悪意は潰えた
第三区域にある軍隊の所有するオフィスビル。
そこで二人の男がデスク越しに対面している。
「……ご苦労だったカワシマ大尉」
その一人であるニシキ大佐が今読み終えた報告書をデスク越しに直立しているもう一人の男であるカワシマに返す。
「いえ、イリーガルの暴走を事前に止められていればと後悔しています」
カワシマの偽らざる本音だった。自分が02の始末に執着しなければ、一般人の犠牲者は出なかったのだ。
結果としてイリーガルは全滅。同僚達も自分以外は全員死亡。実験は完全に破綻した事になる。
「仕方が無かったと思え。それにスパイが入っていた以上、遠くない内に計画は中断されていた」
「それは……仰る通りです」
「【暫く休暇】をとるといい。【ゆっくり】したまえ。……いいかね?」
「え? は…………はい」
カワシマはニシキの言葉を聞いた途端に突然の疲労を覚える。何とも言えない疲れが全身を覆っていき……。
しばらくしてニシキ大佐の部屋から出たカワシマは脱力感に苛まれながら報告書を自身のデスクに叩きつけ、デスクに置いてあったファイルをぶちまけると椅子に荒々しく座り込んだ。
近くにいた下士官達が心配して声を掛けたが不機嫌な様子を隠すこともせずに無視された。その様子は普段のカワシマからは全く想像出来ない姿だった。
数分後、カワシマは勢いよく椅子から立ち上がると何か吹っ切れたような笑顔を見せてデスク周りに散らばったファイルや書類を元に戻しだした。
「大尉、お手伝いしましょうか?」
近くにいた軍曹が見かねて声を掛けてきたが手で制し、「大丈夫だ」と言って下がらせる。
「そう、私は大丈夫」
カワシマはまるで呪文の様に繰り返し呟いた。
残務処理とデスク周りを整理してカワシマはビルを出た。しばらくは休みだ。【自由】にしないと。
そう考えていると不意に気配を感じた。殺気は感じないが【観られている】とは解る。
何事も無いように、気付いてない風を装い車へと近付きそこで不意に立ち止まると相手に向け声を掛けた。
「私に何か用か?」
それに反応して物陰から何者かが飛び出し向かって来る。人数は一人。
カワシマは予想通りと言わんばかりにレッグホルスターからグロッグ17を抜くと引き金の銃口を向けた。銃口を向けられて相手の動きが止まり、カワシマは問いかける。
「ギルドか?」
「貴様よくもうら……」
しばらくして誰もいない夜の駐車場で銃声が響いた。
直ぐに警備に当たっていた小隊の隊員が現場に到着したがそこには眉間を撃たれた兵士が一人残されていた。
カワシマは何事も無かった様に車を走らせる。
誰かに観られてるのは相変わらずだ。相手については大体想像はついているので彼が向かうのは誰にも邪魔されない場所だ。
普段カワシマがいるのは第三区域では無く第八区域にある倉庫。
特殊部隊の一員である彼やその同僚達は軍人の身分を隠し表向きは建設会社の社員という肩書を持っている。勿論、実際には建設の仕事などする事はほとんど無く訓練やイリーガルの監視の日々だったが、それももう終わりだ。
……丁度いい。ここで私が奴を始末してしまえば面倒は全て片付き、自由になれる
もう【誰】もいない倉庫は第八区域の外れにあり周辺に住人はいない。
更に言うなら【社員】は自分以外いなくなった。正確には事務員は別にいるが今日はもう帰宅したらしく、倉庫は真っ暗だ。
「……そろそろ姿を見せたらどうだ?」
カワシマは暗闇に話し掛ける。気配の主が返事を返してくる。
「ようやく歓迎会を開いてくれるわけだな」
すると倉庫の電灯が付けられ暗闇から姿を見せたのはイタチ。先日とは少し雰囲気が違い、どこか緩い印象。しかし一方でどこかケモノの様な獰猛さも感じさせ油断ならない空気を漂わせている。
「これはこれはイタチさん、ようこそ」
カワシマは大袈裟に恭しくイタチを歓迎するかのような仕草を見せた途端、グロッグの銃口を向けると引き金を引き二発の弾丸を発射。
イタチはその場で身を翻し弾丸を避けながらヒップホルスターからオートマグを抜くと構える。
「やっぱアンタだな」
「ん、何の事だ?」
「あのバンに乗ってた連中殺しだよ」
「何を言ってるんだ? あれは眼鏡の男が……」
「……下手な言い訳はムダだ!!」
オートマグから弾丸が発射され、カワシマが頭を動かす。
そのスレスレを30カービン弾が突き抜けた。この倉庫内であの貫通力から身を守るような遮蔽物はイタチがいる建築資材置き場位しか無い。
「危ないじゃないか、死ぬところだ」
カワシマがグロッグでイタチの声の方角に銃弾を浴びせながら話しかける。声の調子には余裕すらある。
