記憶の欠片
「――そうだ、オレはキクに助けられて海に……」
オレはズキズキと痛む頭を手で押さえながら、ゆっくり立ち上がる。
そして、ここが何処なのかを把握する為に辺りを回って見ることにした。
あの戦いでの負傷は思った以上に深刻だった。
全身に激痛が走り、足も重く、まるで自分の身体では無いような感覚さえ覚えた。
壁に寄りかかるようにしながら歩き、ようやくドアを開く。
その際、オレが着ていた赤いフード付きのライダースジャケットがすぐ脇のコート掛けにあったので、上に羽織る事にした。
オレの目に映ったのは集落だった。
ボロボロの掘っ立て小屋が建ち並んでいて、どれもこれも今にも崩れそうに見える。
上に視線を向けると天井があり、照明が付いている事からここはアンダーなのだろうとは理解出来た。
オレはヨロヨロとした足取りでその集落を歩いてみたが、全く人の気配が感じられない。
更に奇妙なことに、ここには人の気配というより、人がいた形跡そのものが無かった。
確かに掘っ立て小屋の中には、これまたボロボロのテーブルが置いてあったり、粗末な造りの棚が奥にあり、そこには木で作った皿やらスプーンやらが置いてはあった。
それに集落の中心には広場があり、そこには今にも切れそうな縄で繋がれたブランコがポツンと置いてあるし、軽く蹴れば簡単に壊れそうなシーソーもあった。
もっと言うなら、畑や多分花壇だったであろう場所もあり、この集落はハッキリ言ってかなり恵まれた環境にあると感じた。
だが、ここには人がいない。
住人がここに暮らしていたように見えるだけで、実際に暮らしていた様子が無い。
そう、まるで原寸大のジオラマみたいだ。
「おおーーい」
オレが叫んでみても何の返事も返ってはこない。
「クソッ」
舌打ちしながら更に歩いてみたが同じだった。
誰もいない、そしてあまりにも静かだった。
人間どころか、ネズミ一匹すらいないようだ。
衛生状況がお世辞にもいいはずの無い【アンダー】は、ネズミやゴキブリにとってはまさに天国。
少し見渡せば、我が物顔に奴らがそこらじゅうにいるから、奴らが苦手な奴ならその数と光景に発狂するかもしれない。
住人よりも奴らの方が多いのは間違い無いだろう。
それに比べてここは、あまりにも【清潔】過ぎる。
その事が不気味に感じられ、オレは得体の知れない恐怖を感じた。
オレは歩いた。
――何でもいい。
――誰でもいい。
とにかく、生きている何かに会ってみたい。
その一心で歩いた。
「何だよ、ここは?」
どの位歩いたか分からなかったが、集落の外に出てすぐにでかい壁があった。
大戦中に地下に造られた様々な施設とそれを繋ぐ為の経路、それがアンダーの正体だ。
だから、【壁】そのものは別に珍しくも何とも無い。
だが、この目の前にそびえる壁は明らかに異質な感じだった。
壁を軽く叩いてみたが、分かったのはとてつもなく頑丈でびくともしないという事だけ。
今度は、壁伝いに出口は無いのかを探してみることにした。
壁に手を付きながら、ゆっくりと歩く。
そして気付く、ここの【天井】も何だかおかしいと。
陽の光なんかほぼ拝むのが無理なアンダーでは、照明は大事だ。
これが切れたら、場合によって死活問題になる。
上の街で照明機器を盗んだり、よその集落から奪ったり等、騒動が巻き起こる。
人は光なしには生きていけない。
だが、ここの天井は明らかに異質だった。
まず、高さが軽く見積もっても30メートルはある。
こんなに天井が高いのでは照明の交換は非現実的だ。
更に、その照明自体が巨大で、人の手で触れるような代物には見えなかった。
『ヘッ、何だか知らねえけどトンでもない場所みたいだ』
そう思いながら、更に歩いた。
だが、気付いた。
ここには出口が無い事に。
どうやら、この集落は巨大な円形状に広がっているらしい。
壁伝いに歩いたはずなのに、気が付くと同じ場所に辿り着いたのがその証明だった。
「くそっっ」
思わず、怒りを露にしたオレは、その壁に左手を叩き付けた。
”ガン”頑丈なその壁からの返事は控えめだったが、オレはその地味な音の数十倍は有るであろう痛みを左手に感じてうずくまる。
「いったたた――あ~~あ」
ジンジンとした痛みにそう言いながらも頭が冷えたオレは、その場に背中から倒れ込んだ。
”ドサリ”と音を立てて背中に土の感触を感じたオレは「ふーっ」と一度深呼吸をして気分を落ち着かせる。
そして、目を閉じて耳を澄ましてみる事にした。
だが、ネズミ一匹すらいそうにないここで何かの物音なんかが聞こえるはずもなく、オレはそのうち気にするのをやめた。
「……………………」
一体どの位その場で寝転がっていたのだろう。
気が付くと、いつの間にか眠っていたようだった。
そして、考えた。
『――オレは何をやってたんだろうか?』
アンダーの王様気取りでたくさんの仲間を失い、そしてあの施設でまたガルシアにキクの二人を失った。
オレが強くなりたかったのは何でだろうか?
