第八話 ある女性の一週間
「うわあぁっ!」
あ〜〜、今日もいい天気。空には雲一つ無いし一面全て青空。気分がいいからか、イタチ君がいつもより綺麗な放物線を描いて宙を飛んでいる。やっぱり日曜日の朝と言えばコレよね♪ スカッとするわぁ。
「げふあぁっ」
イタチ君が砂場に落ちた。私は全身を伸ばして「うー」と唸る。身体がほぐれて来たのがよく分かる、もういっちょ行こうかな。
「イタタタタ……」
「はいイタチ君、次いくよ次!」
「勘弁してくださいよ〜〜、オレ寝不足なんすから(泣)」
とかいいつつイタチ君は私の懐に潜り込んできた。相変わらず踏み込みの速さとタイミングは凄い。でもまだまだ甘い♪
イタチ君は私の左足を掴むとそのまま倒すつもりみたいだ。私は左足を掴ませておき、素早く両手をイタチ君の背中に当てると一気に押して倒した。相撲でいうはたき込みかな。
「ぶふうっ」イタチ君は砂場に顔面から落ちた。
確かに今日はイタチ君はイマイチ調子が良くないみたいだ。いつもより手応えが無くて寝不足なのは確かみたい。
「ま、参りました……」
「だらしないわね」
まぁ、手応えが無い相手を投げ飛ばしても単なる弱いものイジメだから今日はこの位にしておこう。
「じゃあ、今日はこの位ね♪」
その一言を心底待っていたみたいでイタチ君は「やったー」と叫んだ。何だ、まだ元気じゃないのよ。
リス君なんか、ベンチでグッタリなのにね。
「じゃあイタチ君、私は先にバーに戻るわね」
「はい、リスの奴はオレが連れていきますよ」
「イタチぃ、あそぼう」
「こんどはわたしたちがあいてよ」
「ねぇねぇいいでしょ」
手合わせが終わるのを待っていたのはイタチ君だけじゃ無かったみたいね、近所の子供達が一気に集まってきた。何故かイタチ君は子供達に人気なのよねぇ。
「よっしゃ、じゃまずは鬼ごっこな」
「じゃイタチがオニぃ」
「わ〜にげろっ」
「イタチオニだぁ」
「おいコラいきなりかよ(笑)」
とかいいつつ子供達を追いかけ出した。……全然体力あるじゃないのアイツ。
「じゃあね皆」
「レイコねぇちゃんまたね〜」
「ばいばい」
「つぎはあそんでよ」
「ハイハイ。わかったわよ」
「やったー」
私は子供達の楽しそうな声を聞きながら公園を出るとバーに向かって歩き出した。
「レイコちゃんおはよ」
「おばさんおはようございます」
花屋のおばさんはいつもこの時間は店の外に花を出している。柔らかないい香りが鼻を包み込むようだ。後で買いに来よう。
「お、レイコちゃん。今日も美人さんだね」
「当然♪」
「今日もイタチ退治して来たのかい?」
「勿論♪」
お蕎麦屋さんのおじさんは威勢のある声だ。おじさんはこの時間は店の前に水をまいている、あとでお蕎麦食べに来ようかな。
私はこのスラム(区域)が好きだ。確かに治安がいいとは言えないかもしれない。でも、ここには様々な人がいてたくさんの人が行き交う。活気がある。
この商店街を見ても活気に満ち溢れていて右側にある和菓子のお店から出来立てのお団子の焼いたばかりの香ばしい匂いがし、向かいにある八百屋さんでは近所のおばさん達が野菜を熱心に眺めていて店のおじさんが野菜の説明をしている。ごく当たり前の光景かもだけど、私はたまらなく好きだ。心が穏やかになれるから。
「レイコさんおはようございます」
「げ! ……おはよう」
折角のいい気分だったのに思わず表情が歪んだ。後ろから声を掛けてきたのがホストのホーリーだったからだ。
姿なんか見なくても分かる、あの鼻にかかった声は散々聞いてるし、忘れようにも忘れられない。
ホーリーは通称で本当はホリイという名字らしい。身長は180センチで体重は65キロだそう(本人曰く)。髪は金髪の長髪をゴムで縛り、着ているのは高級ブランドのスーツに同じく高級ブランドの革靴。こんなヘラヘラと軽薄なのがこの街一番のホストで女の子が騒ぐのが驚きだ、何でだろ。