「何で私が犯人なんだ? 彼等は私の仲間なんだ。殺すハズが無いだろ」
オートマグの銃弾が配電盤を破壊したらしく再び倉庫が暗闇に覆われた。
「君は本当に暗闇が好きだな」
呆れるような声を出すカワシマは不意に銃口を目の前に突きつける。
イタチの眼前にグロッグがあり、同時に自分の眼前にはオートマグ。引き金を引けば二人共死ぬだろう。
「……これで話がゆっくり出来そうだな」
イタチがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「強引なやり方だ、まぁゆっくり話せそうだが……で何故私が仲間達を殺す必要があるんだ?」
「眼鏡の男がキッカケだ。アンタは奴がギルドのスパイと気付いた。それとオレにも計画を知られた。だから計画の中断を選択した」
「成る程ねぇ」
「で採点はどうなんだ先生」
「四十点かな……今一つだ」
「そうかよ。一つだけオレには腑に落ちない点がある、そいつに答えろ」
「何でも聞くといい」
その言葉を受けイタチはその場から素早く後退し、同様にカワシマも距離を取る。
「……アンタ誰だ?」
「私はカワシマ大尉だ」
「違うね! 今のアンタからは【人殺し】の匂いがする、別人だ」
「人殺しの匂い? そりゃ何だ」
カワシマがグロッグから弾丸を放つ。イタチは横に避ける。
「どうした? 反撃は無しか」
「アンタにゃまだ聞きたい事があるんでね」
イタチがオートマグをホルスターに収めるとナイフを代わりに左手で引き抜く。
カワシマもそれを見るとグロッグをレッグホルスターに収めコンバットナイフをブーツから引き抜いた。
「アンタからは臭うんだよ、血の匂いがベッタリとさ」
二人が正面からぶつかる。他に誰もいない倉庫内にナイフの金属音が響く。
「なら何故この前は私を見逃した? 意味がわからんねっ!」
カワシマがナイフで突きを入れる。イタチは自らのナイフで突きを弾きながら踏み込む。
それを待っていた様にカワシマがカウンター気味に左膝を顔面に見舞う。イタチが自分から後ろに転がり衝撃を逃がす。
「やるなっ」
「当然!!」
素早く起き上がるとお返しとばかりにイタチから仕掛ける。左手のナイフを右手にスイッチすると素早く横薙ぎに切りつける。
カワシマが右手のナイフの刃を下向きにし、左手を刃の背に添えてイタチの一撃を止める。
イタチは左手で右手首を掴んで引っ張りナイフを強引に振り切った。
カワシマの両手が勢いに負けて姿勢が崩れる。そこにイタチが追い撃ちで頭突きを顎先に喰らわせた。
カワシマはよろめきながらもナイフを素早く横に払うように切りつけイタチを近寄らせず間合いを保つ。
「イタタ、ひどいな。口の中がズタズタだ」
ニヤリと笑いながらカワシマは口から血の混じった唾を吐き出した。
「最初に会ったアンタは人殺しの匂いに満ちていた。だがこの前会ったアンタからは人殺しの匂いがしなかった」
「それは当たり前だ、殺して無いからな」
「いや……アンタが犯人さ。仲間達に警戒心を抱かれずに素早く殺せる奴は他にいない」
「そうか……だが所詮は君の勘という訳だなあっ!!」
カワシマがナイフで切りつけると見せて左足でのミドルを放つ。イタチはそれを右手で防ぐ。続けてスイッチするように素早く右足でのミドルを放つ。ミドルを喰らったイタチの身体が動きを止めた。
それを勝機と見たカワシマがナイフで突きを放つ。イタチの喉元めがけ完璧なタイミング、間違いなくイタチは死ぬハズだ。
だがイタチは突きに反応しカワシマの右手を素早く自身のナイフで切りつけた。あっという間の動きで右腕をえぐられ突きの勢いが削がれる。イタチは右腕を左手で、右手で襟首を掴み引き寄せると身体を回転させて腰投げの要領で投げた。
カワシマは受け身を取るが勢いを殺しきれずに倉庫の壁に身体が叩きつけられ、思わず「ぐうっ」と呻いた。
イタチは踏み込みながら素早く立ち上がったカワシマの右手に左手刀を叩きつける。手刀で右腕の傷口に痛みが走り、カワシマはナイフを落とす。イタチが右手のナイフで突きさそうとする。狙いは腹部。
それを見てカワシマは不意に左手をナイフの前に差し出すと手首を返す。
すると途端に袖口からナイフが飛び出し左手に収まるとイタチの突きを弾き、そのまま逆に喉元へと切りつける。イタチが素早くバックステップしギリギリで避ける。ナイフがかすめた首筋から血が流れた。
「今出したナイフが証拠さ。ソイツは眼鏡の男が使ってたのと同じ形状だ」
イタチの指摘にカワシマは思わず笑い出した。
