カーテンコール
「「うおおらあああっっっ」」
イタチとムジナは互いに叫びながら激突。
ムジナは刀を右へと横凪ぎに払い、イタチはそれをクロウで受ける。
”ガ……ギイイイイイッッッ”
ぶつかり合った金属同士が火花を散らす。
イタチが右手をヒップホルスターに回すとオートマグを素早く抜き放ち、銃底で殴り付けた。
”ガツン”という鈍い音。
向けられた銃底をムジナは額で受け止める。
そして逆に頭突きをイタチの鼻先に食らわせる。
”ガキッッ”という音と衝撃でイタチがフラつき、そこにムジナが刀の柄で殴りかかる。
”ドッ”柄は狙い通りにイタチの胸部を突いた。ただ、妙に感触が軽い事に気付く。
『――わざと飛んだのか……マズイッッ』
理由を察したムジナが後ろに後退すると同時にイタチの右手のオートマグが火を吹いた。
30カービン弾がムジナの腹に向かって飛んでくる。
一応、ムジナが今着ているのはライフル弾にも耐える仕様のボディーアーマーだ。
恐らくは30カービン弾でも貫通せずに済むだろう。
ただし、至近距離での直撃による衝撃までは完全には防げない。
直撃の瞬間、骨の数本は折れ、呼吸が出来なくなる。
そうなれば、いくら【スイッチにリミッター】が入っていようが動きが止まれば関係ない、間違いなくイタチは悠々とトドメを差すだろう。
「かあああっっ――ッッ……」
ムジナは叫びながら身体を後ろに飛ばし、30カービン弾をその身で受けると、派手に床を転がった。
イタチもムジナの意図に気付き、即座に追撃しようしたが、不意に首を後ろに反らす。
”ピッ”と首筋から血が流れ、視線を右に向ける。
視線の先には黒装束。手にはナイフが握られており、刃先からは血が垂れていた。さらにもう一人後ろにも黒装束。
「――ヘッ、邪魔すんなよなあっ」
イタチは獰猛な笑みを浮かべて新たな敵へと突っ込んでいく。
◆◆◆
「ククフフ。――まさに混沌だね。…………そう思いませんか? クロイヌさん」
まるで周囲の状況に動じる様子もなく、ジェミニは口元を大きく歪める。
そこに追い詰められているといった様子は微塵もない。
全て予想通りとでも言わんばかりだった。
「……随分と余裕綽々だな。どうやらここで死ぬ覚悟は出来ている様だ」
クロイヌも動じる事なく対峙していた。
そこへ、背後から黒装束がナイフを心臓めがけ突き立てようと忍び寄る。
クロイヌは左脇を開きつつ身体を右に動かす。
そこへ伸びてきたナイフとそれを握る腕が脇をすり抜ける様に通過した。
開いた脇を閉じ腕をロックすると、そのまま捻り上げて黒装束を前に引っ張る。
勢いに負け、飛び出す黒装束の顎に右膝を叩き込むとジェミニに向けて放り出す。
ジェミニはその目の前に転がった黒装束を一瞥するや否や、【マカロフ】を取りだし頭部を撃ち抜く、
「やれやれ。……ボクに拳銃を使わせるなんて」
不快感を露にすると、その銃口をクロイヌへと向けた。
クロイヌはそんな状況にも全く動じる事無く、いつもの様にジャケットのポケットからシガーケースを取り出すと、いつもの葉巻を取り出した。
「で、君は拳銃を使わないのかな?」
ジェミニは訝しげな視線を目の前の相手に向ける。
そんな視線などまるで気にする様子も無く、クロイヌは葉巻の先端を噛み切るとライターの火を付ける。
「俺はそういう物から卒業したんでな」
といいながら葉巻を口に運び、ゆっくりと「フーッ」と煙を吐いた。
自身のすぐそばで銃弾が跳びはね、怒号が響き、血が飛び散ろうと全く動じる事も無く、淡々としたクロイヌの様子を見たジェミニは目の前の相手に恐怖を抱いた。
微かに銃口を向けた手先が震え、思わず唾を飲み込んだ。
そんなジェミニの心の中を見透かすようにクロイヌは口元を微かに歪める。
「どうした? 怖いのか、この俺が」
そう言いながら、右足を一歩前に進めた。
「は? この僕が君を怖がると? バカを言うな!」
「なら、どうして俺の【目】を直視しないんだ?」
「これ以上来るなら……」
”パアン”弾丸がクロイヌの頬を掠める。
