに本来ならこうもいかなかっただろう。だが、奴は初手でこちらに手口を見せた。どんな奴でも、いざという時に出るのは日頃、身体に染み込ませた技だ。
まして奴はこちらの挑発に乗り、冷静さを失っていた。だからこそ余計に予測は容易だった――ただ、それだけの事だ。だが、ここで相手に冷静さを取り戻させる必要は無い。
「分からないのか? それは、お前が弱いからだ。
確かになかなか悪くない身体能力だ。だが、それがどうした?
そのまま柔軟性と敏捷性があるからと言って役に立つのか?
お前は【軽業師】の方が向いているぞ」
珍しく、捲し立てるように言葉をぶつけた。一方的な物言いに奴は呆然としていたが、やがて怒りが吹き出して来たらしく、身体中を震わせた。
「う、うるさいっっっ。黙れえぇ!」
奴は、小柄な坊さんは絶叫しながらこちらに向かってきた。どうやら他にも十手を備えていたらしく、腰から抜き放つとそのまま振り回して来た。狙いはこちらの左の肋骨だろう。だが、もう関係無い。冷静さを失った相手に勝機は無いのだから。
バン。
奴の十手が俺に届く事は無かった。その前に俺の右手は腰からベレッタを抜き放ち、相手の額を撃ち抜いたからだ。
奴は「こ、ひゅぅ」と息が抜ける様な声を出すと――そのまま膝から崩れ落ちた。案外呆気ないものだ。そう思った瞬間だった。
ボトリ。
地面に崩れ落ちた奴の僧衣から、何かが落ちた。それは、金属製でレモン位の大きさでこう呼ばれるものだった――手榴弾と。既にピンは引き抜かれていてすぐにでも爆発するだろう代物が、ボトボトと無数に落ちてきた。
奴の表情はさっきまでの怒り満ちたものから、何処か満足気なものに変わっていた。よく見ると左手からはワイヤーが伸びていて、それが手榴弾のピンを一斉に引き抜き、落としたのだろう。
奴が何かを言おうとしたが、もう声にはならなかった。――だが、何を言おうとしたのかは伝わった。
奴はこう云っていた。
――お前も死ね、と。
ドオォォォォンンンン!!!
その瞬間、辺りは光に包まれ、弾けた。