「ククハッハッハッハ。まさか使わされるとは思わなかったよ。よく気付いたな」
「眼鏡のナイフは不意をついての暗殺に使うのが本来の使い方だ。だがアイツにもまぁまぁ腕はあったがあの人数相手に警戒されず殺すなんて芸当はムリだ。ギルドの奴等がそういった暗器の使い方を叩き込まれるとしてもな。……だがアンタなら話は別だ。そのナイフで仲間を不意打ちすればいいんだからな」
カワシマがやれやれと肩をすくめると右手をクルリと回す。左手と同じナイフが握られていてそれは眼鏡の男の使用したナイフと全く同型だった。
「全く、予想以上だったなキミは……ハハハハハ、点数は六十点だなァ」
カワシマはそう言うとその表情を一変させ、凶暴さを露にした。
そのあまりの表情の変貌にイタチは確信を得た。
「……アンタもイリーガルだな」
「イリーガル? そう言われるのは不快だ。私こそこの計画の最高傑作」
カワシマはもはや以前のような規律を守る軍人では無くなっていた。
その眼には凶暴な光が宿り、両手に握られたナイフは妖しく暗闇で光る。
「そもそもイリーガル計画は【私】を完成させる為のデータ収集が目的だったのだ。連中は意図的に選ばれた」
変貌したカワシマは気分が高揚してるのかよく喋る。
オレはヘドが出そうなのを堪えて奴に好きなだけ喋らせようと無言で睨み付ける。
「例えば元々人格が破綻しかけた金髪はもう一つの人格を敢えて統合させてみた。そうだな、奴は人格統合が失敗した場合の実験サンプル」
奴の言葉で金髪の姿が脳裏に思い浮かんだ。イカれた奴だったが、それもコイツの都合だった訳だ。
カワシマは止まらず喋り続ける。
「緑髪の女、アイツはなかなかオモシロイ実験体だったな。家庭に身の置き場が無く死にかけた痩せこけた女に優しく温厚な人格を加えてみた。そしたら二人で仲良くなりやがった、バカみたいだろ。哀れな女さ」
オレは怒りが込み上げてくるのを抑えながら奴を睨み付ける。その様子に気をよくしたのか奴は口元を歪め、嫌な笑顔を作る。
「そもそも眼鏡の男がスパイだってのは私は大分前から知っていたんだ、人格を統合したが特に変わらなかったのも簡単だ。奴は元々自身を偽っていた。それに感情を殺す訓練を積んでいたからなぁ」
カワシマは更に気分が高揚して来たのかせわしなく身体が震えだした。それはまるで薬物の禁断症状のようにも見える。
「でもな、一番傑作なのはお前の知り合いだな。ちんけなチンピラだった奴に野心家の人格を植え付けてみたはいいが最初はお前に義理があるとか何とか言いやがってなぁ……」
「……何をした? アイツに…………」
イタチは怒りがこみあげるのを抑え切れなくなってきた。カワシマに殺意混じりの視線を向ける。それすらも愉快なのか頭を掻きむしりながら話を続けるカワシマ。
「……だからな少し記憶を壊してやった、お前が【仲間達を守る為】に身を差し出したという記憶をお前が【仲間達を裏切り】一人だけ逃げたってなぁ。そしたら今までと言うことが180度変わりやがった。…………人間なんて単純な生き物だよ、一ついじるだけで【恩義が復讐】に変わるんだ……でいてな都合の悪い記憶は別人格に丸投げしてたみたいでなぁ。情けない野郎だよ、まった……ぐっうっ」
我慢出来なかった。気が付けば【スイッチ】を入れてカワシマの鼻先に左肘で一撃叩き込んでいた。
油断していたカワシマはよろけながらも両手のナイフを振るい反撃してきた。右のナイフで切りつけながら左のナイフで突きを狙ってくる。
二本のナイフが確実にイタチを捉えて傷つけていく。徐々に押され出すイタチと、対照的に笑うカワシマ。
「ハハハハハっ、スイッチなど無駄だ、私には見えてるんだよぉッッ」
言うなり二本のナイフが左右から交差するように振るわれ、イタチの両腕を深々と抉った。思わず苦痛に一瞬表情を歪める。
「くっ、お前普通じゃないな」
「私は肉体的にも常人を超えた性能を持ってる。お前の様な一時的な子供騙しと一緒にするなッッ、ハハハハハっ」
カワシマがナイフに付いた血を舌で舐めながら歪んだ笑顔を見せる。
「どうだ分かるか? ……私こそが秩序を与える者、私こそが真の【オーダー】だ! チンケな偽物ごときに手間取ったお前に勝ち目など初めから無いんだょおォォっ」
カワシマは勝利を確信したのかトドメとばかりに二本のナイフで左右の首筋に突き刺そうとした。これ迄で一番早く鋭い一突きは間違いなくイタチの首筋に突き刺さるハズだ。
……私の勝ちだ。これで02より優れた性能を持ってる事がハッキリした。ニシキめ、ざまぁみろ! 何が【休めだ】。やはりお前などワタシには必要ないのだ!!!