威嚇射撃だったのだろうか、ジェミニは満足気な笑顔を見せる。
だがクロイヌはそんな事など気にもならないとばかりに、左足を一歩前に進める。
ジェミニがそれに反応するかの様に一歩後ろに下がるものの、無意識の事なのか気づく様子は無い。
”パン”さらにジェミニはもう一発威嚇射撃。
今度はクロイヌの足元に命中した。
「死ぬよ? 次はさ」
「……そうか」
クロイヌのその言葉を聞き、自分の優位をハッキリさせたと考えたジェミニは「ククフフ」と笑い声をあげた。
だがクロイヌはそんな事などまるで気にもならないと言わんばかりに、左右の足をそれぞれ一歩踏み出す。
ジェミニはさっきと同じく無意識に釣られて後ろに下がるものの、床の出っ張りに足を取られ、思わず尻餅をついた事で初めて自分がクロイヌに対して虚勢を張っていた事を認識した。
「く……くそっっ」
ジェミニは震える手で銃口を相手に向けた。
クロイヌはまるで気にする様子も無く葉巻を指先で目の前の相手に向けて弾く。
その次の瞬間”パン”と言う音を立てて弾丸が吐き出された。
その銃声を合図にしたのかクロイヌは驚く程に素早く、鋭くそれでいてごく自然に間合いを詰めた。
当然の様にジェミニの拳銃の銃身を左手で掴み、引き寄せながらの右の掌底が鼻柱を直撃。
ジェミニは「ブハアッ」と叫びながら、後ろに吹き飛んで実験用具満載の棚に激突。
クロイヌが奪った拳銃をジェミニに向けて投げ捨てると、その人差し指中指の間に弾いた葉巻がスッポリと落ちてきた。
「かはっ、はあっ」
鼻柱を押さえ、呻きながらジェミニは逃げようとした。
だが、逃げようと立ち上がった瞬間に前蹴りが腹部にめり込む。
その小柄な身体が一瞬宙に浮いたかと思った瞬間、棚に叩きつけられた。
棚に入っていた様々な容器や薬品が崩れて次々と床に落ち”ガシャアン”と派手な音を立てて割れていった。
ジェミニは苦痛のあまり「く……ああっっ」と呻きながら腹を押さえたまま起き上がれなかった。
ふと、視線を向けるとそこにはまるで何事も無かったかの様に葉巻を口に運ぶクロイヌの姿。
「こ、コイツを殺せえっ」
ジェミニが叫ぶ。
だがそれに応じる者はいない。
周囲を見回すと、護衛の黒装束達は二人がイタチに向かい、残りは【ジャッカル】の隊員達とやり合っている。
【サルベイション】の一般兵も同様でジャッカルと銃撃戦を繰り広げ、誰一人として手が空いていなかった。
「く……くそっ」
ジェミニが何とか形勢を変えようとして、手に触れたのは今し方クロイヌに奪い取られたはずの【マカロフ】だった。
慌てて拾い上げて銃口を向けると「死ねっ」と言いながら引き金に指をかける。
『勝った』
ジェミニはその瞬間、そう確信した。
相手はほんの一メートルも離れずに呑気に葉巻を吸っている。
この至近距離で外す事は無い、そう思いながら引き金を引いた。
”カチャ”
しかし聞こえた音は妙に軽く、標的は何事も無く葉巻を味わっている。
さらに引き金を続けて引いたものの、聞こえる音は”カチャカチャ”という軽く、甲高い音だった。
何が起きたのかよく分からずに拳銃を見ると遊底が着いていなかった。
「……コイツを探してるのか?」
クロイヌはそう言うと何かを投げてきた。
”カツン”という音がジェミニの足元でした為、視線を向けるとそこにはスライドが落ちていた。
間違い無く、外されたマカロフのパーツで足元に落ちたそれを見たジェミニは、思わず唖然とした表情を浮かべた。
クロイヌという男が以前【掃除人】をしていた事は資料から知ってはいた。
掃除屋を廃業して幹部待遇で組織に入ったのが八年前。
更に、四年前に武器を捨て前線には立たなくなったと聞いていた。
甘く見たのは間違いだったと心底後悔していた。
「諦めるんだな」
無表情かつ無感情なクロイヌのその言葉はジェミニを容赦なく追い詰めていた。
◆◆◆
『痛みも感じなくなってきたな』
ガルシアは痛覚を感じなくなった事でいよいよ自分がもう長くないと実感する。
手足の感覚もさっきから無く、辛うじて息だけしているような状態だった。