仇討ち? それも理由の一つだ。
仲間を失わない為に? だが――
『オレは一体誰を――何から守れたって言うんだ?』
そんな事を考えている内に、辺りはすっかり暗くなっていた。
天井の照明は消えているものの、集落に目を向けるとポツポツとまだらに明かりが付いている。
少なくとも夜の概念はあるらしい。
時間の経過を意識したせいか腹が減ってきた。
オレは思わず苦笑いしそうになった。
どんなに悩んでも腹は減る。
何故なら――
――どんなに悩んでも生きてりゃ腹は減る。
腹が減ったら飯を食う……分かるか、レイジ?
これが生きてるって事だ。
人は生きてる限り腹が減り――そして飯を食う。
だから、腹が減ったらあれこれ考えるのは止せ――さっさと飯を食うことに専念しろ。
それが生きてる奴の義務なんだ。
「そうだったよな…………おっさん」
不意におっさんの言葉を思い出した。
そう、オレは生きてる。
「生きてる限り、足掻くしか無いんだよな」
ヨロヨロと立ち上がると、集落へと足を向ける事にした。
少なくともオレの怪我を手当てした人間がいるのは間違いない。
元の場所にいればそいつがまた来るかもしれない。
そいつの思惑は分からないが、どちらにせよ今は様子見するに限る。
そう思い、集落へと足を踏み入れる直前だった。
暗闇の中から、誰かの気配をハッキリと感じる。
『……誰だ?』
その気配の人物の視線は間違いなくオレへと向けられている。
こちらの一挙一動を凝視しているように感じる。
敵か味方かは分からないが、少なくとも一般人では無さそうだ。
オレは気配に気付いていない振りを継続し、相手の出方を伺う事にした。
オレは、しばらく集落の中をぐるぐると遠回りしながら様子見してみる。
どうやら、相手は少なくともオレの視界にはいないようだ。
曲がり角に入る直前等にそれとなく周囲を視認してみたが、誰も尾けている様子は無い。
だが気のせいでは無く、何者からの視線はハッキリと向けられている。
『どうする?』
今のオレは丸腰だ。
ヒップホルスターが無かったということは、海に流された時に外れたのかもしれないし、或いはオレの手当てをした人物が没収したのかも知れない。
身体は相変わらず全身が痛み、絶好調には程遠かった。
そんな泣き言を考えていても仕方がない。
視線を前方に向けると、武器になりそうな物はあちこちに落ちている。
あとはどれを選ぶかだけ。
できるだけ目立たず且つ、使いやすい得物がいい。
「うわったったっ」
オレは極々自然に足がもつれた振りをして、倒れ込む。
起き上がる際に、お目当ての武器をコッソリと掴み、ジャケットのポケットに仕込んでおく。
立ち上がったオレが歩みを再開しようとすると、視線はもう感じられなくなっていた。
ホッとした反面、少し残念に思った自分に気付き、その血の気の多さに「ヘッ」と思わず苦笑した。
念の為にそれからも集落の中をぐるぐると道に迷った振りをしながら様子見したが、もう誰の気配も無い。
これ以上、無駄に歩くのも体力の浪費になると判断したオレは自分のねぐらだった掘っ立て小屋に戻る事にした。
改めて、その掘っ立て小屋を見てみると、実にボロボロ。
屋根の無い部分にはビニールシートが被せられ、大きめの石を重しにしている。
壁にもボコボコと穴が入っていて、そこから中が見えている。
これじゃ安全もヘッタクレも無い。
よくもまあ、こんな小屋が崩れずに立ってるもんだと、半ば呆れながらも、ドアをゆっくりと開く――ゆっくり開いたのはこのボロ小屋じゃあ、勢いよくドアを開くだけで崩れそうに感じたからだ。
「あ~~疲れたなあ」
そのまま申し訳程度に小屋の奥に引いた寝床に直行。