勝利を確信したカワシマに対してイタチは迷わずナイフを落とし、両手首を掴むとそのまま倒れ込みながらに巴投げに持ち込む。
勢いよく投げ出されたカワシマは背中で受け身を取る。イタチはそのままマウント状態で左をフェイントに右の拳を鳩尾へとめり込ませる。
カワシマが苦しみながらも二本のナイフを突き上げ反撃。イタチは上体を反らして避けるが腹から胸部にかけて切られた。カワシマがそのまま上半身を起こすとイタチも素早くマウントを解除し後転して距離を取った。
「ぐうっ、何故かわせた?」
カワシマは呼吸を整えナイフを上下左右に動かしリズムを取るように構えながら近付く。左右のナイフで切りつけ、突きを交互に繰り出していく。その全てが常人を越える速度と角度で放たれ、避けるのは困難な攻撃だ。が、イタチは全てを紙一重で避けていき、カウンターで左膝を再び鳩尾に喰らわせ、更に右掌底で顎をかち上げる。カワシマはそのまま後ろに転がるが何とか体勢を整え立ち上がる。
「な、何でだ……」
口から血を吐き出す。明らかにその表情には焦りが見える。
「アンタまだ分からないのか?」
とイタチが哀れみを込めた視線を送り、カワシマも視線の意味に気付く。
「ふ、ふざけるなぁぁぁああァァァッッ」
カワシマが怒気を露にし叫ぶと今にも発狂しそうな表情で襲いかかる。両手のナイフは腰まで引く。イタチを至近距離で突き刺す為だ。
……殺す、ころす、コロス!! 楽には殺さねぇ、穴だらけにしてやらぁっ!!!
するとイタチも両手を腰まで引き距離を詰めた。ナイフと素手の違いはあれ同じ構えだ。
「う「おらぁ」っ」
カワシマのナイフはイタチの腹に届いた。だが刃が深々と入る前に身体から力が抜けていく。イタチの左手がカワシマの肩口を押していた。そして右拳が三度鳩尾にめり込んでいた。
激痛が走りその場で倒れ「うがぁっ」と呻きながら転がるカワシマを無言で見下ろすイタチの視線は何処までも冷たく、カワシマは恐怖を覚えた。
「どうしたよ? 傑作なんだろアンタ」
イタチの冷たい嘲笑混じりの言葉を受けカワシマが起き上がる、全身に力が入らない。鳩尾に三回の打撃が体力を奪っていた。
「確かにアンタはオレより性能はいいかもな。だがよ、性能があっても使いこなせなきゃ無駄って訳さ、アンタみたいにな」
「バ、バカをいえ。私は性能を使えるだけの……」
「訓練を積んだだろ? 悪いがアンタの動きは単調で簡単に読めたよ。訓練し過ぎだったな」
「訓練し過ぎだと? なら貴様は……」
「……あ〜もういいや。そろそろケリ付けよう。アンタはスイッチの動きが【見える】んだよな? ……じゃあ、こっから地獄だぜ」
言うなりイタチが動きを加速させるのをカワシマの目はハッキリと捉える。スイッチだ。
反撃しようにも腕に力が入らない。防御しようにも身体がついてこない。動くのは口だけ。気付いた瞬間にはイタチの右膝がカワシマの左の肋骨を、左肘が右膝をそれぞれ砕く。カワシマは自分から後ろへ倒れ込みながらグロッグをレッグホルスターから抜き、迷わずに連射。残った弾丸を全て放つ。これがカワシマに出来る最後の反撃だ。
だがその弾丸は一発もイタチには当たらなかった。イタチが弾丸の動きを目で追って身体を動かしたのをカワシマの目はハッキリと見た。
「ば、バカな。至近距離だぞ? 避けられる訳ないだろ」
カワシマの言葉には驚愕と恐怖が入り交じっていた。
「オレは子供騙しだったよな? じゃあアンタは子供以下って事だ」
オレはオートマグを引き抜くと銃口を奴に向けた。脳裏にはイリーガルとして人生を狂わされたシゲルの姿が浮かんだ。
銃声が二回響く。
「があぁぁっ」