傷口に視線を向けてみると、あの刀使いに斬られた傷口からはおびただしい量の出血をしていて、自分の身体にこれだけの血があった事に気付かされた。
イタチと刀使いがやりあう様子が見えた。
キクはイタチが庇ったらしく、その後ろにいるのが見える。
『あまり役にたてなかったな――だが無事ならそれでいいさ』
ガルシアはゆっくりと目を閉じて、自分の【死】を待つ事にした。
――い…………しろ。
どれくらい時間が経ったのだろうか、声が聞こえた。
言葉自体は掠れていて何を言ってるのかはよく分からない。
だが、確かに聞こえた。
何故か分からないが聞かなければならない気がしたガルシアは耳を澄ませてみる。
――おい…………ろよっ! ガルシアっ。
まだハッキリとは聞き取れなかったが、自分の事を呼んでいるのは聞き取れたし、理解できた。
ガルシアは自分を呼ぶのが誰なのかを見てみたいと思い、目を開こうと試みるが瞼が重い。
その間にも声だけはハッキリと聞こえる。
――おい、しっかりしろよなっ! ガルシアっ。
ガルシアはその声の主をよく知っていた。
もし、許されるなら一緒にいたかった女性。
彼女の為ならどんな事にも耐えられた。
どんなに道を踏み外そうと問題じゃ無い――それが彼女を守る事に繋がるのだったら、躊躇うこと無く道を踏み外せる。
『神様とやらもいいとこあるじゃないか』
そう思ったガルシアは力を振り絞り、瞼を開く。
その計らいに応える為に。
「よお……げんきか?」
「……ガルシア? お前、まだ生きてやがったのか!」
瞼が開かれて、相手を見る。
悪態をついたのは間違い無くキクだった。
ガルシアは、自分の頭がいつの間にかキクの膝に載せられている事に気付いた。
普段なら慌てて起き上がる所だったが、今はもう身体の感覚が殆ど無い。
『まあ、コレくらいのいい思いはしてもバチは当たらないだろうさ』
そう考えると、ガルシアは穏やかな気分になった。
これまでの人生の中で今が一番満ち足りた気分だった。
自然とその表情も変わったらしく、キクが驚いている。
「お前……こんな表情も出来るんだな」
そう言いながら、キクも優しく微笑むと、ガルシアの頭をソッと撫でる。
「キク、おれはこうかいしてない」
「ああ、分かってる」
「なあ……おれ、おまえのことが好きだ」
「バアーカ。……知ってるよ!」
「そうか、ならいい…………レイジを」
「何言ってんだよ、いいのかそれで?」
「おれはまだ、しなない……さ。強いからな」
ガルシアの筋肉が隆起し、キクは驚いた。
「お前、バケモンだな」
「だろ? まだしなない……いけ」
そう言うとガルシアの身体から力が抜けていく。
それが何を意味するのかキクには分かっていた。
それは”アンダー”で生きている人間なら誰でも知っているごく自然で身近な事実だ。
「最期までバカなんだから」
キクはそう呟くとその男の額にソッと自分の唇を重ねると、丁寧に頭を床に置いた。
ガルシアの表情は満足そうだった。
キクが周りを見回すと、ここが戦闘地帯だと嫌でも実感出来た。
いつの間にか、ジャッカルにしろサルベイションにしろ援軍が来たらしく、混戦に拍車がかかっている。
『レイジ――何処にいるんだ?』
◆◆◆
イタチが顔を咄嗟に横に反らす。
”シュン”という風切り音を立てながらナイフが頬を掠めていく。
更に上半身を捻りながらジャンプすると今まで足があった場所を木の棒が通過していった。
イタチはジャンプしつつも両足をその場で思いきり開いて左右にいる黒装束達に蹴りを喰らわせる。
「ったく。休憩位させろよな」
着地したイタチが左右に視線を向けると、黒装束は何事も無かったように態勢を整えていた。
さっきまでと違うのは二人ともあのフード付きマントを外していたことで、マントの下がこれまた真っ黒の戦闘服の上下だった。
「ヘッ、クロイヌの奴と仲良くなれそうだぜ、お前ら」
黒装束達はイタチの減らず口にも無反応で各々の武器を構えた。
一人はナイフ使い。
正確には【ダガーナイフ】を手にしており、腰にもう一本予備のダガーナイフを差しているのイタチは確認していた。