どうやら自分の想像以上に疲労していたらしく、あっという間に眠りの中に落ちていった。
◆◆◆
誰かの声がした。
――おい、レイジ。
ったく、呑気に昼寝たあ、いい身分だなあ。
こら、レイジ! いいから起きろっての。
その声の主はオレの頭を小突くと無理やり起こした。
オレは怒りを抑えることなく言った。
「何だよもう! 折角、寝てたの……あだっ」
そう言い終わる前に頭に拳骨が落とされた。
思わず頭を抱えるオレが相手を睨み付ける。
「何だよじゃあないだろう。お前また近所の子供とケンカしたそうじゃないか?」
目の前にいたのは【おっさん】だった。
オレは思わず目を擦り、まじまじとその顔を見たが、間違いない。
おっさんはオレのそんな様子を訝しげに見ながら言った。
「ん? どうした。俺の顔がそんなに珍しいのか? ……んな訳無いよなあ」
「え? でも何でオレ――」
「何だよ、お前忘れてるのかよ? ……いいか、お前は近所の子供とケンカして、泣かしたんだ。
別にケンカをするなって訳じゃないぞ。
男なら、時としてケンカも仕方がない――だが、相手がごめんなさいと言ってるのにそれを無視して一方的に殴るのは止せ」
おっさんの言葉はまるで小さなガキんちょに向けているかの様でオレは少しムッとした。
「オレはガキんちょじゃない」
怒ったオレはそう言いながら拳を突き出す。
だがおかしな事に拳がおっさんに届かない。
どういう事かよく分からないままにおっさんの拳骨が追い打ちとばかりにもう一度頭に落ちた。
”ゴチン”衝撃が電気のように全身を駆け巡った。
なんて事のない拳骨がこんなに痛いなんておかしい。
”ガタリ”何かがおっさんの向こうで崩れた。
オレはそれを見た。
『――あれ、何だよこれ』
おっさんの後ろには鏡が無造作に転がされており、そこに映り込んだ姿は、【子供】のオレだった。
それは、小さなガキんちょのオレがジタバタ暴れようとして、おっさんに拳骨を落とされた姿だった。
『何だよこれは――』
どうやらこれは【夢の中】の様だ。
オレが寝ていると時々浮かび上がる妙にリアルな夢。
そこではオレはいつも子供の姿。
『――でもこの夢は何だ?』
だが、こんな夢は初めてだ。
困惑するオレを尻目におっさんが口を開いた。
「いいかレイジ。
お前は強い子だ、そんじょそこらの子供じゃ誰もお前には勝てない。
それは、分かってるな?」
おっさんは諭すように語りかけると、子供のオレは頷く。
おっさんは話を続けた。
「強いって事は、【責任】を伴う事なんだ。
お前のその強さは何かを――誰かを守る事に使え。
分かったな? レイジ」
「分かった」
「よし…………いい子だ」
おっさんはオレの頭に手を置くと、優しく撫で始める。
ガキんちょのオレはそれをニコニコしながら受け入れた。
次の瞬間には、オレは寝ているようだった。
声が聞こえる……おっさんと、誰かの声。
耳を澄ませると、話が聞こえる。
どうやら……言い争っている様だ。
「主任、実験体を【ゼロツー】をいつまでここで遊ばせるのですか? あれは所詮、人の皮を被った【兵器】なんですよ。
上からは早く成果を出せとせっつかれてます。
下手をすれば我々の責任に……主任!」
誰かがそう言っている。
主任ってのはおっさんの事らしい。
おっさんの声が聞こえてきた。
「君は何を言ってるのか理解しているのか? あの子にだって人並みに暮らす……」
「……冗談言わないでください! 【アイツら】が暴走した時の事を思い出して下さい。
一体、何人の関係者が命を落としたのか、主任だってご存じのはずじゃないですか? 主任だって、婚約者を――」
「言うな」
「いいや、言わせてもらいますよ。
主任だって、最初は殺してやるって言ってたじゃないですか?