カワシマがその場で絶叫。その声が倉庫内に響いた。オレが30カービン弾で撃ち抜いたのは左膝と右手。
「ぐ……な、何故殺さん? 今更ビビったのか」
カワシマはこの期に及びオレを挑発してきた。どうやらさっさと楽になりたいらしいが嫌なこった。無視して周囲に視線を向ける。
「わ、私を殺せ、殺せよ腰抜けのモルモット!」
モルモットという言葉が気になり奴に視線を向けると奴はその視線に少しは満足したのか口元を歪めて笑う。
「……モルモット?」
「そうさ。お前こそ【生まれながらの実験動物】、まさにモルモットだ」
「くだらねぇ……」
「嘘だと思ってるんだな? ……お前は何で【レイジ】と名付けられたか知ってるか? お前の実験体のコードナンバーが【02】だからだ」
「バカバカしい、オレの名はアンダーでおっさんが付けた……」
「……お前の人生に【偶然】なんか存在しないんだよぉ。お前の人生は最初から【用意された】人生だ。あの【観察者】が偶然お前を拾ったと思うのか? 集落の連中が偶然お前を受け入れたと思ってるのか? 随分と気楽な人生だなぁ、おめでたい奴だよ、おまえ。ハッ、ハハハハハハッ」
もう十分だ。これ以上コイツの戯言に付き合ってる暇なんかオレには無い。お目当てのモノも見つけたしそろそろ【お別れ】の時間だ。
オレはまだ後ろで色々喚いてる奴に背を向けて倉庫を出ていこうとする。奴が叫んだ。
「何だよ! ホントに根性なしのタマ無しか? ハッ」
そう言いながらもカワシマはイタチの去っていく後ろ姿に正直ホッとした。
……どうやらアイツは殺る気を無くしたようだ。奴は秘密を知った事でショックを受けたに違いない、当然だろう。自分の人生が虚構に満ちてると知ったのだから。
私がまだ生きていられる事が正直信じられなかったが、生き延びてしまえば私なら何とでも……
そう思った時、ふと鼻が匂いを感じた。これはペンキの匂いだとすぐに気付く。
この倉庫は表向き建築会社の資材置き場だ。実際ある程度なら実際の仕事も出来るように教育されている。
リフォームも扱っているので壁の塗装用にペンキも大量に保管している。匂いがしても不自然ではない。
だが何かおかしい。そう思ったカワシマが上半身の力で身体を起こし、匂いの方向を見る。
「お、お前」
ようやく奴がこちらに気付いた。奴を殺すのにオートマグは必要ない。外道にはそれに相応しい結末ってのがある。
オレはペンキ缶二つを手に奴の手前からペンキをこぼして入口まで一本の線を引く。これで丁度一つ使いきった。で今もう一つのペンキ缶の中身を辺りにぶちまける。独特の刺激臭が鼻を突き、むせかえりそうだ。
「や、やめろ。何をする気だ?」
奴からはありきたりな質問が投げられた。ここまで来たら分かってるだろうにな。
タバコを一本取り出す(コイツはシゲルが吸っていた銘柄だ)とライターで火を付け地面に落とす。
小さな火はみるみるペンキを伝い倉庫内を包んで炎に変わっていく。
「や、やめろ。やめろぉっ」
カワシマの悲鳴が響く。奴にはペンキをかけてない。ペンキの線は奴の手前で止まり、そこから奴は迫る炎に身動きがほとんど取れない状態で【ゆっくりと】焼けていくだろう。オレとは違い常に反射速度が優れているだけにな。
「このっ……外道ぉ」
「……今更分かったのか? お前バカだな」
「うわぁぁヒイィィえぇぇああぁぁッッ」
野郎の妙に甲高く音程のずれた絶叫が炎の中で響き渡った。
「シゲル……オレからの手向けだ」
呟くとタバコに火を付け口にくわえ、煙を鼻から出す。「ゴホ」軽くむせながらタバコを倉庫に投げた。
「何度試してもオレにはタバコは合わないみたいだぜ、シゲル」
倉庫を包み込む炎を前にオレは呟いた。