もう一人は棒使い。
棒とは言うものの、長さは軽く一メートル以上はあり、中国映画とかでお馴染みの武器である【棍】のようだ。
さっきまでは丁度半分の長さで携帯していたらしく、イタチの目の前で繋げていた。
『さて、さっさと片付けないとな』
そう考えたイタチがムジナが吹っ飛んだ場所に視線を向けると、まだその場に倒れているのが分かった。
ムジナが防弾対策をしていたのは見えていたから射殺は無い。
だが、ライフル弾と同等の30カービン弾の威力はかなりのものだ。もしかしたら気絶したのかもしれないし、臓器を損傷して致命傷を負ったのかもしれない。
「ま、何にせよ――さっさとさ」
イタチが棍使いにとびかかっていく。
棍使いが迎撃に棍を振り上げるのを飛びかっった勢いを利用しつつオートマグの銃身で止める。
そこに左手に握ったクロウで棍に切りかかった。
黒装束の棍使いもその攻撃は読んでいたのか棍自体を反らしてクロウの直撃をずらす。
イタチは背後からダガー使いが自分を突き刺そうとしているのに気付き、素早く振り向きながら棍使いを右肘と背中で押し退ける。
と同時に押し退けた反動を利用してダガー使いに肉薄しつつオートマグの銃身で突き出されたダガーの刃先を弾き、クロウで切りかかろうとしたが、ダガー使いは素早く後退し難を逃れる。
「ヘッ。無駄の無いこった」
相手の引き際の良さに思わずイタチが毒づく。
棍使いにしろダガー使いにしろ明らかに訓練された動きで、隙が無い。
【スイッチ】を使えば間違い無く勝つ自信は当然あったが、正直今のイタチの体力では使えるのはギリギリ一回。
【リミッター】を切れば二回は使えるが、右手が使えなくなる。
「さあて、どうすっかな」
呟きながら隙を伺う様に構えるイタチを見て、棍使いとダガー使いの二人は再度その前後に展開した。
「お前は危険だ。…………ここで殺す。どんな犠牲を払おうとも」
ダガー使いがイタチの背後からそう宣言した。
イタチは「へえ」とだけ言いながら一歩背中を向けたまま後退してみる。
ダガー使いも呼応するように一歩後退する。
続けて棍使いが大きく歩幅を取って間合いを詰めながら、棍を振り上げた。
イタチは上半身を後ろに反らしその攻撃を躱す。
そして、左手を後ろに勢いよく振った。
その左手のクロウが、棍使いと連携して切りつけてきたダガー使いのそれと刃先がぶつかった。
棍が今度は振り下ろされる。
イタチはオートマグでそれを殴り付ける様に受け止める。
『んで、次はダガーが背後からだろ――ナメんなよっ』
その読み通りにダガー使いがもう一本のダガーナイフを左手で腰から抜くと、突き出そうと構えた。
その攻撃を潰す様にイタチはクロウを引きながら左肘でダガー使いの顎先をかち上げる。
ふらついた相手を背中ごと一気に押し飛ばす。
棍使いがその武器で鋭く突きを放ってきた。
イタチは身体を左前方に捻ってそれを避け、オートマグでその軌道をずらすとそのまま間合いを潰した。
危険を察した棍使いは後退しようとしたがイタチの動きがいきなり加速した。
そのままの速度でクロウが棍使いの喉を一気に切り裂く。
『一人目っ』
振り返るとダガー使いが態勢を整えて再度飛び出そうとしていた。
イタチは「上等」と言いながら飛び出そうとした。
だが、身体が動かない。
原因は棍使いがイタチの身体を掴んでいたからだった。
棍使いは「や……れ」とかすれた声で言うとそのままイタチに寄りかかる様に崩れ落ちる。
『ざけんなよっっっ』
イタチは棍使いを跳ね除けようとした。
だが身体が急に重くなったのを感じた。
『ここで切れるのかよ』
それは残り一回の【スイッチ】だった。
それが切れたという事はイタチの身体に余力はもう無い。
ダガー使いは右手のダガーを投げつけ、自身も残されたダガーを両手で構えると一直線に突っ込んできた。
”パアン”
オートマグの30カービン弾がダガーを砕き、ダガー使いの眉間を貫いた。
仮面が割れて露になったその表情は勝利を確信していたからか笑顔だった。