そんな奴らの一人を人間扱いする必要なんて無い」
「黙れ! あの子だって人間なんだ。
我々と変わらない人間なんだぞ、我々の都合だけで一生【実験体】にするなんて間違っている……間違っているんだ」
「……後悔しますよ?」
「帰れッッッッッ」
「分かりました」
”バン”と荒々しくドアが閉められる音が聞こえ、気が付くとおっさんが目の前にいた。
いつものように優しく頭を撫でながらこう言った。
「いいか、お前は人間なんだ……ちゃんと生きる権利だってあるんだ」
おっさんの声は小さくて、今にも消え入りそうだった。
気が付くとまた場面が変わった。
真っ暗でうっすらとしか周囲が見えない。
ただ、臭いだけはハッキリとしていた。
オレにとって馴染みの深い――【血の臭い】。
濃厚なその臭いはすぐそばで誰かが死んでいる事を意味した。
恐る恐るオレは近付く。
服装を見る限り、どうやら集落の住人ではない様で、その表情は苦痛に満ちたものだった。
更に、オレは歩いた。
血の臭いはどこまでも付きまとうようにあちこちからのする。
周囲は相も変わらず真っ暗だったが、夜目の利くオレはもう暗さに慣れたらしく、臭いの元が見えていた。
あちこちに死体が転がっている。
「うっっ」
オレは吐き気を催しそうになるのを押さえつつ、先へと足を進める……集落に向かって。
集落の中はもっと悲惨だった。
数えきれない程の住人が無惨に殺されている。
女子供、誰これ構わず、文字通り皆殺しになっていた。
そして、よく見ると明らかに住人ではない奴らもそこに混じっていた。
ソイツらは一様に黒の戦闘服を着用しており、目には暗視装置を装着。
その手には【P90】が握られていている。
【P90】はPDW、パーソナルディフェンスウェポンと呼ばれ、一応サブマシンガンにカテゴリーされる武器だ。
ディフェンスという文字からは想像もつかない位に強力な貫通力を持った専用の銃弾を用いる上に、弾数も50発もある、反則みたいな武器だ。
そんな物騒な代物を持った連中の死体も転がっている。
もっとも、ガキんちょのオレがそんな事に気付く訳無い。
怯えながら、歩いていく先にいたのは――おっさんだった。
でもどこかおかしい。
いつもとは明らかに違う感じだ。
おっさんの表情は笑顔だった。
「成程……いい性能だ」
その言葉をキッカケにオレはおっさんに向かい走り込んでいく。
殺意を剥き出しにし、気が付くと手にはベッタリと血が付いたナイフを握り締めて――
◆◆◆
「ああっっ……ハアハア」
思わずオレは飛び起きた。
初めて見る場面ばかりで、何が何だか理解しきれない。
ただ、間違いなく、あの夢は【過去の欠片】だと言う確信だけはあった。
身体中にびっしりと汗をかいていて、気持ち悪い。
正直言ってシャワーを浴びたい気分だ。
時計なんて持ってないので時間の感覚が分からないが、まだ周囲は暗い所を見ると、まだ夜のようだ。
「ん!」
ふと、気付いた。
オレのすぐ目の前に【誰か】いる。
驚いたオレは思わず後ろに飛び退く。
今度は背中に冷や汗をかいているのが分かった。
何者かは知らないが、まるで気配を感じなかった。
顔は目出し帽を被っているらしく分からない、だが一般人じゃないのだけは間違いない。
自慢する訳じゃ無いが、オレは気配には敏感だ。
【掃除人】なんかしている以上、いつ誰に命を狙われてもおかしくない――だから常に用心は怠らないようにしてきた。
だが、目の前のコイツがもしその気になっていたら、オレはもう死んでいただろう。
一体、誰だ――
身構えるオレに対して、相手が言った。
「成程な……なかなかいい【素材】になった」
目出し帽の為かくぐもった声でそう言うと、その相手は一歩前に進み出て、被っていた目出し帽を外して顔を見せる。
その顔を見たオレは――驚愕する他なかった。
「そ、そんな…………あんたは死んだはず」
その顔を見間違えるハズがない。
オレの目の前に立っていたのは、【おっさん】だった。