「レイコさ〜ん♪ いやぁ、奇遇ですねぇ」
「……そうねぇ」
「いやぁこんな朝早くから貴方のお顔が見れるなんて僕は幸せです♪」
「……あっそ」
いつもこの調子で私には話し掛けてくる。よくもまぁ、次から次にペラペラと口が回るわね。軽くて嫌だ。
「ほんっっとにこんな偶然があるなんてやっぱり……」
「……僕達は運命の赤い糸で結ばれた二人なんだね、でしょ……聞き飽きたわ」
「! 流石ですレイコさん。僕の心の声まで分かってるんだから!」
ダメだこりゃ。いつもと同じで何を言っても都合よく解釈するわコイツ。さっさと逃げよう。
「じゃ私、用事があるから」
「しかし今日も素敵なお召し物ですね♪ 美しいです♪」
「私ジャージだし、汗だくなんですけど」
「いいじゃないですか。汗を掻くのは自然な事ですし、汗にまみれた貴方もまたいい♪」
「……ヘンタイ」
「あぁ、貴方を目にすると僕の心はおかしくなる♪ 貴方はまさに……」
と言いながら私の肩に手を掛けてきたのでその手を掴んで引き寄せるとそのまま投げ飛ばした。全く、馴れ馴れしいのよね。
ホーリーは綺麗な放物線を描いて地面に倒れた。ちなみに大丈夫よ、アイツかなりタフだから。ほら、今にも顔を上げて何か言うわよ。
「レイコさん、素敵だ……ぐふっ」
あっそ。とりあえず気絶したみたいなのでさっさと逃げる。しつこい男は嫌いなのよ。
「レイコちゃん、今日もモテるわねぇ」
「おばさん、よしてよ」
「いやぁ、いつもながらいい投げっぷりだね」
「ホント、私はか弱い女の子なんだけどね」
「そういう事にしとくかね」
「じゃあまたね」
昔ながらの商店街を走り抜けてしばらくすると私のバーがある繁華街に入る。
大通りには日曜日というコトもあり、朝早くにも関わらずたくさんの人が行き来している。
ここに来る人は大半がこの繁華街の夜の姿に引き寄せられるそうだ。
確かに大通りには様々なお店がびっしりと入っていて、夜になれば看板はきらきらと光る。初めてここに来る人は夜のきらびやかな姿に目を奪われるらしい。
でも私は街のこの朝早くの姿がやっぱり好きだ。夜のきらびやかな姿は人の欲望を掻き立てる様に見えてたまに不安になる事があって、落ち着かない。バーなんて経営してるのにね。
多分それは夜の明るさが不自然だからなんだろうと思う。生活感が感じられなくて現実離れしている感じだ。
今は違う、不自然な明るさは無くなり少し落ち着いた雰囲気。行き交う人も夜とは違い生活感がある。ま、一部を除いてだけど。
「あ〜〜、気持ちいいなぁ」
「まだ飲み足りねぇなぁっ」
「もう一軒ねぇかなぁ」
「おでは眠いなぁ」
前方に酔っぱらいを発見した。朝まで飲んでいたのだろうか四人のおじさん達がよろけながら歩いている。皆、顔がまだ赤い。
ここはまがりなりにも第十区域の繁華街。治安がいいとはお世辞にも言えない場所だ。まだ大通りなら大丈夫だろうけど一本でも裏通りに入ればいいカモにされるだろう。
皮肉な話だけど大通りは表通り。そこは組織の仕切ってる店が多い。だからなのかあまり問題が起きない。ていうか起こさせないんだろう。
これが一本裏通りに入ると事情は一変する。組織が管理しない店の中にはいかにも怪しい店がいくつもある。
また夜になると裏通りは大通りよりぐっと薄暗くなり、治安が一気に悪くなる。盗みや暴力沙汰は日常茶飯事になる。
「お客さんウチに入ればいいんだよ、まだ店やってるよ」
酔っぱらい四人に話し掛ける声。客引きらしいけど見たことは無い。へらへらと軽薄そうな笑顔で信用出来ないけど、酔っぱらって思考力が低下しているおじさん達にはそんな判断が出来ないのだろう、ホイホイ付いていく。多分カモにされるだろう。裏通りに入ったからだ。私も進行方向は同じなので距離を置いて付いていく。