イタチが「ふう」と言いながら棍使いの身体を引き剥がそうとした瞬間”パパン”という銃声が聞こえた。
キクが【ワルサーPPQ】を構えていて、その銃口の先を見ると、イタチの背後にもう一人黒装束が立っていた。
そいつは手に【エストック】を握っていて、イタチが棍使いをどかした瞬間に刺し殺そうとしていたらしかった。
「ちぇ、カッコつかねえや」
イタチは減らず口を言うと崩れ落ちた。
その身体をキクが支える。
「まったく、男共はだらしないよな」
「ああ――同感だ。オレ位のモンだな、タフなのは」
「女に肩を貸して貰ってる死に損ないの台詞じゃないよ、それ」
「ヘッ、言うようになったじゃねえか…………サンキューな、キク」
「言っただろ――アンタは私が守るって、さ」
◆◆◆
「く、クソッッ」
ジェミニは事態が不利に推移していると悟ったらしく、不快感を露にした。
クロイヌはそんな様子を冷ややかに見ながらにじり寄る。
「そろそろ諦めろ」
「僕が諦めると思うのかい?」
「ああ」
そう言うなりクロイヌの左拳がジェミニの鳩尾に深々とめり込み「ぐはあっ」と呻きながら身体が衝撃でくの字に折れ曲がった。
続けてクロイヌは左手でジェミニの肩を掴むと右膝をだめ押しとばかりに鳩尾に喰らわせると、放り出した。
ジェミニは転がりながら「ぐぎゃあっっ」と喚き声をあげる。
「今のは手加減した……理解しているな?」
「くうっっ……ふざけ――っ」
その言葉が終わらぬ内にクロイヌの蹴りがジェミニに直撃。
ジェミニは「ゲフウッ」と仮面越しでもはっきりと苦痛に満ちた表情を浮かべながら、のたうった。
「おいおい、その位で止めときなよ」
そうクロイヌに声をかけたのはイタチ。
イタチはキクに肩を貸して貰ってようやく歩いており、誰の目からも疲労の極致であることは明白だった。
クロイヌは「ふう」と言うと、ジェミニから距離を取りイタチに近付く。
「……片付いたか?」
「おかげさんでな」
「そうか」
それだけ言うと、キクに視線を向けると
「……御苦労だったな。報酬はこれが片付けば払おう」
そう言いながら、通り過ぎた。
キクはただ一言「はい」とだけ返事を返した。
イタチはその二人のやり取りを黙って見ていたが、不意に苦痛に喘いでいたジェミニに近付く。
「で、ジェミニ……いやノン。――どうする? もう勝ち目は無いぞ」
イタチがそう言いながら周囲を見回すと、サルベイションの抵抗はジャッカルによって徐々に鎮圧されつつあった。
AKを構えた兵士は次々と射殺され、黒装束の連中も多勢に無勢の為か、一人、また一人と射殺されており、残りは三人になっていた。
「もう切り札も無いだろ? 大人しく……」
「……降参するよ」
「だろ? …………って何!」
思わずイタチはジェミニを見た。
彼の知る限り、ジェミニことノンは腕力こそ無かったが誰よりも頭が回り、用意周到で抜け目の無い男だった。
イタチの脳裏にノンの言葉が思い出された。
――いいかい? 戦いってのはさ、やる前の準備で決まるのさ。
レイジ達が勝てる様に少しでも勝率を高くする。
これが、荒事には不向きな僕なりの闘いって訳だよ。
卑怯者と蔑まれようとも、皆が無事に戻れるようにね。
少なくとも、イタチの知っているノンならばどのような状況も予め予想して手段を用意しているはずだった。
事前の準備を抜かったりはしない。
「お前、誰だ?」
思わずイタチは目の前の相手にそう尋ねた。
キクがジェミニに近付くと仮面を引き剥がそうと手を伸ばす。
不意にイタチは殺気を感じ取り、キクを自分ごと横に押し倒す。
”シュン”という風切り音が聞こえ、次の瞬間。
「かああ――あっっっ」
ジェミニの身体を一本の【矢】が貫いていた。
クロイヌが「口封じか」と言うと、その周りをジャッカルの隊員達が固め、反撃態勢を整える。
「俺に構うな。今の奴を見つけろ」
クロイヌはそう命令すると隊員達を払いのけ、ジェミニに近付く。
ジェミニの胸部はみるみる血で染まり、この矢傷が致命傷である事は明白だった。
クロイヌはジェミニに近付くと仮面に手をかけ剥ぎ取った。
「誰だ? お前」
キクは仮面の下にあった顔を見て驚きながらそう言った。
イタチは「やっぱりか」とだけ呟いた。
クロイヌはジェミニだった男に顔を近付けて聞いた。
「何か言い残す事は無いのか?」
それに対して、ジェミニだった男は「ヒュー、ひゅー」と荒い呼吸をしていたが、クロイヌに目を合わせると表情を歪ませた。
「ククフフ。君達は全員ここで死ねばいい――道連、れ」
そう捨て台詞を言うと、絶命した。
その声は、イタチとキクの二人が知っていたノンとは似ても似つかない低い声だった。
”ビイイイイイッッッ”
突然、アラーム音が響き渡る。
――警告。当施設は機密保持の為、自己破壊シークエンスに移行しました。
施設の全破壊まで残り時間は五分です。
全職員は速やかに施設を所定のルートより出てください。
繰り返します。
当施設は――。
クロイヌはイタチを起こすと、
「イタチ、ルートは頭に入ってるな?」
と聞いた。
イタチは不敵に笑い「余裕」と言うと、先に歩き出した。
その後ろを黙ってクロイヌ、キクが付いて行き、ジャッカルの隊員達がゾロゾロと付いていく。
流石に施設の自己破壊シークエンスが進行している為か、途中で足止めを掛けて来る者はおらず、イタチ達は下水道にたどり着いた。
目を凝らすと、百メートル程先が出口らしく外の光が見える。
「ここまで来ればあとは直進あるのみだ」
「御苦労だった」
「金はいつもより多目に貰うぜ、クロイヌ」
「ああ、分かってる」
「んじゃ、後始末にかかろうか」
「任せる」
イタチはクロイヌに背を向け、出口から遠ざかる。
クロイヌは黙って出口に向かい歩いていき、ジャッカルの隊員達もそれに続く。
その場に残ったのは、キクだけだった。
「おい、何してんだよ。……早く出ないと」
「キク、お前も早くここを出ろ。心配すんな、ちょいとトイレに行きたいだけだからよ」
「ふざけんな、だったら何で左手にナイフを握り締めてんだよ」
「なあに、気にするなって――チッ。来やがった」
その言葉に反応したキクがイタチの視線を目で追う。
ソイツはゆっくりとした足取りだった。
その全身は血塗れで、左手には一本の刀が握られていた。
「ようやく来やがったか。調子はどうなんだよ、キョウダイ?」
「最高だね。今からお前の首を落とせるからな」
それ以上の言葉は不要だった。
まるで磁石に引っ張られるように二人の男は駆け出していた。
互いに満身創痍で、その動きは明らかに緩慢。
「「らああああっッッ」」
互いにもう体力の限界を越えていた。
【スイッチ】を入れるつもりは互いに無かった。
代わりに【リミッター】を入れていた。
ギリギリまで使わずにここまで来た為、イタチは右肩がだらしなく動いていたし、ムジナはもうぶら下がった右手の痛みで気を失いそうになっていた。
そこまでしたのは今のこの瞬間の為に他ならない。
全てはこの決着の為だった。
『勝負はすぐにつく』
互いにそう考えた二人は初手に全てをかける事にした。
イタチはクロウを左手で、オートマグを右手でそれぞれ抜き放つ。
ムジナは刀を【脇構え】に構えながら間合いを詰めていく。
先に仕掛けたのはムジナ。
脇構えから刀を右へと斬り上げる。
”シュン”という風を切る音が聞こえ、イタチの首を落とす勢いで刀が迫る。
イタチは上半身を反らして躱しながら、クロウを刀の刀身に合わせると一気に引っ張った。
ムジナの身体が思わずバランスを崩し前のめりになった所にオートマグの銃口を向ける。
イタチの意図に気付いたムジナは素早く首を反らして銃口から外れるとそのまま前に突っ込み、そのままイタチを押し倒す。
地面に叩きつけられたイタチは二人分の重みに「ぐっ」と呻いたが即座に反応し、クロウでムジナの喉を突き刺そうと繰り出す。
”ドッッ”クロウが肉に食い込む感触を左手が感じた。
だが、それはムジナの右手だった。
ムジナがブラリと右手をクロウの前に差し出していた。
『かかったな』
ムジナは迷わずに刀で右手を切り落とし、そのままイタチの首へとギロチンのように下ろしていく。