「おい、オッサン! 人にぶつかって無視すンのかよ、あぁん?」
道を曲がって裏通りに入った途端コレだ。おじさん達は柄の悪そうなお兄ちゃん達に囲まれていた。客引きの男はへらへら笑ったままで知らんぷり、間違いなく仲間だろう。
お兄ちゃん達はお揃いの黒のパーカーでフードを被っている。背中には血塗れのナイフの絵。
「イタタタタ、骨折れたかもぉ、オレ」
「マジかよ? ひでぇなアンタら」
「な、何を言ってるんだ? ぶつかったのはそっちじゃないか」
「はぁ〜〜? アンタらは人に怪我させても知らんぷりすんのかよ、なめてんじゃねぇよ!」
おじさん達は酔いが覚めたらしく、顔面蒼白になって怯えている。
関係ないんだけど知らんふりするのは私の性に合わないので仕方ない。
「ハイハイそこまでね」
そう言いながらおじさん達とお兄ちゃん達の間に入る。
「何だこの女?」
「どけよ、アンタにゃ用はねぇンだよ」
「待てよ、ソイツ意外といい女だぜ」
「アンタが代わりに支払ってくれンならいいぜ」
「いいわよ、お腹一杯にしてあ・げ・る♪」
言うや否やのタイミングで私は左右の手刀で二人の首筋に一撃。痛みで反射的に顔が下を向く。そこに合わせて両方の手のひらを後頭部に添えて一気に押し倒す。二人は顔面から地面にキスして気絶した。
「何しやがるこの……」
へらへらしていた客引き風の仲間が殴りかかってきたが、その右のパンチは大振りで遅くて欠伸が出そうだ。左にかわしながら左手で右手を握ると手首を捻りあげた。
「あいたたたたっ」
へらへらした表情が一変して今にも泣き出しそうだ。本当ならあのまま投げ飛ばすんだけど、仲間が二人気絶してるし、コイツも気絶させたら警告する意味が弱い。なるべく怪我は無いようにかつ、二度と悪戯出来ないように教えておかないとね。
「おじさん達は帰りなさい。これからは裏通りに迂闊に入らないで!」
「は、はいっ」
お兄ちゃん達に怯えたのか私に怯えたのかは知らないけど酔いも覚めたからもう大丈夫だろう。あとはコイツだけ。
「お兄ちゃん達、よそから来たみたいね」
「だったら何だよこのアマ……あぎゃっ」
「口の聞き方がなってないわね、どこから来たわけ?」
「や、やめろ……」
「……やめろ? 口の聞き方が……」
「やめてください、すいませんでしたぁっ」
「ならよし、二度と悪戯しないで。してたらもっと怖いお兄さんがここに来るわよ(笑)」
満面の笑みを浮かべる私の脳裏にはイタチ君とカラスが浮かんでいた。二人ともこのシチュエーションなら三人とも骨の数本位は折りそうだ。
客引き風の男は仲間二人を起こすと三人で私に土下座した。そこまでされると何だか私が悪い事をしたみたいな空気になるんだけどまぁいいわ。
「……オレ達、金が欲しくて」
「見てれば分かるわよ、そんなの」
「違うんです、オレ達、ヤバイ奴に追い立てられて、期日内に返さないと酷い目に合わされるんです」
「成る程ね、でいつ?」
「え?」
「え? じゃないわよ。いつが期日なワケ?」
「明後日の朝までです」
「火曜日の朝までね。……いいわ、私に任せなさい」
「え? でも……」
「その代わり、二度と悪戯はしない事ね。ここらは物騒だから、よそ者さんが悪戯してると酷い目に合わされるわ」
「は、はいっ」
三人が怯えるのがハッキリ分かった。ここじゃ、臆病な位が丁度いいのよ。
いつの間にか成り行きで助ける事にしたけど、まぁいっか。だって私、街の【お掃除】は嫌いじゃないし、暇潰しにはなりそうだし。
でもま、とりあえずシャワー浴びて来よう。お掃除はまた明日。