イタチに残された攻撃はただ一つ。
オートマグでの七発目の射撃のみ。
迷わずに右手を掲げ、最後の一発を発射した。
”パアン”
ムジナはここで【スイッチ】を入れた。
オートマグから、30カービン弾が飛び出し自分の眉間へと一直線に向かってくる。
イタチにとっても最後の一発であったが、これはムジナにとっても最後の攻撃だった。
この攻撃の為にムジナは既に【リミッター】を外していた。
外した瞬間、これまで抑えていた【痛み】が一気に全身を襲い、ムジナは意識を失う寸前だった。
今の右手の切断で失血死するかもしれない、だがそんな事は彼にとっては些細な事でしか無い。
彼にとって、目の前の相手を殺す事だけが全て。
それさえ叶うなら他の事はどうでもよかった、それが例え自分の命であっても。
”ガキャン”
刀と30カービン弾がぶつかり、刀の刀身がほぼ真っ二つになった。
その衝撃で左手が弾かれ、恐らくは骨が折れただろう。
わずかに軌道を反れた30カービン弾に対しては上半身をずらし眉間への直撃を回避、30カービン弾はムジナの右肩をあっさりと貫通していき、その衝撃でムジナの身体は吹き飛びそうだった。
『これさえ堪えれば』
そう思い、ムジナは衝撃に堪える。
だが、ムジナは忘れていた。
さっきの自分がそうだったようにイタチもまた、【リミッター】を外し、【スイッチ】を入れる事を。
オートマグがもう使えなくなった瞬間、イタチは【リミッター】を外し【スイッチ】に切り替えていた。
勿論、切り替えると言っても僅かな時間差は生じる。
だが、ムジナの右肩を30カービン弾が貫通した瞬間、ここなら時間差は問題なかった。
両足を引き寄せ、膝でムジナの身体を引き寄せるや否や、引き起こした身体の勢いを利用しての頭突きをムジナの顔面にブチ込む。
”バキッッ”という音とともにムジナは吹き飛んでいく。
素早く身体を起こした所にムジナの折れた刀の刃先が向かってきた。
難なく避けられるハズだった、スイッチがその瞬間に切れなければ。
身体がウソみたいに動かなくなり、折れた刀の刃先が回転しながら向かってくるのをイタチはただ、見ているしか無かった。
『ヘッ、下手を打ったのはオレも同じか』
そう思い、目を閉じてその瞬間を待った。
”ドスッッ”
『あれ? 何でだろう、あまり痛くないや……そうか、もう死んじまったのかな』
――い、……りしろよ。
『なンだよ、休ませろよ 。オレは死んじまったンだからさ』
――おい、起きろよッッッ、このバカっ。
「ンあ? あれ……」
イタチが目を覚ますとそこはあの下水道だった。
そして、目の前に覆い被さるようにしているキクの顔が見えた。
キクは目を覚ましたイタチを見ると、
「バカっ。寝てンじゃねえよ――心配かけるなよな」
と言い、安堵した表情を浮かべ、イタチの身体を抱き締めた。
「ヘッ、悪かったよ――にしても、お前いい匂いだな」
「ば、バカ。な、何言ってんだよ」
「アイツに会う前なら、お前に惚れちまったな、多分」
「バカ」
「冗談だよ……! キク、お前」
イタチはキクの右肩に刀が刺さっているのに気が付いた。
そして全てを理解した。
何で自分が生きているのかを。
イタチの表情の変化にキクも気付く。
「ああ、気にすンなよ。それに言ったでしょ。あんたを守るってさ」
そう言いながら、キクは笑った。
そこには何の打算も無い、満面の笑顔があった。
その笑顔を見たイタチの心は”ズキリ”と痛んだ。
そしてただ、黙って左手でキクの身体を抱き寄せると、
「サンキューな」
と言って、キクの頬にキスをした。
「バカっ」
キスに驚いたキクが慌てて、イタチから離れると顔を真っ赤に染めていた。
そこへ”ズシイイイン”という震動。
気が付けばアラーム音が聞こえなくなっていた。
「ヤベエな、早くここを出よう」
「うん」
今度はイタチがキクに肩を貸した。
見たところ、刀は肩に刺さっているだけで、命の危険は無さそうだった。
イタチはキクをこのまま上の街に連れていこうと考えていた。
キクなら、【バー】でも問題なくやっていけるだろう。
もう、キクの帰る場所は無くなってしまったのだから。
『――今度はオレが守る番だからな』
イタチはそう心の中で決めていた。
◆◆◆
「マジかよ」
イタチは愕然とした。
あと、ほんの十メートル程で外に出られるはずだった。
目の前が崩落していなければ。
「キク、悪かったな」
「気にするなよ、私が決めたことなんだし」
「とにかく、ここから出ないとな」
「大丈夫、あんたは悪運だけは強かったろ。昔から」
「それ、フォローになってねえよ」
「気にすンなって、さあ」
二人は道を戻っていく。
イタチは改めて施設の地図を思い返し、ある場所を目指す事にした。
そこはまだ未完成の通路とガルシアが言っていた。
どうやら元々そこは海と繋がっていて船着き場だったそうだが、
サルベイションがここを基地にした時には通路が壊れていて通行出来なくなっていたらしい。
工事はしていたそうだが、まだ未完成だと聞いた場所。
幸いにしてそこは下水道から近く、ほんの数分で通路に出ることが出来た。
どうやら工事は殆ど終わっているらしく、問題は無さそうだった。
目の前が荒れた日本海でなければ。
”ドーーーン”という爆発音と”ガタガタ”という震動が断続的にこの通路にもきており、施設全体が崩落するのは時間の問題だった。
もう先に進むしかなかった。
「行くぞ」
「うん」
痛みが走った。
一瞬、身体がふらつき不意に後ろを振り返る。
ムジナが立っていた。
全身からはおびただしいまでの出血で今にも死にそうにすら見える。
だが、その目はまだ死んでおらずに強い【殺意】に満ちていた。
「キクッッ」
イタチはとっさにキクを突き飛ばし、クロウを抜いた。
ムジナもそれに気付くと折れた刀で斬りかかってくる。
”ギイン”通路内に二人の得物の激突音が響く。
互いに半死半生。
動くだけで精一杯の状態。
だが、互いに目の前の相手を殺すという目的がその身体を動かしていた。
イタチが息を切らすのを隠しながら言った。
「往生際が悪いなキョウダイ」
「兄弟だから、な。諦めなッッッ」
ムジナも皮肉混じりに言葉を返すと、刀を振るう。
そして、互いの得物がぶつかると鍔迫り合いのような形になった。
「くうううう」
「悪いな、俺の勝ちだナアッッッッッ」
単純に体格の勝るムジナが押し切った。
”ギイイッ”という音とともにイタチの左手が弾かれクロウは飛ばされ、無防備な身体が晒された。
ムジナが叫んだ。
「終わりだあッッッ」
刀を上から一気に振り下ろしていく。
「レイジッッ」
叫び声をあげ、キクが背中を向けた状態で立ち塞がった。
”ザクッ”キクの背中を折れた刀が切りつけていく。
イタチは茫然と切られていくキクを見ていた。
だが、その目は冷静に全体を見ていた。
『ちっ、しぶとい奴だ。――だが、ナイフも無くしたコイツに勝ちは無いッッッ』
ムジナは冷静に刀を引くと、回り込んだ。
その瞬間だった。
”パパパパン”
何故か銃声が聞こえた。
気のせいかすぐ近くで発射されたようだった。
何故か、全身に衝撃が走った。
そして、視界がボヤけ、何故かあの女から遠ざかっているようだった。
どんどん距離が離れていき、そして気付く。
女の横から銃口がこちらに向いていた。
そして、自分がその的になったのだと。
理解すると同時に意識は薄れていき、暗闇の中に墜ちていった。
「おいっ、キクッッ」
イタチは【何か】が込み上げるのを感じながら叫んだ。
今にもその何かが爆発しそうになっていた。
キクはそんなイタチを優しい目で見つめるとそっと唇をイタチの口に重ねる。
キクは突然の行為に困惑するイタチに優しく微笑みかける。
「守るって言ったでしょ」
そう言うとイタチの身体をいきなり突き飛ばした。
突然の事で全く反応出来なかったイタチの身体は船着き場に落ちて海へと流されていく。
ふと、天井が見えた。
今にも崩れ落ちそうなその様子を見たイタチが叫ぶ。
「キクッッッッッ」
やがて”ガラガラ”と崩落していく音が聞こえ、イタチの意識はそこで途切れた。




